第106話
第106話
毎年行われる剣武大会に王族が出場し、見事優勝を手にした。
本来ならば帰国時に盛大な迎えがあるべきだが、簡易に留めることになったのは最初から予定済みだ。
お忍びでの出場は別にしても、大会期間中に国王が亡くなったのだから盛大には出来ない。それでも国民達は王子が王位を継ぐ日を心待ちにしていたから、せめて顔を出す。
エル・フェアリア王都に到着したコウェルズは飛行船のまま王都の大通り上空ギリギリを飛び、共に大会に出場したルードヴィッヒと共に後部の大窓から顔を出して集まった民衆に手を振った。
突然のことではあったが皆が盛大な拍手で迎え、飛行船の下で隊列を組んで船と民の安全を守る王都兵達が騎士団と交代した際、騎士達の中にいる見慣れたコウェルズの護衛達が普段は見せないほどの精悍さでコウェルズを見上げてくる様子に城内の緊迫感が凄まじいことを痛感した。
コウェルズの王族付き達はコウェルズの命令に従い、祝いの場では笑顔に徹するというのに。
理由ならわかっている。
コウェルズのいない間に城内で殺人が起きた。
人殺しはニコルで、さらに彼が王族であることも発覚してしまった。
殺人そのものは秘匿されたが、ニコルの出自は三団長達が城内で宣言してしまったのだ。
全てラムタルからエル・フェアリアに戻る間にミモザから説明された。
共に聞いていたジュエルは話の途中に気を失った。
殺されてはいないが被害者の中にガブリエルの名が出されたから。
しかしそうなった理由がさらに厄介だった。
治癒魔術師アリアに性的暴行を働こうとした者達がニコルから被害を受け、三名が死んだ。
被害者が加害者でもある状況。
アリアだけ狙われたわけではなく、ニコルと恋仲だという遊女まで攫われて暴行を受けていた。さらに共にいたというだけで、侍女のジャスミンも巻き込まれた。
全て、コウェルズがいない間に行われた。
頭が痛すぎる状況だった。
飛行船滞在中のジュエルはイリュエノッド国から訳あって共にいるテテに任せて、伝達鳥で何度もミモザ達とやり取りをしながら、城内の危険な状況に思いを馳せて。
「ーー状況は?」
コウェルズの問いかけに、隣を歩くクルーガーが渋そうに眉を顰めた。
ようやく王城敷地内に入り飛行船を降りた後、待っていた者達の形式的な祝いの言葉もほどほどにコウェルズはすぐにクルーガーを伴って政務棟へと足を運んだ。
ミモザと合流する為だ。
客人として訪れているクイとテテは他のものに任せて、マガはジャック達に任せて、成すべきことを成す為に無駄を切り捨てる。
今のコウェルズにとって、城内からの祝いの言葉ほど不要なものはなかった。
「昨日伝えた状況のまま、動きはありません。ニコルはアリア嬢とテューラ嬢を天空塔に軟禁し、治癒魔術師護衛部隊とその他一部の騎士達以外の者が上がることを許していません。…特に侍女については、侍女長すら許さない状況です」
「…仕方ないだろうね。侍女の区画で事件が起きてしまったんだから。アリアの怪我は?」
「彼女自身で治しました。テューラ嬢とジャスミン嬢についても」
「ガブリエルはまだ何とか生きているんだろう?一応手当は受けさせておきたいけど、ニコルは許さないか」
藍都の第二姫という以前に事件の重要人物だ。死なれては困る。ニコルがガブリエルへの治癒魔術を拒絶しているなら怒りを堪えてほしいところだが。
「それについて、お伝えすべき深刻な状況が…」
クルーガーの眉間の皺がより一層深く刻まれた。
思わず足を止めてしまい、クルーガーを困らせるほどの事態とは何かとコウェルズも眉を顰めて。
「ニコルには何とか堪えてもらい、事件の翌日にアリア嬢が治癒魔術での治癒を行ったのですが…」
治らなかった、と。
「まさか、そんなことがあるのか?」
「アリア嬢の治癒が行われている最中は治ったのです。…ですが治癒の魔力を止めると…数秒後に再び傷が裂け、二度行いましたが同様に…」
今までアリアに治せない傷などなかったというのに。
「…アリアが治癒をしていない可能性は?」
「アリア嬢自身も傷が再び裂けたことに動揺していたので、それはないかと」
アリアが手を抜いたわけでもないのに、何故治らないのか。
「呪いの可能性も視野に入れましたが、アクセルが言うには呪いというわけでもなく…」
アクセル、新たな名前に足を止めたまま俯いて、さらに頭に力を使う。
アクセルが原子眼という未知の能力を保有している可能性を伝えられてからまだ数日で、その目で何が見えるのかはわからない。
元々リナトからは術式解読に長けた魔術師だとしか説明を受けていなかったのだ。彼に以前のファントム戦で手に入れた奇妙な短剣の解読を命じはしたが、単に頭が良いというわけではなかった事実には驚いた。
リナト達ですら仮説の中に存在していた程度でしか知らない原子眼が呪いではないと言うのなら、何が原因でガブリエルの傷は治らないのか。
「もしかするとニコルが殺人を犯した際に使った力が原因なのではないかと思うのですが、はっきり調べられる状況にもありません」
「力?剣か魔具じゃないのかい?」
「いえ…それが…」
さらに言いづらそうにされるが、クルーガーの説明は言いづらいのではなく説明しづらいのだと聞き進める過程で理解した。
球雷が発生したとは。
球雷自体は魔力の暴走時などに稀に見られる現象ではあったが、ニコルはその球雷を己の魔力で掴み圧縮し、アリアを襲った者達を殺す道具に使った。
空から落ちてくる雷を自在に操るほどの有り得ない力。
奇妙な短剣については呪いの力が意図的に使われていると聞いたが、呪いとはまた異なる超常現象が作用しているというのか。
「…じゃあ、ガブリエルの傷は治らないまま今も?」
「医師団により両頬の縫合を行い、止血を続けています。幸いというべきか、止血は進んではいる様子です。…ただ鼻骨や顎も一部が粉砕しており、そちらは治る見込みはないと。アリア嬢の手当てが効かないのなら、もう表に顔を出すことは出来ないでしょう」
女性でありながら、高貴な上位七家の姫でありながら、顔を潰されてしまったから。
治癒魔術師を手にかけようとした重罪があったとしても、七家の姫として死罪は免れたはずだ。それが死よりも苦しい罰を一生背負うことになるとは。
しかし自業自得だ。同情は出来ない。
「藍都は何と言ってきている?」
「……ミモザ様から聞いた程度にしか私は存じませんが…ガブリエル嬢の籍を藍都から抜き、平民として藍都の運営する病院で一生働かせる、と」
「彼女自身の怪我も見られるし、償いもさせられる…ということかな。だけどぬるいね」
現存唯一の治癒魔術師を手にかけようとしたのだ。その程度で済ませられる事態ではない。
「……クルーガー、ニコルの元へ行って、私と話す時間を作るよう言っておいてくれ。私はミモザと話してから天空塔に向かうから」
二手に分かれる命令に、クルーガーは躊躇いを見せた。今のコウェルズはクルーガー以外に護衛を連れていないので仕方ないが。
「私は帰ってきたばかりでまだ多くを把握出来ていないんだ。そして一刻も早く全てを知っておきたい。わかってくれ」
改めて頼み込めば、ようやく頷いてくれて、クルーガーはコウェルズに背を向けた。
その後ろ姿をしばらく見守ってから、コウェルズも改めて政務棟へと進み始める。
まずはミモザと合流して現状を理解しなければならない。そしてミモザにはリーンがどこにいたのかを。
ミモザ以外の妹達には伝えられない事実を。
全てを理解するのにどれほど時間が必要となるのだろうか。
安息はまだ手が届かないほど先にあって、重すぎるため息は必然のように口から溢れていった。
-----
1/5ページ