第22話
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中庭に植えられた木にもたれ掛かりながら異国語の勉強の為に本とにらめっこを続けているアリアを、レイトルは静かに見守っていた。
トリッシュが大臣からの緊急呼び出しの対応に行ってしまったので、現在アリアを護衛しているのはレイトル一人になる。
アリアに下心を抱く大臣は家柄を気にする男なので大臣よりも高位のレイトルが行こうと思っていたのだが、それだと万が一の時にアリアを守りきれないとのことでトリッシュが強引に向かってしまったのだ。
天空塔に隔離されたコレーの件もある為に、アリアは力をなるべく温存しておくという体で急を要する治癒以外は現在受け付けていないのだが、軽い腰痛程度だというのに大臣は納得がいかないらしい。
先程まで治癒を行っていた、治療の痛みを怖がり傷を膿むまで放置していた若騎士の方がよっぽど大変だった。早々に医師団に見てもらっていればよかったものを放置しすぎたせいで膿がたまり、結局切開と傷口丸洗いまで行ったのだから。痛みに強いのか弱いのか。
それが終われば次のフレイムローズの治癒まで時間があり、先ほどの休憩も兼ねてゆっくりと勉強していたところだ。
ふと回廊に目を移せば、バタバタと走り去る騎士や、何やら重そうに資料を抱えて駆け足でどこかに向かう魔術師達を見かける。
「…あたし達だけ省かれてるみたいで少しもどかしいですね」
少しひと息つきたかったのか身体を伸ばしたアリアは、ちょうど走り過ぎた騎士を眺めながらポツリと呟いた。
「仕方ないよ。出来ることが限られているからね」
喧騒から切り離されてしまうと、まるで世界から拒絶でもされているかのようで身の置き場に少し困る。
だが仕方ないのだ。アリアにはアリアの役目があり、万が一に備えていなければならないのだから。
アリアが手にしている本はラムタルの文字で書かれたものだ。
自国の文字は思った以上に早く覚えてしまい、ヴァルツもいるのでラムタルの言語を次に覚えることにしたのだが、少しばかり苦戦している。
自国の文字は半分は読めていたので後は簡単だったろうが、さすがに異国となればそうもいかない。
護衛達で代わる代わる教えている分には飲み込みが早い方だが、完璧主義なのかアリアは不満げだった。
教本に選んだ話はエル・フェアリアに住む者なら誰もが子供の頃に聞かされた、初代国王ロードと虹の女神エル・フェアリアの恋物語なので何と書かれているかはざっくりとはわかるだろうが、発音となるとまだ首をかしげている。
モーティシアもそこまで急ぐ必要は無いとは言ってくれたが、アリアは聞きはしなかった。
「それにしても…ニコルは仕方ないとして、セクトルは遅いな」
「トリッシュさんも大臣の所から戻ってきませんね」
モーティシアとアクセルも別件で離れているので、どうしたものかと思案する。
アリアはどうやら勉強が頭に入りにくくなってきた所らしく、本に目を通す様子はない。
「大臣もなかなかしつこそうだからね。だからといって下手に注意したら逆恨みされそうだし」
レイトルはやはり自分が行った方がよかったかとも思ったが、アリアと二人になれることは個人的にはとても嬉しかった。
だからといってトリッシュを放っておくことも出来ないのだが、どのみちニコルかセクトルと合流しないかぎり助けにはいけないだろう。アリアを連れていくわけにはいかないのだから。
「…あの、早いですけどフレイムローズの所に行きませんか?」
仕方ないかと諦めれば、立ち上がったアリアが仕事を見つけたとでも言い出しそうな様子で訊ねてくる。
レイトルとアリアの身長差は数センチなので、他の娘達のように見上げられることはなかった。
「真面目な所は兄妹そっくりだね。少しは休んだって構わないんだよ?」
「うーん…フレイムローズの所に行きたいです。これ以上は勉強も手に付きそうにないですし」
「そっか。じゃあ早いけど行こうか」
アリアはパタパタとお尻をはたくと、はい、と小さく頷いた。
ここからフレイムローズのいる王城上階の露台までは数分程度か。
離れている者達とは、合流に指定した場所にアリアがいなければフレイムローズの元にと決めてあるので都合もいいだろう。
回廊から王城に入ろうとしたところで、近付く足音に先に気付いたのはレイトルだった。
「--アリア嬢!」
「へ?」
ばたつく騎士かとも思ったが、彼はアリアを強く呼び止める。
アリアも驚いたように振り返れば、昨日の晩餐会で出会った、ワスドラートの家族の男が走り寄ってくるところだった。
階級が下のレイトルが先に目礼をすれば、男も同じ様に返して。
「…あ、昨日の…えっと」
「…王城でまともに話すのは初めてだな。私はミシェル・ガードナーロッド・トラヴェリア。ミモザ様の姫付きだ」
雰囲気はレイトルやモーティシアに似て騎士としては穏やかな分類かもしれないが、雄々しさは隠しきれずに有り余っている藍色の長髪の男だった。
「あ、あたしはアリアです。治癒魔術師で」
自己紹介をされて、アリアも慌てたように名前と所属を告げようとするが、ミシェルはクスクスと笑って止めた。
「知っているよ」
物静かに笑う様子は上位貴族の貫禄なのか、男としての余裕に溢れている。
「ミシェル殿、お一人ですか?」
「ああ。今は休暇時間だから休まないとミモザ様に怒られてしまうのだがな」
「ファントムの件があろうが休暇は休め、ですか。ミモザ様らしいですね」
ミシェルが職務中ではないと知り、レイトルも思わず笑ってしまう。
第一姫の王族付き達は、ミモザの性格に合わせるように一応は品行方正な者が多い。悪く言えば融通が聞かないのだが。
騎士達もそれを誇りとする者ばかりだが、やはりカチカチだとたまには疲れるだろう。
王族付きの内情を知らないアリアは会話を理解できずキョトンと首をかしげているが、レイトルとミシェルは互いに苦笑いを浮かべていた。
「おかげで休むに休めないよ」
「確かに」
「っと、君に渡したい物があるんだ」
そして何やら思い出したように、ミシェルは懐を探り始める。
「あたしにですか?」
「そうだよ。君を探していたんだからな」
またも首をかしげるアリアの前に、ミシェルは手にしたアクリル製の小箱を取り出し、蝶番で繋がった蓋を開けた。
中に入っていたのは刺繍の美しい白いレースのハンカチだ。
ハンカチを手に取り、アリアに渡して広げてみるように促す。
「…綺麗」
女性の品位を高めるような美しさのあるハンカチに、アリアは感嘆のため息をついた。
「藍都ガードナーロッドの特産品ですか?」
「特産品?」
隣で同じ様にハンカチを眺めていたレイトルの言葉に、アリアは不思議そうにレイトルに目を向ける。
「藍都は虹の七都では唯一鉄が取れなくてね、製造も行っていないんだ。その代わりにレース作りや刺繍を特産としてエル・フェアリアや他国に出しているんだよ」
レイトルが口を開く前にミシェルが藍都の簡単な説明をして、アリアの注意を引き寄せる。
エル・フェアリアは虹と鉄の国と呼ばれるほどに空には虹がよく架かり、大地からは鉄がよくとれた。
鉄の採掘事業は虹の七都の主要事業になるが、その中で藍都だけには鉱山が存在しないのだ。
その為に虹の七都の中では最下位に位置するが、変わるように手をつけたレースと刺繍の事業は質の良さから国内外でも絶大な人気を誇る。
エル・フェアリアはもちろん、他国の王家や貴族の衣服のレースや刺繍の大半が現在も藍都ガードナーロッドの特産なのだから、その人気は遥か昔から陰りを見せない。
「これも?」
渡したハンカチも特産品なのかとアリアに訊ねられて、あ、とミシェルは小さく声をあげた。
「…これは私が…」
「え、作ったんですか!?」
少し照れながら頷いたミシェルに、アリアはハンカチと彼を交互に見やりながら驚きの声を上げる。
細やかなレースも刺繍もひと目見ただけで値段の張るものだろうとすぐに思えるほどの出来栄えに、レイトルも目を見開いた。
「…ああ。恥ずかしい趣味だがな」
「なんで恥ずかしいんですか?凄いです!綺麗です!」
わずかに頬と耳を赤くするミシェルに気付いていないのか、アリアは純粋に思ったままを口にしていく。その言葉にミシェルは嬉しそうにはにかみ、レイトルは複雑そうに少し眉間にしわを刻んだ。
「…使ってくれないか?」
「え、本当にくれるんですか?…なんで…」
わざと視線を逸らすミシェルは一度アリアからハンカチを預かると最初のように折り畳み、アクリルの小箱に直してからまた差し出して。
「…昨日の、妹の非礼のお詫びに。急拵えで申し訳ないが」
ミシェルの言う詫びは、昨夜の晩餐会でジュエルがアリアに吐いた暴言の数々を言っているのだろう。
見た目をあげつらった暴言にはアリアも昨日意地悪く言い返しているのでとんとんだと思うのだが。
「…アリア嬢?」
差し出された小箱をアリアは受け取ろうとせず、ミシェルが少し困惑した表情になる。
いったいどうしたというのだろうか。ミシェルだけでなくレイトルもアリアの様子に注視する中で、アリアは困ったように眉尻を下げて受け取りを拒否した。
「…謝罪が理由の贈り物は…使いにくいです。だから…ごめんなさい」
その理由でもらうわけにはいかないと、アリアは頭を下げる。
「…そう」
「はい。せっかくなのに、すみません」
消えてしまいそうなアリアの声に、ミシェルは肩を落とすような小さなため息をつく。
悪いことをしたかな?ともアリアは思ったが、やはり受けとることは出来なかった。
「…なら、本当の事を言わないとな」
「え?」
俯いたまま顔をあげられないアリアが耳にしたのは、何かを諦めたように軽くなったミシェルの声で。
「…昨日のお礼だよ」
見上げてみれば、ミシェルはまた恥ずかしそうに頬を朱に染めている。
「…お礼?私何かしましたか?」
「私を庇ってくれた」
「…庇いましたっけ?」
身に覚えのない事柄に、アリアはただ首をかしげる。
昨日はジュエルのふっかけてきた喧嘩を買った以外には、服毒したワスドラートの苦しみを和らげたくらいしか動いていない。ワスドラートの件にしても、庇うという言葉は適切ではないはずだ。自分は何をしたのかと頭を捻り続けるアリアに、ミシェルはクスクスと笑い始めた。
「晩餐会の始まる前に、妹が私を『ガードナーロッドの膿』と罵った時、君は『血を分けた兄をそんな風に蔑むのは許せない』と」
愉快そうに笑いながらの説明に、アリアはしばらく自分の発言を思い返してから、ハッと口を開ける。
「あ、あたし、でしゃばって!すみません!」
確かにそんなことを言った気がすると顔を真っ赤にして、アリアは機敏な動きで何度も頭を下げた。
そのうち胴体がもげそうな勢いにさすがにレイトルとミシェルが二人がかりで止めに入る。
「いや。君にも兄がいたからこそ口をついて出た言葉なのだろう。…私はあの言葉が嬉しかった」
ようやく止まるアリアから手を離して、胸の内に抱いた思いを告げるようにアリアに熱のこもる視線を送る。
「妹の言う通り、色々あって私はガードナーロッド家では膿扱いでね。まあ、レースを編むなんて女性みたいな趣味があるのも理由のひとつなんだろうが」
「…男の人だってレースを編む趣味があってもいいと思いますけど。あんなに綺麗なのに」
確かにめずらしいとはアリアも思ったが、職人技のような素晴らしい出来栄えだったのだ。誇るべき特技ではないのだろうか。
「そう言ってくれるのは、七姫様以外では君くらいだよ」
「そうなんですか?」
確かに姫達なら無邪気に誉め称えそうだと想像したアリアの頬を、ふと大きな指がすっと撫でた。
予想していなかったその動きにわずかに身体を強張らせれば、アリアの頬に触れたミシェルの指はすぐに去っていく。
「君が庇ってくれた言葉がとても嬉しくて…是非お礼がしたかったんだ。だが本心を伝えるのはどうも気恥ずかしくてね」
まるで無意識だったかのように、ミシェルは突然アリアに触れたことをそのまま流してしまう。
アリアもミシェルの態度にそのまま気にすることはせず、胸に引っ掛かりとして残ったのはレイトルだけだった。
「それで妹さんのお詫びにしたんですね?」
「…そうなるな。結局本心を伝える結果にはなったが…私の趣味を笑わず誉めてくれた事も、とても嬉しく思うよ」
父からもらった礼装の刺繍も見事なものだったが、ミシェルの作ったハンカチも引けを取らない美しさだ。
謙遜なのか、どこか自信の無さそうな様子にアリアは勇気付けるように拳をつよく握る。
「だって本当に綺麗だから」
「…ありがとう。では改めて…昨日のお礼に、受け取っていただけますか?」
「そういう事でしたら、是非!」
お礼だというなら、せっかくの手作りを拒否など出来ないと。ミシェルからハンカチの入った小箱を受け取り、アクリル製の小箱の美しさにも目を見張った。
花模様の小箱に、もしかしたらこちらは物凄く値段の張るものではなかろうかと想像してしまうが、ミシェルは満足げに微笑むだけで小箱については何も話さない。
「…すごく綺麗…ありがとうございます。大切にしますね」
花模様の透明のアクリル小箱を、中のハンカチの刺繍が浮かび上がるように美しく彩りをつける。
「…ハンカチは消耗品だから、汚れたら捨ててくれて構わないから」
「捨てませんよ!こんな素敵なハンカチ、捨てたらバチが当たります…」
アクリルの小箱を太陽にかざしながらうっとりと光の反射に見惚れるアリアは、二人の騎士が自分に向ける視線を見ることはなかった。
レイトルはもどかしそうに、ミシェルは情熱的に。
故意か無意識か、互いの胸中を理解したレイトルとミシェルの視線がぶつかることもない。
「…君になら、いくらでも作るよ」
「え?」
甘く囁くように呟いたミシェルの言葉は、レイトルへの牽制だ。
アリアは小箱に夢中になってしまったせいか上手く聞き取れず、ミシェルも気にせず流してしまう。
「兄も君に謝罪したいと言っていたんだが、残念ながら直接は不可能になってしまったからね」
まるで何事もなかったかのように会話を続けられたが、ワスドラートの件にアリアは怪訝そうに眉をひそめた。
「…え?あの人はまだ…」
直接は不可能とはいったいどういう意味なのだろうか。彼の解毒はまだ済んでおらず、夜にまた苦痛を緩和しに向かうはずだったのに。
「妹のガブリエルが再び侍女として働くことになって、こっちに来ていたんだよ。兄の話を聞いて自宅療養させたいと言い出して、ついさっき迎えが来た所だ」
「そんな!まだ安静にしておかないとダメなのに!」
「すまないね。ガードナーロッドは一度言い出したら曲げないんだよ」
いとも簡単に、ミシェルは兄がすでに城内にいないことを告げる。
昨夜は晩餐会の後、アリアはモーティシア達と共にワスドラートを医務室へと運び、苦しみの緩和に力を長く使った。
ミシェルは藍都領主である父と話す為にその場にはいなかったが、ジュエルはひと晩中眠らずに苦しむ兄の手を握り続けていた。
いくつかの解毒薬を服用させ、アリアは医師団から「治癒魔術で治るものでもないので連続の使用は好ましくない」と深夜前には返されていた。
アリアの力は毒の浄化は出来ないので仕方ないのだが、少しでも気分が楽になるならそれに越したことはないはずなのに。
一度は治癒の手を止めた相手ではあった。ニコルに毒を盛ろうとした男の手下だったのだから、信用も出来ないし何故こんな男をとも思った。
それでもアリアは、苦しむ人の顔など見たくなかった。解毒が済むまで、なるべくなら癒してやりたかったが。
それにワスドラートは、最初に合った時とは何か様子が違っていて。
「王都にあるガードナーロッドの別邸で休ませて、回復したらラシェルスコット氏の下で領主のいろはを再教育されるみたいだ」
「…ワスドラートさんって、黄都のヴェルドゥーラ家で働いてませんでしたっけ?」
「ヴェルドゥーラはこれから大変な時期に入るからね。兄は紫都で半年間みっちり教育されて、ガウェ殿が正式に黄都を治める時に右腕として隣に立てるまでにしごかれるらしい」
ワスドラートが次期藍都領主であることは聞いているが、たった半日でそこまで話が進んでいるとは。
「致死量ではないとわかっていても、猛毒を飲んだんだ。兄は相当な覚悟だったろう。ラシェルスコット氏はそこを気に入ったらしい」
頭に血が登り正気を無くしたバルナを止める為に。他にもやり方があったろうに、ワスドラートは一気に毒入りの酒を飲み干した。
一歩間違えれば死んでいたかもしれないのにだ。
何が彼をそこまでさせたのか。きっと説明されたとしても、ワスドラート以外には理解しようもないのだろう。
「…後はジュエルも、さすがにしょぼくれてたな。まだ意地を張っていたけど、君に感謝していたよ」
「…ジュエルさんが?」
アリアが困惑するのは、初めて出会った時からジュエルにはひどい罵りの言葉を浴びせられ続けてきたからだ。
傲慢で我が儘で、自分の地位で周りの頭を無理矢理押さえつけていた少女。
ミシェルにも酷い言葉を吐いた。
しかし毒を飲み倒れたワスドラートにすがりついて泣きじゃくり、アリアに助けを求めたのもジュエルだ。
甘やかされて甘やかされて、子猫のようにひたすら可愛がられて育ったのだろう。
それがわかるように上から目線の物の言い方だった。
しかし、恐らくジュエルはそれ以外に言葉の使い方を知らないのだ。
そう思えたのは、アリアが夜更けに医師団から自室で休むよう言われた時に、続けるよう命令するかと思った彼女が無言のまま小さくアリアに向かって頭を下げたからだ。
恐らく無意識に。
ありがとうと言いたかったのだろう。だがジュエルはきっと、下階級の者に感謝の言葉を口にするなと教えられてきたはずだ。それが仕事なのだからこなして当たり前なのだと。
「私が言えた義理ではないだろうが、まだ子供なんだ…もしジュエルが今までの非礼を詫びることができたなら、水に流してやってほしい」
ミシェルは兄としてそれをわかっているのだ。
ジュエルはまだまだ世間を知らない。家族身内がミシェルを嘲笑うから、自分もそれを信じて同じ様に嘲笑ったのだろう。まだ自分で考えることが難しいのだ。
「あれで可愛い所も多いんだよ」
「…はい」
どうか、と頼み込むようなミシェルにアリアは少しだけ微笑みを返した。
ジュエルとのことは正直わからない。だがミシェルという男に関しては、その人間性の暖かさが心地よかった。
村で酷い目に合ってから、あまり男性の側にはいたくなかった。
しかし否応なく王城に呼び出され、男ばかりの世界に放り込まれてからは耐性は付き始めていた。それでも先ほどミシェルが突然アリアの頬に触れた時のように、予想もしていなかった事にはまだ身体が強張る。
強張りはしたが、ニコルと同じように“兄”という立場にいる彼の近くは、何となく落ち着けるような気がした。
「…ミシェル殿、そろそろ戻られては?ここはミモザ様のいる政務棟からもよく見える場所ですし、我々もフレイムローズの治癒に向かう途中でしたから」
会話にひと区切りがついたとたんに、すぐ隣からわずかに冷たいレイトルの声が聞こえて、アリアは驚きながらレイトルを見つめた。
普段穏やかなレイトルの声が冷たいと気になってしまう。
「それは…足を止めさせてしまったみたいだね。すまなかったね」
「いえ、そんなことないですよ。…レイトルさん?」
突然急かすような事を言うなんてともう一度レイトルに視線を向けても、彼はアリアと視線を合わせてくれない。
黙り込む様子は、不機嫌そうに口角が下がっていた。
「…では、私は戻るよ--」
爆発音が遠くから響いたのは、ミシェルが来た道を戻ろうと背中を向けかけた時だった。
何かが破壊されるような音が響き渡り、同時に閃光が一瞬辺りを包む。
「きゃ…」
びくりと肩を震わせて強く目を閉じたアリアが次に視界を確認した時には、前方と後方をミシェルとレイトルに守られるような陣形の中心にあった。
「今何か…」
「ああ…」
レイトルは腰の剣を抜き、ミシェルは手に魔具を発動させている。エル・フェアリア唯一の治癒魔術師を守る為に。
『--アリア、レイトル!』
「!?」
次に聞こえてきたのは、この場にいるはずのないフレイムローズの声だった。
「…どこから」
フレイムローズの声はすぐ近くから聞こえてきたのに、姿は見えない。しかしすぐにどこから話しかけているのか発覚した。
『お願い!急いで天空塔に向かって!』
レイトルの肩に留まる魔眼蝶が、フレイムローズの声を届けていたのだ。
切羽詰まったフレイムローズの声は、恐らく先ほどの爆発音と関係あるはずだ。
「何があった?」
『コレー様の魔力が暴発して騎士団と魔術師団に怪我人が出てる!クレア様も一緒にいるんだ!!』
「そんな!!」
天空塔に隔離されたコレーが魔力の暴発を起こした。その事実にアリアは口許を押さえ、レイトルとミシェルは眉根を寄せた。
怪我人が出るほどの魔力の暴発など、いったい何があったというのだ。
『ニコル達にも天空塔に向かうように伝えておくから急いで!』
フレイムローズは魔眼蝶から一部始終を見守っていたのだろう。その場を動けない彼には、必要な人員を天空塔に向かわせることしか出来ない。
「行くよアリア!」
「はい!」
「私も共に!」
走るレイトルとアリアの後を、ミシェルも追いかける。
怪我人の程度はわからない。だが急がなければ。
国立児童施設の時のように、死者が出る前に。
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