第106話


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 目まぐるしく周りが動いているのに、マガだけは固まってひたすら強張り続けていた。
 エル・フェアリアに到着した瞬間、怒涛の時間に襲われたのだ。
 飛行船内ではルードヴィッヒに睨まれこそしたものの、それ以外は二泊を普通に過ごすことが出来た。
 普通というよりは、王子達が準備に忙しく動いていたので放置されたというところか。
 それがエル・フェアリアの王城内に船が到着した瞬間に壊れた。
 全員で船を降りた後、集まった多くのエル・フェアリア人に王子は挨拶もそこそこに素早く立ち去ってしまい、ルードヴィッヒはジュエル嬢と共にどこかへ走って行ってしまった。
 どうすればとオロオロするマガの目の前で、イリュエノッド国の武術優勝者であるはずのクイが突然現れた女性からラリアットを喰らって気絶した。
 女性はどうやら共に訪れていたテテの母らしく、辺りにいた騎士達に総出で羽交締めにされて止められて。
「…お前はこっちだ」
 クイ達にはダニエルが説明役に残り、マガはジャックに呼ばれるままその背中について歩いた。マガに目を向けてくる者は多かったが、灰色の混ざるまだらの肌を珍しがっているだけの様子で止められたり責められたりすることはなくて。
 どこへ行くのだろうか。
 バオル国の王城とは比べものにならないほどの規模を誇るエル・フェアリアの敷地内を歩き続けて、一つの豪華な城に足を踏み込んで。
「……ここは?王城には入れないって…」
 コウェルズ王子から城内の立ち入りを禁じられているのに入っていいのかと焦るが、ジャックは振り返ってすらくれなかった。
「ああ、ここは兵舎外周棟の正門棟だ。お前が禁止されてるのは更に奥だな」
「え、ここが王城ではないのですか?」
 慌てふためくのは、こんなに豪華な建物が王城でないことに愕然としたから。
「飛行船から正面玄関見ただろ」
 ジャックは当たり前のことを口にするような説明しかくれず、さらに困惑は強くなった。
 ラムタルの王城にも愕然としたが、エル・フェアリアも凄まじいとしか言えない。
 王城だと思っていたのに、王城じゃないなんて。
 これが大国の国力なのかと、視線は床にだけ向かった。
 野蛮で好戦的な恐ろしい国だと聞かされ続けていたのだ。ラムタルと並ぶ大国だと称されるが、ラムタルの足元にも及ばないと。それが、こんなにも整えられて綺麗だなんて。
「ーージャック!こっちだ!」
 ジャックの足元だけを見ていたマガだったが、廊下を進んで階段をいくつか上がってまた廊下を歩いていた所で向こう側から誰かが呼びかけてきた。
「アドルフ隊長、あなた直々ですか。というかいつの間にここに…」
「俺達が動く方が早いからな。とっとと済ませてコウェルズ様をまずは休ませたい」
 顔を上げたマガの目に映るのは、ジャックよりも数歳年上くらいの騎士団の正装姿の男だった。その男には王都城下に飛行船が到着した時の凱旋パレードで見覚えがあった。
 兵士達と騎士達が警備を交代した時に先頭にいた人物。
「彼がマガです。バオル国や近隣諸国の古語に通じているので、それなりに役立つでしょう」
 腕を掴まれて、ジャックより前に出される。
 恐ろしそうな男に値踏みするようにじっと見つめられて足がすくんだ。
 醸し出す雰囲気が普通でないとマガにもわかるほど。
「マガ、こちらは騎士団のアドルフ隊長だ。王子付きの護衛隊長で、王族付きの総隊長でもある」
「え、あ、あの……はい…初め、まして」
 視線はすぐに下に落ちた。
 王子付きということは、コウェルズの護衛だ。コウェルズに良く思われていないのに、この恐ろしそうな隊長に良く思われるはずがない。
「……大会で嫁さん貰ってくる奴はいたけど、まさか嫁すっ飛ばして子供貰ってくるとはな…武術にも精通してるんだったら王族付き達が迫るかもしれないぞ」
「武術というより武芸ですね。彼がここに早く馴染めるなら、無理させない程度なら大丈夫でしょう」
 物騒な会話に、唇を強く引き結んだ。
 迫ると言われた意味が、一つしかわからないから。それにジャックも無理させない程度ならなんて言い方。
 その後は一つの部屋に通されて、促されるまま椅子に腰を下ろした。
 ラムタル国の椅子も柔らかなクッションが用意されていたが、こちらのクッションは何というか、少しだけ前方に傾斜を付けた形をしている。
 それは違和感というよりも不思議と座り心地が良く、自然に姿勢の維持が出来た。
 室内は広く、壁の棚にはエル・フェアリア語の本がずらりと並ぶ。バオル国にある父の部屋よりも明るくて広くて、風通しも良かった。
 外からは民衆の歓声が今もまだ聞こえており、ここが正門棟なのだと改めて理解する。
「マガ君。君にはここで第五姫フェント様の調べ物の手伝いをしばらくしてもらう。主に古語の翻訳だ。その間に騎士達がもしかしたら君目当てに来るかもしれないが、手が空いているとか気分転換がしたい時と被ったのなら武術訓練の相手をしてやってくれ」
 キョロキョロと見回していれば、アドルフが自ら飲み物を用意しながら今後の説明をくれた。
「……え、武術訓練、ですか?」
「ああ。うちの騎士団の王族付きは血の気の多いのばっかでな。ただでさえジャックと武術訓練やりたがってる奴が多いってのに、そのジャックが腕を認めて縁組した子供がいるってなったら放っとかないだろ。無理強いや怪我はさせないよう強く言っておくから、嫌な時は断ってくれ」
 いったい自分はどんな説明をされているのかと困惑する。
 マガがエル・フェアリアに来ることになった理由はマガ自身わかっているつもりだったが、何がどうなっているのか全くわからなくなった。
「何かあったらすぐ俺に言え」
 困惑の眼差しを向けても、ジャックはあまり話してはくれない。
 どこまで話せば良いかもわからず、どこまで話が進んでいるかもわからず。
 困惑したまま呼吸まで忘れて固まりそうになった所で、ジャックとアドルフは同時に扉へと目を向けた。
 何なんだろうと恐る恐る目を向ければ、数秒後に扉を叩く軽い音が響いて。
「ーーアドルフ隊長、いらっしゃいますでしょうか?」
 落ち着いた女性の声が聞こえてきて、名指しされたアドルフは分かっていたかのように「入れ」と指示を出した。
 入ってくるのは一人の侍女で、彼女が現れた途端にジャックが姿勢を伸ばすところを見てしまった。
「そちらが例の子ですね。…初めまして。私はビアンカ・カレイド・レイズ。エル・フェアリア王城の侍女達の統括管理者です」
「…俺、は……」
 ちらりとジャックを見上げれば、少しだけ呆れるような顔をされてしまった。
「ここでは誰もお前に理不尽なことなんてしないから、自己紹介くらいちゃんとしろ」
 肩をぽんぽんと叩かれてから、ようやくビアンカに視線を戻した。
 落ち着いている女性は優しい微笑みを浮かべたまま待ってくれている。
「…バオル国から来ました…マガ……ロディックスです」
 バオル国では家名を名乗るなと言われ続けてきたが、名乗らない方が恥ずかしい気がして口にしてしまった。
「…もうサンシャイン家に入れたと聞いたけど…」
「あー、まだちゃんと全部説明してないんだ…こいつも色々あったから」
 自己紹介後に何故か奇妙な空気となったので動揺するマガに、ジャックは隣にしゃがんで目線を合わせてきた。
「お前を城内に入れる為に今のままじゃちょっと手続きが面倒でな。悪いが勝手に俺の戸籍の中に入れさせてもらったぞ」
 頭を掻きながら説明をくれるジャックに、一瞬呆けてしまう。
「…あの、つまり…先ほどもあの人が言ってた縁組って…」
「相談もせず悪いが、養子縁組をさせてもらった。法律上お前は今、俺の子供だ」
 知らない間に、本当にジャックの息子に。
 ラムタル城内でジャックはマガに向かって「俺の子供にする」と言ってくれていた。でも信じたわけではなかった。
 エル・フェアリア人でありながらラムタル代表として大会に出場していた若者が言っていたように、使い物にならなければ戦闘区域に回されて昼も夜も働かされるのだと思っていたから。
 せめて使えると思ってもらわなければと焦っていた気持ちまでもが、予想していなかった状況に困惑する。
 ここでの仕事は古語の解読だなんて本当にただの仕事のようなことまで言われたし、武術訓練の相手をする程度なら難しくもないだろう。
 本当に、そんな普通の内容なのだろうか。
「さすがに城内にお前の部屋は作れないから、拠点は城下にあるダニエルの家になる。ダニエルは夜までに家に帰るから、お前もそれについて帰ればいい。部屋の用意ももう出来たらしいから楽しみにしてろよ」
「え、家?……部屋?」
「……そうだが」
 考えてもいなかった状況まで説明されて、さらに困惑した。
「…お前まさか、向こうで家に入れてもらえなかったとかじゃないだろうな」
「そんな、それはさすがに…でも…俺の、部屋?」
 家には入れてもらえていたが、部屋は与えられなかった。
 父の使用人が憐れんで小さな物置きを少し改造してくれて、そこを寝床として使ってはいたが。
 マガの表情をどう読み取ったのか、ジャックは眉の間に深い皺を刻んだ後で重苦しいため息を吐いた。
「…簡単なエル・フェアリアの歴史書と流浪の民達の歴史書は買ってくれてるらしい。欲しいものがあれば言えよ」
「でも俺、そこまでしてもらうような…」
「あのな、お前は当分俺の子供なんだよ。自分の子供が快適に過ごせるようにするのは親の役目だ」
 建前の親子関係のはずなのに。
 ジャックの視線が睨みつけるようなものに感じてしまって俯いてしまった。
「…なるほど。かなり訳有りだってことはわかった。ジャック、フェント姫付きからは後で最初の古語の資料を持ってくるからここでお前も待っててくれって伝言だ。俺は悪いがコウェルズ様の所へ戻るぞ」
 総隊長アドルフはマガの現状をややこしいものと感じ取った様子でとっとと次の仕事に向かってしまい、残されたジャックはビアンカと顔を見合わせていた。
「…アドルフ様もお忙しいですから。私の方も頼まれものが済んだので、報告してもよろしいかしら?」
「もうわかったのか。助かる」
 座ったままのマガを中心に、ビアンカは手に持っていた資料を数枚マガに見せてくれる。
「…………あの…これ……」
 そこに書かれていた文章に、マガは固まった。
 何が書かれているのか。ジャックもマガの手元の資料に目を向けて。
「……このレナという女性が…マガの母親なのか」
 書かれていた名前。
「可能性の段階ですが…十数年前にバオル国を訪れ、約一年間囚われていた女性はその方だけだそうです」
 資料には第七姫護衛部隊の印が押されており、年に一度、春の頃に王城に招待される流浪民族の舞踏旅団の情報が記されていた。
「それで、こいつの名前は…」
 マガも資料の中に探した自分の本当の名前は、残念ながらどこにも記されていなくて。
 最後の一枚、最後の行に、その理由は書かれていた。
「エル・フェアリア側が保護したという人物が本当に彼女の息子なのか、実際に会って確認してからだと」
「…………まあ、当たり前か…」
 深く傷付けられたのはマガだけではないのだ。
 それでもどこかに何か情報はないかと何度も資料の文字に目を向け続けるマガから、ジャックは資料を優しく奪い取った。
「…あと数ヶ月だけ我慢しろ。エル・フェアリアの冬はバオル国より少し長いからな」
 春までの時間が永遠に感じられてしまい、口元を強く引き結ぶ。慰めるようにジャックの手が肩を叩くから、視線は自然と落ちていった。
「今の名前が嫌なら、本当の名前がわかるまで仮で名付けてやろうか?本当の名前がわかったら、仮の名前はセカンドネームにでもすればいい」
「…セカンドネーム?」
「エル・フェアリアの貴族が使う名前だ。隠し名とか第二名と言う奴らもいるな。お前は今はマガ・サンシャインで登録してるが、手続きは面倒だが名前は変えられるぞ」
 マガと呼ばれたくなければ。
 どうする?と訊ねられて、今までの自分の人生を振り返る。
 まがいもののマガ。
 名前とすら呼べない蔑称。
 この忌々しい蔑称のせいで、本当の名前を知りたいが為に大切な王女に毒を盛ってしまった。
 マガにも優しくしてくれた、まだ小さな女の子だったのに。
「…変えたいです」
 声が掠れる。
「こんな、名前……今すぐ忘れたい!!」
 罰なら他で受けるから、こんな蔑称は今すぐ切り離したかった。
「……そうだなあ…何にしようか。お前はどんな名前がいいんだ?」
 ジャックはどこまでも優しくマガの意見を聞こうとしてくれるが、突然言われてもマガ自身にもわからなくて。
 首を横に振ってしまって、その後で慌てて「わかりません」と伝えた。
 名前を変えたくないと思われたくなかったから。
「まあ急に言われても困るよな」
 ジャックも考え込むように腕を組んだところで。
「…ソキウス、なんてどうかしら」
 一連の会話を静かに聞いていたビアンカが口を開いた。
 少し恥ずかしそうに微笑みながら。
「昔ね…もし子供が出来たら、男の子ならソキウスがいいなって考えたことがあったの」
 その名前を口にした理由を話す時も照れたような微笑みが表情から離れなかったから、思い入れのある名前なのではないかと思ってしまった。
「…ビアンカ様は、お子様は……」
「私?まだ独身なの。子供も産んでいないわ」
 訊ねにくい質問だったが、嫌な顔をせず教えてくれた。
 ビアンカの年齢が何歳かはわからないが、結婚もまだということには驚いた。
 美女というわけではないが、落ち着いた雰囲気や微笑みはバオル国でも男が放っておかないように思えるのに。
「…ビアンカ…」
 ジャックが物悲しく名前を呼ぶが、ビアンカは故意にマガだけを見つめてきた。
「あなたの本当の名前がわかるまでの間だけでもどうかしら?これでも結構考えた名前なのよ」
 自信はあると伝えられるが。
「…でも、そんな大切な名前なら……」
「いいのよ。そこにいる男と一緒にいた時に考えてた名前なんだから。あなたが彼の子供だっていうなら、それくらい良いじゃない?」
「え…」
 唐突な爆弾発言をされた気がして、バッとジャックの顔を見てしまった。
「おい、お前な…」
「どうせ城内中に広まってるのよ?私とあなたの昔の関係なんて。たとえ終わってても周りはお構いなし。あなたが子供を連れて帰るなんて説明少なく報告するものだから、私との間に出来た子なんじゃないかなんて噂ももう立ってるんだから。こんなに大きい子でよかったわ」
 マガがもう少し若かったら、その噂が真実味を帯びていたではないか、と。
「…お二人は以前…」
「付き合ってたけど別れたの。随分昔の話よ。その辺りを聞きに来る侍女がいるかもしれないけど、否定しておいてね」
 優しいお姉さんの口調で、過去を簡単に教えてくれる。
 ジャックに目を向ければ、こちらはまだ終わってはいないのだと表情で伝えてくるようだった。
 どこか傷付いて見えるのは、まだ終わってなどいないと言える状況でもないからか。
 複雑そうな関係。
「…もう一度お付き合いされないんですか?」
「馬鹿、お前!」
 すぐにジャックに頭を強めに殴られるが、ビアンカはおかしそうに笑って。
「もうかなり昔の話なのよ。変なこと言わないの!」
 笑い続けるビアンカに未練は見えない。そして。
「あなたもそうでしょう?」
 牽制するような声でジャックに同意を求めていた。
「…………そうだな」
 こちらは何で痛ましいのだろうか。
「…しばらくはソキウスって名乗ってみるか?」
 頭を少しだけ掻いたジャックは、まだ傷ついた様子を残しながらも笑って訊ねてくれる。
 二人にとって思い入れがありそうな名前を使用してもいいのか困惑するが、その名前はマガの中で特別な意味も持たせようとしていた。
 マガを子供にしてくれるジャックと、そのジャックが今も大切に思うだろうビアンカとの大切な絆のような。
「…ソキウス」
 大切な名前を呟く。
 欲していた名前とは異なるが、蔑称ではない、きっとビアンカが何度も考え続けていた思い入れ深い名前。
「ぜひ…是非、この名前をください!」
 マガの為に考えられた名前ではないが、その大切な名前を贈るという気持ちが嬉しくて。
 マガが欲して、二人が互いを見つめ合いながら笑う。
 胸の奥から心が晴れ渡るような感覚。
 この瞬間、マガはその忌々しい蔑称から解放され、ソキウスとして歩き出せることとなった。

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