第113話


第113話

 シャ、と。
 何かを擦るような不思議な音がどこか遠くから聞こえた気がして、テューラはゆっくりと目を覚ました。
 シャ、シャ、と立て続けに静かな音が響いている。
 何だろうか。
 昨夜の無理が祟るように身体、特に腰が鈍く重いが、テューラはゆっくりと上半身をベッドから起こした。
 まだ薄暗い時間。
「…何してるの?」
 ベッドから離れたところで、椅子に座っているニコルがこちらに目を向けながら何かの作業をしていた。
「ん…ちょっとな」
 手に持つもとテューラを交互に見ながら、何かを書いているような様子を見せる。
 不思議に思って立ち上がり、裸のまま彼の元へと向かった。
 近付けば、何をしているのかはすぐにわかった。
「私を描いてたの?」
 ニコルの周りには何枚かの紙が。
 その全てに、静かに眠るテューラが描かれている。
 どれもこれも荒削りだがよく似ていた。
「……上手なのね」
 まさかニコルに絵の才能があるなんてと感心してしまい、一枚を手に取ってまじまじと見つめた。
 自分の裸など恥ずかしいものだが、やめてほしいとは不思議と思わなかった。
「模写しか描けねぇよ。…嫌か?」
「ううん。なんか嬉しいかも」
 今さら許可を得ようとする表情は少しだけ怒られることを怖がるようだが、笑顔を返した。
「裸ばっかりは困るけど」
「…全部覚えたいんだ」
 テューラの全てを知りたい、覚えたいと。
 少しばかり執着的にも思えるが、全て受け入れると決めたのは昨夜だ。
 昨日、地方領主ベラドンナ・ルシアが訪れてニコルの頬を容赦なく引っ叩いた。
 王族と発覚した人物に手を振り下ろせるなど驚きでしかないが、ニコルが叩かれた理由はテューラの為でもあった。
 ニコルがテューラを正当に守ろうとしないことへの怒り。
 選んだ女すら守りきれていないと、ベラドンナは現状をちらりと見ただけで見抜いたのだ。
 ベラドンナのニコルを責める言葉はそのままテューラの心を容赦なく切り裂いた為に逃げるようにその場から離れてしまったが、先にマリオンが追いかけてきてくれて涙を拭い、その後訪れたニコルには激しく責め立てるような言葉遣いで対話をした。
 他者が聞けば対話とも言えないような一方的な言葉遣い。
 それでもテューラはニコルに必死に伝えた。
 怖い、と。
 この城ではテューラは膿だ。
 排斥されるべき存在。
 テューラが望んでここに来たわけではないのに。
 なのにニコルは、他者の目からテューラを隠すばかりで何もしてくれない。
 ただただ籠る為の殻を硬くしていくだけ。

 ちゃんと守って

 テューラに許されたのはニコルに暴言にも近い言葉で懇願することだけだった。
 それでも聞いてくれた。
 しっかりと抱きしめて、正当に守ると約束してくれた。
 その言葉を聞いた後は号泣してしまい、求められるままに激しく互いの身体を繋がらせた。
 ニコルの熱すぎるほどの温もりを感じながら、懸命に恐怖を捨て去るように。
 守ってくれなければ許さない。
 守り抜いてくれなければ。
 テューラを選んだというのなら。
 あの言葉を失うほど美しい姫でなく、地を這いずり続けたテューラを選んだのなら。
「……寝顔ちょっと美化してない?」
何枚も描かれた自身を改めて見渡して、無防備な顔に今さら恥ずかしくなって。
 ニコルを見つめてから訊ねれば、ドキリと胸が跳ねるほどの微笑みが返された。
「…何よ」
 言葉での返事はなくて、気恥ずかしさがさらに増して。
 ベッドに戻り、脱ぎ散らかされたままの衣服を手に取る。
「もう少しだけ…描いててもいいか?」
 言葉が聞けたのは、袖を通そうとした時だった。
「……裸を?」
 まさかと思って訊ねれば、縋る子犬のように見つめられてしまった。
「絶対に誰にも見せないでよ」
「見せるかよ」
 仕方なくベッドに座って見つめれば、ムッとされてしまった。
 その表情がおかしくて。
 笑うテューラをニコルはすぐに新しい紙に素早く描いていく。
「いつから絵を描いてるの?」
「別に描いてたわけじゃねぇよ。生体魔具…魔力で鷹を作り出すのに実物の模写練習が重宝して、その時にやってただけだ」
 趣味などではないと言いながら、ニコルが手を動かす姿は様になっている。
 模写にかなり時間をかけたことは明白だった。
 以前テューラを逃す為に出してくれた巨大な黒い鷹を思い出す。
 あれを魔力で作る為に。
「じゃあ他は?剣とかも魔力で作れるんでしょ?」
「ああいうのはわざわざ形を細部まで覚える必要なんか無いからな。細かく動く生物とは別次元すぎるほど簡単だ」
「そうなんだ?」
 訊ねておきながら理解はあまり出来なかった。
 朝食まではまだ時間がある。
 それまでは彼に付き合ってもいいかと、テューラはリラックスした体勢のままニコルに微笑みかけ続けた。

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