第112話


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 それが済んだ瞬間、エレッテは苦痛を漏らさない為に強く歯を食いしばって涙すら耐えていた。
 王城深部の豪華な部屋に閉じ込められてから何日経ったのかは分からないが、ようやく逃亡の段階に入れたエレッテを待っていたのは凄まじい激痛だった。
 ベッドの上で、肌触りの良い厚い布団にくるまり必死に耐える。
 同じ室内にいるのは、ガウェと魔術師団の美青年の二人だけだ。
 フレイムローズの護衛蝶はここ数日扉にじっと留まるのみで、動きもたまに羽をはばたかせる程度でしかなかった。
 美青年は窓近くから強くガウェを睨みつけているが、全く気にする素振りも見せずに大きな鞄から豪華なドレスを取り出してエレッテに見せてくる。
 それはカモフラージュで、今そのカバンの中には切り離されたエレッテの身体の一部が。
「…これも気に入らないのか」
「……いら、ない…そんなもの」
 誤魔化す為に話しかけられて、痛みに声をかすれさせながらも必死に返答する。
 ガウェが普通に会いに来れるようになったのは、以前フレイムローズが食事を摂らないエレッテの為にガウェを呼んだ日からだった。
 特殊な状況下でガウェに心を開いたように見えたのかガウェが何か言ったのかはわからないが、何かしらで魔術師団長が許したから堂々と扉から会いに来れるようになったのだろう。
 監視役の美青年は表情で不満を露わにしていたが、ガウェに見つめ返されると何故か屈辱的な表情に変化して目を逸らしていた。
 ガウェから脱出の為の相談をされたのは数日前。
 闇色の青い髪を持つ若者が、エレッテを脱出させればリーン姫と会わせると提案してきた、と。
 ウインドがすぐ近くまで来てくれたことに涙が溢れそうになって、しかしすぐに自身に魔術が掛けられていることに落ち込んで。
 城から脱出すると、身体にかけられている魔術が発動して全身を電流のような凄まじい衝撃が襲って動けなくなる。
 なのにどう逃げればいいのか。
 取り外すことは簡単だとガウェは術式がどういうものなのかを教えてくれた。
 万能なものなどこの世界に存在しない。
 拘束型の術式も結局は、対象者の思い込み任せなのだと。
 エレッテは最初、この魔術をコウェルズから掛けられていた。
 本当にコウェルズから離れると全身に激しい痛みもあった。
 その後王城で魔術師団長へと術式の変更があったと伝えられて、範囲は王城分だと。
 おかしいと思わないか、とガウェは問いかけた。
 術式をかけたコウェルズの側から離れられないのはまだわかる。しかし次に魔術師団長から受けた説明では、範囲が人ではなく場所に変わった。
 リナトにも家庭はある。人付き合いもある。王城から出ることは日常だ。
 だというのに、リナトの方が離れても、エレッテには何の苦痛も与えられない。
 深く考えれば奇妙な点の多い術式。
 穴だらけで、信用に値しない。
 それでも術式が発動するのは、対象者がそう思い込まされているから。
 エレッテは一度苦痛を受けているから、体は余計無意識に信じてしまっていただろう。
 だから、術式などもう消えたと思え。そもそもそんな万能な術式など存在しないのだから、と。
 所詮は脳の思い込み任せのしろものだと説明されて驚いた。
 しかしその説明も信じていいのかはわからなくて、困惑するエレッテにガウェは信じろと強く説いて。
 術式の発動やその条件など学んでこなかったエレッテに、ガウェは根気強く教えてくれた。時折り苛立つ様子を見せながらも我慢して比較的穏やかに教えてくれたのは、リーンの為以外にはないだろう。
 緑の姫の為なら何でも出来る男。
 リーン姫が望むなら、エレッテが嫌がってもここから脱出させることも出来てしまう。
 術式のことは結局理解しきれなかったが、エレッテはガウェを信じることに決めた。
 ガウェが大丈夫だというなら。きっと大丈夫なのだ。
 ガウェに強く頷いてみせたエレッテだったが、次にガウェが脱出の為に提案した内容には完全に固まってしまった。
 身体を切り分ける、と。
 死なないのなら大丈夫だと平気そうに言われて、ゾッと全身は恐怖に襲われた。
 監視の目を盗みながら、ガウェはエレッテの足を容赦なく切り離した。
 特殊な術式の使われた鞄に足は入れられて、凄まじい激痛が終わることがなかった。
 治らないことがこれほど苦しいなんて。
 まだファントムに救い出される前、魔術兵団に襲われたエレッテを庇ってくれたウインドは、治らない傷を頭に受けてしまった。
 ガイアの治療で痛みを軽減させていたとはいえ、ウインドが痛みに苦しむ姿を何度も見てきた。
 それを思うと、我慢しなければ。
 エレッテの苦痛はウインドと再会する為のものなのだから。
 毎日ガウェは訪れて、エレッテをこちらに引き込むという名目のもとに鞄に華美な贈り物を入れて持ってきては、その中に切り離したエレッテの身体を入れた。
 今はもう、腹から下が存在しない。
 傷口は黒い魔力の霧に包まれて、激痛以外に何もわからない。そもそも自分の身体が繋がっていない事実が恐ろしくて見たくないから布団で隠し続けている。
 生体魔具で身体があるように見せかけてはいるが、エレッテはベッドの上から身動ぐことをしなかった。
 痛みで微振動すら死にたくなるほどつらいから。
 ガウェがいない時に苦しんでいるエレッテを心配して監視の青年が近付こうとすれば、痛みの八つ当たりをするように激しく叫んで拒絶した。
 ガウェに持ち出された身体は、隠している先で繋がっていくという。
 その話しを聞かされた時は、自分ではない自分が新たに作られていくような気がしてしまい、聞かさないでと懇願した。
「…明日は腕だ。もう少し耐えてくれ」
 豪華なドレスを直す仕草を見せながら、ガウェは小さな声でぼそりと話す。
 明日は。
 このペースで身体を切り離され続けたとして、最後はどうするつもりなのだろうか。
 訊ねたくても痛みで全身が強張っていて、聞けはしなかった。
 カバンを大切そうに抱えながらガウェは立ち上がり、エレッテから離れていく。
「明日は花でも持ってこよう。何色の花が好きだ?」
 ドレスを壁に飾りながら、離れたガウェがわざとらしく訊ねてくる。
 花なんて、いらない。
 いらないが。
「…………青い花…黒混じりの」
 ウインドに縋りつきたいほど心は弱っていて、彼を思い出せそうな花を弱々しく呟く。
 彼の青が懐かしい。
 闇の夜空のような青。
 涙が溢れそうになって、俯いて隠した。
「…わかった」
 ガウェが離れていくのを耳で察しながら、扉は開けられて、閉められて。
 本当にこんな状態でここから出られるのだろうか。
 もしかしたら騙されているだけなのではないか。
 切断された場所には激しい痛みが終わらず続き、いつ心が折れても当然であると思えるのに、なぜか心が折れない。
 いっそ発狂してしまいたいほどなのに、希望がちらつくから。
 もう嫌だとすら、言いたくても言えなかった。
 こんな状況でも生きていられるなんて思いもしなかった。
 形だけでも死ねたなら、再び生き返るまでは意識も全て手放したままでいられるのに。
「……エレッテさん」
 ベッドの上で布団にくるまってうずくまるエレッテの耳に、優しい呼び声が聞こえてきた。
 あの青年であることはわかっていたので顔を上げずにいれば羽がはばたく音が聞こえてきて、フレイムローズの魔眼蝶が青年を制止していると想像がついた。
「……エレッテさん…ガウェ殿に苦しめられているのではないですか?」
 制止されながらも、青年は健気そうに訊ねてくる。
「ガウェ殿が毎日何度と訪れるようになってから、あなたは顔色を悪くしていくばかりです…どうか私を頼ってはいただけませんか?」
 懇願するような声。美しい青年だから、まるで絵本の中にいる優しい王子様のようだ。
 それでもエレッテは顔を上げなかった。
 心配なんてしていらない。
「花でしたら私が用意しますから。青い花がお好きなんですよね?」
 違う、と言葉にはしなかった。
 青い花が好きなわけじゃない。花なんてどうでもいい。
 エレッテが心から望むのは、
「……ウイ、ンド…」
 助けてほしくて、今すぐ会いたくて、布団に籠りながら彼の名前を小さく呟いた。
 暴力的ですぐに大きな声を出して。でも、何も言わず、言い返しもしないエレッテのことをいつも大切にしてくれた。
 どんな些細なことでも言葉で伝えろとビデンス・ハイドランジアは言った。
 怖がり続けて言葉で伝えようとしなかったエレッテにも非があると。
 会いたい。
 何としてでも。
 どれほどつらくても。
 痛くて、発狂しそうでも。
 ウインドに会いたい。
「エレッテさ」
「出てってよ!!」
 優しく慰めてくれる声を強く拒絶する。
 エレッテにとっては名前も知らない男だ。
 名乗られたような気もするが、覚えているはずがなかった。
 懐柔する為に優しくしているのは目に見えていて、近寄られるのは恐怖でしかなくて。
「エレッテさん…これだけは覚えておいてください……私は…今の私は、あなたの味方になりたいと強く思っていますから」
 拒絶したエレッテの望み通りに扉が開いて、彼は最後にそう言い残して部屋を去っていった。
 味方なんて。
 鼻で笑ってやりたかったのに、全身に広がる苦痛に表情は強張ったままだ。
 ウインドもこんな終わりのない痛みに四年近く苦しんでいたのだろうか。
 もしそうなら、我慢してみせる。
 彼と再会出来るその時まで、たとえどれほど身体を切り離されても。

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