第108話


第108話

 招集を受けた時、ルードヴィッヒは新たな段階に進めることを心の底から喜ぶと同時に、大切な恋人の側にいられないだろう今後に不安も感じた。
 王族付き候補達に天空塔下に集まるよう指示が来たのは昨日だった。
 現段階で候補達は三十名ほどに増えているが、その中から初期組となる九名のみ呼び出されたのだ。
 一番に到着しようと呼び出しよりかなり早く部屋を出て、早朝警備の騎士に深い一礼をしてから王城を上がって。
 天空塔へ向かう為の露台にたどり着いた時、自分より早く露台に待機していた一人の侍女に胸は高鳴った。
 大会が開かれたラムタルで彼女への思いを自覚して、両思いだと発覚した、幼馴染みの可愛い女の子。
「ーージュエル!!」
 恋人の名前を呼んで、すぐに駆け寄った。
「ジュエル、どうしてここに?」
「…おはようございます」
「あ……おはよう…ございます」
 呆れたような冷めた表情で朝の挨拶をされて、ギクリとしながら挨拶を返した。
「……どうして君がここに?」
 改めて問いかければ、ジュエルの表情は少し曇った。
 その表情は前より少しマシになってはいるが、それでも精神的な疲れが色濃く残っている。
 ラムタルから戻った日、ジュエルは誰への挨拶も行わずに姉の元へ向かった。
 ルードヴィッヒはジュエルを心配して追いかけた。
 ラムタルからエル・フェアリアへと戻る船内で聞かされたのは、ジュエルの姉であるガブリエル・ガードナーロッドがアリアを含めた数人の女性を男達に襲わせ、怒り狂ったニコルに深手を負わされたというものだった。
 死者も出るほどの事件。ガブリエルは死こそ免れたが、予断を許さない状況にあると。
 エル・フェアリアに到着してすぐに姉のいる王城内の治療室へと向かったジュエルを追って、共にガブリエルに会って。
 血に塗れた包帯姿の姉を見て、ジュエルは気を失った。
 後ろにいたルードヴィッヒが何とか支えたが、ガブリエルに付きっきりで治療室にいたミシェルにジュエルを奪われて、それから今まで会えていなかったのだ。
「……コウェルズ様から直々に任務をいただきましたの。…あなたは治癒魔術師候補達の護衛部隊に配属されるのでしょう?私も治癒魔術師候補としてアリアさんから治癒魔術の訓練を受けることに決まりましたわ」
「え…」
 視線を露台から見える下の景色に戻しながら、ジュエルはなぜ自分がここにいるのかを教えてくれる。
「そんな、待って……天空塔にはニコル殿が…」
 今現在、ニコルを取り巻く城内の状況は凄まじく危険なのに。
 ニコルが王族であることが発覚したことよりも重要なことは、ジュエルがガブリエルの妹であることだ。
 ルードヴィッヒは包帯越しとはいえガブリエルの顔の下半分が崩れている姿を見てしまったのだ。
 顔の形を保っていなかった。
 紫都と藍都、隣り合う都市なので幼少期からガブリエルとは交流もあった。
 親しかったのだ。
 その人が、ひと目見ただけでは人と思えないほどの顔になってしまった。
 ガブリエルがアリアに何をしようとしたのかは聞かされたし、ニコルに何をされたのかも聞いた。
 もしその火の粉がジュエルに降りかかってしまったら。
「……ニコル殿は君が育成枠にいることを知ってるのか?」
「当然知っていらっしゃいますでしょう」
 こちらに目を向けずに、淡々と返してくる。
 しかし小さな手は強張り、恐れが強いことを示していた。
「…危険だ」
「かもしれませんわね」
「他人事じゃないんだぞ!!」
「大きな声を出さないで!!」
 ようやくこちらを睨みつけてくるジュエルの瞳は、普段より格段に弱々しい。
「…元々コウェルズ様には、治癒魔術師を目指したいと伝えていたのです。…その時は誠意が見えないと却下されましたが、選んでいただけたのなら光栄ですわ!」
 肩を震わせながら、怖がりながら言う言葉ではない。
 今の言葉が本当だったとしても、それはジュエルが危険に晒される状況下の話ではないはずだ。
「何かあったら…」
 ルードヴィッヒの知るニコルは野生的すぎるほど男前で、護衛騎士としても優秀だった。
 しかし今はわからない。
 王族だったとは今回発覚するより前に知ったことだ。
 ラムタルに出発する前に起きたファントムとの戦闘時に。
 人を殺した事もあるだろうとも聞かされていた。
 大戦時の戦火がいまだに燻る戦線に地方兵として立っていたから。
 それでも、ガブリエルの顔をあんな風に潰せるなんて思いもしなかった。
 もしジュエルにその牙が向いてしまったら。
「……その時の為の護衛部隊なのでしょう?守ってくださると信じていますわ」
 不安に拳を握り締めたルードヴィッヒへと、ジュエルは弱々しく微笑みかけた。
 万が一の時に守る為の護衛。
 それも、王城騎士団として最も誇り高い護衛騎士なのだろうと。
 今はまだ見習いだったとしても。
 健気な笑顔を見せてくれたジュエルに近付いて、その小さな手を半ば強引に握りしめる。
「あ、ああ!君は私が絶対に守る!」
 少しだけ驚くジュエルだが、怖がりも怒りも離れもせずに手を取られたまま見上げてくれて。
「…ジュエル………本当に、いつでも私を頼ってほしい…私と君はーー」
「ーー早いな、ルードヴィッヒ」
 恋人なのだからと、そう伝えるより先に第三者の声が突然聞こえてきて、パッとジュエルの手がルードヴィッヒから逃げた。
 露台に繋がる扉側に目を向ければ、そこには候補仲間が。
「…ミゲル」
「……お初にお目にかかります、ジュエル嬢。私はミゲル・カーザットと申します。…失礼ですが、なぜ貴女がここに?」
 ルードヴィッヒより一年歳上なだけの、仲間でありライバルでもある騎士、ミゲル。
 露台に訪れつつ爽やかな笑顔を浮かべながらも高身長を優雅に一礼させてから、身分も気にせずジュエルに馴れ馴れしく話しかけてきた。
「ミゲル、彼女は騎士団員じゃないんだぞ」
「構いませんわ。初めまして、ミゲル様」
 ルードヴィッヒを間に挟んだままジュエルも固い笑顔と共に挨拶を済ませてしまう。
 ジュエルの方は完全に初対面に向ける顔つきをしていたが、ミゲルの方はジュエルの顔は知っている様子で。
 それはルードヴィッヒが今気にした、身分の差があるからだろう。
 ジュエルは藍都の末姫として城内でも知られているが、ミゲルは下位貴族の新米騎士なのだから。
 本来なら会話すら出来ないというのにミゲルから話しかけるなど、今後を考えると不満が募りそうだった。
「ロアとケルトと共に、私も治癒魔術師候補として訓練するよう命じられました。これから顔を合わせる機会も増えると思います。共に励んでいきましょうね」
 ニコリと穏やかに微笑むジュエルへと、ミゲルは照れたように少しだけ頬を染めてたじろぐ。
 その表情が不愉快だった。
「……ですが、よろしいのですか?ニコル殿が…」
 ルードヴィッヒを含めた護衛候補達は全員がニコルの殺傷の件を聞かされていた為にミゲルもジュエルの身を気遣うが、ジュエルは微笑むだけに留めた。
 説明は後でされるはずだという暗黙の眼差しにミゲルは戸惑うように固まり、ジュエルの対応に少しだけ胸の不愉快が取れる。
 ルードヴィッヒは少しとはいえジュエルとその件について会話出来たのだから。
 身分を傘に着るつもりはないが、ルードヴィッヒとミゲルで対応を変えてくれたジュエルの行動が嬉しかった。
「あ……と、それじゃあ、彼のことは聞きましたか?ソキウス殿のことは」
 話題を変えようとミゲルはまた口を開いて、ある若者の名前を出してくる。
 その名前も聞かされていたのでルードヴィッヒの眉が強く釣り上がった。
「な、何だよその顔…」
「ミゲル様…彼の名前はルードヴィッヒの前では出さないであげてください。ラムタルで色々とありましたので…」
 瞬間的に爆発しそうになった怒りを何とか抑えることが出来たのは、ジュエルが優しく手に触れてくれたからだろう。
 ソキウス。もとい、マガ。
 どう取り入ったのかは知らないが、彼は今なぜかジャックの養子として城内で仕事を始めている。
 城内とはいっても正門棟とその周辺以外の立ち入りは禁止されているらしいが、だとしてもあいつが近くにいることが腹立たしくて。
「そうなんですか…実は昨日、手合わせを頼みに会いに行ったのですが、その時にルードヴィッヒについて訊ねられたので…」
「はぁ?っはあ!?なぜあいつが!?」
「ルードヴィッヒ…落ち着いて」
 我慢出来ていた怒りが一瞬で頂点を突き抜けた。
 ジュエルに引っ張られるが、ミゲルに喧嘩腰になってしまう。
「いや…お前に謝りたいって言ってたんだよ…随分と卑屈な奴みたいだけど、悪い奴じゃなさそうだし…何かあったにせよ一度話を聞いてやったらどうだ?」
「演技に決まってるだろ!!!!」
「落ち着いて!!」
 さらに詰め寄れば、ジュエルに本気で止められてしまった。
「ーー大声が響き渡っていますよ」
 そこへ上空から声が聞こえてきて、三人同時に見上げた先からはモーティシアとセクトルが天空塔の蔦によって降りてくるところだった。
 すぐに姿勢を正して二人が降りてくるのを待つ。
「なんでこんなに早いんだ?」
 先に飛び降りたセクトルが三人に対して訊ねてきて、誰が口を開くかで互いの顔を見てしまって。
「あの、私は少し…落ち着きたいというのもあって、早めに…」
 最初に口を開いたのはジュエルだった。
「…私は、普段からスカイ殿に早めに行動するよう言われているので」
 続いてルードヴィッヒも口を開けば、スカイの性格を知るセクトルは同情するような視線をくれた。
 早めに行動しても、それより早く行動するスカイのせいでルードヴィッヒがどれほど理不尽に叱り飛ばされたか知っているのだろう。
「私は…その、モーティシア殿から……」
 最後に口を開いたミゲルは、ようやく降りてきたモーティシアを伺うように見ながら告げた。
「ミゲル殿には他の方々より早く来るよう伝えていたのです。先に話しておきたいことがありましたので」
 着崩れた魔術師団のローブを直しながら、モーティシアは天空塔の蔦を撫でて礼を伝える。
「……皆さん志の高い方々ばかりですね。早めに行動してくださって」
 その間に露台の扉へと続々と人の気配が集まってきて、皆でそちらに目を向けてしまった。
「先に行くことないだろミゲル!ひとこと言えよ!」
 その中の一人の若騎士がミゲルに手を振り、モーティシア達がいることに慌てて手を引っ込めた。
 治癒魔術師候補となる二人の侍女はまだだが、騎士達は九人共が揃ってしまう。
「…天空塔に上がるのは全員揃ってからですが、騎士達が集まったのなら先にそちらの説明をさせていただきます」
 関心とも呆れともとれない口調で、モーティシアはパンパンと手を叩いてから指先ひとつで“並べ”と若騎士を整列させる。
 ルードヴィッヒも慌てて整列に向かい、ジュエルは不安そうにしながらもルードヴィッヒの隣に来てくれた。
「説明といっても、重要なものは昨日で全てです。ただ昨夜、コウェルズ様直々の任命で侍女のジュエル嬢も治癒魔術師候補として天空塔に上がることとなりました」
 モーティシアの説明に、騎士達の視線が一気にジュエルへと向いてしまう。
 ジュエルはびくりと視線に驚くが、姿勢を維持し続けてモーティシアだけを真っ直ぐに見つめ続けた。
「……お前ら、今後も何かしらの説明を受ける度に気を逸らすつもりか?」
 そこへセクトルが冷めた叱責を飛ばし、注意を逸らした者達は決まり悪そうに視線を戻した。
「…それと、この中から護衛部隊候補のリーダーをこちらで決めさせていただきました。ミゲル殿、あなたにはここにいる八人を纏めていただきます」
 モーティシアの説明に、たった今セクトルから注意を受けたにもかかわらず皆の気配が揺れた。
 なぜミゲルが。
 動揺したのはルードヴィッヒも同じだった。
 リーダーということは、必然的に候補達のトップになるということだ。
 今までずっと、候補達の筆頭と言われてきたのはルードヴィッヒだったのに。
「……なんでしょう?」
 視界の隅でミゲルが手を挙げて、モーティシアも質問を許して。
「なぜ、私なのでしょうか…」
 ミゲルは質問こそモーティシアへと向けていたが、その視線は一瞬とはいえルードヴィッヒへと向いた。
 その場にいるどの騎士達も同じことを思っただろう。ルードヴィッヒも含めて。
「それは」
 説明しようと口を開くモーティシアを止めたのはセクトルだった。
「戦闘の実力だけならルードヴィッヒ殿がここにいる誰よりも突き抜けている。剣武大会で歴代最年少四強の記録も手に入れたくらいだからな。だが、鍛えた身体だけじゃ騎士としてトップにはなれない。…頭に血が上りやすいのはお前自身わかってるだろ?」
 最後の言葉はルードヴィッヒの胸にえぐるように深く突き刺さった。
「…セクトルの言った通りです。クルーガー団長や各部隊長、候補上官となった方々からもそれぞれお話しを伺った上で決めさせていただきました。冷静な判断力こそトップに求められるものですからね」
 説明も終わらないうちに、拳を強く握りしめて唇まで噛んでしまった。
 反論なんて出来るはずがない。セクトルにも言われた通り、自分に足りないものは自覚できているから。
「…あなたは…ノエ殿ですね。何でしょうか?」
 ミゲルの隣で次に手を挙げた騎士に、モーティシアは視線を移した。
 警備騎士の時からミゲルと組んでいたノエは、この今年入団の新米騎士達の中では21歳と最年長で、ルードヴィッヒよりもセクトルとの方が歳が近い。
「私とミゲルはクレア様の婚礼儀仗隊に任命されているので、そちらの訓練もあるのですが…」
「ああ、聞かされていますよ。式典終了まではもちろん儀仗隊訓練を優先してください。ミゲル殿はその訓練も含めて、こちらのリーダーをこなせると信じています」
 ニコリと微笑むモーティシアには、有無を言わさない迫力があった。
 約半月後、第三姫クレアはスアタニラへと婚姻の為に出国する。その為の盛大な式典のひとつとして、騎士団からは儀仗隊がクレアの乗る馬車の前後に着くことになっているのだが。
「……儀仗隊のことは私もあまり詳しく知りませんが、騎士団が行うセレモニーの花形ですよね?それこそルードヴィッヒ殿は選ばれなかったのですか?」
 何気ない問いかけなのだろうモーティシアの言葉に、ルードヴィッヒは先ほどより強く唇を噛んだ。
 屈辱が胸を撫でるようだ。
「……選出選考に容姿端麗以外に、身長制限あるんだよ」
 ボソリとセクトルがモーティシアに教えるものだから、握り締めた拳が震えそうになった。
 モーティシアもルードヴィッヒとミゲル達の身長を見比べてから納得の表情をするものだから、さらに屈辱に苛まれた。
 確かにここに集まった男達の中でもルードヴィッヒの背が一番低いが。
「ではそういうことですので、ミゲル殿とノエ殿は護衛訓練も儀仗隊訓練も両方励んでください。昨日は言い忘れていましたが、当然まだ警備任務も各上官の元での訓練もしばらく続きます。皆さん頑張ってくださいね」
 さらりと付け足された事実に若騎士達全員の口が唖然と開いた。
 警備任務はまだしも、と。
「ーーすみません!遅れてしまいました!!」
 次に現れたのは二人の可憐な侍女で、自分達が遅刻したと勘違いしたのかロアとケルトか青ざめながら駆け寄ってきた。
「遅れてはいませんよ。彼らには別の話があったので、早めに来てもらっていただけです」
 微笑むモーティシアに二人は安堵するが、それでも最後に集まったという不安は残るような表情のままだ。
 ルードヴィッヒはジュエルに目を向けるが、仲の良い侍女が訪れたことに安堵していた。
 その安堵の表情の中にあった瞳が、突然熱を持つように潤む。
「あの、それと」
 同時に侍女の一人が声を発して、ルードヴィッヒはジュエルの視線に入った者の方へと無意識のように顔を動かした。
「途中でミシェル様が」
 この城内で、ジュエルが最も心を落ち着かせる相手が。
「…どうかなさいましたか?ミシェル殿」
 突然現れた騎士にモーティシアがやや固い口調で訊ねて。
「……ミシェル殿…手袋は?」
 セクトルは真っ先に異変に気付いた。
 ルードヴィッヒ達もすぐにミシェルの手に視線を向けてしまう。
 王族付きであることを証明する宝石の付いた手袋は、騎士達の誇りでもある。
 第一姫ミモザ姫付きであるミシェルは、赤い宝石のついた手袋を常日頃から大切にしていた。
 しかし今は。
「……ミモザ様には伝えてきた。私は今日から治癒魔術師ジュエル専属の騎士であると同時に、護衛候補達の教官になる」
 表情の読み取れない口調と、冷え切った眼差し。
 辺りの気配は静かにざわついて。
「……クルーガー団長から正式に任命を受けたのでしょうか?」
 問いかけたモーティシアへと、ミシェルは冷たく微笑んだ。
「これから許可をいただく。…もし通らないなら、ジュエルを連れて藍都に戻るだけのことだ」
 ジュエルを守る為に。
 その為に騎士の栄誉を手放したのだと、ミシェルは素手を堂々と晒しながら全員に向かって微笑みを強くした。

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