第32話


第32話

 エル・フェアリア第四姫リーンの眠るベッドでは、三人の治癒魔術師達が発作を起こしたリーンの処置に当たっていた。
「-------っっ」
 リーンは未だに目覚めないが、脊髄全てを跳ねさせるような発作に三人の額にはじわりと嫌な汗が浮かぶ。
「体を押さえて!!」
 闇色の藍を持つガイアがリーンの枕元から命じれば、ラムタル王に仕える二人の双子は頷く時間も省いて指示に従いリーンの体を左右から押さえ付けた。
 三人で互いに顔を見合わせてから、呼吸を合わせていく。
 未だに体を引きつらせるリーンをベッドに縫い付けるように押さえながら、息が完全に合った瞬間を見計らって。
「--っ!!」
 白光に包まれた三人の癒しの力が一瞬で室内を満たし、凄まじい勢いでリーンの中に流れ込んでいった。
 リーンは瞳を閉じたまま衝撃に身を仰け反らせ、そのままベッドに沈む。
 三人の見守る中で、リーンはやがて穏やかな眠り姫に戻っていった。
「…よかった」
 安堵の溜め息をつきながら呟いたのは双子の娘、イヴで。
「…発作の間隔が短くなっていませんか?」
 双子の若者アダムは、リーンの今後を危惧するようにガイアを見つめる。
「朝からもう何度もですよ?昨日は二度だけだったのが…」
「…目覚めようとしているのよ」
 未だに目覚めないリーン。目覚める為に、何度も何度も。
「こんな発作を起こす状態で…その…」
「正気を保っているのか、気が狂っているか…目覚めるまではわからないわ…」
 アダムが言い辛そうに口ごもる理由はよくわかっている。
 わかった上で、ガイアは室内の壁面に背中を預けながら立っていた男に目を移した。
 静かに様子を見守るのはラムタルの若き王バインドだ。
「…覚悟はしておいてください」
 リーンがどのような状態で目覚めるのか。
 ガイアの忠告に、バインドは腕を組んだまま小さく鼻で笑ってみせた。
「…覚悟も何もない。どういう状態であれ、リーンであることに変わりはない」
 一心に幼い婚約者を思うバインドの真髄に揺らぎは見えない。
 この五年間、彼がどれほどの思いでリーンの無事を祈り続けていたかわからない。
 リーンが生きていると口に出来ず、救いの手を差し伸べる事も出来ないままいたバインドに、ガイアは寂しく笑い返すことしか出来なかった。
「ですが、宝具はどうされるのです?今のままでは腕力もままなりません。緑の宝具はレイノール国にあった大きすぎる長剣。たとえ健康であったとしてもリーン様に扱えるとは思えませんが…」
「緑の宝具は七姫様達ではリーン様以外には扱えないはず…このままではファントムの封印を解くことが出来ませんよ?」
 アダムとイヴの問いに、ガイアは俯いて。
「…リーン姫は闇と光の虹の両方を体に宿して産まれた…私達と七姫のように替えがきかない…コウェルズ王子は意志も力も強すぎてロードには御せないはず」
 かつてエル・フェアリアに存在し、他国に散らばった七つの宝具をファントムが集め始めたのは今から40年前の昔だ。
 長い年月をかけて全て見つけ出し、同時に闇色の虹を身に宿したガイア達も手中に収めた。
 本来宝具はエル・フェアリア王族にしか扱えないはずなのにガイア達が扱うことが出来るのは、闇色の虹を身に受けて産まれたからだ。
 闇色。憎しみに満ちた、魂の欠片を。
 かつてファントムがロスト・ロードとして生きていた時代の魂の欠片。
 それは憎しみと際限の見えない望みと化して七つの欠片に変化した。
 ひとつはファントムとして本体に戻り、後の欠片は。
 その欠片のひとつである藍をガイアは持って産まれた。
 何の因果か、エル・フェアリアの治癒魔術師、メディウムの赤子であったガイアが。
 そうして七つの宝具はロスト・ロードの魂の欠片を持つガイア達にも操れるようにはなった。
 だが緑の宝具は。
 丈の長い、最大の破壊力を持つ緑の宝具。
 骨と皮ばかりのリーンに操れるはずがない。
 ガイア達でも操れない。他の七姫達でも、本来の力は発揮されないだろう。
 他に操れる者は、エル・フェアリア王子であるコウェルズか、ニコルか。だが彼らの力は強すぎて。
「……」
 無理矢理引き離された最初の子供であるニコルを思い、ガイアは静かに自分自身を抱き締めた。
 まだガイアが未成熟な子供だった時に産んだ子だ。
 育てられるはずがなかった。
 そう自分に言い聞かせたとしても、ニコルの産まれた本当の理由がガイアの精神を苛んでいく。
「ファントムには何か考えが有るようだがな」
「……え?」
 ふとバインドが探りを入れるように訊ねてくるが、ガイアは何も聞かされてはいなかったので眉根を寄せることしか出来なかった。
 その様子にバインドは諦めたように苦笑して。
「…奥方が知らぬなら、誰もファントムの企みを知らぬだろうな」
 ガイアが知らないならファントムは企みを誰にも話してはいないだろうと評価されて、わずかに俯く。
 ガイアはファントムからそこまでの信頼を得ている身ではないのに。
「ふ…よくあのような男の傍にいられるものだ…いや、あの男が奥方を離さぬのか」
 名目上は子供がいるので夫婦と扱われるが、実際のガイアはファントムの愛玩人形だ。
 好きな時に体を蹂躙され、気儘に愛されるだけの。
 ガイアの意志をファントムが、ロードが汲んでくれたことなど無い。
「…ファントムの考えなど、誰にも知ることは出来ませんわ。…真実を語るように偽りを語るのですから」
 長い年月を生きた彼は、生を受けてから今までの中で、闇に囚われた時間の方が長くなってしまった。
 ファントムがロードとして華やかに生きていた時代をガイアは知らない。
 ガイアの知る彼は、すでに憎しみに囚われていたのだから。

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「--冗談でしょう?」
 侍女長ビアンカの唖然とした口調は、普段の彼女の有能ぶりを知る者が見れば新鮮に映ったことだろう。
 侍女であるイニスの暴挙を知らされてから一夜明け、ニコルは朝からモーティシアと連れ立ってビアンカを捕まえ最初から説明したのだが、信じられないと言うように首を振られてしまった。
 当然といえば当然なのだろう。貴族階級も侍女階級も低い娘が、何の根拠も無く“ニコルと自分は恋仲だから付きまとうな”とエルザに直談判してしまうなど、誰が予想するというのか。
「エルザ様と、エルザ様付きの騎士達に聞いていただければ確認できます…ただでさえ神経を使う時にこのような虚言、迷惑極まりない」
 ニコルのわずかに苛立つ口調はビアンカが半信半疑だからではなく、昨夜から一人思い出して苛ついていたからだ。
「…あの大人しいイニスが…」
「…有り得ないと言い切れますか?」
 考え込むように視線を落とすビアンカにモーティシアが訊ねれば、彼女は力無く首を横に振ってみせた。
「…いえ。大人しいといっても、何を考えているのかわからない点は多々あった子です。…とにかくイニスに確認を取ってから、今日中にイニスを連れてそちらに伺います。時間はいつ頃がよろしいかしら」
 半信半疑で、しかしイニスを信じられない理由も思い付く様子だった。
「いつでも構いません。宜しくお願いします」
 いつでもいいと口にしたが、早急にしてくれと言葉に念を込める。
 元よりビアンカがダラダラと先伸ばしにするような性格でないことはわかっていたが。
 二人で一礼してから、ビアンカに背を向ける。
 朝食を取りに向かう前に立ち寄ったので来た道を戻りながら、隣を歩くモーティシアの溜め息を聞いて。
 以前アリアの部屋の用意をしてもらった時は隊長としてモーティシアばかりがビアンカと話したが、今回は当事者であるニコルが全ての説明をした。
 その為にビアンカの表情を全て確認出来たのだろう。モーティシアは先ほどまで目にしていたビアンカを思い出すように天井に目を向ける。
「…侍女長も困惑顔でしたね」
「だな…まあ王城仕えでもない階級の低い侍女が姫に直談判なんて、想像もつかないだろ」
 入れ替わりの激しい侍女の階級はざっくりと簡単なもので、居住区こそ王城一階の一区画に設けられてはいるが、イニスの持ち場は兵舎外周。最も階級の低い証拠だ。
 そんな端くれの侍女の事も知っているとはビアンカには恐れ入るが。
「あなたの方は大丈夫なのですか?コウェルズ様との約束もあるでしょう」
「この件が解決するまでは拘束せずにいてくれるらしい」
「それはよかったですね」
 良いのか悪いのかは置いておき、ニコルは昨日のコウェルズの暴挙の数々を思い出す。
 誤解を解く為とはいえ、これ幸いとばかりにニコルとエルザの仲を騎士達にばらしたのだから。
「…あの方は面白半分だけどな」
 コウェルズはニコルとエルザが結ばれる事を望んでいる。
 だがそれは、可愛い妹であるエルザの幸せを願っているからだとは到底思えなかった。
「…では、簡単に解決する事を祈りましょう」
「だな」
 王城を抜けて、近道の為に中庭を進む。
 新緑宮の見えない中庭は、朝という時間帯を除いたとしても異常なほどに静まり返っていた。

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 休憩の為だけの小部屋で束の間の休憩を取っていたミモザは、ノックもなく扉を開かれて無意識にそちらに目を向けた。
 入室してきたのは兄で、コウェルズはミモザを見つけると壁際に立っていたミモザの騎士達に指先だけで席を外すように命じて。
 護衛の騎士達が頭を下げて部屋を後にし、扉を閉めるまで見送ってから、ミモザは向かいに座るコウェルズに目を向けた。
「今日はニコルは一緒ではありませんのね?」
「訳ありでね」
 従兄だったニコル。
 最初に発覚した時はまだ疑っていたミモザだが、翌日コウェルズがニコルを連れて地下に降り、その先にある幽棲の間に怯えたと聞いて彼も王族であると確信した。
 真面目で優秀な、エルザの思い人。
 しかもニコルはコウェルズを抜いて王位継承順位は上なのだ。
 父がいない今、早く対処しなければならない案件だというのに、なぜコウェルズはこうまで気楽なのか。
 コウェルズが父を討った日。
 ミモザは怯えてしまったサリアを連れてコウェルズから離れた。
 コウェルズと寝室を共にしていたサリアを慮って、侍女達に新たな部屋を用意させて。
 あれからまだ日は経っていないが、サリアは今もコウェルズの部屋には戻ってはいない。
 ミモザはコウェルズから父を討った理由を懇々と聞かされたが、頭で納得できても心は否定していた。
「…いつまでお父様の事を城の者達や国民達に隠すおつもりですの?」
 妹達ですら父の死を知らないのだ。
 そして知らせる際には、コウェルズが討った事実は伏せられるのだろう。
「まだ駄目だね。黄都領主であるガウェの回復を待たないと。予定では二日後。その後でまずガウェに話して混乱に備えてもらってから、先に城の者達に話す。国民に伝えるのはさらに後になるかな。ま、全て予定だけどね」
「……」
 ソファに浅く腰かけてだらけるような態度を取りながら、淡々と今後の説明をされた。
「まあ、国民の反応は手に取るようにわかるけど」
 元々有って無きが如しの父王だった。むしろ国民は祝福するのだろう。
 だが。自分達には父親ではないか。
「…どうして他人事のように言われますの?」
 まるで人形を操るように簡単に言うコウェルズに、ミモザはすがるように体を前に傾けながら問うた。
 せめて父を討った事実をもっと真摯に受け止めてくれていたらミモザの心も軽くなっただろうに、コウェルズの態度は緩く軽い。
 切実に見つめるミモザを躱すように「あはは」と軽い笑いを浮かべて。
「似たようなことを昨日ニコルにも言われたよ」
 物事の中心にいるはずなのに、コウェルズは第三者のような口調を止めない。
「…ニコルの件はどうなさいますの?正式に迎えるならば、それこそ手順を踏まなければ」
「ニコル次第なんだけど…ニコルは今のままでいたいらしい。まあ彼が王族であると宣言するのはファントムが王族であることも同時に宣言する事になるから…難しいよね」
 まるでニコルの肩を持つような。だがミモザは知っている。コウェルズはニコルを王族である事実から逃がすつもりなど無いことを。
「…エル・フェアリアの王族とわかった以上は」
「ミモザ、早まらなくていい。時間はまだまだあるんだから」
「ではお兄様が王座に?違うでしょう…お兄様はニコルが王になってもいいと本気で思っていらっしゃる」
 真っ直ぐに見据える眼差しに、コウェルズがわずかに逃げた。
「私とニコル、どちらが王になってもたいして変わらないよ。エル・フェアリアは王の独裁は無い国だし。私は魔術兵団の隠す真実を知りたいだけだからね」
「その為だけにお父様を討たれたの?エル・フェアリアの為では?…リーンの為ではありませんの!?」
 ガタリと周りの障害物をはね除けるように立ち上がって、両の手で強くテーブルを叩く。
 父を殺した理由が、たかが一機関の隠し事を知る為など。そんな馬鹿な話があっていいものか。
 国政に携わっていなかったとしても大国の王だったのだ。
 それを。
「お兄様!」
 強く訴えかけるようなミモザの声に反応するように、ふとコウェルズは目を見開いた。
 何かに気付いた様子で、ともすればミモザの言いたいところに気付いてくれたかのように。
「…それも…そうだな」
「え?」
 しかしコウェルズは浅い笑みを浮かべて、ミモザには予測もつかないような事に頭を使っている様子だった。
 ミモザに同意するような言葉を口にしながら、何を考えているのかわからない。
「いや、すまない…少しわからなくなっただけだ」
「何が…」
「父上を討った時は国とリーンの為にと思っていたのだが…私は魔術兵団の持つ真実を知りたいから父上を討ったのか…」
 それはミモザの言葉に触発されたというよりは、自分の言葉を改めて吟味し直したような。
 思わず呼吸を忘れてしまったミモザの前で、コウェルズはいつも通りの爽やかな微笑みを浮かべた。
「ニコルが王になっても真実が手に入ると思っていたが…そうならない可能性もあるということを見落としていた。私もなかなか愚かだな」
 まるで話が噛み合わない。
 辿り着くべき終着点は同じはずなのに、コウェルズの言葉はまるで。
「…わかった。大丈夫だよ。私が王になる。約束するよ」
 固まるミモザに気付いているのかいないのか、コウェルズはいとも簡単に国を左右するほど重要な約束を交わす。
 こんな不気味な兄を、見たことがない。
「ニコルの用事が終わったら話さないとね。ああ、そうだミモザ、もう少し落ち着いたらリーンの捜索と真相の究明を本格的に行うが、君には今までと変わらず政務の方で指揮を頼むよ。じゃあ私は早速ヨーシュカ達と話すから、もう行くよ」
 立ち上がり、ひらひらと手を降ってコウェルズは部屋を後にする。
 替わるように室内に戻ってきた護衛の騎士達は、沈むように暗い表情のまま立ち尽くすミモザに困惑していて。
「…王位を何だと思っていらっしゃるの?」
 ミモザの呟きは、その心の嘆きごと誰の耳にも届くことはなかった。

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