第113話


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 空が夜に染まり始めた頃に王城に戻ってきたガウェは、後ろから誰かが近づいてくることに気付いて優雅に立ち止まる。
 ガウェが手にしているのは青い花束だが、贈り物として持つ花だというのに夕暮れ時に見る青色はどこか不気味だった。
「ーーロワイエット様」
 足を止めガウェを追うように数秒後に名前を呼んできたのは藍都の次期当主、ワスドラート。
 慰霊祭の夜に前黄都領主バルナ・ヴェルドゥーラの罪を認めさせる為に皆の前で服毒して病院送りとなり、回復した後は紫都で一から学び直している幼馴染だった。
 幼馴染とはいっても、ワスドラートとは年齢が地味に離れていた為にあまり接点はなかったが。
 あまり褒められたものではなかった性格は今もまだ丸くなったままなのか表情は穏やかで、だがガウェに対して負い目を感じるように再会の笑顔を浮かべるようなことはしなかった。
「お久しぶりです。到着されたのですね。ラシェルスコット氏は?」
「今夜はサード様とゆっくり話されるそうです。剣武大会四強祝いも兼ねているのでしょう」
 紫都領主と共に来たことは知っていたので動向を訊ねれば、羨ましくも親子水入らずの時間を過ごすらしい。
 父と慕う人が会いに来てくれないことを少し寂しくも感じたが、頬は柔らかく緩んだ。
「ワスドラート殿はこの後は?」
「私はまだ到着後の準備が残っていますから。…その後は何名かに呼び出されておりますが」
 そう言って苦笑するのは、自身が犯した罪をいじり倒そうとする輩が城内にいることを知るからだ。
 彼が王城内では呼ばれ慣れないセカンドネームで呼ぶのは上位貴族の子息達のみ。
 虹の七都の最下位であるワスドラートにとって上六家は馴染みであると同時に頭を下げなければならない相手で、騎士団にはその上六家に産まれた男達が何人かいるから。
 その彼らに呼び出されているのだろう。
 良好な関係が築けているなら良いことだが。
「ミシェル殿とジュエル嬢とは?」
「会えるのは明日でしょう」
 共に歩みを再開して、他愛無い会話を続ける。
 お互い向かう場所は王城なのだろうと言わずとも分かりながら、身を切るような冷たい夜風を頬に味わい続けた。
「父は数日前に先に王都入りしていますが…無事なのかどうか」
 苦しそうにワスドラートが語るのは、妹であるガブリエルが引き起こした事件についてだろう。
 無事とは憔悴しているだろう父のことか、それとも重傷を負ったガブリエルのことか。
「…彼女は今どこに?」
「…………ミシェルの邸宅に…」
 ガブリエルの居場所は意外と近かった。
 ミシェルの家にいるのなら手厚い看護がされそうだが、今後二度と表舞台に立てないことは確実だろう。
 ガブリエルはそれだけの罪を背負ったのだからあまり気にはならなかったが、その周りについては心配なところが多い。
 ミシェルが急激に窶れたとは仲間内で話していたことで、ジュエルも気になるところではある。
 ルードヴィッヒもそれなりに親しくしていたガブリエルの一件はショックが大きかったようで、彼が抱えた心のトラウマが再び表に出てこないかと心配なのだ。
 全員表面上では体裁をつくろい普段通りに見せるが、心の不調は長く続けば続くほど厄介なものとなるから。
「……私が訊ねるのはおこがましいでしょうが…アリア嬢は無事ですか?」
 ふと歩みを止めるワスドラートに合わせて足を止めてしまい、訊ねられた問いに少し時間をかけてしまう。
 ワスドラートは以前、アリアに気持ち悪がられるほどのことをしている。
 横柄で傲慢な言動でアリアを困らせ、下心を隠そうともしなかった。
 だというのに今は、その面影すら見せない。
 人の考え方すら変えさせたと思わせるほどの変化。そしてそれは、ワスドラートだけに言えることではなかった。
「…仲間達が手厚くサポートしていますので、心配はないかと。……気にかける理由はガブリエル嬢の犯した罪の責任を感じるからでしょうか?それとも別に何かがあるのでしょうか?」
 問いたくなったのは、アリアと接した者達がその後二分した理由を知りたかったからだ。
 アリアは何度か城内で治癒魔術を使っているが、その後の反応には奇妙な点が見られたのだ。
 一方はアリアを神聖視するかのような姿勢を見せた。ワスドラートの変化もこちらに近いだろう。
 そしてもう一方は、性的に見ていることを隠そうともせず迫った。下品に近付くか正面から好意を伝えたかは人によって異なったが。
 変化のない者も当然いたが、人が突然変わる者が多かったのも確かだ。
 ガウェの問いかけにワスドラートは目を逸らすが、ぎりぎり聞き取れる程度の声量で呟かれたのは「どうなのでしょう」と彼自身が理解できていないかのようなものだった。
「妹の罪を申し訳なく思う気持ちは勿論ありますが…」
 ガブリエルの罪の責任を兄として感じている。
 それは普通のことなのかもしれない。だがガウェの知るガードナーロッドの人間は、身内の罪を己の罪と思うような者達ではなかった。
「…正直なところ、本当にわからないのです。……妻にも気味悪がられましたからね」
 また浮かぶ苦笑いは、自分自身の気持ちの変化に戸惑うからなのだろう。
「確か、第二子を身ごもられたとか」
「ええ。慰霊祭後に一度療養の為に藍都に戻った時に恐らく…」
 プライベートはさすがに互いに気まずくなってしまい、その後の言葉は少しだけはぐらかされた。
「…バルナ様からは息子が一人いればいいと言われていたのですが…妻に会えた時……今まで味わったことがないほど、とても大切に感じたのです。死にかけたことで彼女の有り難みに気付けたのかもしれません」
 己の変化は死を覚悟したから。
 ワスドラートはそう思っているようだが、もしそうなら死にかけることすらなかったはずだ。
 服毒するより前から、ワスドラートには変化があったのだから。
「アリアから治癒魔術を受けた時、何か変わったことは?」
 ガウェが予想するなら、ワスドラートの変化はその時からだ。
 ガウェの個人邸宅で皆と飲んでいた時に少しだけ話題に上がっていた。
 ワスドラートの変化は、その時から。
「……知っていたんですね。…あの時はバルナ様を守って負った傷が綺麗に塞がって驚いたものです」
 己の恥だと言わんばかりに微かに眉を顰めながら、ワスドラートは過去を話してくれる。
 慰霊祭の日まで、ワスドラートは前黄都領主バルナ・ヴェルドゥーラの下で家臣として仕えながら領主のいろはを学んでいる最中だった。
 当時のワスドラートはバルナと思考が似ていた為かニコルの暗殺に関しても命じられるままに関わっていた。
 慰霊祭に参加する為に移動していた最中、立ち寄ったどこかの町でバルナに恨みを抱く者が襲い掛かり、盾となったのはワスドラートだった。
 殺さないまでも、せめて酷い傷跡が残るようにとナイフはわざと刃こぼれが作られていて、ワスドラートは軽傷ながらも一生消えないほどの傷を負った。
 それを、アリアは癒した。
 アリアは言っていた。治癒魔術を行うと、大半の人間が驚くより呆けることが多いと。
 その理由は一体何なのか。
 見落とせないと思うのは、ガウェがアリアとその護衛達を友として大切に感じているからだ。
 だがワスドラートから聞き出そうとしてみても、彼自身にあまりその感覚がないかのように確信できる言葉は得られなかった。
 ガウェがアリアに瀕死の傷を癒やされた時に感じたのは、治療への感謝のみ。
 何かが変わった他の者達のような変化はガウェにはなかった。
 モーティシア達もメディウム家に関して探るような行動に出ているので、ガウェの疑問は確かなもののはずで。
 しかしそれを言葉に表せるほどの知識が無くて。
「…実は紫都の領主城に最近訪れた者から事件の状況を詳しく聞いて…」
 数秒ほど互いに言葉を探した後、先に口を開いたのはワスドラートだった。
「本人からは皆に黙っていてほしいと言われたのですが、ロワイエット様はアリア嬢の護衛部隊ではありませんので」
 ワスドラートに当時を教えた者がいる。
 それが誰なのかは、すぐに分かった。
「……トリッシュ殿か」
「…そうです」
 アリアの護衛として魔術師団から任命された優秀な青年。
「ジャスミン嬢は?」
「婚約者の女性ですよね?彼女でしたら……申し訳ございません、私からは何とも言える状況では…」
 彼はあの事件のせいで心を病んだ婚約者の為に王城を去った。
 ガウェも子供の頃に世話になった、紫都の領主城にいる医者に診てもらう為に。
 紫都に訪れたトリッシュは持ち前の人当たりの良さで早々に打ち解け、王城魔術師団員であった実力から人望だけでなく信頼もすぐに得たという。
 ガウェはトリッシュを語れるほど知りはしなかったが、それでもワスドラートから彼がいかに優秀であるかを聞かされるほどに、無理をしていると漠然とだが察することができた。
 王城内でのトリッシュは優秀な頭をセーブしていた。
 ほどほどに、だが王城でやっていける程度にはそつなく。
 器用な男が爪を隠さず頭をフル回転させているのは、全て婚約者の為なのだ。
 紫都で居場所と地位を手に入れて、婚約者が欠片程度でも傷付くことがないように。
 アリアという仕事上での護衛対象よりもジャスミンが大切だから出来たこと。
 彼が今どんな思いで紫都にいるのかは分からないが、心の片隅では王城にいる仲間達が気掛かりなのだろう。
「トリッシュ殿は他に何と?」
「…事件については私が聞き出したようなものなので、それ以外には。紫都にはサード様と共に戻る予定なので、何か聞きたいことがあるのなら聞いておきましょうか?」
 堅苦しくもルードヴィッヒにまでセカンドネームに敬称を付けるものだから、一瞬誰のことを言っているのかわからなくなった。
 ルードヴィッヒはクレアの出発式後にワスドラートと共に紫都に戻る予定で、父である紫都領主より二、三日後になるのか。
 それまでの時間があれば、モーティシア達と話しも出来そうだった。
「…何が聞きたいかは改めて伝えさせてください。彼が王城を去ったのは急だったので、話したい者や近況を知りたい者も多いでしょうから」
 仲間の多い青年だった。
 突然いなくなったことを薄情だとは言い切れないほど。
 ワスドラートも短期間の間にトリッシュという青年の人柄を知ったかなように頷いて。
「……あちらは?」
 ふとワスドラートが何かに気付いて、警戒するように声を低めた。
 目を向けているのは敷地内の大通り。
 ガウェも同じく目を向けて、ああ、と納得をした。
「アギーラ国の一団ですよ。あの国のみ到着が夜になると連絡が来ていましたから」
 普段は閉じられている正門を通過した馬車の一団が王城近くまで接近していたのだ。
 コウェルズの継承式とクレアの出発式に参加する為に訪れる各国の要人達は基本的に日のある時間帯に到着することになっていたが、アギーラ国のみが都合で夜になると聞かされていた。
 ガウェの簡単な説明にワスドラートも警戒心を解いて、小ぶりながらも上等な馬車の一団を見守る。
「あちらは…エル・フェアリアの護衛騎士では?」
 他国の使節団を出迎えるのは基本的に侍女と警備騎士だというのに、その中に一人だけ毛色の違う騎士がいた。ガウェも親しい仲であるその騎士は、
「…コレー様付きのスカイ殿ですね。アギーラからは王女が訪れると聞いていたので、もしかすると護衛任務を任されたのかもしれません。まだスカイ殿が警備騎士だった頃にエル・フェアリアに訪れていたアギーラの王女の護衛を務めたと聞いたことがあるので」
 ガウェはまだ騎士団に籍があるとはいえ、除隊して黄都に戻る日が近いのも事実。
 黄都領主としての準備もあるので騎士団からの連絡事項は最低限に控えられており、スカイがなぜアギーラの一団を出迎えているのかは憶測でしかわからなかった。
 遠目から見るスカイには普段のカラッとした快活な様子は見えず、どこか影が深い気がして。
 馬車から降りてきた王女は、スカイのエスコートを喜ぶように近い距離を取っていた。
「…アギーラの第三王女は嫁ぎ先と離縁したとか。かなり酷い扱いを受けていた様子ですが…お元気そうでよかったですよ」
 その辺りの事情はワスドラートの方が知っているらしく、独身に戻った彼女は積極的に見えるほどスカイから離れようとはしなかった。
「……あれは、どう捉えればよいのでしょうか」
 その距離感にはワスドラートもわずかに首を傾げており、スカイの護衛任務姿勢が冷たく映るほどだった。
 普段のスカイならもっと上手く相手を躱せるだろうに、腕にすがるように付かれてもされるがままで。
 スカイ達とアギーラの一団が城内に入っていくのを見守って、どうも引っかかる状況に互いに目を合わせた。
 藍都はアギーラ国にも特産品を売っているので、その国の王女の動向はワスドラートも気になるところなのだろう。
 王女の積極的な行動だけなら深くは考えなかったかもしれないが、スカイの覇気のない様子も気になって。
「……それとなく探りを入れてみますよ」
「…頼む」
 藍都の次期領主と黄都領主に戻った短い会話。
 ワスドラートはガウェが黄都に戻ると同時に補佐として訪れることになっている。
 その彼が今の段階からガウェが言うより先に動く様子に、信頼感がはっきり芽吹くのを感じた。

第113話 終
 
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