第28話


第28話

 雲ひとつ無い夜空は満天に星々が瞬き、幻想的な世界を見せてくれるはずだった。
 それは毎夜訪れる当たり前の光景だったのだ。
 恋人達はその下で静かに語らい、優しく愛し合う。
 だが今日は違う。
 夜空が紅色に変わるのは、燃え盛る炎のせいだ。
 全てを焼き付くすかのように天高く、煙と共に炎は空を焼く。
 熱はどこにいても感じられた。
 肌を舐め焦がすような凄まじい熱波に晒されながら、それでも動ける者達は己の任務を着実にこなしていく。
 崩れ去った新緑宮。
 倒れ伏した仲間達。
 瓦礫を力任せに取っ払い、下敷きになった者を助け起こし。
 逃げ去る者はとうに逃げ去った。
 事切れる者はとうに事切れた。
 今ここに残るのは、全力を尽くす者達ばかりだ。
 阿鼻叫喚とならなかったのはこの場所が王城敷地内であるからで、しかし張り上げるような声は止まなかった。

「怪我人は固めてください!!重体の人は!?」
 アリアは炎から離れた位置に集められた重傷者達と共にいた。
 軽度の者はここにはいない。
 痛みを堪えるように呻く者達が大半だが、中にはもげた腕や足に絶叫する者もいる。
 煤と血の匂い。
 あれほど瑞々しかった木々の香りは欠片も感じない。
「アリア来てくれ!!ガウェが全身を貫かれて意識が無い!!」
 レイトルは声を張り上げ、ぐたりと力無く崩れる親友の為にアリアを呼ぶ。
 ガウェを死なせるわけにはいかない。
 その全身に空いた傷穴から溢れる流血の量に息を飲みながら、アリアは唇を噛んだ。
「っ…すぐに塞がないと!!」
 ガウェはただの騎士ではない。
 黄都領主という、存在自体がこの国に必要不可欠なのだ。
 それはアリアも重々理解している。
 意識を集中させて、気力を奮い立たせて、全身全霊を以て。
 瀕死のガウェの為に、アリアの体が純白の輝きに包まれた。

 ファントムから身を守る為に結界の張られた防護室にいた末姫オデットと第五姫フェントは、喧騒から離されるように一部の護衛達と共に妃樹の間に移されていた。
 幼い二人には何がどうなっているのかわからない。
 そしてそれは小さな姫達を守っていた騎士達にも言えることで、妃樹の間のクリスタルの窓から見える炎をただ眺めていなければならない事実に腸が煮えくり返りそうになって。
「--オデット!!フェント!!」
 そこへ、他の姫達と共に安全な妃樹の間に連れてこられた第一姫ミモザが無事だった二人の姿に落涙しながら走り寄ってきた。
「お姉さまぁ!」
「っ…」
 ドレスが汚れるのも構わず両膝をつくミモザに、オデットは泣きながら、フェントは恐怖に引きつりながらすがり付く。
 怖かったのだ。
 信頼していた騎士が敵であった事実、そして何より燃え盛る王城の一角が。
 ミモザよりわずかに遅れて妃樹の間に連れてこられた第二姫エルザ、第三姫クレア、そして第六姫コレーも、表情を固く青白くしながらずるりと床にくずおれそうになる。
 それを近くにいた騎士達が何とか受け止めて、姫達をひと区画に集めて。
 有事の際、姫達は身の安全の為に騎士達の指示を素直に聞くように命じられている。
 一角に七姫達が集められたことにより騎士達は隊長の指示の下、護衛続行と出動部隊にさらに分けられた。
 それを眺めながら、エル・フェアリアの宝玉達は信じ難いあの光景を思い出す。
 フェントとオデットは知らない。
 だがミモザ達はその目に焼き付けていた。
 骨と皮だけになってしまった、闇色の緑を身に受けた、死んだはずの第四姫リーンを。
 リーンの絶叫が耳から離れない。
 救いを求めるように空を掻いた細い木の枝のような腕が網膜からはがれない。
 ただ闇色の髪と瞳を持って産まれてしまっただけの可愛くて可哀想な第四姫。
「本当に…リーンなの…?」
 クレアの呟きは、姫達と一部の騎士の耳にしか入らなかった。

 ヴァルツは呆然と夜空を眺めていた。
 本来なら海を航る為であるはずの巨大な船が消え去った空中を。
 あれには見覚えがあった。
 立体で見たわけではない。平面でだ。
 紙の上に描き出されたあれを。
「ヴァルツ殿下!傷に障ります!動かないで!!」
 信じられないとでもいうようにふらりと船の消えた方向へ進もうとするヴァルツを騎士達が止めに入り、すぐにアリアの元に連れていかれる。
 強引に戦闘に参加した為に頭から血は流れているが、痛みは感じなかった。それほどショックだったからだ。
 あの船は…あれは…
 エル・フェアリアの姫達の為に、愛する婚約者であるミモザの為にラムタルの絡繰り達を操りファントムの一団と戦った。
 一団は絡繰りの存在を知っているかのような動きを見せたというのに、それらを操るヴァルツには攻撃を繰り出さなかった。
 絡繰り達の動きを止める最も効果的な方法は操者を止めることだ。
 彼らの動きはそれを知っていたというのに、ヴァルツには手を出さなかった。
 それは、その理由は、ヴァルツが誰かを知っているからだ。
 ラムタル王弟だと。
 王族だと。
 そうでなければ。
…そうであるなら、あの船にも説明がつくのだ。

「--あなた様!お怪我は!?」
 駆け寄ってきた婚約者のサリアの姿に、コウェルズは静かにその背後にいる騎士達を睨み付ける。
 コウェルズに怪我はない。だがサリアにはそんなことはわからない。
「…何をしている。妃樹の間に連れていくんだ」
 コウェルズはサリアを見ずに背後の騎士達に命じるが、サリアは強くすがって離れなかった。
「あなた様!!」
 心配するあまり揺れる瞳は涙で溢れかえっているが、今のコウェルズにその思いを汲んでやれる余裕はない。
「状況を理解しなさい。邪魔だ」
 胸にすがるサリアの肩を掴んで、騎士達の方へ押し渡す。
 姫達と違い、有事の動きがわからなかったのだろう。だから騎士達の言うことを聞かずに危険だというのにコウェルズの元に訪れた。
 なんて愚かな。
 心配してくれる健気な姿を愛しいと思えるほど、コウェルズは彼女をまだ愛してはいない。
「お前達、以後は私の命だけを聞きなさい。サリアを妃樹の間に。サリアの身の安全を最優先にしろ」
「あなた様!!」
 コウェルズの命令に従う騎士達の前で、サリアが強く悲しくコウェルズを呼ぶ。
 普段ならここで頬を撫でるなり微笑みかけるなり出来ただろう。だが状況がそれを許さなかった。
 大破した新緑宮、燃え盛る王城敷地内、生きていた妹、姫を拐ったファントム、仲間の裏切り、動かぬ王。
 コウェルズの脳内で、莫大な量の計算が処理されていく。
 どう動く事が最善の道か。
 何を掬い取り、何を切り捨てるか。
 考えろ。
 この国を導く者として…

 全てが酷い混沌の中にあるようだった。
 信じていたものが崖崩れのような凄まじい音を立てて崩壊していく。
 理解できない事実に思考が止まる。
 燃え盛る炎の中心には、新緑宮があった。
 そこには亡くなったはずのリーンが変わり果てた姿で生きていて。
 ファントムが“救い出す”ように奪っていった。
 それを目の当たりにして、ファントムを目の当たりにして--
「--ル!ニコル!!」
「!!」
「ボサッとするな!怪我人をアリアの元に集めるぞ!」
 普段は無口無表情であるセクトルに強く肩を揺さぶられて、ニコルはようやく意識を手元に戻した。
「あ…ああ。すまない」
 だがまだ頭が上手く働かない。
 あの光景が忘れられない。
 ガウェがファントムに向かって大量の魔具の剣を投げ付けた。
 それはほとんどがファントムの仲間である可憐な娘に阻まれたが、短剣一本だけはファントムに届いた。
 短剣はファントムの顔を被う仮面に当たり、砕け散る仮面から現れた素顔は、ニコルのよく知る者の顔だった。
「……」
 火傷を負ったと聞いていた父親の仮面の下は、自分とわずかしか歳は変わらないように見えた。
 確かに“彼”だったのだ。
 ファントム。彼。父--あいつが?
 父が、ファントム?
 再び頭の中が混乱していく。
 だが今はやるべきことを。だが。でも…
 セクトルについて怪我人を請け負いながら、ニコルはふとわずかに離れた前方を歩く一団を見た。
 数名の隊長クラスの騎士達と、腕を拘束されている魔眼のフレイムローズとクルーガー団長。
 あの二人が暴れれば、隊長クラスといえど騎士達はひとたまりもない。だが二人は静かに拘束を受け入れている。
「っ…」
 そしてフレイムローズがニコルに気付いたようにこちらに顔を向けてきて、申し訳なさそうな、どうしようもなさそうな表情を。
 ファントムと通じていた。
 尊敬するクルーガー団長と、友であるフレイムローズが。
 二人は知っているのだろうか?
 ファントムを。
 ファントムがニコルの父である可能性を。

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