第21話


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 ファントムの噂はたったひと晩で王都を覆ってしまった。

“エル・フェアリア虹の七姉妹、最も強大な魔力を持つ姫を私は手に入れる”

 虹の七姉妹--七姫の中で最も魔力量が多いのが第六姫コレーであることはエル・フェアリア全土、周辺諸国にも周知の事実だ。
 ずば抜けた魔力量を持つ為に魔術師団も護衛に加わった唯一の姫。
 一人ぼっちを極端に嫌い、常に誰かが側にいなければ魔力が暴発して、自分を傷付けてでも構わず泣きじゃくる。
 コウェルズと共に、暗殺されたエル・フェアリアの王子ロスト・ロードに匹敵するほどの魔力と謳われるが、精神的な幼さからか強力すぎる魔力のせいか、完璧には力を操ることが出来ない姫だ。
 まだ11歳の愛らしい姫君。
 ファントムの噂が流れてすぐにコレーを天空塔に隔離したのは魔術師団だった。
 炎の矢を打ち上げ、騎士達が炎の矢に気を向けている最中の出来事だったのだ。

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「今日は嫌味みたいによく見えるね。少し降りてきているみたいだし」
 空を見上げて呆然としているアリアに話しかけたのはレイトルだった。
 天空塔が目を凝らす必要もないほどはっきりと視界に入ったからだ。
 普段は王城の空高くを浮游しているというのに、圧迫されそうなほど下降している。
 天空塔の話は聞いていたが結局今まで足を運ぶ機会に恵まれず、改めてきちんと目にしたのは初めてであるアリアは、空に浮かぶ塔をただ見つめることしか出来なかった。
「天空塔が喜んでるんだろうな。大人数が天空塔に登るのは久しぶりだから」
「…怯えている可能性には目を向けないのか?」
 今のアリアの護衛に立つのはレイトルとトリッシュの二人だ。
 トリッシュは何の気もなくさらりと言うが、レイトルには思うところがあるのでどうしても皮肉になってしまう。
 普段穏やかな分、優しい人の口からこぼれる言葉の棘は妙に響いた。
「生きてる…んですよね?あの塔自体が。信じられない…あそこにコレー様が」
 それでもアリアがあまり気に留めなかったのは、やはり天空塔という特殊な生命体の存在によるところが大きい。
 しかもその生命体の中には、コレーを中心に彼女の騎士達と百人近くの魔術師達がいるのだ。
「魔術師団はコレー様を天空塔で御守りするつもりか?」
「…わからない。俺やアクセル、モーティシアには今後の予定は知らされていないから」
「…どうして?」
 トリッシュの少し困惑したような口調に、レイトルも驚く。魔術師団内でもトリッシュ達三人は有能な出世頭と言われていたはずだ。なのに知らせる事すら無いなんて。
「俺達が優先すべきは治癒魔術師だからさ。ファントムの噂に乗じて他国に狙われる可能性もあるからな」
 完璧な安全策など有り得ないから。肩をすくめながら、トリッシュは一番隠しておきたいことは口にしなかった。
 恐らくそれは騎士団内でも話されている内容なのでレイトルは言わずとも気付くだろうが。
「近隣諸国と仲良くやってても、信じきることは出来ないからな」
「…まあ、私達も同じようなものだよ。ニコル“副隊長”は今頃クルーガー団長に色々言われてるんだろうし」
 だが仲違いを避けたいトリッシュとは逆に、レイトルはどこまでも棘を纏ったままだ。
 案外性格悪いか?などと予想しながら、仕方無いとも諦める。レイトルは少し前まで王族付きだったのだ。
 第三姫クレアの姫付きだったが、コレーの性格も熟知しているはず。姫達を守ってきた身として、魔術師団の勝手は許せないだろう。
 姫達と近い場所にいる王族付き騎士と違い、魔術師団はどうしても王族を一人の人間でなく王家とひとくくりに見てしまう癖が強いのだ。
「…色々って何ですか?」
 さすがに含みに気付いたアリアが、不安そうに眉を寄せながらレイトルに訊ねる。
 それをはぐらかすようにいつも通りの穏やかな笑顔を浮かべて。
「気にするほどのことじゃないよ。トリッシュ達が言われたことと同じだろう。治癒魔術師護衛部隊はその任務を全うせよってね」
 騎士団と魔術師団という二つの異なる機関であることは伏せて、単純にアリアを守る為だけの部隊であることを強調する。
 それをアリアがどう捉えたかはレイトルにはわからない。アリアには棘を見せないようにしたつもりだが。
「…すみません」
「どうしてアリアが謝るの?アリアはいるだけでこの国の宝なんだ。護衛が付くのは当然の事だよ」
 守ることが当然であり何ら違和感を持たないレイトルには、アリアが自分に護衛が付くこと自体にまだ戸惑いを持っていることには気が付けないだろう。
 姫達は生まれた時から護衛に守られて生きてきた。だがアリアはそうではないのだ。
「はいはい考え過ぎないこと」
「…はい」
 その点については、まだトリッシュの方がよくアリアを理解していた。
 申し訳なさそうに俯くアリアの為に、魔術師団の先輩として単純な助言をして。
 その助言がいつだかアリアがニコルに言った言葉だとは知らずに。
「…天空塔にいられるなら…まだマシだからな」
 トリッシュは先を歩きながら無意識に胸中の懸念を呟く。
「え?」
「いや。じゃあ俺達の仕事に向かおうか」
 耳聡く聞き付けるアリアをはぐらかして、逃げるようにトリッシュは後ろの二人を見ずに歩み続けた。

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 兵舎の広い通路を、重い足を引きずるようにニコルは気怠げに歩いていた。
 騎士団長クルーガーに呼び出され訓練場で話をしたのはまだ数分前のことだ。
 今朝方に突如放たれた炎の矢。
 それが魔術師団の勝手な行動であった事は皆の前に立ったコウェルズから直々に聞かされていた。
 コレーの事が気掛かりではあったが、治癒魔術師護衛部隊は現状維持を貫くのだろうと思っていたが。
『お前達の任務は変わらない。アリアの護衛を遂行しろ』
 わざわざ呼び出さずともわかりきった事だと最初は思った。
『だがアリアは魔術師団の所属だ。本件で魔術師団長から護衛部隊に指令が来たら、それが騎士団を省きたいという場合は…素直に従い、一時的だがこちらに戻ってこい』
 万が一の場合はアリアから離れろという指示に、頭の中が白く染まった。
 ニコルはエルザを切り捨ててまで妹のアリアを選んだというのに。
『わかっているとは思うが、今の騎士団と魔術師団は考え方にずれが生じている。こちらもそうだが、魔術師団側も騎士団に知られたくない動きに出る可能性がある』
 騎士と魔術師が同部隊にいた場合、ふとした拍子に情報が漏れる可能性があるのだと。
 そうならない為にも、わずかな時間だろうが切り離す可能性が。
『毒の件は…黙っていてすまなかった。だがお前の命を狙う者はもういない。…アリアから離れても酷い心配をする必要はもう無いだろう?』
 まだ固まったまま動けずにいたニコルに、クルーガーは最後にまた暗殺の件を口にする。
 以前コウェルズとは、アリアの安全が確立されたならエルザの王族付きに戻るよう諭されていた。
 暗にエルザの元に戻れとでも言うようなクルーガーの言葉だが、どう考えてもニコルが再びエルザの元に戻るなどと考えられなかった。護衛騎士としてのニコルは、もうアリアの傍にあるのだ。
 ニコル個人としては…それはまだ何もわからなかったが。
 優柔不断なのだろうか?
 昨夜、エルザの唇を堪能しておきながら。
 アリア達と合流する為に通路を行く足をわずかに止めたのは、簡単に目視出来るほど降りてきている天空塔が太陽の光を遮り、王城に影を作ったからだ。
 窓から見上げれば、まるで混乱しているかのように動き回る天空塔が目に入る。
 あまりの大きさなのでゆっくりとした動きに見えるかも知れないが、天空塔に慣れた者達が見れば、ひと目でその動きの慌ただしさに気付く。
 まるで強風に流されてすぐに形を変えていく雲のような。
「--だから、あの貧民騎士に近づく為に牛女と仲良くなったんでしょ?」
「……違います…」
 ふと聞こえてきた女の声に、ニコルは無意識に身を隠しそうになった。
 聞こえてきたのはあまり使われていない部屋の中からで、貧民騎士と牛女というだけで、誰のことを指しているのかすぐにわかった。
 自分はわかるが、アリアは牛女などと呼ばれているのかと思い、晩餐会でも藍都の令嬢ジュエルがアリアの胸を牝牛と馬鹿にしていたことを思い出す。
 声の質からも何やらあまり見過ごせない雰囲気に室内への扉をわずかに開ければ、一人の侍女が数名の侍女達に囲まれている様子が見られた。
--あれは
 囲まれている侍女はアリアと仲良くなってくれたイニスという娘だ。
 初めてアリアに紹介された時は気の弱そうな娘だと思ったが、やはり正解だったらしく囲まれてひどく怯えている。
「ごまかさなくったっていいの!私達は貴女の味方になりたいのですから」
「あなたは大切な侍女仲間だもの。牛女のお兄さんとの仲を取り持つくらい、私達には簡単でしてよ?」
 他の侍女達はあまり記憶にないものばかりだ。
「…私は別に」
 アリアと仲良くなった事に気付かれ、さらにそれを疚しい理由だとこじつけられたのだろう。俯きながら否定するイニスの声が泣き声のようにかすれる。
「あなた、下位貴族の中でも更に下の位の生まれなのに、虹の都のひとつであるガードナーロッド家に生まれたガブリエル様の御好意を蔑ろにするおつもり?」
「そういうわけでは…」
 そして聞きなれない名前に、ニコルは首をかしげる。侍女として働く藍都ガードナーロッドの娘はジュエルだけではないのか、と。
 ガブリエル。聞いたことがない名前だった。
 ジュエルの性格がキツかったので、あれと同じくらいなのだろうかと考えてしまって。
「ガブリエル様がわざわざあなたの為に時間を割いてくださるのよ?」
「ご結婚されて侍女を辞められましたが、再び戻ってきてくださるどころか、あなたごときの恋愛相談にも乗ってくださるっていうのに」
 まだよくは理解できないが、どうやらジュエルの姉辺りか。
 さらに詰め寄られて、イニスは今にもしゃがみこんでしまいそうなほどだ。
「…そこで何をしている?」
「え!?」
 これ以上はイニスが可哀想だと割って入る事にしたニコルの登場に、侍女達全員がびくりと肩を驚かせて振り向いた。
「…ニコル様…どうなさいましたの?」
「ファントムの件で城内が騒然としているんだ。君達だけでもいつも通り振るまって七姫様を安心させることが勤めだと思わないのか」
「っ…」
 取り繕われる前に、強く叱責する。
 若い娘達はニコルの怒気を含んだ言葉にぐっと唇を噛んで耐えるような仕草を見せた。
「も…勿論ですわ!」
「行きましょう…」
 会話の内容からも随分と気まずい事だろう、侍女達はニコルを見ないように、イニスなど存在しないかのように互いだけの顔を見合せて小走りに去ろうとする。
 扉の前にはニコルが立つので、無言で道を開ければ俯いたまま部屋から逃げてしまった。
「…失礼します」
 ポツンと最後に残されたイニスも涙を拭いながら、少し間を開けてからニコルに頭を下げて部屋を出ようとして。
「…イニス嬢」
 ニコルの隣を抜けようとした際に名前を呼べば、立ち止まった彼女は驚いたように顔を見上げてきた。
 涙に濡れた娘の顔は、自分が悪いわけでなくとも少しばかり目に毒だ。
「…私の名前…」
 ぽつりと呟いたのは、どうして名前を知っているのかという意味だろう。
「アリアから聞いている。それよりも、何かあるなら力になるから…。俺に話しにくいならアリアに相談するといい。あいつも面倒見は良い方だ」
「--…」
「…イニス嬢?」
 ニコルの申し出に、イニスは呆けたようにぽかんとしている。
「…あ、ありがとうございます」
 そしてすぐに顔を隠すように俯きながら頭を下げ、その体勢のまま走り去ってしまった。
 通路を走るイニスの背中を見送れば、都合良く向こうからセクトルが訪れる。
 セクトルは俯いたまま走るイニスを怪訝そうに立ち止まってから見送り、わずかに首をかしげて歩みを再開したところでニコルに気付いた様子だった。
「…何だあれ?」
「いや…」
 イニスが走ってきた先にニコルがいたので関係があると踏んだのだろう、訊ねてくるのをはぐらかした。
 セクトルも訊きはしたがそこまで興味は無いのか、無理のあるはぐらかし方だが「ふーん」と適当にしている。
「…どうだった?」
 ここにセクトルがいるということは恐らく彼に任された仕事がひと区切りついたのだろうと訊ねたニコルに、セクトルは身体を伸ばしながらまるで自由を謳歌するような仕草を見せる。
「ほとんど叩き返してきた。ファントムのお陰でアリアに来る治癒依頼も減ったが、まだ馬鹿がいるからな」
「そうか。助かる」
 セクトルが任された仕事は、騎士団員から提出された申請書の整理だ。
「一人だけ傷が膿むまで放っといた奴がいたからそれは通したけどな」
「膿むまで?今まで申請書を出さなかったのか」
「らしい。申請してきたのも同室の別の奴だった。治療が苦手らしいぜ。染みるのが嫌とかで。医師団とアリアを一緒に考えてるみたいだな」
 子供かよという突っ込みは心の中だけでしておこう。
「そっちは?今後の動向を団長から聞いてきたんだろ?」
 セクトルもニコルがクルーガーに呼び出されていたことを知っているので、気になっているように顔を向けてくる。
「ああ。思った通りの現状維持だよ…ただ」
「…何だよ?」
 歩みを進めながら、難しい顔をしたニコルにさすがにセクトルも良くない方向を予想しただろう。
「魔術師団長が一時的でもアリアから騎士団の護衛を外すと指令が来た場合は、それに従う事になる」
 忌々しい限りだ。だがそうなってしまったら従うしかない。
「魔術師団はコレー様を天空塔に隔離した…場合によっては幽棲の間に移す可能性も出ているらしい」
 幽棲の間。
 そこは城内唯一の地下の間で、あらゆる噂が絶えない場所だった。
 天空塔が空の檻だとするなら、幽棲の間は地下の。そこにコレーが隔離されることになったら。
「…そうなれば」
「騎士団と魔術師団の衝突か」
「ああ」
 あまり口にしたくはない内輪の諍いに、ニコルもセクトルも数秒口を閉じてしまった。
「…穏便に済めばいいんだがな」
「コウェルズ様達が許さないだろう。何とかなるさ」
 神に願うようなニコルの言葉に、セクトルは有能な王子がいるなら大丈夫だと告げて。結局自分達は与えられる命令をこなすことしか出来ないのだと、改めて思い知らされたのだ。

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