第31話


第31話

 コウェルズとニコル、どちらが王座に着くべきか。
 未だ捕らえられたままのクルーガーを抜いた三団長であるリナトとヨーシュカとの対話は平行線を辿った。
 魔術師団長であるリナトはクルーガーと同じくコウェルズを王にと口にして、魔術兵団長ヨーシュカは頑なにニコルこそがと譲らない。
 ここで決まるものでもない埒が明かない話し合いは何も解決しないまま終わりを迎え、ニコルとコウェルズは自分の凝り固まった肩を回しながら同時に溜め息をついた。
 気分転換に王城壁面の庭を歩いてはいるが、疲れきったニコルとは違い何故かコウェルズは楽しそうだ。
「いやぁ、ここまでヨーシュカと話が出来ないとは思わなかったな!」
「清々しく言うことでは無いでしょう…」
 元より面白い事が大好物な王子ではあったが、こんな大切な事柄も面白がるなど。
 現在エル・フェアリアに王は存在しない。
 真実を隠す王から真実を奪う為にコウェルズが自ら討った為だ。
 父親であろうとも。
 コウェルズはリーンの真実を知る為にエル・フェアリア王デルグを討った。
 そしてコウェルズが王位につくはずだったのに、ここに来て新たな真実が発覚した。
 ファントムという真実が。
 未だにニコルには信じられなかった。
 ファントムがニコルの父で、しかも44年前に暗殺されたはずの悲劇の王子ロスト・ロードだなどと。
 何度も否定して、だが誰もニコルの否定を受け入れてはくれなかった。
 ニコルが王族であることを当然の事実として。
 たかが真実しか語れないという結界の中でフレイムローズがニコルの出生を口にしただけではないか。
 コウェルズに連れていかれた地下の幽棲の間の“何か”に恐れを抱いただけではないか。
 だがそれだけで、コウェルズ達はニコルをエル・フェアリア王家の血を引くと決め付けた。
「口を開けば君に王位を選ぶように囁く囁く。マインドコントロールみたいだったね」
「嬉しそうにも言わないでください…」
「リナトには睨まれるし」
「貴方が王位につくとはっきり宣言していればリナト団長も睨まれませんでしたよ」
「さあ、どうしようかなぁ?」
 どこまでも楽しそうにクスクスと笑うコウェルズの考えが掴めない。
 まるで王位に興味が無いとでも言いそうな口調にはリナトも唖然と口を開いていたのだから。
「コウェルズ様…」
「ヨーシュカの言うことに一理あるからね。現在の王位継承順位は君の方が上なんだから」
「だから私は今のままがいいと何度も!」
「そういうわけにはいかないと、リナトも言っていただろう。ミモザも言うよ」
 怒りに任せるように叫んだニコルをさらりと止めて、コウェルズはニコルの現状維持を許してくれなかった。
「どうあがいても君はエル・フェアリアの王族なんだ。逃げられないんだよ」
 今のままでいいではないか。
 誰もファントムとニコルの繋がりを知らないままで。
 その方が、無駄な頭を使わずに済むのに。
「…私の家族は…アリアだけです。両親はもう亡くなった…ただの平民です…」
「でもね、無理なんだよ。そんな言い訳が通じるほど、王族の血は簡単じゃない」
 ニコルの言い分を聞いてくれないなら、最初からニコルはいらないではないか。
 どれだけ訴えかけても、誰もニコルの声を聞こうとはしない。
 コウェルズを王座に望むリナトでさえ、ニコルを王家に迎え入れることは当然であるかのように口にして、根本的に現状維持を望むニコルの声は無視だ。
 なら、最初から巻き込まないでくれよ。
 自分にとって無意味な話し合い。
 もうこれ以上はニコルにも無理だ。
 口を閉ざして、不条理な流れに身を任せてしまう。
 昔からの悪い癖だ。自分の声が届かないとわかったらすぐに諦めてしまうのは。
 それでも、今回ばかりはニコルも頑張った方だろう。結果は無意味なものだったが。
 もう好きにしてくれ。頭が自棄になる、その一瞬早く。
「--ニコルお前はああぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
「うわあぁっ!?」
 突然頭上から殺意を纏った人型の影が降ってきて、ニコルは無意識に魔具の盾を生み出して身を守った。
「クラーク殿!?」
 ニコルに襲いかかったのはエルザの護衛である先輩騎士で、魔具の太刀を情け容赦なくニコルの頭目掛けて振るい落とした。
 はたしてニコルが頭を庇うとわかった上で狙ったのか、最初から殺す気だったのか。どちらにしてもたちが悪い。
「殺す気ですか!!」
「死ね!!死んで詫びろ!!今すぐだ!!骨は拾わん!!周りに迷惑かけないように無臭で腐って白骨化して風化して忘れ去られろ!!墓を作ろうもんなら暴いてやるから覚悟しろよ!!」
「はあ!?」
 子供ほどの大きさはありそうな魔具の太刀を紙切れのように簡単に振り上げ叩き落としながら、クラークはニコルに攻撃し続ける。
 そのあまりの早さは今までの訓練でも見たことがないもので、困惑しているとはいえニコルを圧倒した。
 激しい攻防と空回る舌戦を同時に進行させるその隣で、クラークと組んでいるセシルが軽やかに王城上階の窓から飛び降りる。
 城の二階に当たる高さから苦もなく飛び降りて、セシルは微笑みながらコウェルズに頭を下げた。
「これはコウェルズ様、非常に見苦しい場面をお見せしてしまい申し訳ございません」
 ブチ切れているクラークと、冷静というよりは冷めきったと形容した方が正確であろうセシルと。
「…いったい何が?」
 さすがにコウェルズも度肝を抜かれたように目を丸くすれば、ようやくクラークが攻撃の手を緩めた。
「この野郎!絶世の美女エルザ様の思いを知りながらちょっと可愛い程度の下位貴族の侍女と毎晩腹立つなぁ畜生!!」
「なんの事ですか!!」
 説明をしたいのか苛立ちをぶつけたいのかどちらかにしてほしいが、頭に血が上っているクラークの言葉には納得できない箇所がいくつも存在してニコルも思わず声を荒らげた。
「とぼけるな!!今どれだけエルザ様が傷付かれているか!!寝室にこもってしまったんだぞ!!」
「話が見えねぇ!何言ってるんすか!?」
 あまりに勝手にキレられて、ニコルの口調も地方兵時代に戻ってしまう。
 再度太刀を降り下ろそうとするクラークを何とか止めながら詳しい説明を求めるが、クラークでは無理だろう。
 ニコルはちらりとセシルに目を向けるが、こちらもキレている。
「この期に及んでしらばっくれるとは男の風上にもおけませんね。あなたがそんなカスだとは思いませんでしたよ。私が介錯してあげましょう。今すぐ腹を切りなさい」
 さらさらと述べながら、きらりと細身の剣を手に出現させて。
 クラークはともかく、セシルまで苛立つとは何があったというのだ。
 エルザが関係していることはわかったが、話の前後が掴めない。
 確かに昨夜の終わりは無下に扱ってしまったと自覚はあるが、侍女云々の意味は何だ。
「落ち着け二人とも。最初から話すんだ」
 言いたい所が掴めず困惑していれば、黙って静観していたコウェルズがようやく割って入ってくれた。
「…申し訳ございません。頭に血が上ってしまい」
「よくある事だね。とりあえずニコルを離しなさい。何があったんだ?」
 いくら頭に血が上っていようが、王子の前でキレ続けるわけにもいかない。
 コウェルズの命にようやくクラークはニコルから太刀を離して距離を取った。ただし視線はニコルを射殺す勢いのままだ。
 乱れた衣服を正しながら、ニコルは盾はそのままに聞き入る体制に入る。
 口を開くのはまだ冷静なセシルかと思ったが、クラークが先だった。
「…エルザ様が泣きながら寝室に籠られて、何があったのか護衛番の二人に聞いたんですよ。なんでも、ニコルと恋仲にある侍女がエルザ様に…もうニコルに付きまとうなと直談判しに来たと!!」
「はあ!?っざけんな誰だよ!!」
 語尾を荒らげたクラークに続くようにニコルもキレた。
 短気の度合いでニコルの上を行く騎士など存在しない。
「ニコル、落ち着いて。何という侍女だい?」
 怒りに身を任せようとするニコルを抑えてくれたのもコウェルズで、ニコルが落ち着いたのを見計らってからセシルは冷めたまま侍女の名を告げる。
「下位貴族の娘で、イニスと」
 その名前には聞き覚えがあった。
「…イニス?」
「やっぱり知ってるんじゃないか!!お前何やってるんだよ!!」
「イニスはアリアのダチだ!!滅多に話したことなんてねぇよ!!」
 胸ぐらを掴まれて、腹が立って掴み返して。
「嘘つくなよ!毎晩毎晩通ってるんだろ!昨日も熱かったらしいな!」
「はあ!?っざけんな誰が」
「昨夜ならニコルは私やミモザといたよ。その後はアリア達の元に戻り朝までいたと治癒魔術師護衛部隊から聞いている」
 魔具を放って殴り合いに突入しそうになるニコルとクラークを咎めるように、コウェルズはどこまでも冷静でいてくれた。
 この四人の中で一番年下だというのに。
 コウェルズの説明にようやく怒りを下降させ始めるクラークとセシルに、とどめも忘れず話してくれる。
「それに、アリアが来てからニコルは夜もアリアの傍にいた。数回は機会があったとしても、毎晩などとてもじゃないが無理な話だろう」
「女に会いに行った事なんてない!そんな無駄な時間があってたまるか!!」
 数回という部分が気に入らずニコルは強く否定するが、その時点ですでに二人の怒りは呆けるように冷めていて。
「…ではイライアス達が聞いたという、侍女の話は?」
「…馬鹿女の妄想かよ…」
 目を見開くセシルと、ニコルの胸ぐらを離して項垂れるクラークと。
「…この時期に」
 何やら合点がいったように、セシルは現状を考えない侍女の妄言を憂える。
 二人は何とか誤解だとわかってくれたらしいが、事はそれだけでは終わらないとニコルもコウェルズも理解していた。
 エルザが泣いて引きこもったとなると、王族付き達が黙っているはずがない。
 それも内容は誰がどう聞いてもニコルに分が悪い。
 いくらニコルが真剣に侍女と愛し合っていたとしても、だ。
 騎士が姫を泣かせた場合、騎士達の間では面白半分の膝裏蹴りという簡単な私刑が行われていたが、これはそんな軽いものでは済まされない。
 現にクラークはニコルの頭蓋骨を粉砕しに来たのだから。
「…ニコル、エルザの元に行こうか」
「…はい」
 先に歩みを進めるコウェルズの後に続くニコル。二人を止めたのはセシルだった。
「コウェルズ様はお忙しいでしょう!?我々がエルザ様にお伝えしますよ」
 早とちりをした償いだと暗に告げるが、コウェルズは笑って却下した。
「いや、エルザは直接ニコルの口から真実を聞きたいはずだよ」
 ね、ニコル。と微笑まれて、静かに頷き返して。
「しかし、そこまで…」
「エルザはもうニコルに思いを告げているから」
「え!?」
 さらりと隠すべき真実を口にしたコウェルズに、セシルとクラークはコウェルズが王族であることも忘れて同時に驚いた。
「コウェルズ様!!」
「ニコルがどう返答したかも知っている」
「なぜですか!?」
 ニコルはコウェルズを睨むが、プライバシーに関わる内容すらいとも簡単に知っていると公言されて肝を冷やし、
「エルザが私に隠し事なんかできるはずがないだろう。聞いたら恥ずかしがりながら教えてくれたよ。子供が出来るかもと喜びながらも不安がっていたね」
「---っ!!」
 言わなくてもいい事を騎士達の前で堂々と暴露されて、本気で心臓が一瞬止まった。
「ニコルお前ーーっ!!」
「誤解だ!」
 案の定魔具を再発動させて斬りかかってくるクラークから逃げて。
「そうだよ。エルザの体はまだ綺麗なものさ。ただの口付けだからね。いやぁ、口付けただけで子供が出来ると思っていたなんてね」
「やはり死ね!!姫に手を出すなんて大罪にもほどがある!!」
「クラーク、落ち着いて殺りなさい」
 クラークに気をとられている間に背後からセシルに羽交い閉めにされて、ニコルは完全に焦った。なんでこんなことになるんだ。
「あんたらあんだけ俺とエルザ様を二人きりにさせといて!!」
 さすがに苛立ってエルザに仕えた七年間を口にするが、
「それとこれとは話が別だ!!」
 エルザの思いは汲もうが、ニコルの思いは汲んではくれないらしい。
 仲間であろうがむさい野郎より可憐な姫を選ぶか。まあニコルも選ぶなら姫だが。
「コウェルズ様!止めてください!!」
 この現状に陥れた張本人に責任を取ってもらおうとコウェルズを呼ぶが、笑い上戸のコウェルズは腹を抱えてうずくまり、全身を震わせている最中だった。
「コウェルズ様!!」
 ニコルの救いを求める声は、その後すぐに響き渡った大笑いに掻き消されてしまった。

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 コウェルズと共に王城に戻り、王家の居住区画に位置する上階に上る。
 エルザの元に向かう先々で送られてくる騎士達の視線は全てに殺意が含まれており、コウェルズがいなければ今頃ニコルは五回ほど死んでいただろう。
 コウェルズという防波堤を前に置きながらも俯き加減で進み、事態が重いことをまざまざと示される。
 エルザの護衛部隊だけでなく他の王族付き達からも睨まれるなど、どこまで話が回っているというのだ。
「誤解だと話して回るのは、骨が折れるだろうね。エルザといっそ婚約してしまったら?」
 凄まじい殺意の中をコウェルズが優雅に歩けるのは、殺意の矛先が自分に向いている訳ではないからだ。
 いとも簡単にエルザとの今後を口にされて、ニコルは思わず周りを窺った。
 誰かに聞かれてしまったらどうするつもりなのだ。
「…エルザ様の思いには答えられないと伝えていますから」
 自分達以外に誰も側にいないことを確認してから、以前エルザに告げた有って無きが如しの断り文句をコウェルズにも伝える。
 エルザはそれでも構わないと言ってくれた。だがコウェルズは単純なエルザとは訳が違う。
 なぜそこまでニコルにこだわるのかはわからないが、ニコルの出自が発覚するより以前から、コウェルズはニコルとエルザが懇意になることを望んでいる様子だった。
「エルザが姫で君が平民だったからだろう?君は王族だったんだ。従兄妹関係ならエルザが“姫”のままでも添い遂げられるんだよ。何て素晴らしい運命の導きだろうね。新たなエル・フェアリアの恋物語として語り継がれるよ」
「やめてください。私は王族に入るつもりはありません」
 コウェルズの口車に乗せられたら最後だ。
 先程は諦めてしまいそうになった反論だが、今は何とか自分を取り戻して自棄を脱却する。
 男女の営みを知らないエルザに、口付けとはいえ手を出したのはニコルだがそれでも。
 守らねばならない一線はやはりあるのだ。
「どうしてそう頭が固いかな?愛し合っているんだろう?」
 溜め息をつくコウェルズは、自分がニコルの立場だったらどう動くというのか。
 互いが愛し合っているなら何をしても許されるなら、秩序は滅ぶだろう。
 愛し合うのは当事者だ。だが巻き込まれる周りの身にもなってくれ。
 そしてニコルが何か仕出かした場合、家族というだけで十中八九アリアに御鉢が回る。
「…まだ私には…アリアが一番大切なので」
「…難しいね。私も妹達が大切だからね」
 妹の名を出せば、コウェルズもようやくわずかに理解を示してくれた。
 大切な妹がいる者同士、そこだけは理解し合えるのだろう。
 ようやく辿り着くエルザの部屋の扉前には、現在の護衛である騎士二名の姿があって。
「ニコル殿…」
「お前ーーっ!!」
 ニコルの出現に二人は驚いて、若手の一人がニコルに向かってくる。
「落ち着きなさい。全て誤解だから」
 それを止められるのはコウェルズしかおらず、またも防波堤となってくれるコウェルズを前に騎士は慌てて立ち止まった。
「コウェルズ様…」
「エルザは中だね?」
「は、はい」
 困惑するかつての同部隊の仲間達は、それでもニコルへの怒りの視線は揺るがせない。
 大切な姫を傷付けたという冤罪は、はたして解かれるのだろうか。
「私から彼らに話しておく。ニコルはエルザの誤解を解いておいで」
「…はい」
 コウェルズが居てくれるに任せて、ニコルは静かにエルザの部屋の前に立った。
「誤解?」
 騎士達は困惑したまま顔を見合わせているが、ニコルは深呼吸をして、ノックもせずに扉を開ける。
 閉め切られたカーテンは遮光制の暗幕ではないために室内を緩やかな薄闇に包むだけだ。
 そしてエルザの気配は、彼女のベッドの中にあった。
「--…エルザ様」
 ベッドの、さらにふわふわモコモコとしたブランケットの中にいるエルザが、ニコルの声に反応してビクリと震える。
「勝手に入室してしまい申し訳ございません」
 突然の来訪を謝罪するニコルに、エルザのブランケットのバリケードはさらに強く閉め切られた。
 芋虫のように潜ったまま出てこないエルザのベッドに静かに腰を降ろす。
 本来なら許されない行為だ。だが今は、エルザの為に罪を犯す。
「…お顔を見せていただけませんか?」
 そっと手を伸ばしてブランケットの上から撫でてみても、エルザが出てくる気配はなかった。
 だが心優しい姫は、声だけは聞かせてくれた。
「…私…あなたに思い人がいらっしゃるとは露知らず…」
 鼻の詰まった声は、ニコルでなく自分を責めている。
 エルザが涙ながらに自分を責めていたなら、騎士達が完全にニコルを責めるのも頷けるというものだ。
 こんな健気な姿を見せられて心動かされない男がいるものか。
「…エルザ様」
「振り回してしまい申し訳…わ、私…ごめ、なさ…」
 だがニコルは当事者だ。
 何があったのかはニコルにもわからない。それでも、エルザに誤解されたままいられるはずがなかった。
 自分がニコルを振り回したと泣いて謝罪するエルザは、いっぱいいっぱいになってニコルの声を聞いてくれない。
「…エルザ」
 だから、ニコルは彼女を呼び捨てた。
 二人の時は呼び捨てにしてほしいと、そう願ったのはエルザだ。
 距離を感じないように、特別なんだと知らしめるように。
「…誤解だ」
 どこまでニコルの声が届くかはわからない。だがこればかりは、言葉が届かないと諦めて口を閉じるわけにはいかないのだ。
 エルザの為に、自分の為に。
 それも、よくわからない侍女の妄言に振り回されるなど。
「…でも、恋仲だと…」
「俺にもよくわからない。その侍女はアリアの友人で…俺もあまり話したことは無いんだ」
 何がどうなっているのか、問い質したいのはニコルも同じだ。
 一、二回会話した程度の侍女なんてニコルは知らない。そもそも後腐れを懸念して侍女に興味を持たなかったのだ。アリアがいなければ視界にも入らなかった娘だというのに。
「…でも毎晩…」
「そんな時間あるはず無いだろ?俺は一日の全てをアリアに使ってるのに」
 誤解を解こうと口走った自分の言葉に、さすがに不味さを感じてニコルは次の言葉を探す。
「…アリアの護衛から離れた時は…エルザといただろう?たった一度だが…俺はエルザといた」
 アリアが訪れてから今までの間で、ニコルがエルザと共に居たのは片手で足りる程度だ。しかも夜に二人きりとなれば、たった一夜しかなかった。
 初めて口付けを交わした夜だけ。
「でもそれは…晩餐会後に皆がニコルの空いた時間を見計らってくださって…私から」
 その唯一すら騎士達がけしかけたと知り、頭が痛くなった。
 手を出すなと言いつつ夜中に二人きりにさせるなど。しかも晩餐会の夜はニコルも自暴自棄になって酒を煽っていたというのに。
「とにかく…侍女と恋仲なんて有り得ない」
 勝手な仲間達に苛立ちつつも、今はエルザの心を解きほぐす。
 きっぱりと言い切るニコルに、ようやくエルザも少しだけ顔を見せてくれた。
 どれほどブランケットに潜っていたのか、泣き腫らした目元は赤く、頬は火照っている。髪もくちゃくちゃに揉まれていて、わずかに汗ばむ額にくっついていた。
 傾国を謳われる姫も、これでは形無しだ。
 だがこの姿こそが、エルザの真実なのだ。
 たかがニコルの一挙一動に喜んだり悲しんだりを繰り返す、恋する乙女。
「…昨夜は?」
 布団という邪魔な遮りから顔を出しても、口元は毛布に隠してまだ声はくぐもっている。
 昨夜。ニコルの正体が発覚した後の事を言っているなら、それどころではなかったと気付いてほしいものだが。
「…あの後アリア達の元に戻った。すぐにベッドに寝かされたよ。血の気が失せていたのを疲れと思われて、ご丁寧に監視付きでな」
 信じられないのか、エルザはニコルの目を見ようとしない。
「有り得ない…例え恋仲の女がいたとしても…それどころじゃなかった…」
 自分が王族だと言われ、リーン姫を拐ったファントムの息子だと言われて頭が混乱の極みを味わっていたのに、普通でいられるものか。
「…ではなぜあの方は…あなたと恋仲にあると?」
「それは本当にわからない…俺から話しかけたのも一度だけだ」
 話しかけられた回数と合わせても、二度しかない。
 隠すことなく告げたというのに、エルザ瞳にまた涙が滲んだ。
 そのたった一度話しかけただけの事実を、エルザは憂えるのか。
 イニスとはたった一度だ。今までエルザはどれほどニコルに話し、また話しかけられたというのか。
「…アリアと仲が良いせいで他の侍女に絡まれていたんだ…だから声をかけた…その一度だけだ」
「…そうですの…」
 事実を告げれば、わずかに安堵するように表情が緩まる。だが完全に安堵した訳ではなくて。
 言いたいことを我慢するような姿をいじらしいと思えるのはエルザだからだ。
 ニコルはイニスの内気な態度には苛立った。それこそイニスには何も思っていないと宣言しているようなもので。
 でも、短気な性格が災いして。
「…私、迷惑では…」
「いいか!俺は王城に来て初めてエルザに会った時からエルザしか見えてないんだ!!どんな思いで王族付き目指したと思ってんだ!!…エルザがガウェを見てた頃から…俺はずっと…」
 強く怒りをぶちまけるように話すのに、最後には声が小さくなって。
 なんて状況で思いを口にするのだと自分自身を殴りたくなった。
 こんな発言。エルザを愛していると言っているのと変わりないではないか。
「…ニコル」
 見上げてくるエルザを直視できなくて、わざとらしく顔を背ける。
「…っ」
 頬が熱くなるのを感じるが、薄闇が誤魔化してくれることを祈るしかない。
「…私が貴方を意識したのは…貴方と初めて出会った時です」
 それを理解してくれているのかいないのか、エルザもニコルに初めて思いを抱いた日の事を話してくれて。
「…貴方が来られた時には、私のガウェへの思いは憧れであったと気付いていました」
 それは、なんて運命なのだろうか。
「…お互い、同じ時に惹かれていたのですね…」
 完全にブランケットから抜け出たエルザが、情けない表情を残したままの笑顔を見せてくれる。
 その微笑みの、なんと可愛らしいことか。
「…そうみたいだな」
 ニコルとエルザの出会いは少しばかり特殊だった。その時に互いを認識し、恋い焦がれたなど。
「私…ニコルの昨夜の苦しみをあの方が癒されたのだと思って…」
 今度は完全にニコルを信じてくれながら、エルザは誤解だった話を口にする。
 もういいから。そんな馬鹿な話は聞きたくないと、ニコルはエルザの頬を撫でた。
 泣き張らした目元が痛々しい。
 こんなになるまでニコルを思ってくれるなんて。
 そっと近付いてニコルの胸に身を寄せるエルザを、ニコルは拒絶などしなかった。
 不安にさせた謝罪をするように優しく抱き締めて、縺れた髪を、華奢な肩を何度も撫でる。
「…仲直りに…口付けを下さいませ」
 どれほどそうしていただろうか、そっと顔を上げるエルザは、熱っぽく潤む瞳をニコルに向けてきて。
 悪戯心が芽生えたのは、先程コウェルズに秘密を暴露されたからだ。
「子供が出来るんだろ?」
「…お兄様から聞きましたわ…それだけでは出来ないと…ニコルはそれを知っていたのですね?…だからあの時笑ったのですわ」
 晩餐会の夜、恋人の口付けが欲しいと頬への口付けを望んだエルザに、ニコルは現実の男女の口付けを与えた。
 何も知らなかったエルザは、それだけで子供が出来てしまうと恥ずかしがって。
「…ああ。悪い」
 意地悪をしてしまった事を謝罪して。
 そっと瞳を閉じるエルザの柔らかな唇を無骨な指先でなぞってから、静かに口付けを交わした。
 最初は優しく慰め合うように、しだいにニコルがリードして。
「--…舌、出して」
 まだ慣れていないエルザを気遣いながら、ニコルが我慢していられる限界まで味わい尽くした。
 ようやく離れれば、やはりというべきか、惚けたエルザはクラクラとしてからニコルの胸に舞い戻る。
 甘えるようにすり寄って。
「…ニコル…」
「…ん?」
 エルザが落ち着くまで頭を撫で続ける。その途中で。
「…お兄様やクルーガー達は、あなたを王家に迎えようとされるでしょうが…」
 言葉の続きを予想して、わずかに体は強張った。
 誰もニコルの言葉は聞いてくれなかった。その中でエルザまで。
 だがニコルの不安は杞憂で。
「…私はあなたの決めた道を共に歩みたいです」
 ニコルの未来はニコルが決めるべきだと。そしてその道を共に進みたいと。
 それだけで、胸につかえて離れなかったわだかまりが流れ落ちる気がした。
 ニコルを尊重してくれるなんて。
「…ありがとう」
 なんて優しい姫なのか。
 言葉に出来ないような嬉しさに満たされて、ニコルは自分からエルザを欲して上向かせた。
 そして今度の口付けは、たどたどしくもエルザも舌を絡ませてくれた。

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