第31話


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 夕食を持って戻ったアリア達はモーティシア達が戻っていることに気付き、さらに部屋の奥で項垂れるように疲れきっているニコルを見つけた。
「兄さん!戻ってたのね?」
 アリアは手にしていた手拭きと途中で奪ったミシェルの食事を机に置いてから心配そうにニコルの元に向かう。
「どうしたの兄さん…」
「それどころじゃなくなった」
 心配するアリアを止めるのはセクトルだ。
「…これはミシェル殿…よければ聞いていかれます?ニコルの健やかな災難を」
「…宜しいのかな?」
 モーティシアは空笑いを浮かべながらミシェルを招き入れ、最後に入室したレイトルは事情があると踏んで扉を閉めた。
「随分沈んでいるね…」
 部屋ごと落ち込むような空気だが何があったというのか。
 机に夕食を乗せた盆を置くレイトルとミシェルには、状況が掴めず互いに顔を見合わせることしか出来ない。
「沈むも何も…やってくれたよ例の侍女」
 セクトルは苛立つように理由の欠片を口にして、察して黙るのはレイトルだ。
「侍女?」
 この場に初めて訪れたミシェルには何も繋がるものが無いのは当然だが、部外者であるはずのミシェルを周りは帰すつもりは無い様子で。
「…イニス?」
「その女!」
 目下治癒魔術師と護衛部隊内で話題に上がっていた侍女はイニスだけなのでポツリと呟いたアリアに、レイトルとミシェル以外全員が口を揃えた。
 その声量に驚くが、その後の静まり方も尋常ではなかった。
「…とりあえずメシくれないか?訳あって昼抜いてんだ」
「え!?朝も食べてないでしょ!何やってんのよ!」
「…はは」
 項垂れながらもご飯ちょうだいと食事に手を伸ばすニコルをアリアは心配を含めながら叱り飛ばすが、既にニコルに気力は無いらしい。
 いつも通り年少のアリアとアクセルが食事を各人に分けて、ガウェの分も持っていく。
 今回ガウェに夕食を運んだのはアリアだったが、ガウェは完全に寝落ちしており起きる気配は無かった。
 眠りにつけば地震でも起きないとはニコルの言葉だ。
「…朝よりかは顔色は良くなったね…イニスとは、何があったの?」
 戻ってきてからアリアはニコルの隣に座って兄の顔を覗き込むが、朝よりましだとしても顔色はいつものニコルの健康的に日焼けした肌色ではない。
「侍女の妄想だったんだ」
 普段は無口無表情なセクトルが苛立つ口調で吐き捨てるように言うので、相当の事があったのだろう。
 今でこそ少し疎遠になってしまったが、仲良くしてくれたイニスのことだけに胸中は複雑だった。
「しかも、何を思ったかエルザ様に直談判したらしい。ニコルが迷惑しているから近付くなって」
「恐れ多い…よくやるよね」
 トリッシュとアクセルも庇う余地無しと肩をすくめて、
「恋は盲目、なのでしょうがね」
 モーティシアも呆れきっている。
 直談判だの何だの、本当に何があったのか。
「…私はやはり退散しようか」
 席を立とうとしたミシェルを止めたのは、またもアリアとレイトル以外全員だ。
「…いえ、むしろどう対処すればよいか助言してほしいくらいです」
 頼むから力を貸してくれと請われれば、話を聞くくらいならとミシェルは再び座り直してくれて。
「…何があったんだ?…」
 事の顛末は、全員で夕食を取りながらニコルを中心に話して聞かされた。
 イニスが自分とニコルは恋仲にあると思い込んでエルザに直談判したことと、エルザと騎士達の誤解は解いたが、イニス自体を止めないともっと噂を流される可能性があるから止めてこいとコウェルズに命じられたことを。
 イニスの件が収まるまで、ニコルはファントムの件にも顔を出せないらしい。
 アリアや護衛部隊達はコウェルズがニコルを呼びつける程だからよほどニコルが重要な何かを見たのだと思っているが故に、イニスの件は溜め息ものだ。
 そしてセクトルが苛立つ理由も、アリアはようやく理解する。ニコルの話を聞くうちにレイトルとミシェルの表情も苛立ちに変わっていったからだ。
 ミシェルは王族付きで、レイトルとセクトルも元が付くとはいえ同じく王族付きだった。
 王族付き騎士がどれほど王家、特に姫達を可愛く思っていることか。
 イニスはその王族であるエルザに勝手な思い込みをぶつけて泣かせたのだ。
「…とんだ災難だな」
 食事も全員ほとんど食べ終えた辺りで苛立ち交じりにミシェルは呟いて。
「…信じられない?」
 黙り込むアリアには、レイトルが内心を慮って訊ねてくれた。
 アリアがイニスと仲が良かった事はすでに周知の事実で、レイトルの問いかけにはさすがに皆、様子を探るように口を閉じる。
「…正直わからないです。最近避けられてたんで…ただ、恋仲だって前に聞いたくらいで…」
 だから、アリアも俯きつつも隠さずに話した。
 避けられている理由は嫌われたからというわけではなくて、女社会のどうしようもない力関係が働いたものだと思いたいが。
 そこまで話せば、思い当たる節があるのか思案顔になったのはミシェルだった。
 アリアからはその様子が窺えたが、視界的に見えない位置にいるモーティシアは話を続けるようにトリッシュに目を向ける。
「トリッシュはどう思います?この男性陣の中で婚約者がいるのはあなただけですけど、何か聞いてませんか」
「俺!?…あいつとそんな話なんてしないし」
 アリア以外に女社会を知っていそうなトリッシュに訊ねたつもりらしいが、いい情報は聞けそうにないらしい。
「女の子はわからないね…私の妹は、ニコル殿にふられてからしばらく荒れ狂っていたし」
「…ミシェル殿の妹?…ジュエル嬢ですか?」
 ふいに名前を上げられたニコルはニコルで訳がわからないとでもいうように首をかしげて、その様子にレイトルとセクトルがポカンと口を開けた。
「…君、まさか忘れたの?」
「何がだよ?」
「ガブリエル嬢だぞ?お前がまだ王城騎士の時に本気で迫られてフッてただろ」
 ガブリエル。その名前は、アリアはジュエルから聞かされている。
 ミシェルの妹で、ジュエルの姉。最近また侍女に舞い戻ったらしい上位貴族の令嬢だ。
 ジュエルからはニコルとの間に痴情の縺れがあったと聞かされたが。
「…そんなことあったか?」
 アリアが訊ねた時と同様に、ニコルは今回も首をかしげるだけだった。
「…お前…まじか」
「王城中の注目を浴びていたんだよ?」
 レイトルとセクトルの唖然とする様子を、ニコルも怪訝そうに見返して。
 何がどうなっているというのか。
「……はは。ガブリエルは思い人にも上から目線で話すからな。当時のニコル殿は周り全て敵認識だったし、ガブリエルの事も敵と思ったんじゃないか」
「…はあ」
 敵認識の方向でニコルは再び記憶の引き出しを開けて探している様子だが、これという記憶は出てこないらしい。
「あれで気付かないとか…すごいな、お前…」
 だが仲の良いレイトルとセクトルが知っているのだから、何も無かったという事は無いのだろう。
「ガブリエルは仕返ししてやるなんて意気込んでいたが…結局何もしなかったみたいだからな。何かしたら対応しようと思っていたが、その後すぐに親の選んだ貴族と結婚してさっさと侍女を辞めたんだ」
 ミシェルは当時の様子を話して聞かせるが、ただ、と現在の状況も口にして。
「ガブリエルはどうやら嫁ぎ先の夫と上手くいっていないらしくてな。何を思ってか王城に侍女として戻ってきたんだ」
 その言葉には、あらかじめ聞かされていたアリア以外は驚いていた。
「ファントムの件に被ったからあまり知られてはいない様子だが、晩餐会の翌日だ…あと、あまり言いたくはないが妹には他人の恋路を引っ掻き回す癖があるんだ。イニス嬢の件にも、もしかしたらガブリエルが関わっている可能性はあるな」
 アリア嬢と疎遠になったのもガブリエルが原因だろう、と。
 アリアが気にしていたことを隠しもせずに告げられて、わかっていたはずなのに胸が痛くなった。
 確実にそうだというわけではない。だが可能性は高いのだろう。
「ジュエルが良い方向に成長を始めたから喜んでいたんだがな…ガブリエルにまた触発されないことを祈るよ」
 ミシェルはどうやらガブリエルの性格に関しては諦めている様子だが、まだ子供である末の妹は心配なのだろう。
 打ち解け始めたのは最近だが、アリアも少し気になってしまった。
 ジュエルはまだ確固たる自分自身を持ててはいない。
 人の意志に左右されやすい節があるのだ。
 周りに恵まれたならジュエルはどこまでも伸びていけるだろう。だが凝り固められてしまったら。
 まだアリアを敵視していた頃のジュエルの行動を冷めた目で見る騎士達を、アリアは何度か目にしている。
 子供だから許されるという魔法の装備は、いずれ剥ぎ取られてしまう。
 ガブリエルに会った事はないが、ミシェルが見限るのだ。あまり考えたくない性格なのだろうと予想がついた。
 そんな人と、兄はいったい何があったというのだ。
「…イニスと話すの?」
 隣で静かに話を聞いていたニコルに訊ねれば、小さく頷かれて。
「そうしようとは思っている。だけど二人きりでは話すなとコウェルズ様からも言われたから…誰か一緒に来てくれると有り難いんだが」
 二人きりで話さない方がいい理由は幾つもあるが、ニコルが辺りを窺う視線の中にアリアが入っていないことが少しもどかしかった。
「…あたし、行く」
「お前は駄目だ」
「何で?」
「…何でって、お前なぁ」
 アリアは自ら手を上げるが、すぐに却下されてむくれる。
 不満が口喧嘩に勃発する前に冷静に止めてくれるのはモーティシアで。
「女性が一人いるのは良いことですが、出来れば人生経験の豊富な方がいいでしょう。それに事情はわかりませんがイニス嬢がアリアを避けているなら、アリアが付くのは賛成できませんね」
 冷静すぎてぐうの音も出ない。
 唇を尖らせて黙り込むアリアへのフォローは、ニコルの大きな手のひらだった。
 心配してくれてありがとうな、と伝えるように大きな熱い手で頭を撫でられて、溜飲は少しだけ下がる。
「経験豊富かぁ…リナト団長とか?」
「いや女性じゃないし…それに忙しくてそれどころじゃないよ」
 力になってくれそうな人物を探して、トリッシュは魔術師団員故かリナト団長が真っ先に脳裏をよぎったらしい。
 すぐにアクセルがツッコミを入れるが、トリッシュと全く同じ考えの者は騎士団員の中にもいた。
「…クルーガー団長がいてくれたらな…」
 セクトルが捕らえられた騎士団長クルーガーを思い、レイトルも頷いて。
 こちらも経験云々は置くとして女性ではないのだが、頼りになる存在を思い浮かべるとそうなるのだろう。
「なら、侍女長に話して一緒に聞いてもらうとか」
「それが一番でしょうね」
 ミシェルとモーティシアは流石というべきか、目星を付けていたように有能な侍女長を候補に上げる。
「…こんなことに出てきてくれるのか?」
 ニコルは疑問を投げかけるが、事を軽んじているのは周りに迷惑をかけたくないからか、それとも深く考えていないのか。
「騎士の失態を最も怒るのは誰ですか?」
「…クルーガー団長」
 モーティシアの問いかけに、ミシェルを省いたニコル達三人の騎士が同時に答える。
「それと同じで侍女の迷惑を注意するのは侍女長の役目です。エルザ様が巻き込まれているのですから尚更ね」
 エルザの名前を出されて、ニコルはようやく納得がいったかのように瞳の色を変えた。
 国の宝が巻き込まれたのだ。それこそ侍女生命を絶たれてもおかしくない行いなのだから、と。
「コウェルズ様に呼び出される予定が無いなら、明日の食事運びの当番は私とニコルですね。その時に話しに行きますよ」
「ああ」
 今日の話し合いはここまでだろうと、皆ひと息付くように体を伸ばして。
「私もガブリエルの事を調べておこう。黒幕が妹なら、止めなければならないからな」
「お願いします。こんな問題、さくさく終わらせますよ。ただでさえ王城中が混乱している時に、勝手な迷惑に振り回されるなど馬鹿げていますからね」
 モーティシアの言葉を合図にするように全員が頷いてみせて。
 イニス。
 内気だけど、仲良くしてくれた女の子だ。
 出来るならばもう一度仲良くなりたい。
 だが事はそう簡単なものではなさそうで。
 アクセルと共に食器を片付けながら、アリアは過去にイニスと笑い合った他愛ない会話を思い返していた。

第31話 終
 
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