第21話


第21話

 天空塔は王城の上空を遊泳している。
 円形の塔は明確な意思を持つ生命であり、無邪気な子供のように王族になついていた。
 かつてそこには十数名の治癒魔術師が住んでいたが、ある日忽然と彼女達が姿を消してからというもの、天空塔は寂しく空を漂い続けて。
 その天空塔が、戸惑うように身を震わせたのは明け方の事だ。
 団長のリナトを筆頭に多くの魔術師達が、11歳の第六姫コレーの細い腕を引いて天空塔を訪れた。
 コレー姫付きの騎士達が止めるのも聞かずに、数に任せて。
 それは、炎の矢が打ち上がると同時のことだった。

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 炎の矢は多くの騎士達、魔術師達を王城中庭に呼び寄せた。
 王族の緊急を告げる為の矢に起こされ、多くの者達が足早に中庭に集合する。
 ニコル達はフレイムローズの治癒があった為に身なりなどは全て整っていたので早く中庭に辿り着くことが出来ており、何があったのかと神妙な顔つきになりながらも慌てて集まり始める騎士達や魔術師達と顔を見合わせていく。
 問答無用の召集は王城の護衛番も呼び寄せる為に警備が手薄になるのだが、そのリスクを犯してでも呼び寄せるなど。
 多くの者達は寝間着にも使用する訓練衣姿だが、所々に昨夜の晩餐会に出席した礼装姿のままの者達もいた。
「…大丈夫ですか?」
 ガウェとルードヴィッヒも礼装組だった。
 酒がまわって二日酔いに眉間に深い皺を刻むガウェを、ルードヴィッヒが心配しながらも肩を貸している状態だ。
 体格差がある為にルードヴィッヒ一人では大変だろうとレイトルとセクトルが手を貸しに向かう。
「…ガウェは駄目だね。座らせておいた方がいい」
「申し訳ございません。父が昨晩どんどん飲ませてしまって」
「仕方ないよ」
 ガウェが父親を黄都領主の座から引きずり下ろしたのは昨夜の晩餐会中だ。
 強引に黄都領主の座を手に入れたガウェは、晩餐会の後は各都領主達に改めて挨拶に向かったと聞いたが、父のように慕う紫都ラシェルスコット氏に捕まったらしい。
「くっさ…」
 今にも吐きそうなガウェを地面に座らせれば、あまりの酒臭さにセクトルが思いきり眉をひそめた。
 その様子が不満だったのかガウェがセクトルの脇腹をどつき、そんな場合じゃねぇとセクトルもガウェの頭をはたき返す。
「やっほ皆様これ何よ?」
 そこに訪れたパージャは普段通りの軽い様子だが、さすがに炎の矢には驚いている様子だ。
「緊急集会だよ。王家の方々に何かあった場合とかに集められるんだ」
「ふーん?」
 興味が無いのかフリなのか、パージャは首の後ろを掻きながら辺りを珍しげに見回して。
 以前第五姫のフェントがファントムの盗んだ各国の宝具とエル・フェアリアの繋がりを見つけ、フレイムローズの魔眼蝶を王城に放つことを伝えた時の緊急集会は、前日に集まるよう全員に伝えられていたものだが。
「…まさかファントムに…」
 ふと思い付いたように呟くのはアクセルで、周りの騎士達から睨み付けるような視線を送られてビクリと身体を震わせる。
「…コレー様付きの姿が無いぞ?」
 辺りを見回しながら、こんな時に一番騒ぎそうなオヤジ騎士のスカイがいないことに気付いたセクトルが、スカイだけでなくコレーの王族付き騎士は誰一人として集まっていないことにも気付く。
「…魔術師の数も合いませんね」
 モーティシアも魔術師団の集まりが悪いことに気付き、どういう事だと警戒心を強めた。
「…念のために」
 アリアに結界を。そう告げようとしたトリッシュの言葉を遮ったのは、王城二階の露台ではなくニコル達と同じ中庭に現れたコウェルズだった。
「--魔術師は半数強か」
 意味深な言葉は、モーティシアと同じく魔術師団の集まりの悪さを責めるような色を灯している。
 コウェルズの出現に、中庭に集まった者達が引き締めるように一斉に姿勢を正した。
 動じないのは酔いどれたガウェと、それを面白がっているパージャだけだ。
 どうしようもない二名以外の全員の注目が集まったところで、コウェルズは重苦しく口を開いた。
「…ファントムが狙う姫の噂が新たに流れた」
 一気に緊張が走る中で、七姫達と護衛達が王城から中庭に走ってくるのが見えた。
「“エル・フェアリア虹の七姉妹、最も強大な魔力を持つ姫を私は手に入れる”」
 しかし向かってくる姫達の中にコレーの姿が無い。
「名が告げられたわけではないが、ファントムの狙いは恐らく…」
 救いを求めるようなエルザの悲しみに満ちた瞳を受けて、ニコルの心が軋むようにざわついた。

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 頭が痛い。
 王都に流れた新たなファントムの噂と、ほぼ同時刻に打ち上がった炎の矢の対応に追われたコウェルズは、考える時間が欲しいと自室に戻り、寝室のベッドを潰す勢いで腰を下ろした。
 ため息を付き、膝に肘を立てて頭を抱える。
 いくら有能と謳われるコウェルズでも、蓋を開ければ一人の若者だ。突然の出来事の責任を持つことになれば目が回る。
 魔術師団が何の連絡も無くコレーを天空塔に隔離したので尚更だった。
 なんて勝手なことをしてくれたのだ。
 ひと息つく時間を手に入れれば、沸々と腹の底から苛立ちに似た怒りが沸き上がってくる。
 魔術師団は王族の魔力の保護にも携わっているのだ。ファントムが膨大な魔力量を誇るコレーを狙っているのならば何としてでも阻止するだろう。それはわかっている。
 それともうひとつ。
 扉を叩く音が無いのに勝手に扉が静かに開かれた。
 誰だかは言わずとも知れていた。勝手に入ってくるのはヴァルツくらいのものだ。
「大丈夫か?コウェルズ」
 ひょこりと扉から顔だけ見せてきて、ベッドに座るコウェルズを見つけて入室してくる。
「大丈夫なわけないさ。まったく…」
 まるで自分の部屋であるかのように遠慮もなく近付いてきて、向かいにあるソファーに腰を下ろして。
「娘を狙われているが、引きこもりの国王はどうしているのだ?」
 腕に巻いた金の絡繰り細工をいじりながら、訊ねてくるのはコウェルズの苛立ちを増長してくれた父王の事だ。
 魔術師団の勝手な動きだけでも腹に据えかねるというのに、その上さらに父は。
「…いつも通りだよ。久しぶりに顔を見せたと思ったら妹達に『コレーに会いに行かないように』とだけ伝えてまた籠もってしまった」
 四年間引きこもり続けた父親。最初にファントムの噂が王都に流れた時ですら動かず、他国に外交に向かって王城にいなかったコウェルズに代わり政務をこなしてくれていたミモザに多大な重圧を押し付けた。
 長期間国を出たことなど、政務に主軸として携わるようになってから初めてだったというのに。
 コレーが狙われている可能性にようやく顔を出したと思っていたのに、的外れも甚だしい命令を出してまた引きこもった。
 妹姫達に父の命令を聞かせるつもりはない。そうでなくとも寂しがり屋のコレーが姉達に会えないなど耐えられるはずがない。
「…早く引退させてやったほうがよいのではないか?私も久しく会っていないが、あれは国王向きの人間ではないだろう」
「ああ」
 否定など欠片もしない。父が王に向いていないのは紛れもない事実だ。エル・フェアリアという大国を統べるには、余りにも愚図なのだ。
「…ただ、魔術兵団が動く可能性がある」
 コウェルズが口にする耳慣れない団の名前に、ヴァルツがわずかに首をかしげた。
「…それは……ファントムにか?コレーにか?」
「さあね」
 ファントムを捕らえる為に出てくるのか、コレーを守る為に出てくるのか、それは王でないコウェルズにはわからない。魔術兵団は特殊な部隊なのだから。
「…魔術兵団…私も見たことがない組織だが実在するのか?…魔術師団とは違うと聞くが、どう違うのだ?」
「魔術師団は…まあ、騎士団と同じ機関だと考えればいいよ。国の為に動くのが騎士団。それと違って魔術兵団が動くのは“国王の為”だけだ。彼らは国ではなく国王を優先するんだよ。王族付きの一つで“国王付き”と呼ぶ者もいるね。姫付きや王子付きの騎士達は護衛対象以外に騎士団長の命令も受けるけど、魔術兵団にそれはない」
「…ただ国王の為だけに動くのか」
 理解したように呟くヴァルツに、頷いて肯定してみせる。
 魔術兵団の実態を知るのもエル・フェアリアで唯一国王のみだ。
 いくら政権を主導しているのがコウェルズであろうと、王子である限り優秀な部隊はコウェルズには従わない。
「話だけ聞けばあの愚屯には勿体ない組織だが、実際に動けるのか?」
「どうだろうねぇ?私もこの数年、魔術兵団長のヨーシュカにしか会ったことがないから」
「コウェルズでもか!?」
 驚くヴァルツに肩をすくめてみせて。
「ただ、魔術師団や騎士団の中でも特に優秀な者がさらに何らかの振るいにかけられて選出されると聞くよ。恐らくは相当優秀だろうね」
 戦う魔術師とでも言えばわかりやすいか。
 騎士団にも一人だけ魔術騎士はいるが、魔術騎士と魔術兵は似て非なる。
「王城騎士と王族付き騎士みたいな違いだな!」
「恐らくはね…」
 いまいち事態を理解していないのか、他国情勢の為にあまり考えてはいないのか、ヴァルツは無邪気にポンと手を叩いて魔術兵団について想像する。
 気楽でいいなぁとため息を付けば、視線に気付いたヴァルツがあながち的外れでもない助言をしてくれた。
「何だ難しい顔をして。決断に困っているなら兄上に相談するといい!兄上の知恵ならきっと打開案を示してくれるぞ!」
 大国ラムタルの若き賢君バインド。彼はいつだって、コウェルズに知恵を貸してくれたではないか。
「…そうしようかな」
 エル・フェアリアの情勢を教えるわけではない。ただ少し、生き方の相談に乗ってくれる人。コウェルズにとって、父の代わりとなってくれるほどの。
 久しく会えていないバインドを思い浮かべながら、コウェルズはこのまま眠ってしまいたいような倦怠感を抱えてベッドに仰向けになった。

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 訓練もせず一人ふらりと書物庫に訪れたパージャが見かけたのは、護衛の騎士二人に遠巻きに見守られていた第五姫フェントの姿だった。
 若干13歳の内気な姫だが貪欲なほど知識を求める癖があり、一度目を通した内容はほとんど忘れないほどの記憶力も持っている。
 書物庫内の膨大な情報は全て頭に入っているとも噂され、以前ファントムとエル・フェアリアの結び付きを見つけたのも彼女だった。
 成人前のお子様とは思えないほど大人びた様子は、少し心配にもさせる。13歳ならもっと遊びたがってもいいはずなのに、彼女は早く大人になることを選んでしまったようなのだ。
 子供の頃に遊び学んだ経験こそが魅力的な大人になる道だというのに。
 書物庫内に立ち入れば、二人の騎士がパージャを見かけて静かにと合図を送ってくる。
 何事かと思えば、フェントが長テーブルに資料やら何やら色々広げて目を近付けて格闘しているではないか。
 ただでさえ視力が悪くなり眼鏡をかけているのに、あれではもっと悪くしてしまう。
 というか猫背になってしまったらどうするつもりなんだ、なんて親でもないのに親心を出してみたり。
「…こんなとこでどうしたのー?お姫様」
「あら…パージャ」
 騎士達の無言の制止も聞かずに身勝手にフェントに近付けば、姫はゆっくりと曲げていた背中を伸ばしてパージャを見据えた。
 最近は妹達に触発されてお洒落に興味を持つようになったと思っていたが、今日は以前のやぼったい髪型に戻ってしまっている。
 長テーブルに広げられていたのは一冊の書物を中心にいくつかの古文書や白紙の紙で、どうやら何かを書き写している様子だった。
 今は使われていない異国の古い文字を解読している途中なのだろう。
 妹のコレー姫の緊急事態と何か関係があるのだろうか?
「これってユナディクス国の古代文字じゃん」
 フェントが一語ずつ地道に解読している文字には見覚えがあり、さらりとその正体を告げるパージャをフェントは目を丸くして見上げてきた。
「…わかるのですか?」
「まぁ、ちょっとくらいならね」
 驚くのも仕方無いだろう。王城にいる者の多くが近隣諸国の言語を覚えてはいるが、古代文字ともなれば話は別だ。エル・フェアリアの古代文字ですら、理解できるものはごくわずかだろう。
 フェントは呆けたようにしばらくパージャを見つめていたが、やがて無意識のような動作で腕を伸ばし、テーブルについていたパージャの腕の袖を引っ張った。
「…なら手伝っていただけませんか?私はユナディクス国の文字はわかるのですが、古代文字となるとあまり…」
 突然の申し出に、パージャよりも後方の騎士達の方が驚いている。
「べつにいいけど?何したいのさ?」
「こちらはユナディクス国からお預かりした、ファントムに奪われた宝具についての文献です」
「--…」
 フェントの説明に、パージャは誰に知られる事もなくわずかに息を飲んだ。
 ファントムは今までに七つの国で毒にも薬にもならないようなガラクタの宝具を奪い去っていった。
 それらは古ぼけ忘れ去られていたものばかりだったが、フェントはそれらから繋がりを見つけ出してみせたのだ。
 その知識量には恐れ入る。
 所詮知識程度だと割り切るにはあまりにも聡すぎた。
「ユナディクスは40年前、初めてファントムに狙われた国です。奪われた宝具は首飾りで、虹の赤を宿していると伝えられています」
「…よく古い文献なんか貸してくれたね?」
「いずれ私が嫁ぐ国ですの。半月ほど前に文献が存在するなら見せていただけるようお願いしていたのですが、先ほどちょうど」
 友好関係が実を結んだという事か、それともいずれ嫁ぎに訪れる大国の姫のご機嫌をとっておきたかったのか。
 恐らくは前者だろう。ユナディクス国の大らかな気質はパージャもよく知っている。
「ふーん?でも何でそんなものを?」
「ファントムとエル・フェアリアの繋がりを見つけ出します。…必ずあるはずですから」
 掴んでいた袖を離して、フェントは拳を握り締めた。どこが意地のようにも見えたので、性格は内気なだけではないのだろう。
「…今まで奪われてきた宝具とエル・フェアリアの繋がりを見つけたのも君だもんね?」
「私は私に出来ることをしているだけです」
 言葉は謙虚だが、醸し出す様子は当然の事を今さら口にするなとでも言いたげだ。事実、フェントが気付かなければ誰にも見付けられなかっただろう。
「偉い偉い」
「きゃ…」
 誉めてやろうと頭をワシワシと撫でてやれば、短い悲鳴が聞こえると同時にパージャは身体を羽交い締めにされてしまった。
「パージャ殿!先ほどからの無礼な物言いには口を閉じていましたが、その態度は許せませんぞ!!」
「頭撫でただけじゃーん」
 王族付きの二人は額に青筋を浮かべており、完全にパージャにキレている様子だ。
「王家の方の頭部に触れるなど言語道断!」
「いいじゃん嫌がってないんだし」
「貴様っ!!」
「やめなさい三人共!書物庫では静かにするものです!」
 喧嘩の始まりそうな様子を止めたのはフェントの強い叱責だった。やはりただ内気なだけではないらしい。
 その強い口調に、二人の騎士が一気にシュンと項垂れてしまった。
「…申し訳ございません」
「…失礼いたしました」
「ごめんねー」
 三人の謝罪をそれぞれ聞いてから、フェントは盛大なため息をつく。その貫禄は完全に子供などではない。
「…パージャ、気安いのは構いませんが、時と場合を考えて下さいませ。私が何も思わなくても、それを見て不愉快に思う方々はいるのですから」
「お姫様が良くても?」
「勿論です。和を乱す事は許しません」
 さくりと注意して、ユナディクスの古代文字の文献と白紙の紙を手元に用意する。
「へー?年齢のわりにしっかりしてるのね?まだ13でしょ?」
「はぐらかさないでください。では早速ですが--」
「あー、ちょい待って……」
 注意したなら次は古代文字の解読だと早々にこき使ってくれそうな様子に、パージャは少しだけ待ったをかけた。
 首をかしげるフェントをそのままにして、パージャは意識を他方に飛ばす。
 求めた返信はすぐに訪れた。
「……うん、いいよ。どこを訳せばいい?」
「最初“から”です」
 許可が降りたのだからどんと来いと解読の手伝いをしようとしたパージャは、フェントの言葉に静かに口を閉じた。
 聞き間違いだろうかとも思ったが、フェントは気にする様子を見せてくれない。少しは気にしてくれ。
「書き写しますので、ゆっくり読んで下さいませ」
「……」
「…パージャ?」
「え、これ全部?」
「勿論ですわ」
 フェントが指定する古代文字の文献は分厚い。しかも文字も細々として、たかが一行にも時間を使いそうだ。
 だというのに。
「…可愛い顔して鬼だね」
 心から思った本心を口にした瞬間、背後から大の男二人分の容赦ない拳がパージャの頭に落ちた。

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