第112話


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 彼女が訪れた時、広間の空気は一瞬にして様変わりした。  
 夕暮れ時の天空塔の広間に昨日と同じメンバー全員が呼び出されて集まり、昼頃に到着していたビデンスだけでなくコウェルズと護衛のフレイムローズに三団長まで。
「…私などの為に皆様に集まっていただけるなんて、恐縮ですわね」
 特にコウェルズを前にしながら女は言うが、かけら程度にも怯えた様子は見せなかった。
 肝の据わる様子には三団長もわずかに驚いている。
 年齢を重ねた分だけ凄みを増すかのような覇気のある美しさ。
 女は椅子に座るコウェルズの前に訪れると、身体ごと深く一礼した。
「このベラドンナ・ルシア、新たな国王陛下に変わらぬ忠誠を誓わせていただきます」
 誰に何を言われるより先に誠意を見せたかと思うと、コウェルズからの返答を待たずにとっとと顔を上げて。
「時間が惜しいですわ。私がここに呼ばれた理由はわかっていますので、準備した薬草類を出しなさい」
 全員が「え、」と固まる状況すらもパン、と一度手を叩いて空気を強引に動かし、モーティシアがわずかに慌てながら広間の隅に隠すように用意していた薬草や器具の入る箱を持ってくる。
「……ベラドンナ…」
「国王陛下、少しだけお静かになさっていらしてね」
 改めて話しかけようとするコウェルズすらも幼子を諭すように黙らせて、ベラドンナは持って来させた箱の中身を全てテーブルに出した。
 それがヴァルツを救う為のものだと知るのは少ないというのに、無礼なほど堂々としすぎて誰もが静かに見守るだけになる。
「用意した薬草に狂いは無いわね。偉いわ」
 ちらりとニコルに目を向けて微笑み、ベラドンナ側でも用意していたものを取り出して。
 誰もが黙って見つめる中で、ベラドンナは手際よく大きめのガラス瓶に薬草の重量を計りつつ手で適当に千切り入れながら、粉末状にした何かの白い粉なども入れて最終的に広間中に充満しそうなほどアルコールの強い透明な酒を瓶一杯に流し込んだ。
「これを明日から毎朝ゆっくりかき混ぜてからひと匙飲ませなさい。元々は滋養強壮酒だけれど致死に至らない服毒物なら無毒化してくれるわ」
 ものの十分程度で完成した解毒薬に、ニコル以外の全員がポカンと口を開けて固まる。
「…失礼だけど、こんなに簡単に…」
 否定ではないが困惑した様子で説明を求めてくるコウェルズに、ベラドンナは口元だけにっこりと微笑んだ。
「短時間だとお思いなのですか?この薬を作るのに、私は数十年を薬学に捧げていますのよ。御国の為に、いまだに残る戦火を広げない為に」
 侮るな、と。
 責めるようにも聞こえたベラドンナの返答に最も反応を示すのはフレイムローズだったが、コウェルズに対する態度への不満の表情はベラドンナ本人からじっと見つめられたことにより咄嗟に目を逸らす終わりとなった。
 魔眼相手に臆さず見つめ返すその強さに、誰もが息を呑む。
 彼女には魔眼の精神攻撃が効かないだろう。そう思えるほどの精神力を見せつけられた気がした。
「ニコル、説明はあなたがなさい。適切な準備が出来ていたのですもの、それくらいも覚えているでしょう?」
 そして酒瓶の説明をニコルに託し、ベラドンナは改めて広間中を見まわす。
 初対面の者が大半であるというのに、コウェルズにすら大胆な言動を取り続けるベラドンナ。
 彼女がどんな人物であるかはニコルが皆に話してはいた。
 昼頃に先にビデンスが訪れて、若騎士達と打ち解ける為の談笑をまずは行って。
 アリアも資料作成の手を止めてビデンスとの再会を喜び、ジュエル達は厳しそうなビデンスに最初こそ不安そうにしていたが、彼が知るかつてのメディウム家の治癒魔術師達の話しに夢中になって耳を傾けていた。
 皆がビデンスと打ち解けた後でニコルがテューラとマリオンを連れて訪れて、全員揃ったところで話して聞かせたのはベラドンナという地方領主についてと同時に、切り離すことの出来ない自身の過去だった。
 かいつまんだ説明。
 年齢を偽り12歳から地方兵として働き始めたニコル。
 その頃は放出する程度にしか魔力を扱えなかったニコルだが、平民の魔力持ち自体が珍しかった為に上が上へと報告していき、ベラドンナの耳に入ることになったという。
 薬草を熟知するベラドンナは、ニコルに薬草と魔力の扱いを教えた。そして病に伏せるニコルとアリアの父の為に、進行を遅らせる特別な薬も調合してくれた。
 彼女がいなければ、もっと早く、もっと苦しみながら父は亡くなっていただろう。
 ニコルがその説明をした時、アリアは言葉を詰まらせて涙を溢した。
 恩人の女性。
 戦禍の影響で次第に薬材を得られなくなってしまったが、彼女がいたから父は苦しみも少なく生きられたのだ。
「ーー…随分と辛気臭い表情ばかりですこと。…特にニコル、あなた大変なことをやらかしたみたいね?最初から説明なさい」
 ひと通り見渡してそれぞれの顔を見つめたベラドンナは、それが最も重要であるかのようにニコルに訊ねてきた。
「ベラドンナ…ニコルは」
「知っていますわ。王族だったのでしょう?ですが義務も果たさずこんな所に閉じこもるような人間に下げる頭などありませんの」
 コウェルズがニコルの出生を考えろと暗に告げても、ベラドンナは少しも臆さない。
 ニコルも部屋の隅に酒瓶を置くと、テューラの隣に戻って彼女を一度抱きしめた。
 見守るのは全員で、ニコルは観念するようにベラドンナに身体を向けて。
 最初から説明しろという言葉通りに、素直に最初から話し出した。
 イニスに媚薬香を炊かれ、テューラと出会った時よりも以前。
 エルザに思いを伝えられ、拒絶した夜のことから。
 ニコルは俯きながら話す。
 皆に聞こえるように、ベラドンナに胸の内を明かすように。
 何があったのかを。
 箇条書きの粗筋を読むように淡々と語られていく出来事。
 エルザからの告白を拒絶した。
 しかし酒に任せて口付けもした。
 諦めないと宣言したエルザを愛おしいと思いもした。
 イニスの妄想に巻き込まれた。
 媚薬香を焚かれた。
 テューラが救ってくれた。
 なのにその夜、まだ媚薬の抜けていない状況でエルザが訪れた。
 自分が何者であるかの感情も苦しく、楽になりたくて手を出した。愛そうとも決めた。
 その後も一度、自ら進んで手を出した。
 しかし結局無理だった。
 別れを告げれば、エルザは泣いて拒否した。
 逃げるように離れた先で、テューラと再会した。
 心が安心する感情を得た。
 本当に手離したくないと思えるほどの感情を得た。
 なのにテューラは、アリアと共に襲われた。
 時間をかけて自分に起きた出来事を伝え終えたニコルを、隣に立つテューラが支えるように見上げる。
 誰もが静まりながらニコルを見つめ、その眼差しは少しだけ同情するようなものもあった。
 そんな中、ベラドンナは腕を組んだ状態のままニコルに近づいていく。
 コツコツと高いヒールの踵を鳴らしながら、ニコルとテューラの前まで訪れて。
「----」
 全員が見守る中で、ベラドンナの手のひらが凄まじい音を響かせてニコルの頬を打ち抜いた。
 一瞬にして広間中の空気が完全に凍りつき、ニコルの口角からは血が滲み始める。
「な…何するんですか!?」
 隣にいたテューラが最も早く我に返ってニコルを庇うが、
「この馬鹿にも劣る情けない根性を叩き直しているところよ。おどきなさい」
 ベラドンナはニコルから目を離さないままテューラに強く命じた。
「女二人を苦しめておきながら自分は引きこもるなんて、この愚かすぎる陸でなし」
 冷たいというより、蔑むような声だった。
 女二人とは、テューラとエルザを指すのだろう。
 ニコルは偽りの愛を囁いてエルザを苦しめた。心から愛していると言いながらテューラも巻き込んだ。
「お、お待ちください…ニコルが話した以外にも、どうしようもない出来事が…」
 仲介に入ろうとするモーティシアにも、ベラドンナは冷たい視線を送って止める。
「考慮しろと?傷付けられた者達には関係のないことよ。エルザ様とテューラ嬢、自分が選んだ片側だけでも守れていたならまだしも、守れもせずに心に負担と傷ばかり増やす馬鹿男の何を考慮しろと言うの?」
 発言を掘り下げられて、モーティシアですら言葉を失う。
 他にも口を開けようとする者がいないことを確認してから、ベラドンナは真っ直ぐにニコルを睨み付けた。
「あなたは側に置く女を自分勝手に選んだだけ。なのに守りもしない」
 心の平穏や安らぎなどを口にはする分際で、と。
「エルザ様に対する残酷な扱いは今は見逃してあげる。今はね。でもあなたが選んだその女性に関しては今言わせてもらうわ。こんな場所に自分ごと彼女を閉じ込めることがあなたの思う守る形だというのなら時間の無駄よ。死になさい」
 辛辣すぎる言葉。
 誰もが唖然と見守ることしか出来なくなる状況で、ベラドンナだけが時間を進め続けていく。
「あなたの心が苦しいと言うなら、それを彼女が分かち合えると言うのなら共に癒していけばいいわ。でもあなたが彼女を守ることは全く別次元の問題よ」
 動揺して固まるニコルには伝わるものがあったのだろう。
 軟禁など、守り方を知らない者の手段だ。こんなやり方で守れているなんて言えるはずがない。
 テューラはニコルを見上げ、ベラドンナを見つめ、最後に広間中からの視線を浴びていることに気付いて怯えるように俯く。
「私がこの広間に訪れた時、彼女がどんな顔をしていたかを理解していたのかしら?」
 そんなテューラにベラドンナはちらりと目を向けて、またニコルを睨み付けた。
「自分の身を自分で守れない状況に強制的に持ち込まれた女が、どんな顔をしてあなたの隣で懸命に微笑みを浮かべていたと思うの?」
 彼女の表情が物語る胸の内をどこまで理解できているのかと。
 本来ならここにいられない身分の女だ。
 自力でここまで登りつめたわけでもなく暴力によって強制的に連れ込まれ、逃げることも出来ない哀れな身分。
「周りに合わせようと、周りに好かれようと懸命に動く無力な女がどれほど惨めに心をすり潰されていると思うの?」
 テューラに出来ることなど限られていて、そしてその唯一に近い行動は媚びるようなもののみで。
 広間にはニコル以外にも多くの者たちがいる。彼らはニコルを責めるベラドンナの言葉に耳を傾け続け、特に若者達の表情は深い憐れみが浮かんでいた。
 辛辣すぎる言葉選びに限界が来たのはテューラだった。
「聞きたくない!もうやめて!!」
 火がついたようにボロボロと泣きじゃくり始め、自身の身体に添えられていたニコルの腕をも振り払って。
 テューラは髪を掴むように頭を抱えて広間を走り去ってしまう。
「テューラ!」
 その後をすぐに追うのはマリオンだった。
「…テューラ!!」
 同じく追おうとしたニコルの胸ぐらを細い腕一本で掴んでベラドンナは止める。
「っっーー」
 怒りの形相で睨みつけてくるニコルへと、ベラドンナはまた容赦ない平手打ちを与えた。
「ここがカリューシャでないことを幸運に思いなさい。氷の張る溜め池でその空っぽの頭を冷やすことが出来ないのですからね」
 本当ならもっとぶちのめしたい所だと宣言するベラドンナは、いまだにニコルの胸ぐらを掴んだままだ。
「クズのまま引きこもるか、せめて選んだ女くらい正当に守れるよう動くか…私が王城にいる間に決めなさい。現状を維持するようなら、私がこの手であなたを殺してあげる」
 決めろと言いながら、後者しか未来はないとも伝える矛盾。
「あなたは運命の女を見つけて選んだつもりかもしれないけどね、女は巻き込まれただけに過ぎないのよ。あなたの勝手に、エルザ様もテューラ嬢も巻き込んだ。自分の心?単に弱いだけの分際で笑わせないで」
 冷え切る広間内で、ベラドンナの声だけが響き続ける。
 彼女の独壇場となった状況。静かに見守る者と、動揺する者に分かれて。
 魔眼すら目を逸らすほどの威圧を受けるニコルだけが、己の不甲斐無さを悔いるように強く唇を噛み締め続けていた。

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