第107話


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 コウェルズが戻ってからの政務は迅速のひと言だった。
 元々決断力の早い王子ではあったが、それに輪をかけて。
 家臣達の優秀さの賜物だと彼は微笑んでいたが、それだけで進められる量を超えていた。
 護衛達に止められることを見越して医師団長を側に置きながらの政務。
 その中でも最も重要視されていた王位継承の儀は十日後に行われ、諸外国から賓客を集めての戴冠式は半年後に行われることとなった。
 コウェルズとサリアの結婚式は、さらにそこから約半年後に。
 最初こそコウェルズは戴冠式をもっと早めて結婚式を遅くとも半年後に行おうとしていたが、止めたのはミモザだった。
 各領との兼ね合い、諸外国との連絡、ファントムの件、そして王位継承の儀の後にスアタニラへと向かうクレアの為に。
 クレアが向こうで式をあげるのが約半年後である為に、被せられないと。
 城内にも深く関わる式典の日取りが決まってすぐに、城内の全員へと通達は行われた。
 そしてモーティシアには、新たな任務が与えられた。
 夕暮れ近く、自身の個人邸宅に戻ってこれたモーティシアは、玄関の扉を前に深くため息をついた。
 数日ぶりの帰還。
 約束した花束の代わりに用意された書簡。
 命じられた任務の内容は、普段なら有り得ないものだ。
 まるで人の気配の無い自宅の扉に手をかけて、恐る恐る開けて。
「…………マリオン?」
 扉を閉めると同時に問い掛ければ、ガタン、と二階から何かが揺れる音がした。
 その後すぐに軽い足音が響いてきて、階段から髪を振り乱したマリオンが現れた。
 目元が腫れて、痩せやつれている。
「……モ……さ」
 声すら掠れさせながら、マリオンは弱々しく降りてきて、ふらりと倒れそうになりながらモーティシアの腕の中に飛び込んだ。
 そのまま泣きじゃくるマリオンと共に床へと座り込む。
「…何日も戻れず申し訳ありません……城内で大変な事件が起きてしまったのです」
 泣き続けるマリオンに説明をするが、聞こえてはいない様子で。
 以前より格段に軽い身体。
 食料は何とか受け取っていたみたいだが、それらは全て玄関入り口に置かれて手を付けた様子がなかった。
「…マリオン、来なさい」
「いやぁ…」
 何か食べさせようとリビングに連れて行こうとしたのに、その場に座り込んで動こうとしない。
「今のままでは死んでしまいますよ」
 軽すぎる身体。魔術師団内での最低限の訓練でしか鍛えていないモーティシアでさえ簡単に横抱きにできるほどの身体を持ち上げて、リビングへと運んだ。
 その間もマリオンはしがみつき、椅子に座らせた後も離れずに。
「…マリオン。大切な話もあるのです。落ち着きなさい」
 撫でてなだめても、マリオンには届かない。
 まさかこんな状況に陥っているなど思わず、こぼれそうになったため息を何とか我慢した。
 ここまでモーティシアに依存してしまっている状況で、今からマリオンに伝えなければならない書簡に目を通せるのか。
「帰れなかった訳があるのです…聞きなさい」
 頬を撫でて、溢れ続ける涙を拭って。
 マリオンはようやく目を合わせてくれたが、恐怖と不安に表情は哀れすぎるほど痛ましくなっていた。
「……テューラ嬢のことです」
 少しとはいえ落ち着いたマリオンに、まずはその名前を出す。
 そうすれば案の定、マリオンはハッと我に返るように表情に理性を取り戻した。
「…テューラ嬢が王城内に攫われ…暴行を受けました…」
「……どういう、こと?」
 困惑するマリオンが、モーティシアに詳しい説明を求めてくる。
「こちらを」
 そこでようやくモーティシアは書簡を渡すことが出来た。
 二種類あるうちの、まずは片方を。
 用意したのは遊郭側だ。
 テューラに何があったのか、誰が関わっていたのか、加害した人物はどうなったのか。
 遊郭側が取り調べた一通りが書かれており、モーティシアも先に目を通したものだ。
 ニコルにはまだ見せてはいないが、もう片側の書簡をマリオンに渡す為にも、王城からの持ち出しを許されたもの。
 マリオンはゆっくりと目を通していき、次第にその小さな手が震え始めた。
 エリダという遊郭の中央警備隊の青年がガブリエルと通じ、テューラを攫う手引きをした。
 彼は楼主にニコルが訪れてテューラを連れて行ったと嘘を吹き込み、数日後にはエリダが弱ったテューラを発見するという手筈だったと。
 しかしニコルからテューラ宛に訪れた伝達鳥により事態が発覚した。
 遊郭はすぐにエリダを捕え、事態が発覚した頃には既に、城内でニコルが加害者達を殺した後だった。
 遊郭には古い時代からの掟がある。
 内部の者が遊女を害してはならないという掟が。
 その掟を破ったエリダは、古くから今に至るまで続く罰を受けた。
 両目を潰された後に、闇市側に引き渡されたのだ。
 遊郭が闇市と通じる唯一の制裁。
 エリダのその後は誰も知らない。
「…………テューラは?」
「安心してください。城内にいる治癒魔術師により、身体の傷は癒されました」
 書簡に目を通し終えたマリオンにせめて安心できる事実を伝えたかったのに、マリオンの表情は深く傷付いたままだった。
 モーティシアの不在に泣き咽んでいた表情が、今はテューラを思い苦しそうに歪んでいる。
「…今、彼女は城内の天空塔にて匿われています」
 マリオンの苦しむ表情から逃げるように、モーティシアはもう片側の書簡をマリオンに渡す。
 それはマリオンに向けてのものだ。
 朝にニコルと共にコウェルズと話し合った後、ニコルが出した要望。
 治癒魔術師の育成は天空塔内で行われることとなった。
 当人に同意を得た上で最初の育成枠に決まっていたのはレイトルと二人の若い侍女の計三人だけ。
 それはニコルが拒絶している侍女達を迎え入れることとなり、さらにその中にガブリエルの妹であるジュエルまでもがコウェルズの要望で入れられることになった。
 コウェルズとしては治癒魔術師育成のついでにアリアの世話やテューラの様子見をジュエル達にさせるつもりだったのだろう。
 コウェルズが去った後にその可能性を伝えつつ改めてニコルに大丈夫なのか訊ねた時に、無表情のまま望んできたのはマリオンだった。
 テューラが最も安心できるだろう人物を、世話係に呼べ、と。
 モーティシアは無理だと説得を試みたが、ニコルは譲らなかった。
 それどころか脅しまで入れてきたのだ。
 ニコルの要望を受け入れないのなら天空塔に上がってきた侍女達を突き落とすと、無表情のまま。
 冗談を言う男ではないことを知っているからこそ、悪寒は全身を襲った。
 なぜマリオンを世話係に呼びたいのかを訊ねれば、答えは単純なものだった。
 テューラが会いたがったから。
 たったそれだけ。
 ニコルと話した後にテューラとも少し話した時、彼女自ら口を滑らせてしまったと教えてくれた。
 テューラが話したいこととはマリオンのことだったのだ。
 ニコルに会いたいと話してしまったという内容。
 仕方なくそのことをリナトに相談すれば、険しい顔をしながらもリナトはコウェルズに掛け合ってくれた。
 それでニコルが安心できるなら仕方ないと了承を得てくれて、マリオンを連れて戻る任務を与えられて。
 王城からの書簡を読み終えたマリオンは困惑を隠せないままモーティシアを見上げてきた。
「……申し訳ないのですが、あなたには拒否する権利がありません」
 なぜ拒否できないのか、ここで難しく説明しても今の彼女に理解は出来ないだろう。
 だから単純に、わかりやすく伝える。
 外に出ることを恐れているマリオンには酷なことだが。
「……あなたには天空塔内に部屋が割り当てられます。なので」
「行く…」
 怖がる必要はないと最後まで説得されてはくれなかった。
 すぐに返事をくれたから。
「テューラの所に……連れて行って」
 そして親友の為に動くと。
 今までモーティシアだけに縋っていた弱々しい瞳が、テューラの為に強さを取り戻す。
 その瞳に、少しだけ胸が黒い苦しみに苛まれた。

第107話 終
 
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