第115話


第115話

 ただ一点に集中するように、アクセルは目の前に立つ男の涼しげな瞳をひたすら凝視する。
 老いた深い皺の刻む皮膚と、堅牢な瞳。
 その向こう側を覗きたいのに、何分何十分見つめ続けても何も見えてはこなかった。
「…もうよいか?」
「あと少しだけお願いします!」
 呆れるようなため息と共に呟くのは魔術兵団長ヨーシュカだが、アクセルは焦るように拳を握りしめてさらにその瞳を強く見つめた。
 以前、たった一瞬とはいえヨーシュカの眼差しの向こう、恐らくは脳に当たるだろう場所の記憶までもを読み取ることが出来た。
 一瞬とはいえ見えてしまったものはアリアによく似た泣きじゃくる美しい女性で、一瞬だったというのに忘れられるものではなくて。
 自分に新たな能力が発現したのではないかと予想してヨーシュカに頼み込んだのだが、結局あれ以降瞳の向こう側から何かを読み取ることは出来ていない。
「ーー痛っ…」
 長く集中しすぎたせいで瞳にチクリとした違和感が走り、すぐに目を閉じた。
 魔眼の疲労はフレイムローズも目を酷使した際によく訴えていたらしく、仕方なく諦めて。
「大丈夫か?」
「はい…前に見えた時と今の違いさえわかれば上手くいくと思うんですけど……」
 どれだけ瞳を覗き込んでみても、その瞳の細胞の微振動まで鮮明に見えるだけで結局は普段通りだ。
 そこまで見えるのも自分だけだなどとまだ実感がないのだが。
「まったく。早朝に呼ぶものだから何かと思えば、お前さんの研究にこのワシを使うとはな」
「へへ…すみません。朝早くくらいしか時間が取れなくて…」
 背中を押されて室内のソファーに促され、座ると同時に冷たいタオルまで手渡された。
 魔力で一瞬にして冷やしたのだろうタオルは、アクセルの瞼の上に置いても温くなる気配がなく心地良くて。
 同時に首周りにからむ生体魔具のクラゲまで少しずつ冷え始めて、目の酷使により火照り始めていた身体を優しく冷やしてくれた。
「フレイムローズもそうだったが、お前さんも体温が高いな。魔眼持ちの特徴なのかもしれん」
「そうなんですか?人より暑がりなのは自覚してましたけど」
「…仮定の話だ」
 冬にしては珍しい薄着は自身が暑がりだからだが、よくよく考えれば体の火照りは頭から来ていた気もする。
「先に行くぞ。お前さんも、他の騎士達に見つかる前に天空塔に戻るんだな」
 アクセルの頼み事に付き合うのもここまでと察したヨーシュカが早々に離れて行こうとするから、慌ててタオルを目元から離した。
「あ、あの!明日も!」
「……コウェルズ様の継承式まであと三日だ。魔術兵団の任務もあるから式が終わるまでは諦めろ」
 呆れたようなその言葉で自分の目を優先していたことに気付いて恥じ、火照りとは別に頬が熱くなる。
「すみません…ありがとうございました」
「気にするな。むしろ恐れず探究心を求める方がいっそ清々しい」
 アクセルの若気の至りを微かな笑みと共に許してくれて、扉を開けて。
「お前さんの上司も忙しそうだな」
「え?あ、モーティシア…」
 開かれた扉の先、当然のように広がる廊下のさらにその向こうの中庭の隅に見慣れた仲間を見つけて名前を呟いた。
 遠いのでこちらには気付いていない様子だ。
「共にいるのは侍女長のようだな」
 早朝から二人が話しているということは、恐らく天空塔にいる三人の侍女達についてなのだろう。
 ジュエル、ロア、ケルト。
 三人のうら若い娘達はすでに治癒魔術師候補としての訓練が始まっているが、位置付けはまだ侍女だ。
 候補であれ治癒魔術師として正式に認められたならば魔術師団に異動することになるのだろうが、その辺りはまだ有耶無耶なままなのだ。
 理由は単純で、コウェルズの王位継承式やクレア姫の出発式などが優先されているからだ。
 それにどうも、モーティシアは内密に治癒魔術師を魔術師団員から医師団員に変更するつもりがある様子で。
 モーティシアから聞いたわけではないし誰にもその素振りを見せてはいないが、彼独自の水面下の動きから察するに確実だろう。
 医師団の方が遥かにアリアを御しているし、何よりリナトへの信用がここに限っては低すぎた。
 魔術師団員としてリナト団長を尊敬している。
 だが、治癒魔術師護衛部隊員としては警戒せずにいられないから。
 モーティシアが侍女長と何を話し合っているのかはわからないが、アクセルは見なかったことにするように視線をヨーシュカへと戻した。
 見てはいない。
 気付いてなどいない。
 それが今の最善なのだ。
 何度も痛感するが、自分ではまだトリッシュのようにモーティシアの右腕にはなれないから。
「最初は間抜けそうな子だと思っていたが、未熟だろうが魔術師ではある様子だな」
「……褒めてくれてるんですよね?」
 ヨーシュカも察したようにアクセルへと視線を戻して、アクセルの不満の声にニヤリと笑みを浮かべて。
「コウェルズ様の継承式が終わるまでは、無闇に原子眼を探ろうとするんじゃないぞ」
 ヨーシュカも短期間でアクセルの悪い癖にも気付いた様子で注意をしてから今度こそ去っていく。
 一人残された室内は一気に静まり返るが、まだ身体の火照りが残っているせいで少し暑いくらいだった。
 冷水を浴びたくなるほど。
 ヨーシュカの残してくれたクラゲ型の生体魔具もタオルも冷たいままだが、もっと身体を冷やしてしまいたかった。
 生まれつき暑がりだという自覚はあるが、原子眼を自覚してからはさらに身体の火照りが強いのだ。
 恐らく自覚したことが最大の理由なのだろう。
 自覚したなら、試さずにはいられないから。
 探究心は人のどこから生まれてくるのだろうか。
 それすら見えてしまったら。
「っっ…もう!考えるな!俺!!」
 知りたくてたまらないのに、求めれば求めるほど脳が熱く沸騰していくような気がして。
 自分しかいない応接室内で大きめに叫んで、まだ冷たいままのタオルを瞼と額にさらに強く押し付けた。

-----
 
1/4ページ
スキ