第113話
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その気配を背中から感じた時、レイトルは微笑みながら気付かないふりをして待っていた。
天空塔の広間に向かう道のり、広い廊下。
かつてここで、コレー姫の魔力暴発により負傷した騎士達の手当てをした。
その場所で。
「レイトルさん!」
忍び寄ってきたアリアが背中に抱きついて、装備越しだとしても甘い温もりは広がった。
「おはよう、アリア」
「…おはようございます。驚かないんですね」
「まあ、気付いてたからね」
驚かなかったことに不満そうな声を上げながら、アリアは背中から離れて隣に訪れた。
「足音忍ばせてもわかるんですね」
「そういう訓練を重ねてきたんだよ。だからこそ君を護れるんだ」
目を合わせる為にほんの少しだけ見上げてくるアリアの頭を撫でて、共に広間へと向かう。
まだ朝食には早い時間だが、レイトルに気付いて出てきてくれたのだろう。
二人きりになれる時間は限られていたから、アリアはその時間を逃すまいと懸命だった。
どこにも連れて行ける状況でないことがもどかしい。
もう少し時間に余裕があればいいのに、実際は時間どころか、王城内全てに余裕など存在しない。
「今日もビデンスさん来てくれるんですよね。…ベラドンナさんも来るんでしょうか?」
広間に共に向かいながら訊ねてくるのは、昨日訪れた二人のことだった。
ビデンス・ハイドランジアについては皆が待っていた人物だった。
治癒魔術師をよく知り、城内でも顔が効く。
何より発言力の強さは頼もしく、彼の存在は本当に有り難かった。
問題なのはもう一人だ。
突然現れた謎の女性。
カリューシャを治める女領主だと聞かされた時は驚いた。
噂では聞いたことがあったが、まさかニコルを容赦なく叩けるほどの知り合いだったとは。
ニコルからは地方兵時代の話を詳しく聞いたことはなかったが、それでも簡単には教えてもらったことがある。
恐ろしい戦線。
疲弊した人々。
ニコルの語る“簡単な説明”は、あまりにも重かった。
「ベラドンナさんのおかげで父の薬が届いてたのなら…お礼がしたいんですけど」
不安な様子を見せるのは、目の前で兄が遠慮もなく殴られたからか。
「王位継承式までは時間があるし、どこかでゆっくり話せる場を設けてもらえるようモーティシアにも伝えておくよ」
「…ありがとうございます」
もしただニコルが殴られただけなら、アリアは一瞬でベラドンナを嫌っていたはずだ。
そうなっていないのは、アリアもニコルの理不尽に気付いているから。
地方領主とはいえ上位貴族であるベラドンナは他の貴族達との交流も行うはずなので、再び会えたとしても話せる時間があるかはわからない。
モーティシアだけでなく自分からも何とかベラドンナに頼んでみようと考えていた所で、先に広間の扉を通ったアリアが少しだけ驚いた顔をした。
「アリア?」
広間にいた先客にどうやら驚いたらしい。
「おはようございます!二人とも早いですね」
アリアは無邪気に奥へと進んでいき、ソファーに座って何やら話し込んでいたらしいミシェルとジュエルに近付いていく。
「おはようございますアリアさん、レイトル様。お兄様から訓練を受けていましたの」
ジュエルは少し眠たそうだが、立ち上がって行儀良く頭を下げてきた。
レイトルとアリアが治癒魔術の教師となっていることを自覚しているのだろう。
ミシェルは座ったまま机の上を整理し、レイトルはアリアと共に二人の向かいに腰を下ろした。
「あんまり飛ばすと大変なことになるよ?最初なんだしもう少しゆっくりしてもいいのに」
「いえ、一秒でも貴重ですので」
アリアは優しく諭すが、ジュエルは年齢に似合わないほど生真面目だった。
「お兄様から出されていた魔術訓練の課題も最近はおざなりにしていました…反省して改めて訓練に励みたいのです!」
まるでルードヴィッヒのように頑固な真面目さだ。
「ミシェル殿、ジュエル嬢に魔術訓練を課していたのですか?」
レイトルが驚いたのはその部分だったので思わず訊ねてしまい、ミシェルも苦笑いを浮かべていた。
「ジュエルは既に二度攫われているからな。自分の身を自分で守れる程度には魔術を操れるようにしておきたいんだ」
「「二度!?」」
かつて起きてしまった事件。だがアリアと同時に驚いていたのは本人であるはずのジュエルだった。
「一度しか記憶にありませんわ…」
「一度目は産まれてすぐだったからな。覚えていなくて当然だ」
いつ攫われたのか。
上位貴族の子供は狙われやすいとは聞いていたが、まさか乳児の頃に攫われたことがあったなんてとレイトルはアリアと目を合わせてしまった。
いくら貴族に魔力が備わっているとしても、使えなければ意味がない。
そしてミシェルの言葉は続いた。
「ジュエルには治癒魔術の訓練と同時に、高レベルの防御結界も張れる訓練を課したいと考えている。きつい訓練にはなるだろうが、ジュエルの魔力値なら出来るはずだ」
普段の妹へ向ける優しい口調ではなかった。
察するようにジュエルも表情を引き締める。
「……私達は構わないと思うけど…モーティシアが何て言うかはわからないよ」
「モーティシアさんなら同時進行よりまずはどちらかを最低限会得させると思いますし…それにジュエルの今の訓練量を見せたら、治癒魔術の課題もかなり増やされますよ」
あまり飛ばすと大変なことになる。
先ほどのアリアの言葉は気力体力が続かないという意味ではなく、モーティシアの鬼畜っぷりを言っていたのだ。
「そうか…モーティシアには訓練内容で相談したいと思っていたが、黙っている方が賢明かもしれないな」
思案顔となるミシェルへと、ジュエルが向けるのは不安そうな表情だ。
「二人から見たジュエルは昨日どうだった?私はどうしても妹への欲目があるから、ロア嬢ケルト嬢よりも優れているように見えてしまうんだ」
視線に気付いたように微笑みを返しながら、ミシェルは真剣に問うてくる。
家族という枠はどうしても客観性を消してしまう。
しかしジュエルに限っては、誰もが口を揃えるだろう。
「三人の中では飛び抜けて優秀ですね。魔力操作訓練も、コツは早々に掴んでいましたから」
お世辞でも何でもなく、ジュエルは優秀だった。
魔術師団長リナトが欲しがるだろうほど。
ジュエルは褒められて嬉しそうに頬を緩めるが、子供らしさとはかけ離れていることには気付いていなさそうだ。
天才肌。しかもルードヴィッヒと同じ惜しまない努力すら兼ね揃えた。
羨ましいと感じてしまい、レイトルは僅かに芽吹きそうになる嫉妬心を何とか押し留めた。
努力ではどうにもならないほど、レイトルとジュエルには魔力の量に差があるから。
貴族の平均的な質量を遥かに下回るレイトルの魔力量。
産まれたその時は、魔力の少なさ故に死にかけていたと聞かされていた。
レイトルが生きていられるのは、同時期に産まれたセクトルのお陰だ。
暴発の恐れがあるほどの魔力量を持っていたセクトル。
レイトルが命を繋げるには同じ赤子であるセクトルの魔力による循環が必要だった。
魔力量が多くても赤子の時期は危険なので、オズ家は喜んでセクトルの多すぎる魔力をレイトルに流してくれたのだ。
それほど、魔力を持つ者にとって魔力量は重要となってくる。
乳児期のレイトルは安定した後も魔力量が増えることはなく、今に至るまで皆無に等しい魔力はコンプレックスだった。
アリアとの仲を良く思われないのも、魔力量が原因なのだから。
アリアの魔力は良質だが、量自体は平均を下回るから。
それは恐らく、父親が魔力を持たない平民だから。
もしアリアがミシェルのアプローチに傾いてしまっていたら、今頃とっとと婚礼さえも済まされていたことだろう。
上位貴族とはいえ、兄妹そろって羨ましすぎるほどの魔力値。
まだ未熟だとはいえ、ジュエルが魔力操作をマスターすればレイトルなど平気で凌駕するほどになる。
その事実は嫌な意味での嫉妬心を芽吹かせそうで、そしてミシェルは男として、本当はアリアのそばにいてほしくなくて。
ーー駄目だ…
己の醜い箇所を認めて慰めてやれるほどレイトルは人生を歩んだわけではない。
「レイトルさん?」
頭を振って気分を切り替えようとしたレイトルへと、アリアは不安そうに見つめてくれた。
「大丈夫、何もないよ」
微笑み返してみても、情けなく眉は少し下がっていただろう。
「ジュエル嬢は、防御結界の訓練は今日のように朝の少しの時間だけ行うのが得策になると思いますよ。やはり暫くの間は治癒魔術訓練を優先させた方がいいでしょうし、彼女達の安全を守る為にも護衛部隊が新たに設立されたのですから」
頭を無理やり本題に戻しながら、レイトルは若騎士達の護衛部隊がいるのだからとミシェルを安心させようと努める。
ミシェルはジュエルの護衛であると同時に若騎士達の教官となっている為、彼等の実力はレイトルよりわかっているはずだ。
「その彼等が未熟すぎるから心配なんだ」
ミシェルの方はフン、と鼻を鳴らして彼等を酷評するが、私情が入りすぎてはいないか。
「それはミシェル殿がミモザ様付きだったからですよ。王族付きの中でも一番融通が利かないと言われていたので仕方ないかもしれませんが」
「王族付きの中でも一番頭を使わない脳筋部隊だった奴には言われたくない言葉だな」
レイトルの言葉の棘に気付いたミシェルが、冷たい微笑を浮かべながら煽り返してきた。
脳筋部隊とは、レイトルがクレア姫付きだった頃のことを言っているのだろう。
双方自ら姫のそばを離れることを選んでおきながら、忠誠心は今も以前のまま残っているのだから。
「何ですかそれ面白い!他の護衛部隊は何て言われてるんですか!?」
バチバチと火花が散る中で、アリアは無邪気に部隊の個性を訊ねてきた。ジュエルも興味が湧いていることをキラキラした眼差しで物語っている。
「…護衛部隊がどうというわけではないぞ。護衛対象の性格による影響がどうしても出てしまうだけだ」
ミシェルははぐらかそうとするが、アリアの興味を逸らすことは出来なかった。
「レイトルさん!」
「はは………そうだね、クレア様は武術を好まれていたから私達護衛にも鍛えることを推奨して脳筋…筋肉部隊と呼ばれることになったし、ミモザ様はままあ…融通不在隊なんて呼ばれてたかな」
ミシェルがいる手前あまりその別称を言いたくはなかったが、ミシェル自身は目を閉じて聞こえていないかの素ぶりでいた。
「確かにお兄様はあまり…」
そしてジュエルも肯定するものだから、目を閉じたままのミシェルの頬が引き攣った。
「じゃあ他の人たちは?」
「他なら…コウェルズ様のところは胃痛部隊って呼ばれているよ」
諦めて教えてやれば、アリアはすぐさま吹き出した。
「胃痛…」
ジュエルは引き気味だ。
「な、なんで胃痛なんですか!面白すぎて!!」
隣でヒーヒーと笑うアリアが途中で笑いすぎて咽せるものだから、背中を優しく摩る。
その様子を見てか、理由の説明にはミシェルが口を開いてくれた。
「コウェルズ様は幼少期から周りを困らせることに長けていたそうだ。国宝を平気で持ち出したり、重要文献には落書きをしたり。そういった尻拭いは全て護衛騎士に回ってきていたから、コウェルズ様が落ち着いてくれるまではフレイムローズ以外の護衛達全員が胃薬を常備していたらしい…」
ミシェルも何かを思い出すかのように少し疲れた目をしたので、迷惑をかけられた経験があるのだろう。
アリアは面白おかしそうに笑い続け、ジュエルは信じたくないかのように固まっていた。
「エルザ様は基本的に穏やかだったから昼寝組なんて呼ばれていたし、リーン様を守っていた頃のガウェ達は少数精鋭って呼ばれていたよ」
この二人に関しては納得がいくのかアリアもジュエルも感心するように頷いていた。
今でこそエルザの部隊は大変だろうが、元々の部隊の雰囲気を覚えているのだ。
リーン姫についても、生きる伝説と呼ばれるジャックとダニエルの双子とガウェしか護衛がいなかったので少数精鋭と呼ばれていたことには納得が出来る。
「意外と厄介なのがフェント様だったな」
「そうですね。クレア様の護衛で良かったと何度か本気で思いましたよ」
リーンの次に産まれたのは内気で大人しいフェントだが、レイトルはミシェルの言葉に深く頷いた。
「フェント様の部隊は何と呼ばれているのですか?」
歳の近いフェントが気になる様子で、ジュエルが兄の方へと身を乗り出した。
「……頭痛部隊だ」
彼女の性格からは想像も出来ない別称に、アリアとジュエルは口をぽかんと開けてしまう。
「え、どうしてなんですか?」
「フェント様は本の虫なんて呼ばれる時もあるくらい本が好きなんだが…本の感想…議論をしたがって、周りにもあらゆる分野を知っておくよう求められるんだ…」
ミシェルの言い方は、自分もその議論に参加させられたことを物語っている。
レイトルも何度か強制参加させられたことがあるが、圧倒的な知識量の差を見せつけられた後のフェントの何とも言えない憐れむ眼差しはなかなか堪えるものがあった。
フェントの護衛ともなれば、その課題を越えなければならない。
騎士団内でも頭の良い者から選ばれたらしいが、だとしてもフェントの圧倒的な読書量と記憶力に対応するには部隊全員で必死に本を分け読んでも間に合わないことも多々あったと聞く。
「騎士達だけじゃなくて、フェント様付きの侍女達も必死に本を読んでたって聞いたこともあるよ」
フェント姫付きほど騎士団に不向きな部隊はないだろう。
「頭の許容量を超えるほどの書物を読まないといけないから、もれなく全員今も頭痛薬頼りだそうだ」
胃薬必須だったコウェルズのように。
「それで、頭痛部隊…」
アリアが引いているのは、モーティシアから大量に渡される書物と何度も格闘して頭痛を味わったことがあるからだ。
ジュエルだけは今も不思議そうな表情を浮かべているが、モーティシアが絡む以上これから嫌というほど理解することになるだろう。
「コレー様は魔力暴発の危険が伴うから、その部隊は魔術師も含めて決死隊と呼ばれるが…アリアも理解できるだろう?」
次の姫の別称には、隣ですぐに頷くのが見えた。
コレーの魔力暴発の威力は怪我人達を癒したアリアには痛いほどわかっている。
姫達の中で唯一魔術師団からも護衛人員のいるコレー。
彼女が今も魔力を上手く扱えないのは、魔力が多すぎるからだ。
「…コウェルズ様はコレー様よりも魔力が多いんですよね?コウェルズ様はいつくらいに魔力を完全に扱えるようになったんですか?」
「あの人は異常なほど特別なんだ。一般的なものの見方では計り知れないどころか、七姫様方とも何かが違う。上手く説明は出来ないな」
「……そうなんですか」
ミシェルの曖昧な返答にはレイトルも同意するように頷くことしか出来なかった。
王家の魔力は貴族達とは何かが異なる。
それを上手く説明は出来ないのだが、コウェルズは群を抜いて魔力の質が他とは異なっていた。
「そういえば、リーン様の魔力もコウェルズ様寄りの魔力だと以前ガウェが…」
「…それは私も漠然とだが理解出来るな」
言語化出来ない歯痒さにレイトルはミシェルと同時に眉間に皺を刻んでしまう。
五年前ならレイトルはまだ警備騎士で、リーンどころか王族と滅多に会えなかった。
ミシェルは既にミモザ姫付きだったが、思い出せる限りのリーンの魔力は他の姫とは何かが異なっていたと。
「後はオデット様と君の隊の別称か」
「え、あたし?」
あと別称があるのは最後の姫だけだと思っていた様子のアリアが驚いた声を上げた。
「…何回か言われてるのは耳にしたと思うけど、治癒魔術師護衛部隊は番犬って呼ばれているよ」
困惑するアリアに隊の別称を教えてやれば、あぁ、と納得するような顔をしてくれた。
「あたし、助けられっぱなしでしたもんね」
「何も知らずに王城に呼ばれたんだから仕方ないよ」
アリアへの護衛方法は、姫達とは全く異なった。
危険から守ることに変わりはないが、アリアを貧民と侮る者達の言葉や態度からも守らなければならなかったのだから。
「私も短期間とはいえ護衛に回ったが、なかなか厄介な奴らもいたからな」
「…本当にありがとうございました」
上位貴族のミシェルでさえ手を焼く者がいたことにはレイトルも驚き、アリアは深々頭を下げて。
今後どうなるかはわからないが、治癒魔術師を目指すジュエルは自分の身にも起こるかもしれない出来事に少しだけ肩を震わせ、隣のミシェルが優しくその肩を抱き寄せた。
見つめ合う兄妹の信頼関係は強そうで、それだけでジュエルは安堵の表情となる。
「後はオデット様だが、オデット様は王立歌劇団でさえ太鼓判を押す程の舞姫だからか、その護衛達は踊れもしないのにバックダンサーと呼ばれているんだ」
最後の姫の部隊についてはミシェルが語った。
「バックダンサーですか?…でもそんなに言われるくらいオデット様の踊りが凄いってことなんですよね?」
アリアがいまいちピンと来ないのは仕方ないだろう。この四人の中でオデットの素晴らしい舞踏を見たことがないのはアリアだけだから。
「アリアさんもきっとオデット様の踊りを堪能する機会が訪れますわ!本物の妖精のように美しくて可憐なのですから!」
オデットはジュエルより歳下だというのに、まるで憧れるかのような口調だ。
「牡丹姫の物語をモチーフにした舞劇、叶うならもう一度観てみたいですわ…」
ほぅ、と熱のこもるほどのため息をつきながら呟いたジュエルを、隣のミシェルが微笑ましそうに見つめ続けていた。
「レイトルさん、牡丹姫の物語って何ですか?」
アリアは知らない物語が気になった様子で、レイトルの服の裾をちょん、と引っ張って。
「ラムタル国から出た絵本だよ。妖精国の牡丹姫っていうタイトルで、花のドレスを着た妖精の挿絵が物凄く芸術的で、かなり人気が出て世界中で翻訳されて売られているんだ」
少女向けの絵本である為にレイトルは読んだことはないが、挿絵は何度か見かけたことがある。
簡単な説明でもアリアの目はキラキラと光ったから、読んでみたいのだろうと思えた。
「持って…」
「部屋に持ち込んでいますので、お貸ししましょうか?」
レイトルがアリアの為に用意しようかと訊ねる言葉に、ジュエルの無垢な言葉は容赦なく重なった。
「ほんと?読んでみたい!ありがとう!!」
キャッキャと喜ぶ二人を前にレイトルの言葉は完全に消されてしまい、唯一気付いたらしいミシェルから鼻で笑うような顔を向けられた。
そこへ、ふと窓の向こうに小さな影が現れて。
「あ、帰ってきたみたい!」
天空塔の窓の向こう側に降りたったのはアリアとニコルが大切にしている灰色の小鳥で、最近はセクトルの飼っている茜と共にどこかへ出かけていることばかりだったというのに久しぶりに姿を見せてくれた。
小鳥は窓枠に留まってこちらを見ており、中に入りたそうな様子だ。
「私が開けてきますわ」
一番に立ち上がるのはアリアだったが、飛び出したのはジュエルだった。
パタパタと窓枠まで小走りで向かうのを三人で見守って。
「茜がいないね」
「喧嘩したのかなぁ?」
一羽でいる姿が珍しいほど、茜は小鳥から離れようとしなかったのに。
「…大丈夫だ。こちらからは茜が見えている」
レイトルとアリアの座る位置からはギリギリ見えない場所に茜の空色の身体を見つけたらしく、ミシェルが苦笑しながら教えてくれた。
「本当に喧嘩でもしたみたいだな。珍しく項垂れて小鳥を見守っているぞ」
普段は飼い主のセクトルにも横暴に振る舞う茜の落ち込んだ姿が面白いらしく、ミシェルは笑いを堪えずにいる。
小鳥は完全に茜に背を向けて、窓が開けられるのを待っていた。
「ーーお兄様ぁ…」
ジュエルは天空塔の窓を開けようと奮闘するも手間取る様子でミシェルを呼ぶ。
「…開けられないのか?」
「私が行きますよ。天空塔が治る過程で歪んだのかもしれませんね」
妹の為に立ちあがろうとするミシェルを止めて、レイトルはジュエルの元へと向かった。
背の低いジュエルには開けにくいのだろう。近付くレイトルに申し訳なさそうな藍色の髪が項垂れるように頭を下げた。
「すみません…」
「これくらい任せて。開かないのはファントムの襲撃が原因だと思うよ」
ファントムが現れてリーン姫を攫った日、天空塔はガウェの魔力によって大破していた。
壊れた箇所を直したのは天空塔自身だが、その際に出来た歪みのせいでジュエルの弱い力では開かないのだろう。
窓の向こうからは小鳥が待ち遠しそうに待っており、離れた位置から申し訳なさそうに小鳥を見守る茜の姿もしっかり見えた。
いったい何をして小鳥を怒らせたのかはわからないが、レイトルでも少し力む強さで窓を開けて。
「ーーお兄様に力を使わないで!!」
小鳥が室内に入ると同時に、レイトルの隣にいたジュエルは兄達の方向へと向かって突如必死に叫んだ。
突然の出来事に驚くレイトルもアリア達の方に目を向ける。
二人は固まりながらジュエルに目を向けていた。
ミシェルが手を痛めたのか、その手の上にアリアが白い魔力を溢れさせながら翳している状況で。
いったい何があったのか。
「…ジュエル嬢?」
「魅了の力を使わないで!!」
訊ねようとレイトルが口を開くと同時に、ジュエルは今にも泣き出しそうな切実な声でまたも必死に叫んだ。
理解し難い、有り得ない言葉を。
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