第110話
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コウェルズが戻ったことにより、多くの政務が加速度的に進んでいき、事案も次々に処理されていく。
後に回せるものは後へ、先に終わらせるべきは先へ。
今現在城内で最も優先されているのはコウェルズの王位継承式の準備で、特に諸外国からの参列者への対応や準備を任されている者達の忙しさは他の比ではなかった。
コウェルズが剣武大会で王位継承宣言をしてくれたお陰で外遊の必要が無くなったことだけは誰もが胸を撫で下ろしている。
政務棟内は時間の進むスピードが異常なほど早く感じられて、皆が一分一秒を惜しんで職務に当たっているのだとわかった。
そんな中を。
「……はぁ」
ため息を吐いたのはビアンカだった。
呼び出しを受けて政務塔に訪れていたのだが、いくつかの職務の進捗報告と新たな仕事を与えられ、最後に苦しい命令を受けた。
ため息は命令の内容が吐かせたものだ。
各国から訪れる訪問者達を手厚く持て成せるよう準備を行うのは侍女達の職務なので余裕を持って予め準備は出来ていたし、新たな仕事も全て予想の範囲内だったので余裕がある。
耳が痛くなったのは治癒魔術師アリアを襲ったガブリエル達の件だったが、本来ならビアンカも相応の罰を受けるはずが今までの功績のお陰で不問となった。
たった三年で腐敗の進んでいた侍女職を立て直したビアンカの功績はしっかり評価してもらえていたのだ。
ただ、その不問を盾にするように、ビアンカ個人に「頼み事」と称した命令が下された。
聞き入れるには苦しすぎて、しかしビアンカには断ることも出来なかった。
断るには今回の治癒魔術師暴行被害は大きすぎたのだ。
三人の侍女達は既に赤子袋として連れて行かれている。
ガブリエルも傷が完全に閉じ次第だろう。
赤子袋。
女の尊厳を奪う刑罰。処刑と変わらないほどの。
魔力を持つ子供を死ぬまで孕まされ続ける彼女達は、王城を出される最後にビアンカに慈悲を請うた。
いずれもガブリエルの権力を傘に着て横柄な態度を取るようになっていた侍女達だ。三年前にビアンカが新たな侍女長となった時にも、ずっと反発を続けていた。
そんな彼女達に泣き縋られた時、ビアンカは自分自身が恐ろしく思えるほど冷たい声を発していた。
ーーせめて、国の為に仕えろ
自分からそんな声が出るなんて思わなかった。
そしてその言葉が、自分にも返ってきたのだ。
改めて「頼み事」を思い出してしまい、またため息が深くこぼれた。
「…なんだ?侍女長にしては珍しく落ち込んだ顔をしておるではないか」
気を取り直す事もできないまま政務棟を後にしようと歩くビアンカに話しかけてきたのは、ラムタル王弟のヴァルツだった。
護衛も付けずに気楽な足取りでこちらに歩いてくるヴァルツへと深く頭を下げて、その間に落ち込んだ表情を消して。
「何かあったのか?」
「殿下のお気になさることではございませんわ」
「その言い方だと余計に気になるではないか…」
ここへ来てからまた身長が伸びたらしいヴァルツの顔を見ながら微笑めば、向こうは不満そうに唇を尖らせている。
今はおそらくヒールを履いたミモザよりも背は高くなっているだろう。
侍女達がタケノコとあだ名を付けていたことを思い出してしまい、少し頬が揺れた。
ヴァルツの礼服なども今は全てエル・フェアリアで用意している状況なので笑い事ではないのだが。
「殿下はこちらに何の御用で?」
「おお、実は少し相談に乗ってくれる人物を探していたのだ」
「…相談、ですか?」
何でもかんでも好き勝手に進めていくヴァルツにしては珍しいと思いながらも、その相談相手を探す為に政務棟に訪れていることに少し緊張する。
「どなたを?」
「政務官ではない者で、薬草に長けている高位の者だ」
相談相手がはっきりと決まっている訳ではなさそうだったが、漠然ともしていなかった。
「薬草ですか?医師団ではいけないのでしょうか?」
「あ奴らは何でもかんでもコウェルズに報告するだろう…出来ればコウェルズの力は借りたくないのだ」
つまりは、国を絡めない人物を探しているということだろうか。
ヴァルツがどんな理由でまだ見ぬ相談相手を探しているのかはわからないが、心当たりは一人だけいた。
「…あと数日ほどでカリューシャ地方の女性領主が来られますが、その方はたしか薬草にかなり長けているとお聞きしましたよ?」
「何!?ほんとうか!?」
情報提供にヴァルツが嬉しそうに目を輝かせてくる。
「はい。普段は領主会合を親戚筋の方に任せて王都まで来られないのですが、今回はコウェルズ様の王位継承式とクレア様の出発式という重要な式典ですので、数年ぶりに王城に」
「カリューシャ地方の女領主…たしかニコルが地方兵だった時に面倒を見てやっていた貴族だな」
情報に長けたヴァルツも知っている様子でニコルの名前を出すものだから、ビアンカは数年前を少しだけ思い出してしまった。
その女性領主は大戦時代の戦火が今も燻るエル・フェアリア辺境の領土を守る為に王城に訪れることなどほとんどなかったのだが、ニコルが騎士団入りした年は珍しくも会合に姿を現したのだ。
妖艶な女性だと思った。
若くはなかったが、苦労の数だけ美しさが増したかのような、憂いを帯びた目の離せない女性。
彼女を初めて見る者も多く、一夜の誘いをかけていた領主達も数名いた。
その女性が、数年ぶりに。
薬草に長けているとは彼女本人が口にしていたことだが、当時の医師団長が彼女の説明にメモを取っていた姿を見ているので知識は確実だろう。
「その領主がいつ頃到着するのか、わかっておるのか?」
「申し訳ございませんが、大まかにしか。今日中に伝達鳥を飛ばし、到着予定日とその後に殿下との謁見の場に出るようお伝えいたしましょうか?」
「うむ。そうしてくれ!せっかくだからニコルにも何とか会ってみるとしよう!」
ニコルも薬草に長けているから、と意気揚々と政務棟を出ようとするヴァルツに慌ててしまった。
「今は天空塔へは…」
「わかっておる!だがこちらにも猶予があまり無いのだ。では女領主の件は頼んだぞ!結果などは伝達鳥を飛ばしてくれ!」
いそいそと駆け足で離れていくヴァルツに、先ほどとは別のため息がこぼれた。
ヴァルツなら天空塔に上がっても万が一にも傷付けられることはないと信じたいが、一応こちらの報告も城内に通達しておかなければ。
しかしお陰で沈んでいた気分が紛れてくれた。
忙しいことが有り難い。そちらに没頭できればきっと、苦しい選択に傷付く心も紛れさせることが出来るだろうから。
ヴァルツからの頼まれ事を済ませる為にビアンカも政務棟を後にしようとして。
「ーーああ、こちらに居られましたか、侍女長よ」
聞きたくない声に、ギクリと肩が強張った。
先ほどビアンカに「頼み事」をしてきた政務高官の声。
恐る恐る振り返れば。
「いやいや、実はあの後に彼を呼びましてな。ちょうど手が空いていたらしく、すぐに来てくれたのですよ」
初老の政務高官の後ろに着いて歩いていた騎士と、はっきりと目が合った。
「…………ジャック、様…」
思わず呟く、かつて恋人だった男の名前。
ジャックも呼ばれた先でビアンカに出会うなどと驚いた顔をしていた。
「ジャック殿にはまだあの件は話してはいないのですがね、こればかりはさすがに“個人の尊重”というものでもありますから。…侍女長、私はまだ仕事もありますので、彼への説明をお願い出来ますかな」
温和な笑顔の中に潜む、有無を言わせない声。
政務高官という者の名を借りた、国の言葉。
「…あの、いったい……」
「いやいや、ジャック殿は何もお気になさるな!後は彼女に任せますから、どこかでゆっくりしながら二人でお話なさるといい!」
初老の高官は微笑みを崩さないまま最後にビアンカに鋭い目配せを行い、自分には仕事があるとさっさと離れて行ってしまった。
後に残されたジャックが狼狽えるように高官の背中とビアンカを交互に見てくる。
「…ビアンカ……何なんだ?」
「……先に仕事を済まさせて。ヴァルツ殿下から頼まれ事なの」
こうまで絡められてしまっては、もはやビアンカには逃げられない。
戸惑うジャックに付いてくるか、どこかで待つかを問えば、彼は理由は聞かずに静かに付いてきた。
二人で政務棟を抜けて伝達鳥のいる小屋まで進む。
そしてヴァルツからの頼まれ事を済ませて、説明の為に城内の人気の少ない応接室へ向かった。
その間、少なかろうとも人の目は確実に存在していて。
それすら高官の予想通りなのだろうと、ため息は重く落ちた。
今現在ビアンカとジャックには噂が立っており、二人で行動するなどその噂を肯定するようなもので。
昼過ぎにしては静かすぎる応接室の中で、ジャックを椅子へと促して、自分もその向かいに座った。
「…どうしたんだよ」
警戒しながらも彼の声は優しい。
優しいが、ずるい人だ。
ジャックがダニエルと共に行っている任務は、主に騎士達の訓練に絞られていた。
リーン姫の護衛として戻った二人。
しかし守るべき姫がいない為に、その力を騎士達の育成に回しているのだ。
護衛騎士候補となった騎士達を中心に訓練を課していて、他にも優秀な騎士達も見ているとか。
大会期間はラムタルにいたというのに、エル・フェアリアに戻ってからはすぐに騎士達の個々の調整に入っていた。
「ビアンカ?」
黙り込むビアンカに、ジャックはどこまでも優しい。
ずるい優しさだ。
この人はビアンカとの間に流れている噂を直接訊ねられても否定せずにいるから。
ビアンカは侍女達に訊ねられた時はしっかり否定してきた。
なのに、彼は。
だからこそ高官達も「頼み事」と称した命令を行ったのだろう。
「……あなた、私のことがまだ好きなの?」
説明は後回しにして、今の彼の気持ちを訊ねる。
突然の問いかけにジャックは完全に固まって、そのまま返答まで忘れてしまっていた。
「…まだ好きでいるなら……もう一度付き合わない?」
返事を待たないまま、次の質問を。
しかしその言葉を伝えた後のジャックは、凄まじく不愉快そうに眉を顰めてきた。
「…とりあえず説明しろ」
冗談でもお前がそんなことを言うはずがない、と。
久しぶりに聞いた怒りの声だった。
「コウェルズ様の王位継承式に合わせて諸外国の方々が来られるでしょう?その時に、アギーラ国の第三王女も訪れることになっているの」
「…アギーラの?第三王女なら確か他国に嫁いでたはずだろ」
エル・フェアリアとは隣接しておらず、さらに少し離れた場所にある小国アギーラ。
その第三王女は現在二十代後半だ。
「離婚して国に戻って来られたのよ。婚家で相当苦しめられたそうなの」
「……それを何で今話すんだ?」
「………っ」
話しを続けようとして、喉に何かが引っかかるように声が出なかった。
それでも懸命に自分の気持ちを押さえつけて。
「…第三王女様は…次の結婚相手にスカイ様を切望されているのよ」
なるべく冷静に話そうとしたのに、声は不自然に掠れてしまった。
そこでようやく自分とスカイの関係をジャックが知らなかったことを思い出し、顔を上げて彼を見るが。
「…聞いた。お前ら、付き合ってたんだってな」
知っている、と。
「あいつもかなり一途な奴だからな…お前と別れた後も、忘れられずに引きずってるってことか。…それでアギーラから婚姻の要望があったから、スカイにお前を諦めさせる為に俺と付き合うよう命令されたってところか」
話の流れがわかったと、ジャックは頭を掻く。
「アギーラなんて小国、エル・フェアリアには何の利益にもならないんじゃないのか?」
「そうでもないわ。第三王女様は魔力値が高いの。スカイ様も国の管理下に置かれるくらいの魔力は持っているから…次代が欲しいのでしょうね。それにアギーラからは、婚姻を了承するなら貿易路の斡旋もする、と言われたそうよ」
たかが第三王女一人の再婚の為にそこまで。
エル・フェアリアとしては貿易路の斡旋程度に何のメリットもデメリットも無いだろう。だがいまだに独身を貫く優秀な魔力持ちに関しては話が別なのだ。
「…なんでスカイなんだ?」
「まだ第三王女が結婚する前、一度エル・フェアリアに遊学で数ヶ月間王城に滞在していて…その頃に護衛に付いていた騎士の一人がスカイ様だったそうよ」
その頃に恋心を秘めた王女は、結婚と共に恋を過去のものとした。しかし婚家で深く傷付けられて戻ってきた彼女は、いまだにスカイが独身でいることを知った。
アギーラからの打診はエル・フェアリアにとっても朗報だったはずだ。だがスカイはどうなのか。
スカイが今もビアンカを思っていることはわかっている。
休日に城下町に出るだけでも男の気配の有無を調べられていることにも気付いている。
彼は一途だ。重いと感じるほどに。
しかしその重さが心地良かった。
気味が悪いと全く思わなかったのは、ビアンカもまだスカイを思っているからだ。
互いにまだ気持ちがあるのに、ビアンカはスカイよりも侍女職を選んだ。ビアンカもスカイに限り、愛が重い方だった。しかし心は分離していて、まだ腐敗の深く残る侍女の世界を変えたい気持ちも強くて。
彼を思うと仕事が手に付かなくなる。それが嫌で別れた。
最低の別れ方をした。
結婚を望んでいたスカイを、その気持ちを持ち上げるだけ持ち上げてから逃げたのだから。
「…ねえ、振りだけで構わないの。……もう一度、付き合いましょう?」
ジャックの顔を見ることが出来なくて、俯いたまま再度訊ねた。
自分が今どれほど最低なことをしているかわかっているから。
自分を思ってくれているスカイに気持ちを諦めさせる為に、同じく自分を思ってくれているジャックの気持ちを利用するのだから。
「…スカイより侍女のままでいることを選ぶってことだな」
選ばれたのはジャックではなく侍女職だと。
笑いも怒りもせずに、ジャックは問いかける。
自分勝手にもほどがあるが、言葉として答えられなかった。
俯いたまま黙り込むビアンカに、重いため息が聞こえてきた。
「…俺とまた付き合うなら、振りだけなんて許さねえぞ」
望んだのはお前だ、と。
顔を上げれば、ジャックの眼差しは熱いほどビアンカを見つめている。
「お前を抱く。……それでもいいんだな?」
その言葉に、全身がズン、と重くなった。
身体が強張るのがわかる。
それでも、スカイにビアンカを諦めさせる為には必要だろう。
国が動いたのだ。
高官達が「頼み事」と称して、治癒魔術師暴行被害を盾にビアンカに罪を償えと指差すほどに。
「…構わないわ」
諦めたようにまた俯く。
ジャックのこともかつては愛していたはずなのに。
「……あいつにお前を諦めさせる為なら…国が絡んでるなら早い方がいいだろ。今晩は二人で城を出るぞ」
顔を上げられないビアンカに、立ち上がるジャックは応接室を出る為に扉まで歩きながら約束を取り付ける。
「居住扉まで迎えに行く。仕事片付いたらそこにいろ」
わざわざ侍女達がいる場所で待ち合わせるなど。
無意識に唇を噛んでしまい、その仕草すら滑稽で、自分自身が情けなくなった。
付き合っていた若い頃のジャックではもうないのだ。
以前の彼は、嫌なことはしないでいてくれた。ビアンカが気分を理由に嫌がれば、抱きしめるだけに留めてくれた。
今はもう違うだろう。
そうさせたのもビアンカなのだ。
ジャックの気持ちを知りながら、弄ぶような提案をしたのだから。
「……逃げんなよ」
冷たい声を残して、ジャックは先に応接室を出た。
静かな空間に一人残されて、我慢していた涙が溢れていく。
その涙すら馬鹿馬鹿しくて、膝に肘をついて頭を抱えるように項垂れた。
自分の罪を理解している。
侍女長として侍女達を管理できなかった。
部外者の侵入を許し、そこでは丸一日、連れ込まれた遊女が凄まじい暴行を受けていた。
治癒魔術師アリアと侍女のジャスミンも巻き込まれて、ジャスミンは心を壊して辞職を選んだ。
アリアの精神面も脆くなっていると医師団からは聞かされている。
全て、ビアンカの管理が行き届いていたなら食い止められたのに。
侍女長となって三年が過ぎて、手酷い嫌がらせには耐えてきた。
今回ばかりは心が挫けそうになる。
今はまだ職務中で、やらなければならないことはまだ残っているのに。
身動きできないほど全身が重くて、ビアンカは涙が枯れるまで頭を抱え続けることしか出来なかった。
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