第108話
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「もう帰ったんですね」
手すりから身を乗り出して下を見ていたアリアが、露台に降り立ったコウェルズとセクトルを見てポツリと呟いた。
レイトルも見下ろせば、下ではセクトルだけがこちらを見上げて。
下からはこちらは見えないようで、手を振るアリアに気付くことはなくコウェルズと待機の騎士達と共に王城に入っていった。
「どうしてセクトルさんなんでしょう?」
「モーティシアは連れて来た女性に諸々の説明があるからじゃないかな」
朝から晩まで動き回っていたモーティシアに代われるのは、今はセクトルしかいない。
トリッシュもいなくなってしまい、アクセルもまだ戻らないから。
「……大変な一日でしたね」
ぽつりと呟いたアリアは、不安を解消したいのかレイトル腕に身を寄せてきた。
「…そうだね」
寄せてきた身体を後ろからそっと包み込むように腕の中に閉じ込めれば、見えなくなってしまった顔が嬉しそうに微笑む様子を感じ取る。
今日は本当に朝から大変な一日だった。
護衛候補の若騎士達とジュエルを含めた治癒魔術師候補の侍女達が上がってくるのは聞かされていたが、呼ばれてもいないミシェルまで訪れたのだ。
姫付きの証である手袋を外した状態で。
ジュエルの護衛騎士に手を挙げたミシェルは、要望が通らないならジュエルと共に城を出るとまで言い切った。
その言葉に一番驚いていたのはジュエルだった。
その後訪れたコウェルズとクルーガーに自ら改めて説明をして、教官として若騎士達の指導も行うと口にして。
クルーガーはその勝手に怒っていたが、コウェルズは考える素振りを見せ、モーティシア達に問うた。
教官となる者の人員は今の時点で本当に足りているのかと。
元々六人いた治癒魔術師護衛部隊。ニコルは抜けたも同然で、トリッシュもいない。レイトルが主になって若騎士達に指導を行う予定ではあったが、そのレイトルからアリアが離れたがらない。
企画書通りには進まない可能性を問われ、モーティシアは口を閉じた。
人の育成など長い目で見なければならない事案だが、それは教える立場が充実してこそ。
そして九人もいる未熟な騎士達を、コウェルズは早々に使い物になるようにしたいと言った。
モーティシアが提出した資料以上の成果を求められたのだ。
その場合、ミシェルは必要か。
必要に決まっていた。
「……レイトルさん」
物思いに耽ってしまったレイトルへと、アリアは身体をくるりと回転させて見つめてくる。
そのままギュっと抱きしめられて、温もりが先ほど以上に伝わってくる。
不安そうな声は、今後を考えた結果なのだろう。
どんな形にせよ、ミシェルがガブリエルを大切に思っていたことがわかった以上、ニコルにどんな感情を抱いているのかわからない。
だからこそジュエルの護衛に名乗り出たのだろうが、単純にジュエルを守る為だけという眼差しではなかった。
雄々しくも温厚で落ち着いた雰囲気を持っていたミシェルの眼差しは、まるで闇に染まってしまったかのようだったから。
「最上階には君の護衛部隊以外の騎士達は上がらないことで決まったんだし、私が傍にいるから…」
だから、安心して、と。
「…………はい」
弱々しい声がさらにレイトルの耳に染み渡り、アリアの不安は消えていないと理解した。
ミシェルの暗い眼差しは、何度もアリアに向けられたからだ。
それは天空塔上での集まりにニコルが参加しなかったからなのか、それともアリアに何かしらの感情を持つからなのか。
ジュエルの隣に立ちながら、ジュエルには優しい作り笑顔を浮かべながら。
隠しきれない眼差しは、何度もアリアを怯えさせた。
クルーガーは勝手を行ったミシェルへと罰を与えはしたが、結局はコウェルズに従い、ミシェルは護衛候補達の教官の座を手に入れることとなった。
与えられた罰は、護衛候補達が抜けた穴埋めとしての警備周りだ。
本来ならば王族付きが行うものではない任務。
特にプライドの高い上位騎士ならば、若騎士達の代わりに警備に立つなど屈辱ですらあるだろう。
それでもミシェルは頷いた。
その後大広間へと移った後はレイトルはジュエルを含めた三人の侍女と共にアリアと今後の治癒魔術師育成についての説明を行い、離れた場所で若騎士達とミシェルはセクトルとクルーガーから説明を受けていた。
三人の侍女達には上階に部屋が割り当てられることとなったが、話し合いの結果として個室は無くなり、三人とも同じ部屋に決まった。
これは三人がニコルに怯えた結果でもあった。
ガブリエルとその手下の侍女達がアリア達に何をして、ニコルにどんな報復を受けたかは聞かされたとしても。
まだ若いジュエル達にはニコルは恐怖の対象となってしまっていたのだ。特にジュエルは姉の凄惨な姿に気絶するほどだった。
アリアにも深い負い目を感じるような眼差しを何度も向けており、唯一成人を迎えていない彼女の精神面にも気を向けなければならないことにレイトルはモーティシアと共にため息を吐いてしまった。
治癒魔術師育成の訓練としてまず侍女達が行うべきことは魔力の繊細な操作力を高めることだったのでレイトルが主軸となって教えることとなり、アリアはミモザに命じられていた指南書作りを優先することとなり。
明日になればアクセルが戻ってくると伝えられて安堵したのは、アリアの指南書作成にアクセルを手伝わせられるからだろう。
若騎士達の方は三人一組の三チームを作り、夜を飛ばした朝昼での交代での護衛任務となった。護衛時間以外は下で訓練やその他の任務を行うが、遠目から見てもセクトルが苛立っていたのはミシェルの干渉が原因だろう。
どう干渉されたのかまでは聞いていないが、本来予定していた訓練内容に何かしらの口を挟まれたのだろうと察した。
セクトルは元々第三姫クレアの姫付きで、ミシェルは第一姫ミモザの姫付きだった。
泥臭かろうとも己を鍛え上げることを主としたセクトルと何より高潔であることを重んじたミシェルでは、考え方は正反対のはずだから。
最初からグダグダになりそうな状況にモーティシアは頭を抱えていたが、それでも何とか纏めることが出来たのは途中でクルーガーが戻ってきてくれたからだろう。
忙しいだろうに、新設された部隊にわざわざ会いに来てくれて、毎回ではないが各部隊長も助言の為に来てくれることにもなって。
もうしばらく日にちは掛かってしまうが近日中にビデンス・ハイドランジアも訪れてくれるはずで、それまでに何とか形は作っておきたいと誰もが心の中に思ったことだろう。
「レイトルさん…兄さん達に会いに行っちゃ、ダメですか?」
ひとしきりレイトルを堪能したアリアが再び視線を合わせてきて、少し不安そうに訊ねてきて。
異例の呼び出しを受けて天空塔に訪れたマリオンという女性に会いたいのだろうと思い、レイトルは少し考えてしまった。
明日からその女性とも顔を合わせることになるだろうが、一抹の不安は消えなくて。
その不安とは何なのか。
ふと自分自身に訊ねて、同時にビデンスの言葉も思い出した。
ニコルの恋人が遊女だと知った時、レイトルは無意識にテューラを蔑んだのだ。
その感情を恥じるように。
「…そうだね。私達から挨拶に行こうか」
同意すれば、アリアはホッと胸を撫で下ろした。
もしかしたらレイトルの中にあったその感情にアリアも気付いていたから、不安そうに訊ねてきたのだろうか。
今のままではいけない。
そう自分自身の心に言い聞かせて、レイトルはアリアの背中を押しながら塔内へと戻った。
まずは会って、そして話して。
人を見ないまま相手を決めつけるなど、ビデンス・ハイドランジアが訪れるまでには止めなければ。
「寒くない?」
「平気ですよ。レイトルさんの方が寒そう。もう少し温めた方がよかったですか?」
「…寒冷地出身が初めて羨ましく思ったよ」
アリアが抱きついてくれたのは温めてくれる為だったのかと、寒いと感じていた自分が少し恥ずかしくなってしまった。
空いた時間を見つけたら改めてトレーニングを増やそう。
そう思いながら、ニコル達がいるだろう最上階最奥へと、手を繋ぎながら向かっていった。
第8話 終
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