第110話
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政務棟から戻った後のジャックは、普段通り動けていた方だと思う。
ビアンカからの提案を受け入れて、昔の関係を取り戻せた。
それはジャックも望んでいたことではあったのに、本当に望む形とは全く異なっていて。
それでも対外的には取り戻せたという思いもある心の矛盾。
「…あの、父上?」
マガからソキウスへと名前を変えた義理の息子に心配そうな声をかけられて、ジャックは隣に視線を移す。
「どうした?」
「いえ…あの……様子が変だったので…」
口ごもりながらもジャックの普段とは異なる姿を心配してくれて、周りの様子をよく観察できる方なのかと感心した。
「王城にいれば色々あるもんさ。それよりも、今日はどうだったんだ?」
「…えっと……何の変わり映えも…フェント様の騎士の方から新しい古文の解読用書類を渡されて、他の方々から訓練の依頼を受けて……」
エル・フェアリアに来てから日にちはあまり経っていないが、ソキウスは卑屈なわりには周りと打ち解けている様子を見せた。
おそらく自分がどう動けば周りと波風立たせず共存できるのかを理解しているのだろう。
そうしなければ生きていけなかったバオル国での経験が、ここで上手く機能しているということか。
周りの者達からの評判も「卑屈だが努力家」だと上々で、騎士達との訓練での交流も打ち解けるのが早かった理由にも挙げられる。
ジャックもしばらくは護衛候補達やその他の騎士達の訓練を見ることが仕事である為に、他の者達からソキウスの話を聴ける状況は有り難くもあった。
リーン姫と会う為にソキウスを連れ帰ることに決めたのは事実だが、その前から彼に同情もしていたから。
「父上は今日も訓練を?」
父と呼ぶ時のソキウスの表情はどこか嬉しそうで、それを見るのも最近は癒しにもなっている。
まだこの息子のことをあまり知らないのに、親心は深く自分の中にあった。
「訓練漬けで何の変わり映えもないな」
ビアンカとのことは口にはせず、騎士達に訓練を課した一日を振り返って。
途中で隊長クラスと手合わせもしたが、それを齧り付いて見入ってくる騎士達には相応の手応えも感じた。
強くなる為の心構えが確実に強くなっている者が多くなっていることには喜ぶべきだ。
だがそういった者たちは、大半がまだ未熟な若い騎士達だった。
一定の年齢を超えた警備騎士達には成長の為の意識が見えず、それは若騎士達との摩擦にもなりかねない。
ファントムとの再戦があるだろう状況では、見落とすわけにはいかなかった。
「父上は、今日は一緒に戻れるのですか?」
ソキウスは今日のこれからを訊ねてくるが、すぐに返事をしないジャックに表情をわずかに曇らせた。
「…悪いな。今晩は予定があるんだ」
「……わかりました」
城下ではダニエルが妻と息子の待つ家にソキウスの部屋も作ってくれていたが、ジャックの部屋も作ってくれていたのだ。
昨夜は一緒にダニエルの家に向かったが毎日は続かないと理解している様子で、少し寂しげな表情だけを見せてくれた。
「チビ達の相手を最後までする必要は無いからな。適当に転がしときゃいい」
ダニエルの邸宅ではソキウスは二人の幼い息子達の遊び相手と化しており、子供達の体力が切れて寝落ちするまで相手をしてやっていたのには驚いた。
「いえ、私も楽しいので」
言葉は本心のようで、ソキウスは嬉しそうに笑う。
控えめながらも表情はしっかりあった。
「……では、また明日」
共に歩く道のりは正門玄関口までで、先に仕事を済ませていたダニエルがこちらに気付いて手を上げてきて。
ソキウスはジャックに深く頭を下げると、駆け足でダニエルのところへと向かって行った。
完全に親子になることは出来ないだろうが、思いのほか早く懐いてくれて嬉しくもある。
ソキウスとダニエルを見送って、自分は用意のために城内に割り当てられた自室へと戻って。
ビアンカとの約束までは時間がまだある。
抱くと宣言した通り、遠慮するつもりはなかった。
それだけのことをしたのだと向こうも理解しているだろう。
国からの命令に応じて、ジャックとスカイを傷付ける女。
二人を深く傷付けられる唯一の女だ。
そして彼女もまた傷付く。
自分の心に蓋をして、もう愛してもいない男に身体を開くのだから。
だが、そこで止まるつもりはジャックにはない。
その傷付いた心すら過去のものにする。
時間がかかってもいい。最後に笑っていればそれで。
笑顔を取り戻してやれる相手が自分であるなら。
城内の自室には最低限の私物しかなく、その中からせめて見栄えのする服を選んで着替える。
その後は多少の時間潰しに本を手に取り、しかし頭にはあまり入らずに時間をゆっくり進めて。
自分の中でそろそろビアンカも手を止められる頃だろうと目星を付けてから部屋を出て、兵舎内周棟から王城へ向かった。
時折り遭遇する騎士達はジャックの私服姿に珍しそうな表情を浮かべていて、城内では侍女達も珍しそうに眺めてきて。
「ーービアンカはそろそろ手を止められそうか?」
男子禁制となる侍女達の生活区画の扉前で一人の侍女に訊ねれば、まだ若い侍女は驚きの表情をジャックに見せてきた。
慌てるように彼女は辺りを伺い、侍女長なら今日はもう戻ってきていると教えてくれて。
ビアンカがジャックとの噂を完全に否定していたことは知っている。
だというのにジャックが私服で会いに来たことに、侍女達が騒然となっていた。
呼びに行くという侍女を止めて、扉前で待って。
全ては新しい噂を立たせる為に。
ビアンカの気持ちを取り戻すのはその後でいい。
まずは、国からの命令を。
スカイがビアンカを諦めて、アギーラの第三王女の手を取るように。
「…お待たせ」
大窓から見える空を眺めていたジャックの耳に、落ち着いた女の声はすぐに届いた。
「ああーー」
振り向いて、固まる。
職務中とは異なる化粧を施し、静謐ながらも美しい私服姿のビアンカがいたから。
周りの侍女達もビアンカを見て驚き、ジャックのそばへ向かった姿にさらに驚きを増して。
「馬鹿な顔して突っ立ってないで、早く行きましょう?」
ジャックの腕に手を絡めてくるビアンカからは、ほのかな花の香りまで。
普段の地味な装いからは想像もつかないほど美しかった。
しかしその美しさは、ジャックの好みとはどこか異なる。
漠然と気付いた。この姿はきっと、スカイ好みの装いなのだと。
「……」
エスコートするように歩きながら、言葉をかけようとして、しかし声は出てくれなくて。
ビアンカも何も話そうとはしない。
まるで全てを諦めたかのようで、虚しさが込み上げてきた。
「…本当にいいんだな」
ようやく出た言葉は、まるでビアンカを逃がそうとするようで。
「……何のことかしら」
だがビアンカは、機械的にとぼけるだけだった。
ビアンカが持つ少し重そうなバッグは、今日は帰らないことを周りに告げるかのようだ。
多くの者達の目がある中で、ジャックとビアンカが二人で出かける姿はすぐに城内を駆け巡るだろう。
スカイの耳にもすぐに入る。
その時彼はどう思うのか。
冬の夕暮れはすぐに闇に変わろうとしていて、彼女と過ごす夜が待ち遠しいのか虚しいのか、まだジャックには判断できずにいた。
第110話 終