第116話


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 アリアが初めて夜会に参加するということで、天空塔内は朝からバタつくことになってしまった。
 前もってそれなりの用意はしていたとはいえ、侍女の手が足りないのは相当に痛かった。
 手慣れた侍女を天空塔に上げることにどうしてもニコルが頷かなかった為に、まだそういった準備には不慣れなロアとケルトが二人で奮闘することとなったのだ。
 ジュエルはミシェルと共に上位と中位上家の貴族からなる子息子女達の茶話会に参加する為に天空塔にはおらず、ルードヴィッヒも家柄とは別に史上最年少での武術大会四強として顔を出さなければならない会が多く、走り回っていると聞く。
 モーティシアはアクセルとセクトルを連れて天空塔と王城の上がり下がりを続けており、夜会の流れの確認をそのつど修正しながら計画を綿密に立てていった。
 ミゲルとノエは儀仗隊訓練にかかりきりとなり、残された新米護衛騎士達には意外なことにニコルが訓練相手となった。
 今まであまり顔を出そうとしなかったニコルを考えると飛躍的な一歩に思えるが、未熟さの強い若騎士達からすれば王族だった人物との訓練などやりづらいにも程があるだろう。
 ニコル自身も今さらどんな顔をして彼らと話せばよいのかと困惑した様子を見せはしたがそれも最初だけで、少しずつ打ち解けるかのように談笑を交えながらの穏やかな訓練がいつの間にかあった。

「……少しは進歩なのかな」
 その様子を眺めながら、テューラは静かに呟いた。
 風の強い露台で行われている訓練は、見ているだけでもハラハラと手を強く握ってしまいそうになる。
「顔色は良くなりましたよね」
 テューラの呟きに言葉を返してくれるのはアリアで、ロアとケルトに爪を整えられながら顔だけをこちらに向けていた。
 蚊帳の外に置かれたのはテューラとマリオンだが、だからといって何もしない二人でもない。
 テューラは昨晩モーティシアに何があったのかをニコルから聞かされていたがマリオンは事情を聞かされておらず、だがモーティシアの様子のおかしさから髪の短くなった理由を何となく察した様子を見せていた。
 察したとしても震えながらも自分の出来ることを探して行動していくマリオンは、部屋の隅に用意されたアリアのドレスを少し手直ししているところだ。
 直している場所は胸部。
 ドレスの胸がキツかったと誰が予想出来ただろうか。
 少しグレーがかる白銀のドレスはメディウム家の女性達が神聖な儀式や夜会に参加する際に着ていたものだそうで、天空塔内に大切に保管されていたものだ。
 光沢のある生地に特殊な糸で刺繍模様を施されたドレスは宝石を使っていないというのに美しく輝いて見えて、どれほど上等なのかと最初こそ皆が尻込みしてしまった。最初こそ、だ。
 朝食後にアリアが袖を通そうとして、胸が収まらないという強烈なハプニングに見舞われた。
 慌てて他のドレスを探そうと保管室に入ってはみたが似たり寄ったりのドレスばかりの中をどう探せばよいのかなどわかるはずもなく、仕方なく胸元を改造することに決めたのだ。
 アリアの胸にサラシを巻く案も出ていたが、初めての夜会は最上級の夜会でもある為に確実に緊張してしまうだろうことを踏まえると、呼吸が苦しくなる可能性の高いサラシを巻くことは出来なくなった。当然のようにコルセットも却下済みだ。
 なるべくアリアがリラックスできるようにするには、胸元を改造するしかない。
 薄手のケープがあったので改造の跡は隠せるはずだとマリオンは全集中力を駆使して凄まじい速さで手を動かしていた。
 テューラとアリア、二人で窓の向こうのニコルをじっと見つめてしまい、視線に気付いたニコルが力を抜いたように微笑みを返してくる。
 確かに顔色も良くなった。
 ベラドンナに言われた言葉を守るように、テューラを正当に守る為にも少しずつ他者との接触を増やしていくだろう。今はその前段階だ。
 テューラが傷付けられたあの事件は、ニコルの心も酷く傷付けた。
 彼がいまだに人間不信状態でいることはわかっている。
 テューラの顔や身体には今もあの事件で負った傷跡が残っていて、時折りニコルがその傷を苦しそうに眺めていることもある。
 アリアの治癒魔術はテューラの身体を綺麗に癒してくれたが、抉れ取れた肉片まで再生することは不可能だったからだ。
 それでも、化粧で見えないよう誤魔化せるほどの薄い傷跡だ。
 ここへ来てからはニコルを支えなければと気を張っていたが、今は以前より肩の力を抜くことが出来ている。
 ベラドンナが植え付けた哀れな女という肩書きはプライドを酷く傷付けたが、今のテューラには必要なものだから。
「……じゃあ、髪を続けていくわね」
 ニコルから視線を離して、改めて自分の今の仕事を再開する。
 アリアの髪を綺麗に整え、ドレスに合う化粧を施すのだ。
 おでこの形が綺麗だったので前髪は編み込みにしようと伝えた時は、突然アリアが吹き出してしまって驚いた。
 理由を聞けば、慰霊祭後に開かれた初めての晩餐会でもガウェに髪を編み込みにされていたという。
 ガウェはニコルと対になるよう髪全体を編み込みでまとめていったらしく、その技術は聞くだけでも高難易度のもので驚いた。
 今朝モーティシアの髪を整えたのもガウェだと聞かされていたが、モーティシアの髪質を理解したかのようにすっきりとまとまっていたのだ。
 はっきりと言えば、かなり似合っていた。モーティシアも顔立ちは整っている方なので、マリオンが不安な表情を隠さなかったほどだ。
 若き黄都領主ガウェ・ヴェルドゥーラ。
 クレア姫の出発式の後に騎士団を退団して黄都に戻ってしまうと聞いていたが、手先の器用さに一番驚かされている。
 そんなことを思い出しながら、ニコルとは少し色味の異なるやわらかな白銀色の髪を丁寧に編み込んでいく。その途中途中に美しいレースの花を加えれば、本当に女神のような美貌となっていった。
 王室の宝石も使用して構わないと言われていたそうだが、アリアが完全に拒絶していた。
 壊したらと思うと気が気でないのだろう。テューラとしては見てみたかったが。
 それでも、メディウムの保管室にあった装飾品はどれもこれもため息の出るような一級品ばかりで。
 アリアをさらに美しくする為にあれもこれもと付け加えたくなるが、理性を総動員させて落ち着きのある美貌を目指していく。
 何もせずとも目立つ美貌は羨ましい反面、やり過ぎてしまうと悪目立ちに繋がってしまう。
 とくにアリアは身長も女にしては高く、体のラインも嫌でも目に入るほどの豪華なスタイルだ。
 どう足掻いても人目につくというなら、せめて好印象を与える姿にしてあげたい。
 アリアの爪を整えるロアとケルトも思いは同じ様子で、整えられた爪は目立たないよう肌の色に近い薄茶色で統一しているところだった。
 あまり動けないアリアは自分だけ何もしていないような気になるのか、居心地の悪そうな表情をたまに浮かべて謝罪の言葉を口からこぼしていた。
 それを笑って聞き流して、夜会のことだけを考えていてと伝えて。
 アリアの準備がようやく終わる頃には、あと少しで夕暮れに差し掛かるだろう空の色となっていた。
 露台で訓練を行っていたニコル達はいつの間にか別の場所に移動していて、それでも念の為にと厚手のカーテンを閉めて。
「ーーじゃあ、最後の仕上げね」
 最後の。
 それは、手直ししたドレスを着ることだ。
 頭から被るでも足から通すでもない、羽織物のようなドレス。
 マリオンが緊張しながら持ってきて、全員で表情を強張らせながらアリアに袖を通してもらう。
 細やかな前ボタンをひとつひとつ丁寧に留めて、美しい紐を巻いて。
「………………入っ…た」
 呟いたのは、一番固まっていたマリオンだった。
 もしマリオンの手直しが上手くいっていなかったら、大慌てとなる状況だっただろう。だからこそマリオンの緊張は凄まじく、そして上手くいったとわかった瞬間にその場にへたり込んでしまった。
「よかったあぁ…」
 半分泣いているようにも聞こえる声で、安堵から全身の力を抜きながら。
「ぜんぜん苦しくないです!マリオンさん、本当にありがとうございます!!」
 アリアもドレスが上手く自分のサイズに合ったことを喜び、最後に同じ色味の美しいケープを肩にかけた。
 ケープが無くとも手直しの跡は目立たなかったが、それでも胸は隠しておきたい様子だ。
「みなさんも、ありがとうございました!」
 アリアの為に頑張ってくれたのはここにいる全員で、アリアも改めて皆の顔を見渡して頭を下げて。
 アリアは自分の姿を確認したいようで大きな姿見のそばに早足で向かい、その後ろ姿をロアとケルトが気の抜けた様子で見入っていた。
「アリア様、本当に綺麗です…」
「本当にね……」
 アリアの美しさに見惚れる様子は、疲労も吹き飛んでもはや夢の世界にいそうなほどだ。
「お二人も、治癒魔術師になったら式典であのドレスを着るのですよね?」
 そんな二人に何気なく呟いた瞬間、二人が同時に凄まじい速さで顔を向けてきた。
 その顔は一気に現実に引きずり戻されたかのようだ。
「…え、どうしました?」
 何かまずいことを言ってしまったのかとテューラも驚くが。
「……アリア様だからこそ似合っているあのドレスを私たちも?」
「…ロアはいいじゃない…美人なんですもの……」
 女神のような美しさを醸し出すアリアの横で同じドレスを着るということがどういうことなのか、女だからこそ察せる絶望感に打ちひしがれてしまった。
 比べられてしまうのは世の常だ。
 どんな慰めの言葉も伝わらない状況に二人がさらにしょぼくれていく。
「私は友達とお揃いだと嬉しいですよ!しかも大切な式典で友達とお揃いって、特別すぎません?」
 そこへマリオンが屈託なく会話に加わって、二人が「友達」という言葉に強く反応して顔を真っ赤にした。
「そ、そんなっ、そんな!!」
「アリア様とお友達だなんて恐れ多いですわ!!」
 嫌がっているわけではないが否定の言葉が大きめに出てしまい、今度は離れていたアリアがしょぼくれながら戻ってきて。
「……仲良くしてくれるから友達なんだと思ってた…」
 少しわざとらしいが肩を落とすものだから、せっかくの美しい姿が台無しだ。
「い、嫌というわけではないのです!!ですが私たちはまだ教えを乞う立場にありますし、何と言いますか…本当に嫌ではないんです!!」
「そうです!むしろお友達と思ってくださっていたなんて光栄ですわ!!…ですがっ!!」
 譲れない何かしらがあるかのように、二人はアリアを讃えながらも一定の距離はどうしても超えられないと悶えてしまう。
「わかってるよ。二人ともあたしを大切に思ってくれてるって。でもいつか、友達にもなれると嬉しいな」
 悲しみがわざとらしいと思っていたが、やはり少しからかっただけの様子で「いつかは」と頼んで。
 その表情は柔らかな笑顔だったが、ほんの少しだけ眉尻は寂しそうに下がっていた。
「ではそろそろ、広間の方に移りましょう。きっと皆さん揃っている頃だわ」
 ロアとケルトはホッとしつつも何か言いたそうだったが、おかしな空気になる可能性もあったのでとっとと移動を伝えて。
 テューラの言葉に皆が動いて、アリアは二人を揶揄いながら先に部屋を後にする。
 テューラはまだ疲れたようにへたり込んでいるマリオンの二の腕を持って立ち上がらせ、三人の後に続いた。
 いつもの広間に向かえば、談笑中の声が聞こえてきて。
「レイトルさん!!」
 先に広間の扉に到着したアリアが、中にいた人物に目を輝かせて駆け足で入っていった。
「すごくかっこいいです!!」
 廊下にいてもはっきり聞こえてくる声量は恋する乙女が無双状態に突入した時のようで、マリオンと顔を見合わせて笑って。
 広間に足を踏み入れれば、見慣れたメンバーが揃っていた。
 ニコルもいて、目が合ってから同時に微笑んで。
 広間にいないのはジュエルとミシェル、そしてルードヴィッヒの三人だけだった。
 モーティシアとセクトルとアクセルは昨日とは異なり所属する団の礼装を着ていて、セクトルは珍しくドレスソードまで帯刀している。
 護衛として夜会に参加するので当然なのだろうが、見慣れない姿に若騎士達が興味をずっと示していた。
 セクトルはアリアと対となる正装だ。
 こちらも天空塔に保管されていたもので、かつてはメディウム家の男性が着用していたらしい。
 治癒魔術会得訓練か始まったばかりではあったが、アリアのパートナーとして着用を許可されたのだ。
 アリアは揃いの姿が嬉しい様子でレイトルから離れようとせず、だがふいにモーティシアが近付いた時、わずかに全身が強張る様子を見てしまった。
 モーティシアもそれに気付いたようにすぐに離れ、こちらに近付いて。
「マリオン、ありがとうございました。綺麗に直してくれたのですね」
 ドレスを手直ししたマリオンに感謝を伝えるモーティシアへと、マリオンも嬉しそうに頬を赤らめて喜ぶ。そして。
「……今日一日、アリアはどうでしたか?」
 意味深な問いかけ。
 主語の抜け落ちたその問いの理由は。
「まだ何とも言えませんが、男性からの視線に少し強張っていた気がします」
 今朝、テューラとマリオンはモーティシアから頼まれごとを受けていた。
 アリアが男性に対して怯えた様子を見せないかどうかを。
 メディウム家の女性達が持つ魅了という奇妙な能力。
 その可能性を伝えられた後から、アリアはレイトル以外の男性に対して俯むく程度とはいえ強張る様子を見せた。
 兄であるはずのニコルに対してもだ。
 テューラが聞いたアリアの過去を思えば、仕方のないこととは思える。
 アリアが受けてきた男性からの言い寄りや性的な被害は一般の女性達が受けるだろう被害よりも頻度が高く、危険性も強かったから。
 その被害が自分の不可思議な体質のせいだったなど、気持ちの整理がたった二日ほどでつくはずもない。
「私達にはいつも通りだったから…夜会にロアさんかケルトさん、一人だけでも一緒に行くことは出来ないかな?」
 マリオンの提案はテューラも思っていたことではあるが、モーティシアの表情は難しいものだった。
「…レイトルはパートナーだから参加できますが、あの二人はまだ訓練を開始したばかりで肩書きも侍女のままですからね…せめてジュエル嬢が成人していたなら一緒に参加できたでしょうが…」
 アリアの周りを男ばかりが囲う状況。
 せめて同じ夜会に参加できる貴族の娘が友達でいたなら、そばにいてもらえたのだろうが。
「魅了の力に関しては突然のことだから驚いているだけの可能性もありますし、いっそ強行した方がアリアさんもすぐに気持ちを切り替えられるかもしれませんよ。村で襲われそうになったせいで男性不審に陥った時も、王城で騎士達が近くにいたお陰で改善したと聞きましたし」
 アリアが弱い女性でないことはテューラも気付いており、モーティシアも少し難しい顔をした後でゆっくりと頷いた。
「……そうですね。体質に関しては発覚したというだけで、今後も現状と変わらないでしょうし」
 何も変わらない。
 むしろアリアからすれば、村にいた頃よりここの方が安心できるはずだ。
 守ってくれる騎士や魔術師がいるのだから。
 そうテューラも思おうとしたところで、ゾクリと背筋に悪寒は走った。
 何かを感じ取ったわけではない。
 あの事件を思い出してしまったから。
 アリアは守られるべきはずの王城内で襲われた。
 テューラだけでなく、親しかった侍女も巻き込んで。
「……もし何かあって夜会からすぐにこちらに戻られた時は任せてください。アリアさんがリラックスできる準備は整えておきますわ」
「私も!それがお仕事だからってわけじゃなくて、みんなの力になりたいから!」
 テューラはマリオンと共に、モーティシア達には出来なくても自分達なら出来ることを伝える。
 安心できる環境は多方面にある方がいいだろう。
「…ありがとうございます」
 モーティシアも気を張っていたのだろう。少し疲れた表情を見せながら笑うのは、こちらに気を許してくれているからだ。
「さあ、会場近くに専用の個室を用意してもらえています。そちらに移動して少し休憩してから向かいますよ」
 アリア達のいる方に戻るモーティシアとは変わるように、ニコルがこちらに歩いてきた。
 アリアはレイトルから離れず、ロアとケルトは若騎士達に濡れタオルを作って手渡していて。
「ーーニコル!…あとはよろしくお願いします」
 モーティシアが暗に伝えたいのは、ユージーンについてのはずだ。
 ユージーンが万が一マリオンを狙わないように。
「ああ…そっちも気をつけてくれ」
 アリアを護衛する立場にあるモーティシアが、男に狙われているという笑えない状況。
 そんな状況にあったとしても、任務に影響があってはならない。
 夜会に参加する者達が広間を後にして、ニコルが若騎士達に何かを指示して。
「…じゃあ、私は片付けてから部屋に戻るね」
 マリオンは散らかしたままの準備物を片付けに離れ、ロアとケルトも後に続こうとするがマリオンに止められてしまい、それならと治癒魔術師に関する本を手に自主的に勉強を始める。
「ニコル、少しだけ部屋で休んできていい?」
 疲れたわけではないが少しだけ気持ちを落ち着けたくなって伝えれば、ニコルはすぐにテューラの元に戻ってきてくれた。
「大丈夫か?」
 不安そうな表情で、テューラの両肩を抱くように手を置いてくれて。
「ちょっとだけ落ち着きたいだけだから、あなたはみんなといてね」
「…いや、俺も」
「ニコル、お願い」
 一人になりたいというわけではない。
 ニコルにはニコルのするべきことをしてほしかった。
「まだ片付けもあるし、アリアさんがすぐ戻ってきても平気なように準備もしたいから、少し休んだら戻ってくるわ」
 恐らく数日後には、テューラもニコルと共に夜会に顔を出すことになる。
 アリアとは違い、テューラはどう足掻いても針の筵に立たされることになるだろう。
 恐ろしい目に合ったこの王城で、また別の恐ろしい目に合うのだ。
 だからせめて、気持ちを落ち着かせられる時は落ち着かせていたかった。
 今の自分に必要なものが人の目のない場所であることを理解しているから。
「すぐに戻ってくるから」
 手を離そうとしないニコルからわざと離れて、広間を出ていく。
 夕暮れ時の広い廊下は薄暗くシンと静まり返っていたが、一人であることを痛感させてくれるような静けさは今のテューラを何よりも穏やかにしてくれた。

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