第111話


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 夢を見ていた。
 まるで現実のような夢だ。
 目の前で、愛しい人が微笑んでいる夢。
 しかしその人が微笑みを見せる相手は自分ではない。
 隣に立った別の女。
 仲睦まじく互いだけを見つめている。
 そこへ、小さな男の子が駆け寄ってきて、二人に抱きついた。
 彼は自分によく似た男の子を抱き上げて、隣の女と一緒に幸せを味わっている。
 銀の髪の男の子。髪と瞳の色はその女と同じ色。顔貌は彼の血が強い。
 幸せそうな家族の形。
 その幸せは、彼に恋慕するこちらの嫉妬の上に積み上げられていく。
 重くて苦しくて、彼がその女に微笑みかけるたびに底の見えない絶望がより深くなっていく。
 彼は特別な眼差しではこちらを見てくれない。
“私の方が愛しているのに”
 彼はその事実に気付かない。
“私を助ける為に現れてくれたのに”
 彼は後から出会った別の女を選んだ。
“私に手を差し伸ばしてくれたのに”
 平和の為だと、彼は笑っていた。
 全て、夢の中の出来事のはずだ。
 なのになぜこんなにも鮮明で、こんなにも苦しいのだ。
 ただ美しく産まれたというだけで、彼女を見た男達が理性を失った。
 彼女を奪おうと殺し合い、彼女の周りの世界は血溜まりのようだった。
 空に浮かぶ巨大な植物が彼女を哀れに思い天に逃してくれても、その騒乱は止まらなかった。
 彼女の家族達も同じように天に逃されたが、彼女が最も男を狂わせてしまっていた。
 この騒乱を終わらせるには死ぬしかないのかと咽び泣く彼女に、産まれて初めて理性的な優しい眼差しを向けて手を差し伸ばしてくれたのが彼だった。
 狂ってなどいない、無理やり奪おうともしない唯一の異性。
 不思議な力で瞬く間に彼女の周りの世界を穏やかに戻してくれた。
 その過程で彼女が彼に恋をするのは当然だった。
 何度も笑いかけてくれて、優しい世界もあるのだと教えてくれて、諭すように叱ってもくれた人。
 彼とずっと一緒にいたかった。
 なのに。
 彼女の知らない場所で、彼は別の女を選んでいた。
 狂った男達が完全に正気を取り戻して落ち着いた時、彼の隣に立つ女はもう臨月間近だった。
 世界は彼女に本当の絶望が残っていたことを教えてから平和となった。
 なぜ彼に選ばれたのが自分じゃないのか。
 問いかけることすら出来なかった。
 それを口にすれば彼が女と子供を連れて去ってしまうと思ったから。
 どんな形であれ側にいられたらという健気な思いと、何故自分ではないのかという悋気。
 混ざり合って、ぐちゃぐちゃになって。
 心が追いつかなくなった頃、対話が出来るまでに成長していた彼の小さな男の子が問いかけてきた。
「どうして泣いているの?」
 と。
 どうして、なんて。
 最低で酷い言葉。
 お前さえいなければと憎むほどの子供。
 愛しい彼に似た、でも憎い女にも似た。
 だから、手を掛けた時。
 その小さな首を絞めた時。
 唯一残っていた良心は、悲しみと共にぷつりと魂からちぎれてどこかへ去っていった。
 だから殺せたのだ。
 だから、その後また騒乱を呼び戻せたのだ。
 彼を得られるなら最早何でもよかった。
 彼が手に入るなら他がどうなろうが構わなかった。
 気持ちを我慢するなんて、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
 素直になっただけなのだ。
 欲しいものを手に入れる為には、素直に。
 自分の心と向き合って、奪って、そばに。

「ーーエルザ様!」
 呼びかけられた時、突然の覚醒に驚くようにエルザはビクリと跳ねながら目を覚ました。
 優しい香りに満ちた寝室で、エルザを起こしたのは見慣れた侍女達だった。
 不安そうな表情で見つめてくるものだから、また自分が悪夢を見ていたのだとすぐに理解出来た。
 ここ数日ずっと同じだから。
 侍女達は悪夢にうなされるエルザを起こしてくれる。そう頼んだのはエルザ自身だ。
「ビアンカ様!エルザ様がお目覚めになりました!」
 一人の侍女が離れて呼びかければ、別室にいた侍女長ビアンカが目覚めの準備と共に現れて。
 ちらりと窓に目を向ければ、カーテン越しの外は昼間のようにしっかりと明るい。
「…私、お寝坊でしたね……」
「昨夜も寝付けなかったという報告を騎士達から受けています。この時間帯ならまだゆっくりされてもよかったのですが…」
 起こして申し訳ない、と表情で伝えてくるものだから、微笑んで首を横に一度振った。
 起こしてと頼んだのはエルザなのだから。
 現実との境界がわからなくなりそうな悪夢から逃れる為に。
 ベッドに座るエルザへと、ビアンカは用意した水桶から柔らかなタオルを絞ってから顔を優しく拭いてくれる。
 侍女達も寝起きの準備をしてくれて、一杯の水は季節に合わせるように温くなっていた。
 部屋に炊かれた香も、用意された水も、繊細なカップすらも、全てエルザ好みに統一されている。
 エルザに優しい世界。
 なのに、心は空いたままだ。
「…エルザ様、実は先ほどヨーシュカ様が来られて、目覚めた後に少しお話しがしたいと」
 エルザに合わせてゆっくりと準備を進めてくれるビアンカが、言いづらそうに魔術兵団長の名前を出した。
「まあ、私に?構いませんわ」
 魔術兵団は王命しか受けず、基本的に姿も見せない部隊だ。一部では存在しないとすら言われているが、ヨーシュカがエルザに何の用があるのだろうか。
 ふわふわとしてあまり働かない頭では考えることも億劫で、考えることはやめて。
 ビアンカが目配せで侍女達に合図をして、今日のドレスが数着用意される。その中からエルザが選んだのは、薄水色の繊細で愛らしいドレスだった。
 ニコルが一番好みそうなデザイン。彼がいつ会いに来てくれてもいいように。
 用意を済ませて、朝食は抜くと伝えて。
「…ビアンカ様」
 その最中に小声でビアンカを呼んだ侍女が、何かを耳打ちしていた。
 何かあったのだろうか。
 腰の紐を締めてくれている侍女の手が離れた頃にビアンカが戻ってきて、ヨーシュカがもう待っていることを伝えてきた。
 エルザに早急な用とは何なのだろうか。
 待たせるのも悪いので応接の為に広い室内を移動すれば、ヨーシュカは何人かの部下を引き連れてすぐに入ってきた。
「お待ちを!!」
 慌てながら止めに入るのはサイラスだ。
 護衛に立っていた彼は困惑しながらヨーシュカを止めようとするが、立場の違いがある為に強くは出られない様子も見せた。
「構いません。サイラスも中で待機していてくださいね」
 踏み込んでくるヨーシュカ達を気にせずに、エルザは弱々しく微笑む。
「おはようございます、エルザ様。突然のご無礼をお許しください」
「緊急の用があるのなら仕方ありませんわ。今日はどうしましたの?」
 ヨーシュカの後ろに控えるのは三人の魔術兵団員だが、いずれもフードを目深に被っているので顔までは見えなかった。
「最近は悪夢にうなされているとお聴きしました。…夢の内容を伺いたいのですが」
 率直に訊ねてくるヨーシュカに、エルザよりもサイラスと侍女達がざわついた。
「ヨーシュカ団長、あまりにも失礼ではありませんか!?」
 抗議するサイラスには目もくれず、ヨーシュカはエルザだけを見つめる。
「医師団ならまだしも、あなた方に何の権限があって」
「やめて、サイラス」
 エルザの苦しみを側で見続けてきたサイラスには許せない質問だったのだろう。突然押しかけて悪夢の内容を話せなんて、たしかに失礼ではある。
「…悪夢の内容を話すことは出来ません…夢の中の出来事だとしても、到底話せるものではありませんので…」
 小さな男の子を殺めるなんて恐ろしい出来事、たとえ夢でも知られたくない。
 しかしヨーシュカも諦めはしなかった。
「エルザ様、我々にとっては重要なのです。どうか悪夢の内容を教えてください。……お礼に、今現在のニコル殿の状況をお話ししましょう」
 改めて頼んでくるヨーシュカに、周りが完全に凍りついた。
 エルザもだ。
 誰も、エルザにニコルの現在を教えてくれないから。
「ヨーシュカ団長!!」
「…外に出ていて」
 強く抗議するサイラスへと、エルザは掠れる声で命じる。
「ビアンカ…あなた達も」
 そして侍女達にも。
 誰も彼もがエルザにニコルの話しをしてくれなかった。
 知りたいのに、今は天空塔にアリア達と共にいるとしか教えてくれなかった。
 サイラスは駄目だとエルザに長い嘆願を始めるが、聞き入れない。
 どれだけ願われても乞われても聞き入れられなかった。
 ニコルのことが知りたい。ただその一心で。
「……外にいて」
 部屋にヨーシュカ達だけを残して退室させる。
 サイラスもビアンカ達も渋ったが、最終的には皆が折れた。
 外に待機していた別の騎士にサイラスがすぐに話しかけていたので、きっとイストワール達にもヨーシュカが訪れている件が、そしてニコルの今現在がエルザに知れることが発覚してしまう。
 制止が入る前に聞いておきたくて、
「…ニコルは今」
 扉が閉められる寸前に訊ねた。でも。
「先にお聞かせ願えませんか?どんな悪夢であるのか」
 交換条件だと、邪魔者のいなくなった部屋でヨーシュカはエルザに改めて問いかける。
 なぜ悪夢の内容を知りたいのかはわからない。
 しかし最初こそ聞かれることが怖かったが、誰かに聞いてほしい思いもあって、エルザはぽつりぽつりと話し始めた。
 夢の内容はいつも同じ。
 鮮明に覚えているようになったのは最近だが、いつもいつも。
 血溜まりの中で泣いていたことも、彼に救われたことも、彼に選ばれなかったことも、小さな男の子をこの手で殺す感触さえも。
 全て話して、震える声で話して。
「……ナイナーダ達には悟られないようにしろ」
 話し終えた後、ヨーシュカは小さな声で後ろに立つ部下に命じていた。
 話すだけでも体力と気力を持っていかれてしまうが、エルザは懸命にヨーシュカを見つめる。
 交換条件を出したのはヨーシュカだ。
 ニコルの現状を。
 病気であるかのように顔色の悪かったニコル。
 今はどうしているのか。無事なのか。知りたくて。
「……知らない方が幸福であることもあります。本当にお聞きになりますか?」
 ヨーシュカはここへ来て言葉を躊躇うものだから、拳を握りしめてしまった。
「ニコルに何があったのですか!?」
 そんなことを言うなんて、まさか重い病気になってしまったのかと怖くなって。
 ヨーシュカは教えてくれた。
 アリアが襲われたことから、ニコルが人を殺めたこと、王族であることを認めたこと。
 そして、新たな女がいることまで、全てを。
 エルザに全てを教えてくれた。

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