第114話


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 午前は自主訓練とする。
 そう聞かされた後にルードヴィッヒが真っ先に行ったのは、ジュエルの元に向かうことだった。
 コウェルズが早々に訪れて何かしらの話し合いがあったらしいが新設された護衛部隊に詳しい説明があるはずもなく、教官が一人もいない状況では戸惑うことしか出来なくて。
 ジュエルを含めた三人の治癒魔術師候補達は座り慣れたソファーで昨日までの復習を行い、ルードヴィッヒはミゲル、ノエと共に護衛として壁側で待機を行なうことにした。
「……少し…失礼しますわ」
 ジュエルが席を立ったのは小一時間ほど過ぎた頃だろう。
 ミシェルもいない中、広間から一人で露台へと向かってしまう。
 三人すぐに目配せを行い、ルードヴィッヒがジュエルの後を追って露台に出ることになって。
 ジュエルはちらりと目を向けたが、すぐに手すりに身を寄せて遙か下に広がる王都へと視線を移してしまった。
 目元は少し腫れている。
 何かが原因で泣いたのだと察して、隣に立った。
「……何かあったのか?」
 訊ねてみても返事はなくて、仕方なく隣に立ち続ける。
 下の世界を見つめ続けたまま、疲れ切ったかのような表情のまま。
 不安なことがあるなら相談してほしいのに。
 無言の間の一秒は凄まじく長い。
 それでも隣から離れなかった。
 やがてジュエルが寒さに震えたから、鉄布のマントを外して肩にかけて。
「…重いだろうけど、我慢して」
 鉄の編み込まれたマントはきっとジュエルには重すぎるだろうが、冬の寒さからは守ってくれるはずだ。
「……ありがとうございます」
 ようやく聞こえた声は弱々しくて、鼻に詰まる様子が涙を連想させた。
 だが泣いてはいない。
 泣いているような表情ではあったが。
 モーティシア達がいつまで不在なのかわからないが、ジュエルの現状と関係しているのだろうか。
 頼ってほしいのに、声の掛け方もわからないなんて。
 特に今は邪魔なミシェルがいないから、甘えてもほしいのに。
「……何があったんだ?」
 ようやく口に出来た言葉は先ほどと変わり映えのない代物だったが、今度はこちらに目を向けてくれた。
 すがるように見上げてきて、落ち込むように視線を落として。
「…私はどうして、こんなにも未熟なんでしょうか」
 普段からは想像もつかないほど弱々しい声。
 見た目通りのか弱さに、強く抱きしめたくなった。
 何があったのかはわからないが、初めてルードヴィッヒに弱さを見せてくれた。
 なのに何と返せばいいのかわからなくて狼狽えて、必死に頭を働かせて。
 自分の未熟さを痛感することならルードヴィッヒは毎日だ。
 ジュエルも新たに始まった訓練に行き詰まって悩んでいるのだとしたら。
「……気分転換が必要なら、いつでも言ってほしい。…よかったら……城下に食事に行かないか?」
 情けない自分を吹っ切る為に仲間達と城下に出かけることなら何度もあった。
 もしそれがジュエルの気分転換にも繋がるならと誘ってみれば、少し驚いたように目を真ん丸にしながら見上げてきて。
「あ……と…君が喜ぶかはわからないけど、美味しい店はいくつか知っているから。食べ歩き…は、しないか」
 露天商などルードヴィッヒも騎士となって仲間達に連れて行かれるまでは知らない世界だった。
 テーブルマナーも何もない買い食い立ち食いなど最初こそ抵抗があったが、異国の料理までも並ぶ城下の露天商にはすぐに馴染んでしまった。
 だがそれをジュエルにも進めるのは違うかと罰悪くなってしまうが、ジュエルは意外にも目を少しだけキラキラと輝かせてくれた。
「食べ歩き…城下の?」
「あ、ああ。行ったことはある?」
「いいえ…お兄様と出かけた時に見かけましたが……」
 食べたことはないのだと伝えられる。
 食べたことはない。だが気になっていると。
「なら、行ってみないか?」
「…………お兄様に聞いて…」
「君はもう立派な一人の女性じゃないか!ならミシェル殿に聞かなくたって、君が行きたければ行くべきだ!」
 どこまでも邪魔なミシェルの存在に思わず大声を出してしまい、しまった、と固まって。
 また「大声を出さないで」と怒られるかと思ったが、ジュエルはルードヴィッヒを見上げ続けたままだった。
「…ジュエル?」
「……連れて行ってくださいますの?」
 思いもよらない反応に、先ほどとは別の意味で固まる。
 無言になってしまったせいかジュエルの表情がわずかに悲しそうになって、慌てて口を開いた。
 開くが、数秒固まったままで。
「あ…ああ!勿論だ!!いつでも時間は合わせるから!!」
 ジュエルが了承してくれた。
 このチャンスを逃してしまったら、またミシェルに邪魔をされてしまう。
「いつにしようか!?今日でも午後からなら行けるから!!」
 焦って慌てて。
 早く約束を取り付けようと半歩分近付いたところで、窓から見える中の広間からミゲルとノエが何か強めのジェスチャーをしているのが見えた。
 どうしたのかと様子を伺えば、奥の扉から人影が現れて。
 訪れた人物をはっきり認識すると同時に、すぐそばにいたジュエルがいとも簡単にルードヴィッヒの手の届く範囲から走り去ってしまった。
 ルードヴィッヒのマントを肩にかけたまま泣きそうな表情で。
「ーーお兄様!!」
 現れたミシェルへと、ジュエルは一直線に向かい。
 ルードヴィッヒが見つめ続ける視界の中で、強くミシェルへと縋りついた。
 ミシェルにも何かあったのか、その表情は青白く、眼差しに力が無い。
 抱きすがるジュエルを普段通りのように優しく抱きしめ返していたが、普段とは様子が全く異なっていた。
 ジュエルを可愛がるように頭を撫でていて、その後ジュエルの軌跡を追うように露台に続く扉へ、次に外にいるルードヴィッヒに目を向けて。
 目が合った瞬間にミシェルはジュエルの肩にかかったマントを強く剥ぎ取り、強い足取りで露台へと向かってきた。
 背筋に悪寒が走る。
 普段の意地悪いミシェルとは異なり、その眼差しは殺意とも取れるほどの憎しみを宿していたから。
「ミシェーー」
「ジュエルに近付くな」
 マントを持った拳で、強くルードヴィッヒの胸ぐらを殴り掴む。
「っ…」
 突然の衝撃に呼吸が止まるが、動揺はしたが怯えはしなかった。
 突然訪れて、暴力的に掴まれる筋合いはない。
「…今は任務中です!私がジュエルの側にいるのは当然のことです!」
「ジュエルの護衛は私だけだ!!」
 さらに強く胸ぐらを掴まれるが、その手首を両手で掴んで相殺した。
 互いに睨み合い、どちらも引かない。
「お兄様!?」
 そこへジュエルが露台へ慌てながら訪れて、ルードヴィッヒとミシェルの間に割って入った。
「どうされましたの!?お兄様!!」
 誰の目からもルードヴィッヒが理不尽に詰められたように見えたはずだ。
 ジュエルにもそう見えたのだろう。ルードヴィッヒを庇うように背中を向けてきて。
 その姿に、ミシェルが呆然と表情を弱らせた。
 普段の様子は全く存在せず、何かがおかしい。
 理不尽で、意地悪で、悪魔のように鬼畜な面は絶対にジュエルには隠してきた人が。
「……ミシェル殿?」
 ジュエルが間に入ったことで少し理性を取り戻したのか、ルードヴィッヒの呼び声にもハッと我に帰る反応を見せる。
 その後数秒経ってから、苦しむように身体ごと顔を背けた。
「…すまなかった」
 風に掻き消される寸前の掠れる謝罪が聞こえて、ミシェルは一人で広間に戻ってしまって。
「お兄様!!」
 ジュエルは当然であるかのように後を追っていく。
 二人が広間に戻る際、ルードヴィッヒはミシェルの袖に奇妙な染みを見つけた。
 微かだが赤黒い、悍ましい色合いの染みを。
「あれ、は……」
 普段は訓練着ですら皺ひとつ許さないほど清潔を心がけていたミシェルだというのに。
 その染みが何なのか漠然と気付き、また背筋に悪寒が走る。
 血。誰かの。
 誰のものであるかなどわかるはずもないが、ルードヴィッヒはしばらく露台から動くことが出来なくなった。

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