第110話


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 午前中の緊張した時間とは異なり、午後の天空塔内は比較的穏やかな時間を迎えていた。
 昼前頃にルードヴィッヒが早々に訪れてセクトルと個人訓練を行い、少し遅れてから儀仗隊訓練を終えたミゲルとノエが訪れて。
 午前の護衛訓練を終えた三人が引き継ぎを済ませて帰っていき、午後の三人に与えられた訓練はただひたすらの待機だった。
 モーティシアはアリアとアクセルと共に資料を仕分けしながら辺りにも気を配る。レイトルは相変わらずジュエル達に魔力操作を教えており、セクトルは今は天空塔を降りている。
 ミシェルも別任務で離れていたから、今は穏やかな時間なのだろう。
 午前中にマリオンに対して敵対行動を取ったミシェルは、都合良く訪れてくれたリナトから厳しい叱責を受けた。その後はマリオンに対して謝罪をしてくれたが、それでもジュエルにマリオンが近付くのを嫌がり、女性陣が気を使うはめに陥っていた。
 ミシェルが別任務で天空塔を離れた後にジュエルが泣き出しそうな表情で全員に改めて頭を下げていったことは、モーティシアでも見ていて胸が苦しくなった。
 ルードヴィッヒ達が訪れたのはさらにその後だったので、ミシェルが起こした問題の説明はせずにおいた。
 ルードヴィッヒたち三人は比較的優秀で実力も申し分無い為の待機訓練だ。
 護衛対象がいる室内で、壁に立ってひたすら護衛を離れた位置から見守る。
 もちろん立ち尽くしているだけで良いわけではない。
 離れている分、外部からの急襲などに即時対応しなければならないのだから。
 この訓練で最も辺りに気を配れていたのはルードヴィッヒだった。
 遠くからの小鳥の囀りひとつを取ってもしっかりと注視し、しかし護衛対象からも意識を離さない。
 天空塔に時折り蔓で窓辺に影を一瞬走らせるよう頼んでいたのだが、全てに反応出来ているのもルードヴィッヒだけだったから。
 レイトルもルードヴィッヒ達を気にしながらジュエル達を見ていたので、後で待機訓練の重要性などは説明されるだろう。
 アリアが他国語に混乱してそろそろ頭が回らなくなる頃合いでアクセルと目配せで合図し合い、レイトル達の元へ行かせて休憩を取らせた。
 モーティシアはもう少し仕分けと選抜を行おうと新たな医学書に手を伸ばした所で、天空塔の蔓が姿を表してモーティシアに困惑の合図を送ってきた。
「…私が行きましょう」
 レイトルとアクセルが立ち上がろうとするのを留めて、モーティシアは呼ばれるままに広間を出ていく。
 誰か上がれないはずの人物でも天空塔に訪れたのかと玄関へ向かえば、そこにいたのは。
「……ヴァルツ殿下?」
 天空塔が困惑しながらも迎え入れてしまったのはヴァルツで、確かに天空塔が彼を蔑ろに出来るはずがないと少し安堵してしまった。
 厄介な人物が上がってきたらモーティシアも困るからだ。
 ヴァルツも厄介といえば厄介な人物だが。
「どうされたのですか?こちらには今は」
「わかっておる!ニコルにどうしても聞きたいことがあってな。今は奥の部屋か?」
 問いかけながらも、ヴァルツは我が物顔で天空塔内の奥へと勝手に歩き始める。
「ヴァルツ殿下…少しお待ちいただけませんか?ニコルが今会える状況かはわからないのです」
「甘やかすな!私と会わぬなど国際問題だと脅すのだ!」
 どんどん先に進むヴァルツは先に広間にアリア達がいることに気付き、勝手に扉を開けてしまう。
「全員ここで訓練なのか!励むのだぞ!」
 言った後はとっとと扉を閉めて、また奥へと向かっていって。
「ヴァルツ様、少しお待ちください…勝手をされてはこちらも困ります。ミモザ様も心配されますよ?」
 ずんずん進む足を止める最後の手段として出した名前にも、ヴァルツは止まってはくれなかった。それどころか。
「…ミモザ達には知られたくない相談があるのだ」
 真剣な眼差しが、ことの重大さを伝えるようで。
「どうなさったのですか?」
「……薬草についてニコルに聞きたいことがある。重要なことだ。…だがコウェルズ達や…エル・フェアリアの者にはあまり知られたくない」
 ここはエル・フェアリアの中央部だというのに知られたくないなど矛盾が凄まじいが、モーティシアはヴァルツを止めることを諦めた。
 大国の王弟を止められるとは思っていないし、さすがにニコルも無害なヴァルツ相手に何かするとは思えなかったから。
「…こちらです」
 ニコルを探して深部をうろつこうとするヴァルツに案内を始め、最上階最深部に向かう。
「天空塔とは元々メディウム家の為の家だったのだろう?さっき政務棟に行ったが、ニコル達をここから下ろす相談もしていたぞ?」
「ご心配なく。そもそもここを拠点にする話し合いは進んでいましたので、このまま陣取り続ける予定です」
「うむぅ…私もここが気に入っておったのだが」
「殿下は今日のように勝手に上がり込んでくるでしょう」
 城内の様子を伝えたかったのか文句を言いたかったのかはわからないが放置して、ニコル達のいる部屋の前に到着して。
 ニコルとテューラの使う部屋には、今はマリオンも一緒にいるはずだ。
 午前中にミシェルに脅されたマリオン。
 その後はテューラと共にいることとなったが、今は何をしているのか。
 勝手に中に入ろうとするヴァルツに待つよう伝えて、部屋の扉を叩いた。
 数秒の後に顔を見せるのはニコルだ。
「…なんの用ーー」
「ニコル!元気にしておるか!?」
 呼び出す理由を問おうとしてくるニコルに、ヴァルツは空気も読まずに普段通りに話しかけた。
 窶れた顔が驚きに代わり、その後はヴァルツの姿に呆れたような顔をして。
 ニコルの一連の表情の変化に安堵する。
 ヴァルツのように無害ながらも行動力のある人物がいてくれた方が、もしかするとニコルも早く普段通りに戻れるかもしれないとすら思えた。
「…ヴァルツ殿下があなたに相談があると。時間を作れますか?」
 ニコルはモーティシアからの説明に一度だけ室内に目を向けて、そのままヴァルツとモーティシアに中に入るよう促した。
 ヴァルツは平気で中に入るが、モーティシアはさすがに驚いてしまう。
 コウェルズにはテューラを会わせようとしなかったというのに。
「…よろしいのですか?」
「……ああ」
 ニコルも少しは冷静な判断が出来るようになってきたのだろうか。
 モーティシアも室内に入れば、ヴァルツは無邪気にもテューラとマリオンに話しかけているところだった。
 二人は窓辺で談笑していた様子で、お茶とお菓子の組み合わせの中にいる姿は無垢で愛らしい。
 痩せ窶れたマリオンの為にテューラが食を摂らせてくれていたのだろうか。
 ヴァルツの自己紹介に驚く二人が慌てて深いお辞儀をして、それはラムタルの完璧な儀礼作法だった。
 高級遊女はここまで教え込まれているのかと驚きつつ、ニコルと共に三人に近付いて。
「ヴァルツ様、ご相談の相手はニコルのみでしょうか?」
「いや、本当に相談したい相手は別にいるのだがな、その者がニコルと知り合いだからニコルにも相談しておきたかったのだ。コウェルズ達に知らさないと約束できるなら、お前も一緒に私の相談に乗るのだ!」
 突然の来訪理由を知らないニコルにもわかるよう相談という言葉を使ったが、ヴァルツはモーティシアの予想の斜め上を掻っ攫っていった。まさか自分まで巻き込まれるとは、面倒でしかない。
「…私たち、露台に出ていましょうか?」
 状況が一番わからないはずのテューラが気を利かせてくれて、マリオンも頷いて。
「何を言う!こちらが露台で話すから、お前たちはここにいると良い!」
 我が物顔のヴァルツはモーティシアとニコルの腕を掴むと、さっさと露台に引っ張った。
 天空塔の露台は上空である為に風がきつくて、モーティシアの長い髪が一気に巻き上げられる。
「っ…ヴァルツ殿下、せめて別室で…」
「束ねろ!」
 髪を押さえながら乞うが、一言で押さえ込まれた。
「早速だがニコル、お前は薬草に長けていたな?」
 モーティシアを無視して相談を始めてしまうヴァルツに、ニコルは「はあ、」と不思議そうな返答をする。
 薬草について調べたかったのなら医師団に相談すれば良いのにと思い、ヴァルツはなるべくエル・フェアリア側に知られたくなかったことを思い出して。
「先ほど政務棟に行った時に侍女長と会ってな、カリューシャ地方を治める領主がコウェルズの王位継承式に合わせてこちらに来ると教えてもらったのだ。その者はお前が地方兵時代に世話になった者なのだろう?薬草について詳しく教えてほしいことがあるのだ」
 本題に入るヴァルツに、ニコルが固まっていた。
 思考が追いつかないが故の困惑などではなく、完全な硬直だ。
「ど…どうしたのだ?」
「……ニコル?大丈夫ですか?」
 誰の目にも明らかなほど固まられて、ヴァルツもさすがにたじろいでいて。
 狼狽えるヴァルツはそのままにしてニコルを心配するが、硬直は数秒ほどで解けてくれた。
「ベラドンナ・ルシアのことですか?」
 そしてニコルはその名を口にする。
 上位貴族十四家の中でも下七家に位置する女領主の名を。
「あ、ああ。その者だ」
「何故?」
 矢継ぎ早かの如く理由を問うものだから、ヴァルツがさらにたじろいでいた。
 その後で懐から小指のさらに半分ほどの大きさしかない木製の棒を取り出して、ヴァルツは己の魔力を注ぎ込む。
 そうすれば絡繰りが魔力に反応して形を変え、木の棒だったものは一枚の手紙へと変化した。
「私たちだけの秘密にしてほしい。大事にはしたくないのでな」
 念を押されながら手紙を渡されて、そこにはラムタル語の文章が書かれていて。
 モーティシアは当然読めるが、ニコルはどうなのか。不安になってちらりと視線を向けるが、眉を潜めてはいたがニコルも読んでいる様子を見せた。
 改めて手紙に目を向けて、書かれていた文に息をひそめる。
「……まさか」
 思わず否定するが、ヴァルツは首を横に降ってみせた。
「これがわが国なのだ。兄の力を以ってしても、まだ腐敗は残っておる…」
 手紙はおそらくヴァルツの忠臣からの報告だ。
「私は今回のコウェルズの王位継承式で初めて外交の指揮を取ることになったが……三日後に訪れるラムタル使節団の中に、私を害すものがいる」
 手紙には、何者かがヴァルツに服毒させるつもりの旨が書かれていた。
 その毒の症状は死に至るものではなく、傀儡にする為のものだ。
「兄の目の届かぬところで私を傀儡化して、兄を暗殺してから私を王に据えるつもりなのだろう」
 ヴァルツの表情は普段とは異なり、年齢よりもかなり歳を重ねて見せるようだった。
「この薬を無毒化できる別の薬を知りたい」
「服毒するつもりですか!?」
 ヴァルツが薬草に長けている者を探している理由に、モーティシアは叫んだ。
「捕らえたくても、ここにいたのではこちらが不利だ。助けを乞うてエル・フェアリアに借りを作りたくもないのでな。だから私は、個人的な仲間が欲しい」
 ヴァルツの望みに、モーティシアは首を横に振る。
「無謀すぎます!コウェルズ様に…周りに話すべき緊急事態なのですよ!」
「そんなことはわかっておる!…だが私はラムタルの王弟なのだ!」
 状況を理解した上で、助けてくれと大声では言えないと。
 ラムタルという大国のプライドを口にした訳ではないだろう。
 いまだに危険な状況下にあるラムタルを危惧してのことだ。
「……用意するべき薬草はわかります」
 そこへ、ニコルが手紙を持ったままボソリと呟いた。
「ニコル!」
「本当か!?」
 モーティシアは非難の為にその名を呼ぶが、ヴァルツの方が一枚上手でニコルの隣に張り付いて。
「ですが私では調合までは出来ません……あの人なら出来るでしょう」
 手紙には薬に使用される薬草の成分も細かく記されている。
「なるべく早く欲しいのだ!侍女長からは女領主がいつ頃到着するか伝達鳥を飛ばしてくれているが…」
「でしたら、返信が届き次第こちらからも伝達鳥を飛ばしましょう。用意できるところまでは用意しますので」
「助かる!お前は話のわかるやつだ!」
 ヴァルツは顔に安堵を浮かべながらニコルを見つめる。
「お前も、このことは絶対に誰にも漏らすでないぞ!」
 そしてモーティシアにも目を向けてきて、巻き込んでやったとばかりにニヤリと笑ってきて。
 つまりは薬草などの準備などはモーティシアにさせるということではないか。
「……本当にエル・フェアリアの力を借りないおつもりですか?」
「当然だ!」
 有利になったとばかりに自信満々に宣言するヴァルツにため息が溢れそうになる。
 ニコルも表情は険しいままだった。
「…わかりました。できる範囲で手伝わせていただきます。…しかし無理だと判断したら、すぐにコウェルズ様達に報告させていただきますよ」
「う……それはお前の判断基準でか?」
「当然です」
 そこは譲れないと、強く言い放つ。
 モーティシアも忙しい身だ。今の状況でラムタルの問題に振り回されたくもない。
 だがヴァルツを放っておくことも出来ないから。
「…まあ、それは仕方のないことだな。お前達が協力してくれることに感謝するぞ!上手く行った暁には、充分な褒美も用意してやろう!」
 モーティシアはともかく、今や王族と判明したニコルにも褒美などと。
 少し笑いそうになってから、異変に気付く。
 ヴァルツがあまりにもニコルに対して自然体すぎたから。
 彼なら、ニコルが王族であったことを遠慮もなくつついて質問攻めにしてきそうなのに。
「女領主からの連絡が届いたらまたこちらに来るからな!まだまだやらなければならんことが多いのだ!」
 忙しいとでも言い出しそうなヴァルツはさっさと室内に戻っていき、テューラとマリオンに言葉をかけてから部屋も飛び出して行ってしまう。
 その姿を見送って。
「……ヴァルツ様は…あなたが王族であったことをご存知だったのでは?」
 恐る恐る問い掛ければ、ニコルは静かに頷いた。
「…それでですか」
 あまりにも普段通りすぎたヴァルツに納得がいった。
 ニコルはモーティシアのため息にじっと見つめ返してくるから、その肩を慰めるように叩いて。
「準備するものを全て紙に書いたらすぐに知らせなさい。私が用意をしますから」
 巻き込まれたも同然だが、やるからには徹底的に。
 モーティシアの言葉にニコルも頷き返す。
 どこまで周りに隠して行動できるかはわからないが、バレたとしてもその時はその時だ。
 頭の中で今後の展開を新たに上書きしながら、モーティシアはニコルと共に室内へと戻っていった。

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