第114話
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しんと静まり返る豪華な室内で、青年は戸惑いながらベッドに籠る可憐な人へと目を向ける。
ファントムの仲間だという彼女の名前はエレッテ。
初めてエレッテを見た時、こんな可憐な人がファントムの仲間だなど到底信じられなかった。
妹と歳も近そうで、妹よりも儚い印象で。
青年がエレッテの見張りを兼ねた世話役を命じられた時、リナト団長は宝物を扱うように接しろと告げた。
そして、籠絡しろ、と。
魔術師団の中で自分の容姿が最も優れている自覚はあった。その優れた容姿でエレッテの心を絆し、こちら側に付けろと。
最初こそ不愉快な気持ちはあった。
なぜ自分がそんな命令を受けなければならないのかと。
騎士団よりも門の狭い魔術師団入りを果たし、それなりに優れた術式も開発して国に貢献してきた自負がある。だというのに突然色恋を命じられるなど屈辱でしかなかった。
しかし、それもエレッテの世話をする日が続くに連れて薄れていった。
青年には全く心を開こうとせず、媚びようともしない。
可憐な容姿とは裏腹に、鋼のように強い心で青年を含めたあらゆるものを拒絶した。
先に絆されたのは青年の方だった。
きっとエレッテは青年の名前すら覚えていない。
何とか少しでも気を許してほしくて個人的に用意したものすら視界にも入れてくれない。
騎士のガウェ・ヴェルドゥーラが訪れた時に彼女が普通に会話をした時は、心が掻きむしられるような苦しみを覚えた。
護衛蝶姿のフレイムローズとすら対話などしなかったのに。
自分より優れた容姿の男が当たり前のように訪れて、何も口にしようとしなかったエレッテに食事をさせた。
青年が懇願しても食べてくれなかったのに。
ガウェ・ヴェルドゥーラはフレイムローズに呼び出されてエレッテと会って以降、何度もここへ訪れた。
最初は大輪の青い花、その次は豪華なドレス、繊細なショールや美しい宝石。
たかが貴族の青年程度には到底用意できない代物をいとも簡単に毎回用意して、エレッテと会話をして。
ガウェ・ヴェルドゥーラが訪れると、青年はいつも部屋の隅に、あるいは室外へと追い出された。
エレッテの世話を任されたのは自分だというのに。
拳を握りしめて屈辱に震える青年の肩を、扉を見張る先輩魔術師に何度慰めがてら叩かれたかわからない。
青年が青い花を用意しても、エレッテは見向きもしてくれなかったから余計に。
「……エレッテさん」
青年は今日も健気に呼びかける。
ガウェはすでに部屋を出た。
エレッテはここ数日、ベッドにくるまり出てこようともしない。
食事もまた摂らなくなってしまった。
フレイムローズの護衛蝶にすら近くに来るなと叫び、ただガウェ・ヴェルドゥーラにだけは寄ることを許して。
「…エレッテさん」
もう一度呼びかけながら近付く。
「来ないでよ!!」
途端に強く叫ばれたが、今日は離れなかった。
ベッドの中から出てこないエレッテ。
動こうともせず、しかし声だけは苦しそうに張り上げて。
「……ガウェ殿に何かされているのではありませんか?」
エレッテがベッドに伏すようになったのはガウェが連日訪れるようになってからだ。
それも、豪華な贈り物を届けるようになってから。
「あなたをずっと見ていました。あなたはそんな苦しい声を…そんな青白い顔をしていなかった」
強く激しく拒絶する声に混じる、絶叫にも似た苦しみ。
エレッテを気にかけるからこそ青年には気付けた。
「以前、あなたにお伝えしたことを覚えていますか?」
数日前、青年はエレッテに伝えた。
今の自分は、エレッテの味方に、力になりたいと心から思っている。
もし望むのであれば、何とか脱出できる状況を作ることだって考えた。
エレッテさえ青年を頼ってくれたら。
正面からこちらを見てくれたら。
ちらりと壁に目を向ければ、護衛蝶姿のフレイムローズは壁に留まり動かない。
コウェルズ王子が戻ってからは側を離れないと聞いたから、今も意識の大半が向こう側にあるのだろう。
邪魔をされないのは好都合だった。
もう一度エレッテに視線を戻し、思い切って普段より近付いて。
「っ…来ないでってば!!」
エレッテは分厚い布団にくるまりながらも気配を敏感に感じている様子で、また激しく拒絶してきた。
「どうか私の声を聞いてください…私は、本当にあなたのことが心配なんです」
焦らないようなるべく穏やかに伝えて、また一歩近付いて。
最近は本当に拒絶されるものだから、なかなか近くには寄れなかった。
近付けたのはガウェ・ヴェルドゥーラくらいのものだ。
だから、この距離になってようやく違和感に気付いた。
何かがおかしいことに。
「……エレッテさん?」
いくら布団にくるまっているとしても、はたして人間がこんな形になるだろうかという違和感。
ハッと我に帰ると同時に、一気に近付いて布団を少し持ち上げた。
「ーーーーっ…」
言葉を無くしたのは青年か、それとも彼女の方か。
あるはずのものが無くて一歩後退る。
四肢が無い、どころの話ではない。
「エレッテ…さん……」
身体の大半が消失したエレッテに、離れながら目を向ける。
彼女は相変わらず布団にくるまったまま、残った身体で布団を離さないまま、やがて怯えるように震え始めた。
どうすればいい?
彼女の身体はどこに?
誰に報告を?
誰が彼女を?
混乱を極める脳裏に一人の人物が浮かび上がる。
ガウェ・ヴェルドゥーラ。
あの男だけがエレッテに近付き続けていた。
大量の贈り物と、それを入れていた鞄と。
人の身体のパーツなら持ち運べそうなほどの鞄。
「…エレッテさん……」
青年の声も震えた。
今すぐに報告しなければならない事態だ。
次の行動は決まりきっていることのはずなのに、身体は動かなかった。
衝撃を受けたからだけではない。
これは、けして小さくない造反だ。
それでも。
いつの間にか握りしめていた拳に、さらに力が入る。
この空間でエレッテと最も長く共にいたのは間違いなく自分自身だという強い思い。
同じ空気を吸ったのも、間違いなく。
「…私は、あなたを……」
これほど焦がれたことはない。
想いが伝わるとも思っていない。
だがせめて、覚えていてほしい。
「……何か必要なら、フレイムローズに“ゼアを呼べ”と伝えてください。いつでも、どんなものでも用意は出来ますから」
きっと彼女は忘れてしまった名前を改めて伝えながら、
「食事も、食べたことにしておきますね」
立ち去ろうとしたところでエレッテのくるまる布団の震えが止まったことに気付き、ゼアは部屋を出る前にまた彼女に目を向ける。
エレッテは布団の中からわずかに顔を出し、驚いた様子でこちらに目を向けてくれていた。
初めて目を向けてくれた。
それだけのことが嬉しくて、情けなく微笑んでしまう。
エレッテは気付いたはずだ。ゼアがエレッテを見逃したことに。
懲罰は免れないだろう。
新たな任を与えられた妹にも迷惑をかけるかもしれない。
それでも構わなかった。
エレッテの瞳に、記憶の片隅に自分の居場所がわずかでも出来たのだから。
第114話 終