第111話


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「ーーそれでね、テューラがこの髪飾りをまだ持ってていいって言ってくれたの」
 ベッドに横になって欠けた髪飾りを見つめながら嬉しそうに小声で話してくるマリオンに、モーティシアは背中を向けながら「よかったですね」と気のない返事をした。
 天空塔に簡易の寝室を得たのはモーティシアだけでなくアリアの護衛部隊全員だが、マリオンは当然のようにモーティシアと部屋を共にしていた。
 マリオンにも部屋を用意したというのに、彼女がその部屋を使ったのは初日だけだ。
 一緒にいてほしいと甘えられることに悪い気はしなかったが結局はまだ一人でいることの恐怖が強いからで、テューラが一人で寝室を使っていたならそちらに行っていたのだろうと想像がつく。
「もうお仕事?手伝えることある?」
 手早く身なりを整えたモーティシアの様子にマリオンも座り直してから訊ねてくるから、穏やかに笑ってしまった。
「まだ休んでいて平気ですよ。城内の私室に残しているものを取りに行くだけなので」
 マリオンは不慣れだというのに、よく動いてくれていた。
 テューラの話し相手としては勿論だが、気配りが上手く既にジュエル達とも打ち解けている。
 マリオンの身に何があったか聞かせていたアクセル達も無理のない範囲で仕事を頼んだりと受け入れている様子を見せてくれて、若騎士達も遠慮がちにしていたがそれは不慣れが故だろうと思えた。
 敬遠の態度を見せるのはミシェルだ。
 歩み寄れとは思わないが、ミシェルがいる時はマリオンには離れていてもらうことしか当分はできないだろう。
 まだ痩せ細っているマリオンだが、モーティシアの邸宅にいた時のような恐怖心は見えなくて安心しているのだ。ミシェルと無理やり和解させようと近寄らせる気にはなれなかった。
「今日もお仕事頑張ってね」
 ふいにマリオンが近寄ってきて、後ろからそっと抱きつかれてしまう。
「……わかりましたから、離れなさい」
 予想していなかった行動に心臓が甘く跳ねて、何とか冷静を装って。
「…行ってきます」
「行ってらっしゃい!」
 手を離させてから天空塔を降りる為に部屋を出ようとして、気恥ずかしさから小声で挨拶をすればマリオンは無邪気な返事を。
 少し緩む頬をそのままに部屋を出たところで、早くから仕事に就いていたアクセルとセクトルの二人に出くわした。
「おはよ。今から?」
「いえ、下に」
 アクセルとは主語不在の会話で全てを理解し合い、セクトルは一瞬モーティシアの扉を見つめていた。
「中にあの子いるのか?」
 どうしたのかと問おうとする前に先に問いかけられてしまう。
 あの子とはマリオン以外にいないだろう。
「います、けど……その指はやめなさい!」
 嘘偽りなく話しただけでセクトルが中指を立ててきた。
「だってモーティシア、口では“仕方なく匿ってた”って言うけど、雰囲気とか確実に彼女だろ?俺らだけ寂しいよなー」
 アクセルは冗談めかして笑うが、その隣のセクトルの立った中指は二本に増えていた。
 両手で無言の威圧をかけてくるセクトルにはもうため息しか出てこない。
「無粋な会話はやめてください。すぐ戻りますから、戻るまで頼みますよ」
 今やるべきことは天空塔が上げてくれる朝食を運ぶことくらいなので二人に任せて、玄関に向かって。
「ーー…おはようございます。昨日のような問題を起こすのはやめてくださいね」
 ちょうど上がって来たミシェルとも遭遇し、足は止めずにそれだけを伝えた。
「わかっている。悪かった」
 ミシェルも足は止めなかった。
 玄関口に付けば、蔓がモーティシアに絡んで下ろしてくれて。
「いつもありがとうございます」
 礼を伝えれば、嬉しそうな蔓が頬を撫でていった。
 王城から兵舎外周の中間棟まではなかなか距離があるが、気分転換もかねて深呼吸しながら私室へと歩いて行く。
 早朝の城内ではあまり人とは会わず、一度だけエルザ姫付きの騎士達と出くわしたが向こうはこちらを完全に無視して去って行った。
 長い距離を歩いて到着した二人部屋では、モーティシアと同室の魔術師がまだ気持ちよさそうに眠っているところだった。
 部屋のカーテンがまた勝手に替えられている以外には、モーティシアのベッドに乱雑に資料が撒かれているくらいしか変化は見当たらない。
 資料を手に取れば、彼が今手がけている新しい術式に関するものだとわかったのでそのままにしておいた。
 モーティシアがこの部屋に滅多に戻らないとわかってのことだろう。
 静かに必要資料を取り出して、そのほかにもいくつか本やら私物を持ち出して。
 なかなかの量になってしまったが、ここまでの距離を二往復したくなくて一度に全て抱え込んだ。
 重くはあるが、ギリギリ耐えられるか。以前騎士達が魔具で台車を作り出して荷物を運んでいたのを思い出して、魔具訓練を自分もしておけばよかったと少しだけ後悔した。
 術式より単純だというのに、魔具は形の固定が非常に難しいのだ。特に生体魔具ともなれば訓練や天性の才能だけで生み出せるものでもないので、ニコルやガウェは相当の努力をしたことだろう。
 もたもたと運び出しながら、たまに床に置いて腕を回して、また運んで。
「ーーあれ?あなた、モーティシア?」
 ようやく王城に到着する頃合いで前から誰かに話しかけられて、足を止めてしまった。
「クレア様、サリア様…おはようございます」
 王城から出てきていたのは二人の姫とその護衛騎士達で、クレアの前を歩いていたのはユージーンだった。最後尾にはニコラがいて、サリアの護衛に回されているのだと理解する。
「すごい量ね…」
 近付いてくるクレアはモーティシアの荷物にやや引いていた。
「準備物ばかりですよ。クレア様とサリア様も、ずいぶんとお早いですね」
「私達はコレーとオデットに会いに行こうと思って。あの子達もう始めてるから」
 同い年の姫達は、国土を守る為の結界の維持に駆り出されている幼い妹達に会いに行くのだと教えてくれた。
 以前のファントム戦で壊された七色宮のひとつ、新緑宮。
 リーン姫が埋め固められていたその場所は、国土全体に虹の結界を張り巡らせる為に重要な役割を担っていた小さな宮殿だ。
 王城の敷地内に弧を描くように等間隔で建設された七つの小宮は創始からあるとされていて、確かにかなり古い。
 コレーとオデットはほぼ毎日結界の維持に尽力していて、幼い姫達に苦労を課さなければならない状況にコウェルズが苛立っていたことを思い出す。
「新緑宮もお兄様の王位継承式までには治るみたいだから、あと少しだけ二人に頑張ってもらうんだけど…私もあと少ししかいられないからね」
 なるべく一緒にいてあげたい、とクレアは寂しそうに笑う。
 コウェルズの王位継承式の後にはクレアの出発式があるのだ。
 婚姻の為にスアタニラ国へ向かうクレア。連れて行く護衛の数も少ないと聞いた。
「そっちも大変みたいだし、頑張ってね」
「…ありがとうございます」
 頭を下げれば、両手に持っていた資料が落ちてしまった。
 拾おうにも荷物が多すぎて手間取ってしまい、その間にユージーンが近付いてきて資料を拾い上げた。
「……ありがとう、ございます」
 警戒していれば、ユージーンは無表情のまま資料を元の位置に置き、その後すぐにモーティシアの手荷物の三分の二を奪った。
「なーー」
「クレア様、私は彼を手伝ってから向かいます」
 モーティシアが口を開くよりも先にユージーンがクレアに離れることを告げて、思わず固まる間にクレアも頷いてしまう。
「たしかに荷物多いもんね。うん、手伝ってあげて」
「いえ、クレア様の護衛を離すわけには…」
「気にしないで!ユージーンから誰かを手伝うって言うの珍しいし。というか初めて?そんなに遠くないから平気平気」
 護衛が離れるなど本来あってはならないはずだが、クレアは全く気にする素振りを見せない。
「モーティシア殿、早く済ませましょう」
 その間にもユージーンは城内へと足を向けてしまい、クレア達も妹達の元へと向かって行ってしまった。
「……何を考えているのですか」
 仕方なくユージーンの後ろを歩きながら警戒すれば、返事はなかった。
 城内を進みながら、警戒を続けながら。
「…天空塔にあなたは上がれませんよ。それは理解していらっしゃいますね?」
 天空塔には一部を除いて隊長以上の者しか上がれないようにコウェルズが計らってくれている。
 なのでユージーンがマリオンと遭遇することはないはずだと思いたいが、目の前を歩くこの男には遊郭内で危険人物扱いを受けるほどの前科があるのだ。
 ユージーンは全く口を開こうとせず、それが不気味さを増大させていく。
 天空塔はこちらの味方であると信じるしかなく、露台に到着してしまい。
「……運んでいただき、感謝します。ここまでで十分ですので任務にお戻りください」
 改めて感謝の言葉を口にして、暗に早く消えろと伝えて。
 警戒するせいで睨みつけたままのモーティシアへと、ユージーンは無言のまま、モーティシアが手で抱えた荷物の上に資料などを戻そうとして。
「ーーなっ!?」
 置かれようとしていた資料達は、ユージーンがわざと強く押し置いたせいで全てバラバラと落ちてしまった。
 モーティシアも体制を崩してしまうが、倒れるより先に首元を掴まれて。
 引きずり寄せられて、目の前に冷たい眼差しが現れた。
「…なぜ彼女はお前を選んだ?」
 表情の読み取れない顔と声。
 底知れない冷たい闇に覆われたかのように、背筋に凄まじい悪寒が走る。
「私の方が彼女を理解し、愛している。彼女も私を受け入れていた。…なのになぜ、私ではなくお前の側にいるんだ」
 目を見開いて見つめ続けられ、モーティシアの首元を掴む手の力も強まって苦しくなってくる。
「っ…離しなさい!!」
 強く逃げようとしても、騎士団の副隊長クラスにモーティシアが腕で敵うはずもなかった。
「たかが殺人鬼に共に襲われたというだけで…なぜ彼女はお前から離れない?……そもそも、何故お前は彼女と遊郭外で朝食を取れたんだ!?客でもない分際で、どうやって彼女を言いくるめた!!」
 突然の激昂。
 ユージーンはユージーンなりに、遊郭の規律に従っていたとでも言うつもりなのだろう。
 なのにモーティシアはたまたまマリオンと外で会い、共に朝食を囲んだ。
 客と遊女の関係なら有り得ない状況。
「貴様が彼女を買ったのはたった一度のはずだ!…彼女に何をした?魔術でも掛けたのか?」
 そこまで調べているのかと思い、改めてゾッとした。
「っ…離せ!!」
 目の前で簡単な術式を組んで、ユージーンの腕をローブごと引き剥がす。
 ビリ、と凄まじい音を発して千切れた冬用の厚手のローブの切れ端を掴んだまま、ユージーンはかすかによろけて離れた。
「……このことは騎士団長に伝えます。二度とマリオンにも、私にも近付くな!!」
 普段では有り得ない強い口調で責めてみても、ユージーンは仄暗い眼差しを離すことをしなかった。
 悍ましく見つめてきて、ゆらりとまた手を伸ばしてくるから後ろへ飛び逃げて。
 それでもユージーンはモーティシアへと手を伸ばすことを止めなかった。
「っ…」
 自分自身に先ほどより強い防御結界を掛けようとして、ここが城内であることにわずかに戸惑ってしまった一瞬の隙を突くようにその強すぎる手がモーティシアの首を完全にとらえた。
「ッグ……」
 締められて、喉の肉と骨が激しく軋む音を身体の中から聞いてしまう。
 このままではダメだと本当に結界を貼ろうとして、だが先にモーティシアの目の前に凄まじい勢いで落ちてくる緑色の物体があった。
 瞬間的にユージーンが手を離して逃れ、モーティシアの身体を天空塔の蔓が守る。
「……天空塔か」
 指先から血を垂らすユージーンが、己の傷を舐めながら蔓をじっと見つめた。
 何本もの蔓。一枚の大きな葉がモーティシアの痣の残った首元を心配するように撫でる。
 苛立ちは、腹の奥底からぐつぐつと凄まじい勢いで湧き上がるようだった。
「…彼女がここにいるなら、まだ私にも希望があるというものだーー」
「ーーてめぇ!!いい加減にしろよクソ外道がよよぉっ!!」
 まだ諦めないユージーンへと放ったモーティシアのガラの悪い言葉に、驚いた表情が浮かぶ。
「……粗チン潰されたくねぇだろ…二度と俺とあいつに近寄んなや」
 ガチギレながらも何とか怒りを噛み殺すドスの効いた低い声に、ユージーンが完全に固まった。
 数秒は互いから視線を外さないまま。
 先に背中を向けたのはユージーンだった。
 露台を去る不気味な男の気配が完全に消え去るまで睨み続けて、力を抜くようにその場にしゃがみ込んで額を押さえるように頭を抱えて。
 いまだに残り続ける凄まじい腹立たしさを、ゆっくりとした深呼吸で押さえ込む。
 数年振りに自分の口から漏れた生まれ育った故郷での口調に、冷静な頭に戻ってからため息を吐いた。
 モーティシアは産まれこそ紫都の領土内だが、一年の大半が荒波の海辺に面した港町で育った。
 嵐も多い土地では人々が助け合うのは当然だが、同時に避難や救助は一刻を争うレベルであった為に必然のように皆荒々しくて。
 魔力の質量を認められて魔術師団入りを果たした時、モーティシアは上流貴族ばかりの周りに合わせる為にも己の故郷での口調を封印したのだ。
 なのに今日初めて、怒りでぶち撒けてしまった。
「……すみません。もう大丈夫ですよ…助けに来てくれたんですね」
 何度も深呼吸をして自分自身を何とか落ち着かせて、天空塔の蔓に感謝して。
 蔓はモーティシアの荷物をかき集めてくれて、さらに先に上まで運んでくれた。
 先に騎士団に抗議と報告にいくべきか、リナト団長に同席を頼むべきか。
 後者なのだろうが、久しぶりの激しい怒りはモーティシアから判断力と決断力を奪っていた。
 首は今も軋むように痛み、それがさらに怒りを煽ってくる。
「…私も上げていただけますか?」
 最初にやるべきはアクセル達に午前中は抜けると伝えることかとため息をついて、モーティシアの判断を待っていた天空塔の蔓に触れた。
 すぐに蔓がモーティシアを天空塔へ上げてくれて、玄関口ではアクセルとセクトルがモーティシアの荷物に気付いて中に入れようとしてくれていて。
「おかえり……モーティシア!?何それ!?何があったんだよ!!」
 千切られたローブと、首にはモーティシアが思っている以上の凄まじい痣。
 慌てて近付いてくるアクセルと、セクトルは敵襲を懸念するように玄関口から下を覗き見た。
「…今はもう大丈夫です。話しますから、こちらに来てください」
 魔具の槍まで生み出して下を警戒するセクトルに呼びかけて、二人に何があったのかを話す。
 わかりやすく、簡潔に。
 モーティシアを傷付けた者が誰なのか。
 ユージーンの名前を聞いた時に有り得ないと言い出しそうなほど困惑の表情を浮かべたのは、以前は彼の下でクレア姫を共に護っていたセクトルだった。

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