第22話
第22話
政務棟最上階に設けられた会議室の中にいるのは、コウェルズ、ミモザ、エルザ、そして何とか酒の抜け始めたガウェの四人だった。
王族付き達は外で待機しており、ガウェだけが部屋の中にいられるのは若き“黄都領主”だからだ。
議題内容はもっぱらファントム対策で、支援を惜しまないと言ってくれる他国とも連絡を取り合い、姫を守り、ファントムを捕らえる為に話し合いを続けていく。
室内に軽いノック音が響いたのは話し合いも大詰めに入った頃だった。騎士にしては軽すぎる音に、ノックした人物の気配で誰であるのか気付いたガウェ以外は侍女を予想するが。
「…どうぞ」
無言の相手に対してコウェルズが入室を許可すれば、扉を開けるのは騎士だが顔を覗かせたのは末姫のオデットだった。
「…あら、こんな所に来るなんて珍しいわね?」
「どうかしたのかい?」
オデットは政務中の兄姉に遠慮して難しい顔で中を覗くが、ミモザとコウェルズに優しく話しかけられてパッと室内に飛び込んでくる。
騎士はそのまま扉を閉じ、オデットは一番にミモザに抱きついた。
肩にはオデットが個人的に可愛がる伝達鳥が留まっていたが、軽い衝撃に翼を広げて室内に飛び上がる。
「あらあら、どうしたの?」
顔を擦り付けるようにミモザの腹部に押し当ててから、ゆっくりと上向かせて。
困惑するような様子を見せながら、話そうか話すまいか迷うように。
「どうしたんだい?」
コウェルズは片膝を床につくと、9歳の妹に視線を合わせて先を優しく促した。
「…ナノア様から伝達鳥が来ましたの」
「アークエズメル国の?」
耳を澄まさねば聞き逃してしまいそうな声量だが、コウェルズはしっかりと聞き取る。
アークエズメルはオデットがいずれ嫁ぐ国だ。
ナノアはその第一王子だ。オデットより1歳年上なだけの少年だが。
伝達鳥を飛ばしあっていることは知っているが、わざわざ報告に来たことなど今まで一度も無いというのに、何があったのか。
「…もうじきお兄さまにも文が届くらしいですが…」
オデットは室内中央のテーブルに降りた自分の伝達鳥を呼び寄せて手のひらに乗せる。そのまま、コウェルズの耳元に伝達鳥を近付けた。
あまり他人に聞かれないようにと囁くよう躾された伝達鳥が、コウェルズにだけ聞こえる声量でオデットに届いた伝言を告げる。
みるみるうちに無表情になっていくコウェルズを、ミモザ達も見守るように眺めていた。
「…オデット」
伝達鳥が伝言の全てを話し終えて暫くしてから、ため息をつくようにコウェルズはオデットの頭を撫でる。
オデットも困惑したままの瞳で兄に救いを求めていた。
「どうしましたの?」
「アークエズメルに何か?」
ミモザとエルザはじっとしていられない様子で詰め寄るが、コウェルズに片手で制されてぐっとその場に留まった。
「…ナノア王子がオデットをアークエズメルに迎えると」
静まり返る室内にさらりと簡単に略した伝言内容を告げれば、ミモザとエルザは息を飲んだ。
「…オデットが心配なのだそうだが…」
含みのある言い方は、コウェルズがアークエズメルの策略に気付いた証拠だ。
「そんな…よりにもよって」
「アークエズメルにも御支援頂けるように話し合っていた所でしたのに」
「…お姉さま」
姉二人の表情が曇る様子に、オデットもさらに困惑したように眉尻を下げた。
「アークエズメルは誇り高い国だからね。以前ファントムに宝具を奪われた時も、他のどの国よりも悔しがっていたんだ。今も唯一ファントムの行方を追っている国でもあるし、最も警戒体制を取っていたから、その当時の様子を聞ければとね」
「そうなのですか…」
プライドの塊のような国柄のアークエズメル。
詳しい話が聞ければと思っていたが、オデットに届いたナノア王子からの伝達鳥の内容を考えれば、じきに届くだろう手紙の内容も容易に知れる。
この伝達鳥が覚えた言葉もナノアが自分で考えたものではないずだ。幼いオデットは誤魔化せても、耳の肥えたコウェルズに大根役者の台詞など通用しない。
家臣がナノアに読ませたことが明白だった。オデットだけが聞くだろうと、幼い単純な姫と侮って。
「ファントムの狙いがコレーと断定した上で…」
沸々と苛立ちが沸き起こりそうだった。ただでさえ今朝の魔術師団と父王の勝手に対する苛立ちは収まってなどいないというのに。
わずかにラムタル国のバインド王と話しはしたが、大きな胸のつかえは取れても小さな針はまだ刺さったままだ。
再び室内にノック音が響き、豪快な音の後に聞きなれた男の声が扉越しにコウェルズに語りかけてきた。
「コウェルズ様、アドルフです。アークエズメルより内密の手紙が」
何て都合良く。向こうにとっても、コウェルズにとっても。
「持ってきてくれるかい?」
命じれば、扉が開かれて王族付き達を統べる総隊長のアドルフが姿を現す。彼はコウェルズの護衛部隊長でもあった。コウェルズ達に一礼をしてから、届いた手紙をコウェルズに渡しに近寄ってきて。
手紙を開くコウェルズの腰に、オデットは気になる様子でくっついた。
先程と同じようにコウェルズが読み終わるまで見守り、肩の力を抜くように手紙から目を話すのを見計らい。
「…お兄さま…お手紙何て?」
腰の位置を軽く引っ張りながら、オデットは自分に関係しているであろう内容を訊ねる。いったい何が書かれているのか、悪いことでなければいいのに、と。
コウェルズは手紙を折り畳むと、すぐ側で見上げてくるオデットの頭を落ち着かせるように優しく撫でた。
「…オデットはまだエル・フェアリアにいたい?それともアークエズメルに行きたい?」
笑顔で訊ねてくる兄に、オデットは唇を閉じたままどう言えばいいのかと不安そうになる。
「いいよ。正直に話してごらん?」
怒られたくなくて本心を我慢しているようにも見えて、コウェルズは更に優しい声になる。
急かすわけではなく、味方だからねと慰めるように、オデットの言葉を静かに待って。
「…エル・フェアリアにいたいです。…まだコレーお姉さまと遊びたいです」
大切な姉が大変な目に合っているのに、自分だけ安全な場所に行くなんて。
それにまだ、沢山一緒に遊びたい。
オデットの本心に、コウェルズはまた片膝をついて目線の位置を同じ高さにし、不安そうに強張る妹の白い頬を撫でた。
「うん。なら、ここにいて」
「…いいのですか?」
「私だってオデットとまだ離れたくないよ」
兄の言葉にオデットの表情が一気に明るくなった。
私もです、とコウェルズの首に両腕を回して抱きついて、離れたくないと再度ねだって。
「大丈夫だよ。アークエズメルもオデットを心配して提案してくれただけだから。オデットがエル・フェアリアにいたいならその意思を尊重してくれるよ」
アークエズメルの体裁だけをオデットに教えてやって、ゆっくりと体を離す。
「また後でゆっくり話そうね」
「はい!」
最初の不安を吹き飛ばした朗らかな様子に、室内にいた全員がほっと肩を撫で下ろした。
「アドルフ。オデットを送ってあげて」
「かしこまりました」
すぐ近くに待機していたアドルフに頼めば、オデットは手を繋いでとアドルフに手を伸ばす。
アドルフも自然にその手を取り、二人で室内を後にした。
再び四人に戻った室内で、まず静けさが辺りを包む。
「…先方は何と?」
待ちきれず口を開いたのはミモザだった。オデットに関することだ。妹を思いすぎるミモザは手紙の内容が気になって仕方ないだろう。
「表向きはオデットをアークエズメルに預けて、その分空いた騎士達をコレーの警護に回せばいいとの話だけど…」
そこでため息をつき、親書には書かれていないアークエズメルの本質を思い出す。
「アークエズメルはコレーがファントムに奪われる事を願っているんだろうね」
「なんて失礼なっ!!」
すぐに激昂したのもミモザだった。
エルザは痛むかのように胸に手をあて、ガウェは予想していたかのように瞳を閉じる。奪われてしまえなどと書かれてはいない。だがアークエズメルという国を考えれば容易に知れた。
「仕方ない。あの国は何よりも高潔であることを誇りに思っているからね。エル・フェアリアがファントムに負けたとなれば、アークエズメルの汚された誇りも幾分かは紛れるというものさ。“大国エル・フェアリアですら守りきれなかったのだから”とね」
先の大戦でもラムタル相手に敗北を認めようとせず負け戦を続けた国だ。下手をすれば国ごと滅んでいただろうほどに。
「ならその後はコレーを奪われて悲しむオデットを広告塔に晒し、ファントムを追う起爆剤にするつもりでしょうね」
「…エル・フェアリアの力も借りられて、一石二鳥…」
怒りに任せたミモザの言葉と、悲しみに暮れるエルザの言葉。
コウェルズは苛立ちを意地の悪い笑みに変えて。
「これは何としてでも、ファントムを捕まえたくなったね。まあその前にやらなければならないことがあるんだけど」
「コレーを幽棲の間に移す案件だけは何としてでも退けなければなりません」
何よりもまず、コレーを守らねば。外からも内からも。
「先ほどバインド王と少し話して、ヴァルツの持ってきてくれたラムタルの絡繰りを使用させてもらえることになった。イリュエノッドからは魔力増幅装置を譲られることになったし…これだけで堅物のリナトが頷いてくれることを願うしかない、か」
友好的な二国から、その国を代表する宝具を。ユナディクス国はフェントに大切な古代文献を快く貸してくれたと聞く。
本当はクレアが嫁ぐスアタニラ国からも力を貸してほしかったが、あの国は内乱中でそれどころではない。
「あの…魔力増幅装置は誰が使用なさるのですか?」
それでリナトが頷くかと考えていた所に、エルザがまた不安そうに眉根を寄せてコウェルズに訊ねてきた。
島国イリュエノッドの禁忌の宝具、魔力増幅装置。
名前通りの単純な宝具でないことは、ここにいる誰もが知っている。
「…リナトに頼もうとは思っているよ」
わずかに間を開けて出した名前に、エルザとミモザは安堵の表情を浮かべた。
「…幽棲の間に隔離されるなんて…絶対に防がなければ…」
「…あの場所だけは…」
そして二人の姫は、昔いたずらに中に入った幽棲の間を思い出して身震いする。
「…あそこは、人のいるべき場所じゃない」
コウェルズも同じ様に。
ガウェには何をそこまで恐れるのかわからなかった。
昔、まだ皆が子供だった頃。
ガウェもフレイムローズと共にコウェルズ達について幽棲の間に侵入した。
何もなかった。
何もない空間があるだけだった。なのにミモザ、エルザ、クレアは泣きじゃくり、コウェルズは顔を青くした。
何かがあると呟いて。
「…アークエズメルには私から連絡を取ろう。ミモザはリナトと話せるか?必ず頷かせるんだ。無理なら私が代わる」
「お任せください」
「エルザ、悪いがもう一度王都に下りてくれ。王都兵士の士気を高めてきてほしい。エル・フェアリアの主力は魔力ではなく鉄を纏う戦士達だからね」
「必ず」
頼りになる妹達の力強い答えにコウェルズも頷き返し、
「…ガウェ、少しいいか?」
「…はい」
ガウェを呼び寄せて耳打ちをする。
姫達には聞かれたくないと堂々と宣言するような態度だが、その内容にガウェもただ目を見開いた。
まだ黄都領主となってたった一日しか経っていないガウェにそれを求めるなど。驚きコウェルズを凝視するが、彼は本気のようだ。
「頼めるね?」
「…やってみましょう」
たしかに二人には聞かせられない。
そして姫達も気にはしつつも訊ねてはこなかった。
「さあ、みんな動こうか。何としてもファントムを捕らえよう」
内心を隠して爽やかに微笑むコウェルズに、ガウェ達は静かに頷き同意した。
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