第114話


第114話


 正面から訓練用の剣が突きの型を見せながら迫ってくる。
 速すぎる技。だが何とか見えている。
 ソキウスは柔らかな身体をしならせるように背中を逸らし、そのままくるりと肩から身体をひねって華麗に逃げた。
「……流石だな」
 わずかの微振動すらなく剣の動きを片手で止めたダニエルが、優しく微笑みながら穏やかに腕を下ろす。
 早朝、日の出前、白む吐息。
 慣れない寒さに身体がわずかに震えて、ダニエルが気付いて邸内へと促された。
「たしかバオル国は雪の積もらない土地だったな。こっちは雪が降ってからが本番だぞ」
「…見たことがありませんので、少し楽しみです」
 冷たくて白いということしか知らない雪はどんなものなのだろう。
 寒さが指先を切るようだが、ワクワクとした気持ちの方が勝っていた。
 ダニエルが家族と暮らす城下の邸宅は、屋敷こそあまり大きくはないが庭がとても広い。それは訓練の為なのだろうが、庭の半分を占めるのは子供達の遊び道具だった。
 今はまだ眠りについているだろうジャックの幼い息子達。
 少し大人っぽい長男はソキウスとの剣術訓練を楽しんでくれている様子を見せたが、無邪気な次男はソキウスの他人行儀な硬さに時折り不貞腐れていた。
 マガという蔑称からソキウスとなって、こんな暖かな家に迎え入れてもらえて。
「ーーあなた、少しいいかしら?」
 邸内に入ってすぐに出迎えてくれたのは大人しそうな女性で、両手に大荷物を抱えながら近付いてくる。
 貴族の屋敷だというのにこの家には使用人がおらず、家の管理の大半をこなすのはこの女性だった。
 ダニエルを唯一特別な意味をを込めてあなたと呼べる、彼の愛する妻、アメリ。
 彼女は近くのテーブルにその荷物を置くと、ダニエルだけでなくソキウスをも手招いた。
「どうしたんだ?」
「お義父さんから礼装が届いたんだけど、うちの両親からも礼装が届いたの…」
 少し困った様子で見せてくれるのは、二着の礼装。
 片方は少しだけ古く色味も落ち着いており、もう片方はなかなか華美なものだった。
「こっちはジャックの成人の時の礼装だな。残してたのか…父上らしいな」
「お義父さんが礼装を用意してくれるって聞いて、うちの母が張り合ったのね…」
「御義母様らしいな」
「もう…すぐ張り合うんだから…」
 ソキウスが理解出来ないままに二人で盛り上がって、仕方なさそうに笑っていて。
「でも丁度良かったかもしれないな。ジャックの礼装ならコウェルズ様の継承式にも見劣りしないし、御義母様の礼装ならクレア様の出発式に丁度良い」
「……それもそうね!」
 まったく状況がわからないままソワソワしていれば、ダニエルの言葉にアメリが表情を明るくしてソキウスに目を向けて。
「…あの、一体……」
「あなたの礼装よ!急だったからどうしようかと思ってたけど、本当によかったわ!」
 礼装。
 ソキウスの。
 その言葉に頭が真っ白になって固まってしまった。
「どうした?」
「…………で、ですが私は、そう言った式典に?」
 わけもわからず首を傾げる。
「私も式典に出るんですか?」
 礼装よりも、まずはそこに驚いて。
「継承式に直接参加は出来ないが、城内各所に記念会場が設けられるんだ。任務のある者以外はみんなパーティーを楽しめる手筈だから、ソキウスもアメリ達と参加出来るんだよ」
 祝いの式典だから、と笑うダニエルの言葉に頭が付いていかない。
「それに、フェント様がどうやら会いたがってるらしいんだ。コウェルズ様には内緒になるが、正装は必要だろう?」
 エル・フェアリアの第五姫、青姫フェントが。
「ま、待ってください!私はコウェルズ様から…」
「だから内緒なんだ。ソキウスの古語解読がかなりフェント様の役に立っているらしくて、どうしても顔を見て礼が言いたいと仰られてな」
 少し悪戯気味に笑うダニエルだが、ソキウスが何をしてコウェルズから嫌がられているかは知っているはずなのに。
「もちろんフェント様の護衛はしっかり君を見張ることになる。フェント様にもあらかたの事情は伝えた上でのことだ」
 そしてその“何をしたか”は、すでに姫側にも話していると。
 聞かされて、ゾッとした。
 自分が何をしたかはわかっている。
 祖国唯一の王女に毒を盛ったのだ。
 大罪を犯したソキウスがここにいられることは奇跡にも等しいというのに、理由を知って姫や護衛騎士達はどう思うか。
「騎士達からは反対意見も多かった。だがフェント様が頑なに会いたいと懇願されてな。…安心しろ。ジャックもそばに居る」
 一気に不安に苛まれるソキウスの肩をダニエルは優しく叩いてくれて、気を使うようにアメリも二着の礼服を近くに寄せてくれた。
「私も最初はあなたのことが少し怖かったの…でもね、あなたはその時、どうしようもないほど小さな男の子だったのよ」
 アメリの優しい声は、次第に涙声になっていった。
 ソキウスがマガとしてアン王女に毒を盛った頃。
 今のダニエルとアメリの長男と同じ8歳の頃だった。
「なのに、あなたは王女様を救うためにあなたのお兄様に声を上げられた…とっても勇敢な子よ」
 涙を滲ませながら、アメリは微笑みかけてくれる。
 虐げられてきた子供がどんな心理状態にあるか、理解しているからこその言葉だと漠然とわかった。
 優しすぎる声に視界が滲む。
 溢れる涙を拭いたくても、目を閉じた瞬間にこの幸せな世界が一瞬にして消え去る気がして固まってしまった。
 ここはあまりにも優しすぎた。
 今のソキウスでは理解が追いつかないほど。
 これが夢であるような気がする恐怖が拭えなくて、頭の中が真っ白になるほど。
「……着てみろ。きっと両方似合うから」
 固まり続けるソキウスに、どこまでも優しい言葉が続く。
 着替えたら呼んでね、とアメリが離れて、ソキウスの前にダニエルが立った。
 戸籍上の父とは違う人。
 なのに双子だから、今の視界のゆるむマガには父に見えた。
「と……さま」
 憧れていた家族の温もりを欲するように、ダニエルの片腕に自分の両手を縋らせる。
 兄には、オリクスには振り払われた。
 だがダニエルは振り払わずにいてくれて、頭まで優しく撫でられて。
「ジャックにも言われただろうけど、ここでは子供でいていいんだからな」
 まるでマガだった幼少期の上書きをするかのように。
「ーーぁ…あああ…わああああ!!!!」
 堰き止め続けた言葉に出来ない感情が決壊したソキウスを、ダニエルは力強い腕で優しく受け入れ続けてくれた。

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