第110話
第110話
「ーー兄さん!!」
王城中庭の一角を大きな荷物を持って歩いていたガウェは、後ろから大声で呼んでくるルードヴィッヒに気付いて足を止めた。
この城でガウェを兄と呼び慕ってくれるのはルードヴィッヒくらいのもので、振り向けば嬉しそうに笑いながら走ってくる姿が遠くからあって。
「あ…ガウェ殿、任務中ですか?」
到着したルードヴィッヒは慌てながらも呼び方を正してくるものだから、この生真面目さは少し可愛かった。
「今は兄でかまわない。それより足を痛めたのか?」
走ってくる姿に違和感を覚えたので訊ねれば、突然頬が緩み始めた。
「いえ!…実は成長痛がようやく来たみたいで」
嬉しそうな理由は身長に繋がるからの様子で、ガウェも少し笑ってしまう。
一般的な成長痛からは遅いかもしれないが、ガウェも身長が一気に伸びたのは遅い頃だった。
身長を気にしていたルードヴィッヒにとってはかなり嬉しいことだろう。
そして近付いて来たことで、ようやくその顔にも違和感を覚える。
ほんの少しだが。
「…化粧か?」
「あ…わかりますか?…実は、教えていただきたくて……」
最近は大声ばかりとなっていたルードヴィッヒの珍しい小声に、気恥ずかしさと不安の強さを知る。
女顔の綺麗な顔に、ほんの少しだけ見慣れない色が乗っているのだ。
ルードヴィッヒはラムタルで何があって化粧を始めたのかを教えてくれて、ガウェは懐かしい名前が出てきたことに少しだけ過去を思い出してしまった。
リーン姫達と共に向かったラムタルで何故かマオット家の長女ドロシーと化粧勝負をすることになって、判断基準が何だったのかいまだに謎だが勝ったのだ。
その時にマオット家の長男イデュオとも仲良くなり、男らしく見える化粧も教えてはいたが。
まさかその二人がルードヴィッヒに化粧を教えたとは。
教えたとは言ってもルードヴィッヒは今も基礎すらきちんと理解出来ていない様子で、かなり不安そうにしていた。
「今日は今から任務か?」
「はい。天空塔に登って、夕方まで。それ以降はもう何もありませんが」
ルードヴィッヒ達が警備と並行して治癒魔術師候補達の護衛隊に昇格したことは知っていたが、昇格とはいっても今はまだ護衛候補の訓練の延長でしかないので、任務時間は短いはずだ。
それでも時間は限られていた。
ガウェももうじき黄都に戻るのだから。
コウェルズの王位継承式とクレアの出発式の後はガウェも騎士団を退団して黄都領主一本になる。
ルードヴィッヒもそれをわかっているのだろう。普段ならガウェの邪魔にならないよう遠慮ばかりする従兄弟は、切実にこちらを見つめていた。
「…なら夕食後に俺の部屋に来い。今はニコルもいないし、化粧も含めて護衛に必要な要素や訓練を教えてやる」
「…部屋に?……本当ですか?」
そこまでしてもらえるとは思っていなかったと驚きの表情を浮かべるルードヴィッヒだが、すぐに嬉しそうな顔になって。
「俺もお前に、教えられることは教えておきたいからな」
王城で会える時間は残り少ないのだと暗に告げれば、ルードヴィッヒの表情が寂しげに曇った。
いくら従兄弟とはいえ、これからは会える頻度が格段に減ってしまう。
ルードヴィッヒは天才的な才能があるというのに未熟さが強く、教えてやりたいことは山ほどあった。
もう少しルードヴィッヒにも時間を使ってやればよかったと少しだけ後悔してしまいそうだ。
その後悔を増やさない為にも、教えてやれることは全て。
「では天空塔でニコル殿に会えたら、入室することを伝えておきます!」
「別に構わないだろう。それよりもしばらくは関わらず放っておけ。何が引き金になるかわからない状況だからな」
同室だったからこそガウェは他の仲間達よりもニコルを理解しているつもりでいる。
しかし、と困惑するルードヴィッヒの頭を叩くように撫でながら、放っておくように念を押した。
たかが話しかけられただけで何か起きるとは思っていないが、きっかけには成りかねない。
些細なことだったとしても、ルードヴィッヒが危険に巻き込まれるのは避けたかった。
「では…夕食を済ませたら伺います!」
「待っている」
会話はここまでだと思っていれば、ルードヴィッヒの視線はふと下方に降りた。
「兄さん、そちらは?」
訊ねられるのは、ガウェが持つ黒い大きめの鞄だ。
「……黄都に戻る準備用の鞄だ」
無意識にルードヴィッヒの視線から離そうとしてしまうが、その手の動きを何とか止める。
「…そうなんですか」
納得のいっていない様子の返事をされるが、ルードヴィッヒ自身もあまりよくは理解していなさそうだった。
何かが気になるのだろう。
その何かに気付かせたくはない。
「…モーティシアは訓練が厳しいと聞いたぞ。早めに行って自主訓練を始めるのもいいんじゃないか?」
「あ!そうですね!!行ってきます!!ではまた夕食後に!!」
ハッと我に返るルードヴィッヒは、そのまま慌てたように走り去ってしまった。
鞄のことも頭から吹き飛んだ様子で安心して、ルードヴィッヒの背中を見守った後に黒い鞄へと目を落として。
「……」
ルードヴィッヒは以前、誰も気付かなかったパージャの気配に気付いた。
ラムタルでも同じようにパージャの気配を察したらしく、この鞄をあまり探られたくはなかった。
これは、ガウェがリーンを取り戻すのに必要なものだから。
「……もうしばらく我慢してくれ」
鞄に話しかけても、何の返事もあるはずがない。
しかしルードヴィッヒが部屋に来ることになったので、置き場所を考え直さなければならない。
捕らえているエレッテの足を特殊な魔力を込めた鞄で運びながら、ガウェは来た道を静かに戻っていった。
-----