第112話


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 夜風を頬に感じながら、ビデンスは目的の女がいる中庭へと足を運んでいた。
 ふと見上げた天空塔は高く、今は人の目から隠れるように透明になっている。
 よくよく目を凝らせば何かがある違和感を感じられるが、何も知らなければ単なる夜空そのものだった。
 視線を戻して、賓客達の為に用意されている中庭のひとつに入って。
「ーーあら、珍しいこと」
 色気のある仕草を保ったまま一人しずかに夜風を楽しんでいたらしいベラドンナが、装飾華やかな木目の椅子に座ったままビデンスに微笑んだ。
「夜は奥様の元にお戻りになると思っていましたわ」
「…随分と強引な手段に出たお前さんの意向を聞きたくてな」
 勝手にベラドンナの向かいに座り、肝の据わった目を見つめる。
 非常に強引な手段だった。
 だがその理由に気付いてはいる。
 ビデンスも昼に到着してすぐに感じた違和感。
 天空塔の者達の、表面上は仲良くするが二分していることがひと目でわかる様子。
 そしてその理由はニコルではなくテューラだった。
 貴族ではなく、さらには遊廓の女。
 裏若い貴族の娘達は無意識に強固な線を引き、未熟な騎士達も視線を逸らし続けていた。
 昨日エルザ姫が天空塔に上がってしまったと聞いたので、それも原因の一つなのだろう。
 ニコルを愛している姫にとって残酷すぎる現実。
 そして皆は原因の大半をテューラに向ける。
 美しい夜の中庭を穏やかに楽しんでいたベラドンナも、ニコルに関する厳しい情報をいくつかは知っていたのだろう。
 テューラが泣き逃げるほど哀れに扱った結果、そこにいる者達の表情からはテューラを責める無意識の嫌悪がほとんど消え去った。
 平手を二度も受けたニコルはアリアからの治療を拒み、その顔のままテューラの元へと向かった。
 しばらく経ってからマリオンだけが戻ってきて二人が話し合いを始めたと伝えてくれ、そこからはまだ進展などはわからない。
 ゆっくりと各々が対話して知り合う時間があればよかったが、そんな猶予が無いからベラドンナは強引な手段に及んだのだろう。
 コウェルズの王位継承式には、ニコルも姿を現さなければならない理由がある。
 王位が空いた現在、王座に近いのはニコルなのだから。
 それがエル・フェアリアという国だ。
 正当な血統の長男が王位を継ぐ国だから。
 本来ならロスト・ロードが王座に就くはずだった。
 しかし彼は死んだとされ、弟のデルグが王となった。
 コウェルズはデルグの息子で、ニコルはロスト・ロードの息子で。
 恐らく今も政務官達は水面下で揉めているのだろう。
 どちらを王にするべきか。
 この国は王の権限が絶対というわけでもない。
 最悪の場合、王など傀儡でも構わないのだ。
 身の程を知る優秀な政務官が揃うのだから。
 事実、愚王の統治時代も何代置きかに発生している。
 だからこそ、コウェルズが正当に王座を手にしたことを周りに示す為にニコルが参加しなければならない。
 参加するだけでも、ニコルに異議はないという主張となるから。
 だが恐らくニコルはそこまで考えることが出来ていない。
 自分など参加しなくて構わないと思っているはずだ。
 今回のベラドンナの言動は褒め称えられるものではないが、ニコルの意識を変えさせるには最強の手段だっただろう。
 テューラの心には新たな傷が出来てしまったかもしれないが。
「あの子のこと、どう思われます?」
 ベラドンナが何を思って強硬手段に出たのか掘り下げて知りたかったのは、ビデンスがしばらくの期間、治癒魔術師やその近くの者達への助言師となるからだ。今後どんな行動をするつもりなのかで、ビデンスも口を挟むべきところ、見守るところが変わってくる。
 だが返答は質問で返された。
 あの子などと子供を語るように口にするのは、ニコルのことか。
「…騎士としては申し分ない強さの男だな。それ以外は少し抜けているというか…常識の欠如は見逃せんな」
 いくら王族であることが発覚したとしても、育ってきた場所は荒くれた世界。
 強い男だ。戦場では生き残れるほどに。
 しかし今現在には生かされていない。
「あの子に最初に教えたのは、魔力の扱い方でしたわ。操作方法、主に魔具を。剣術は育ての父親からよく学んでいた様子で、こちらで改めて教え直すことはありませんでした。歳の近い他の子達にあの子自ら教えるほどでしたからね」
 ニコルに何を学ばせたのかを口にしながら、ベラドンナは懐かしそうに微笑んだ。
 教えたのは戦場で勝ち残る為の手段。
 生き残る、ではなく。
 噂で聞いていた“カリューシャ地方の女領主”からは掛け離れていた。
 未成年者を自分好みに調教する色欲の女領主。
 そんな噂を間に受けていたわけではないが、そんな噂が立ってしまった理由の一片を知れた気がした。
「…多かったのか。歳を偽るものが」
 この国は実力が認められればどこまでも駆け上がる事が出来る。貧しい地方ともなれば、男に生まれたなら兵となるのが最も手っ取り早く賃金を高く得られる手段だ。
 そして功績を立てられる場所は戦場にごろごろと転がっている。
 年齢を成人と偽る未成年も多かったはずだ。
 ニコルもその一人で、ベラドンナはそんな未成年者達を保護し、どうせ戦場に出たがるならと戦術を教えていたのか。
 ビデンスの解釈は、全て当たっていたわけではなかった。
「根本が間違っていますわね。貧困層など、自分の本当の年齢も知らない子が大半ですのよ。孤児も多いので、貧民の常識ですわね」
 貴族達の常識など当てはまらないと、ビデンスが口にした先ほどの言葉に返すように。
「未成年者を戦場に出すことは禁じられていますが、そもそも自分の年齢など知らない子ばかり。基本的に栄養失調を患っているせいで成人を迎えていても使えないような子達や、男だと偽る少女もいましたわね。そんな子達でも、土地を守れと命じられた私には重要な人手。使えるようにして出していましたわ」
 包み隠さず話す内容は残酷な現実。
「…ただあの子に関しては特別に目をかけていたことは事実です。魔力を持つこととは別に…私の命の恩人の血族でしたから」
 そして、話しはニコルへと戻る。
「いつか王城に呼ばれることはわかっていました。なのでそちらに行っても無事なように、それとなく多くを学ばせたつもりでしたわ」
 いつか。それをわかっていたのは、ニコルが魔力を保有するからか、それとも他の理由か。
「薬草…薬学もか」
「ええ。毒を盛られる可能性を考慮するのは至極当然なことでしょう?」
 原始的にしていまだに続く暗殺の手段なのだからと、ベラドンナは虚しく微笑む。
 実際にニコルは毒を盛られていた。回避できていたのは、ベラドンナが無意識下でも悟れるよう叩き込んだからだ。
「ですが目が届かないことの方が多かったのは事実。あの子にばかりかまけていられませんからね。じっとしていても目立つ子だったので…一度目を離すと覚えなくてよいことを十は覚えてきましたわ。…それが戦場というものでもありますが」
 王族であるはずのニコルの厳しすぎる少年期。多感な頃に彼は何を見て何を学んだのか。
「故郷に育ての父がいるとはいえ、遠く離れた戦地に一人訪れたあの子など孤児も同然。身寄りのない子供達にとって、周りの荒くれた者達に目をつけられない為には世渡り上手になるほかありません。……多くの悪事を、あの子は生き残る為に身に付けてきました」
 生きる術は、その世界に染まることだったと。そうでなければ今頃は。
「あの子の足の裏には刺青がありますのよ」
「…刺青?……どうして足の裏なんかに」
 エル・フェアリアの貴族ならば到底彫らない刺青というものが、ニコルの身体にはあるという。だがなぜ足の裏なのだろうか。
「当時流行っていたのですわ。カリューシャは滅国から奪った土地。その滅んだ国の紋章を足の裏に入れて…踏みつける。敵の大半は滅国の民でしたから、屈辱を味わわせる意味合いもあったのでしょう」
 下品な行為にビデンスは深い嫌悪感を覚えて眉を強く顰めた。
「……そんなもんを入れて、何になる…」
「そんなものを入れることが流行るのが、戦場ですわ。そして刺青を入れなければ…目を付けられる。目を付けられた子がどうなるかご存じ?」
 問われて、フン、と鼻を鳴らす。
「…タコ殴りにでもされるか」
 ビデンスの参加した大戦時代の戦場でもあったことだ。和を乱す者へ行われる見せしめ。だがベラドンナは鼻で笑い返してきた。
「平和な頭ですこと」
 蔑むような、虚しそうな。
「……全ての穴を掘られて、翌日にはその辺に転がりますの。死体なんて放っておけば野犬が処理しますからね。顔には陰茎の入る穴が三つあることをご存じ?」
「…………何を馬鹿なことを」
 凄惨な事実。だが理解し難い後半の言葉には嫌悪感と共に首を少し傾げてしまった。
 そんなビデンスを見ながら、ベラドンナは自身の指で両目を示す。
 口だけでなく、目の穴まで。
 まともな人間とは思えない状況。なのにベラドンナは平気な顔のまま。
 それは見慣れてしまい、感覚が狂ったからなのか。
「あの子はそういう世界を見て育ちましたの。私がどれほど貴族の世界を教えようとしても、頭の隅にも残りませんでしたわ。あの子が覚えたのは生き残る手段のみ」
 生きる為に。金を稼ぐ為に。
「私だって伝えたかったのですよ。貴方は王族だと」
 夜空を見上げながら、隠れてしまった天空塔にいるニコルに思いを馳せるかのようにベラドンナは胸の奥を呟く。
「ーー待て…ニコルが誰の子か、知っていたのか?」
 その言葉は聞き流せるものではなかった。
「ええ。ロスト・ロード様直々に、息子を頼むと命じられましたもの」
 ベラドンナも、隠すことなくロスト・ロードど繋がっていることを口にした。
 聞きたいことがぶわりと溢れ返る中で、ビデンスが最も知りたかったことは。
「…ニコルの母親が誰かは知っているか?」
 昼間にも気になった、母親の存在。
 マリラ・メディウムがニコルの母親ではないだろうことは、ロスト・ロードがニコルの父であることを知った時に抱いた違和感だった。
 なら母親は誰なのか。
「……ガイア様…ガイア・メディウム様ですわ」
 ベラドンナから聞かされた名前に愕然とした。
 ガイアが産まれた時にメディウム家の者達は王城を去った。
 そんな小さな赤子だった彼女が母親だなどと。
 ニコルの年齢から計算しても、異常であることは明白だった。
「…………なぜ…そんな小さな子に…」
 子供に子供を産ませるなど、外道以外の何ものでもないではないか。そんなことを、ロスト・ロードは行ったのか。ビデンスが信じた崇高な王子は、もう霞程度にも存在しないのか。
「実験の為ですわ。ロスト・ロード様は自分の魂を持つ者を探していらっしゃいました。そしてガイア様もロスト・ロード様から離された魂の欠片を持って産まれて来られたので…その子供も欠片を持って産まれてくるのではと考え、実行に移されたのです」
 なぜロスト・ロードがガイアにニコルを産ませたのか。ベラドンナからの説明に、耳を塞ぎたくなった。
 信じていたものへの絶望感が、あまりにも大きすぎた。
「私はかつて、クィルモア・メディウムによって命を救われ、さらに生きる術も教えていただきました。ロスト・ロード様の為ではなくクィルモア様の為に、あの子に必要なことを教えようと決意していました。…ですが…本当に残酷な世の中ですわね」
 ベラドンナはロスト・ロードへの忠誠心からではなく、命を救ってくれた恩人への感謝が原動力だったと言う。なのに現実は。
「私が出来たことなど、あの子にとっては指先の動かし方を知った程度」
 ベラドンナがニコルを守り導くには、世界はベラドンナに多くを求めすぎていた。
 貧しい中で土地を守れと命じ、なのに援助も与えなかったのだから。
「話しを戻しましょうか。強引な手段を行った私の意向を知りたいのでしたね」
 ビデンスの質問から随分と逸れてしまい、ベラドンナは誤魔化すように少しだけ笑ってみせて。
「あの子は忘れたかもしれませんが、私はあの子に人との絆も教えたつもりです。その中には女への扱い…自分が守ると決めた者への扱いも含めていましたわ。なのにあの子は何も活かせていない。自分が選んだたった一人の女すら守れないなんて、愚かにも程があるでしょう」
 夕暮れ時に天空塔へと訪れたベラドンナは数年振りとはいえニコルの顔を見て、そして周りの様子も見て察したのだろう。凄まじい観察力は、彼女の生きる術なのか。
「意向だなんて大それたものはありませんの。ただ一人の女として、腹が立っただけですわ」
 ビデンスが聞きたいような大層なものはないと微笑まれる。
「…それだけにしては、ニコルはお前さんに頭が上がらない様子だったがな」
「まあ、それなりにあの子を殴り倒してきましたから。身体が覚えているのでしょう」
 皆の前で、王族であると発覚したニコルの頬を平気で叩ける女だ。本当に殴る蹴るは行ったのだろう。
 そうしなければならないほど荒れた世界があるなど、ビデンスは知らなかった。
 ミスをやらかした部下を叱り飛ばすのとはわけが違う荒れ狂った死の世界で、それでも人の絆を失わせない為の最後の切り札であるかのような暴力。
 それは正気に戻させる為の痛みを伴う体罰だ。
「これでも親のような気持ちでいるのですよ。あの子だけにそう思うわけではありませんが、たった一日でも面倒を見た子には、多少なりとも親のような気持ちにはなります。…だから死なせたくはないし…道を踏み外させたくもないのです」
 全ての子供達を、本当に守りたいのだと。
 命を守れないことの方が大半である世界で、彼女はどれほど心を削られて生きているのか。
「今のあの子は私にとって道を間違えているも同然。何としてでも正すつもりですのよ。だから、ここに関してはなるべく見守ってくださいね」
 ニコルの為に、まだまだ拳を振るうと。
 表面上は茶目っ気があるように笑うベラドンナの心に広がる悲しすぎる日常に、ビデンスはただ静かに頷くことしかできなかった。


第112話 終
 
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