第20話


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 晩餐会は滞り無く始まり、最初こそ平民二人の姿に驚いた者が多かったが、その後は最上位貴族バルナに遠慮するかのようにニコル達に視線を向けるものは少なくなった。
 所詮はこんなものかと拍子抜けするニコルとアリアだが、見慣れない礼装のデザインと凝った髪型にコウェルズや姫達は楽しげに褒めてくれる。
 髪についてはすぐにガウェの作品だと気付かれ、礼装についてはヴァルツが羨ましがって。
 王族達に囲まれるニコルとアリアに対してバルナは最初こそ忌々しそうな表情を見せたが、すぐに興味を失った様子でにこやかに自席で周りの者達と談笑を始めていた。
 フレイムローズとルードヴィッヒは上手く隣同士の席を確保したようで、何やらコソコソと遊んでいる。
「席替え自由だよ。ヴァルツ、こっちに座る?」
「よいのか!?」
 コウェルズ達も着席に向かうが、一応決められている形だけの席順なので「構わないよ」と笑う。
 まるで無邪気な子犬のようにヴァルツが喜ぶのは、コウェルズと席を替わればもれなく嬉しい結果が待っているからだ。
「ミモザの隣に座りたいと顔に大きく書かれているよ」
「うむ!否定せぬぞ!!」
「もう、二人とも…」
 慌てながらさっそく席を替わろうと反対側から回ってきたヴァルツに思わず笑ってしまいながら、ミモザは一応注意しておく。
「姉様も満更でもないって顔に書いてるよ」
 ミモザのさらに隣に座るクレアはそんな姉を冷やかすが、照れながら怒るかと思っていたのに残念ながらそうはならなかった。
「…否定しません」
「えー、姉様らしくない!」
「姉をからかうんじゃありません」
 普段の真面目な雰囲気を取り払って優しく微笑むミモザに、クレアの方が照れてしまった。
「お姉さま、お姉さま」
 そこからほんの少しだけ離れた場所では、兄が席を替わったことに気づいた末のオデットがエルザの手を引っ張った。
「どうしましたの?」
「お席かわってください」
「あら、どうして?」
 エルザの席は両端にコウェルズとフェントになるが、そこにオデットは来たいと言う。理由を尋ねれば、オデットはモジモジと恥ずかしそうに俯いた。
「コウェルズお兄さまのお隣だと、好きなくだもの分けてもらえるの…」
 ちらちらとエルザを見上げながら教えてくれた理由は何とも可愛らしいもので、エルザはクスクスと笑ってしまった。
「あらあら。仕方ないわね」
「やった!」
 了承してくれたエルザにぎゅっと抱きついて、オデットがエルザの席につく。コウェルズは隣にオデットが来たことに驚きながらも笑って迎えていた。
 そしてエルザはオデットが座るはずだった席に向かい、自分の隣に座ることになるのがニコルだと気付いて目を見開いた。
「--…」
「まあ!」
 この晩餐会では気楽にが信条なのでニコルは着席したままだ。
 そのニコルは固まったようにエルザを見上げて。
「…オデット様は?」
「お兄様の隣に行きたいとの事で替わりましたの」
「そうでしたか」
 こんなに近くにいるということが嬉しくて、心臓の鼓動が痛いほど身体中に鳴り響く。
 頬が火照るのに気付いて恥ずかしくなるが、ニコルから目を離したくなかった。
「あ、お隣…よろしいですか?」
 思わず訊ねたエルザに、ニコルは笑いながら立ち上がってくれて。
「勿論です」
 椅子を引かれ、着席を促された。
「き、今日は無礼講ですのに…」
 ニコルの行動のひとつひとつに集中してしまい、息が出来なくなってしまいそうだ。本当に、こんなに近くに彼を感じたのはどれくらいぶりだろうか。
 着席すれば、ニコルの向かいに座るアリアとも目が合い、互いに照れたようにぺこりと頭を下げた。
「…本当に素晴らしい礼装ですわね。ニコルもアリアもよく似合っていますわ」
「ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます!」
 魅力的なドレスは背の高いアリアに似合って格好良い。
 そして兄妹揃いのヘアスタイルが羨ましかった。
「アリア!すごく綺麗ですね!!」
「ありがとうございます」
 はしゃいで勝手にスカイ達の元に行っていたコレーが戻ってきて、隣に座ることになったアリアのドレスを楽しそうに眺めて見上げる。
 アリアもコレーの方に体を向けて、お互いに手を合わせて。
「私は?可愛い?」
「とても可愛いですよ」
「うふふー。アリア大好き!」
「わ、あ、ありがとうございます!」
 無邪気に抱きついたコレーに、アリアの顔が真っ赤に茹だった。
 何の気もなく抱きつけるなんて。
 自分とニコルでそれを想像して、エルザはまた熱くなる頬をニコルから隠すように、さらに隣に座るフェントに向き直った。
「お、お料理楽しみですわね!フェント!」
「私よりニコルとお話されたらどうですの?最近話す機会があまり無いのでしょう?」
 しかし見透かされた恋心を意味深に笑われて、さらりと流されてしまう。
「…フェントったら」
 エルザの恋心に気付いているなら、せめて恥ずかしくて照れている間くらい相手をしてくれてもいいのに、わざとらしくオデットの相手ばかりを始めてしまって。
「アリア、袖に気を付けろ」
「あ、うん。わかった」
 ちらりとニコルを見やれば、こちらに気付いていないのかアリアの心配ばかりしている様子だった。
 しょんぼりと俯くが、こちらを向いてくれる素振りすら見せてくれない。少しくらい気にかけてくれてもいいと思うのに。
 隣に座れてとても嬉しかった気分が沈んでいくのがわかる。
 エルザ以外には心を動かされないと約束してくれたのに、エルザすら見てくれないなんて。
 さらにしょんぼりと俯いていると、隣で小さなため息が聞こえた気がした。
「…ゆっくり話せる時間というのも久しぶりですね」
 耳に心地の良い優しい声がエルザに向けられる。
 一瞬誰に向けられた声なのかわからなかったが、すぐに自分だと気付いてエルザは顔を上げた。
「あ、はい!…そうですね!」
 下降した気持ちがまた急上昇する。
 落ち着き始めていた胸の高鳴りがまた再発して、でもニコルから目を離さなかった。
「エルザ様、少し痩せましたね」
「…そんなことは…」
「訓練も大事ですが、きちんと休息も取ってください。でなければ心配してしまいますから」
「だ、大丈夫ですわ!」
 心配していたのはエルザの方だと思っていたのに、まさか心配されてしまうなんて。
 それに確かに少し痩せてしまったので、気付いてくれたことがとても嬉しかった。
 痩せたくて痩せたわけではないが、気遣いが胸に染みてキュンと甘く疼く。
「…ニコルの方はどうですの?最初は慌ただしかった様子ですが、落ち着きましたか?」
「そうですね。以前に比べれば休憩を取る時間もありますし、落ち着いてきた方でしょう」
「休憩時間も無かったのですか?」
 驚くエルザに、ニコルは仕方無いとわずかに笑う。
「治癒魔術師の珍しさからでしょう。もう暫くすれば他国と同様までに落ち着きますよ。そうすればエルザ様の訓練にもっと時間を費やせます」
「…はい」
 嬉しくて頬が緩みそうだった。アリアの訓練が増えれば、それだけニコルといられる時間も増えるから。
 もちろんそれだけが訓練に励む理由という訳ではないが、でも側にニコルが居てくれたらすごく嬉しいのだ。
 会話も段々と温まり緊張がほぐれた辺りでコウェルズの晩餐会開始の言葉が流れ、上手く最初の食事が運ばれてくる。
 前菜はエルザの好物が出てきてくれて嬉しかったが、ふとニコルに目を向ければ何やら難しい顔をして皿の上を睨み付けていた。
「どうしましたか?」
「…いえ、晩餐会など初めての経験ですので、どうすればよいものかと…」
 難しい顔の理由は、どう食べればと困惑していたかららしい。
「お好きなように召し上がってくださいな」
「はあ…」
 固くならなくてもいいのに、まるで頼るようにエルザを眺めるなんて。
 ニコルが護衛として側にいてくれたときでも食事を共にしたことなど滅多に無かったので、とても新鮮な気分だった。
 ちらりとアリアを見てみれば、同じ様に困惑した表情を浮かべている。
「ふふ、ご兄妹ですわね」
「え?」
 エルザの言葉にニコルもちらりと視線を前へ向けて。
 アリアは不安げに隣のレイトルに食事のレクチャーを受けており、レイトルも頼られることが満更でもない様子で。
「…何だか良い雰囲気ですわね」
 少し羨ましくなるような距離だが、自分達も同じくらいの距離にいると思うとまた頬が熱くなる気がした。
「…私達も、こうしてお話していたら、他から見たら良く映るでしょうか…」
「…どうでしょうね」
 モジモジと照れながら訊ねるが、ニコルの返事は素っ気ない。だがしゅんと項垂れそうになったところで、まだ言葉は続いていた。
「母親にマナーを教わる大きな息子に見られているかも」
 言われた意味を理解するのに少し固まって。
「まあ!ニコルったら!!」
「あははは。冗談ですよ」
 ようやく見られた楽しげな笑顔に、つられて笑ってしまう。
 こんな風に食事を楽しめるなんて。
 ニコルが側にいない事がとても寂しかった。当たり前になっていた時間が消えてしまって、遠くから眺める時間ばかりが増えて。
 それに最近は、避けられている気がしてならなかった。
 エルザを見ないように顔を背けられることが何度もあった。
 一度や二度の事ではないし、それらに気付けないほど鈍感でもない。
「…いつか二人だけで食事を頂く未来を…願っていてもよろしいですか?」
 ただ願うというよりも懇願するように、エルザはナイフとフォークを離して両の手を握り合わせながらか細い声で訊ねた。
 エルザ以外の娘には靡かないと約束してくれたのはニコルだ。もしニコルが心奪われるような娘が現れればそんな約束は霞のように消え去るとわかっていても、それにすがりたかった。
 しかしニコルからの返答は無い。
 まるで唇を縫われたかのように黙り、視線を向けてもくれない。
 胸が締め付けられるようだった。
 色々な憶測が脳内を飛び交い圧迫していく。
 ほかに好きな人が出来た?
 何か怒らせるようなことをしでかして嫌われてしまった?
 涙が浮かびそうになった頃、ようやくニコルはわずかに笑った。
「…はい」
 頷いてくれて、二人の未来を否定しないでいてくれる。
 だがなんて空虚な笑顔なのだろうか。
 殻だけの存在であるかのように、ニコルの声には感情が無い。
 ただエルザの望む返答を口にするだけの人形のようで虚しくなっていく。
 エルザが王族だから気持ちに答えてくれないのだと思っていた。しかしそれ以前の問題でもあるかのように、ニコルはエルザを見てくれない。
「--フェント!次は何が来るのでしょうね!?」
 苦しくてつらくて、エルザは逃げた。
 突然話しかけられてフェントは驚くが、エルザの様子に気付いて今回は流さないでいてくれる。
 隣同士になれてあんなに嬉しかったのに、どうして今は涙を必死に堪えているのだろうか。
 胸を満たした甘い疼きは締め付けるような痛みに変わり、恋の辛さをエルザに刻み込んでいく。
 周りの雰囲気はいたって和やかなもので、ゆったりと進む食事を楽しんでいる気配をそこかしこで察することが出来た。
 それからいくつもの料理が運ばれてきたが、どれもエルザの好みのはずなのに味気なくて。
 気持ちひとつでこんなにも美味しくなくなるなんて。デザートも食べる気分になれなくて、妹達が欲しがるに任せて分けてやった。
 結局エルザは、フェントに顔を向けてから今まで一度もニコルの方を見ることが出来なかった。
「--もう終わりの時間かぁ」
 ふとアリアの寂しがるような声が聞こえてきて、レイトルが「食事の時間はね」と笑って返すのを聞く。
 ぴくりと反応したのはエルザだけではなかった。
「ガウェが暴れるなんて言うから何するんだと思ったけどな」
 何も知らないニコルがため息交じりに呟いて、口を閉じたままではいられなかった。
「…これからですわ」
「え?」
 神妙な声色はニコルにどう届いただろうか。しかし大切な事なのだ。ニコルの不安を取り除くために、エルザも片棒を担いだのだから。
「ガウェだけではありませんもの」
「…エルザ様?」
 困惑しているのはニコルとアリアだけだ。
 後の者の耳には入れられている。
 そしてニコルは、ピンと張り積める空気に気付いた様子だった。
「--食事は皆済んだことと思う。ここからは少し我々の話を聞いてほしい」
 コウェルズが立ち上がり、会場が静かにざわつく。
 期待するような様子を見せるのは領主達の座る席だけで、大臣達は首をかしげ、騎士達は異常に静かだ。
「黄都ヴェルドゥーラ嫡子であるガウェ・ヴェルドゥーラ・ロワイエットから皆に大切な話がある。ガウェ、ここに」
 呼ばれて立ち上がるガウェの表情はなぜか穏やかで、その様子こそが彼の決意を示しているようだった。

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「…早いものだな」
 静かに食事を楽しんでいたガウェに話しかけてきたのは、隣に座る隊長のイストワールだった。
 ガウェがエルザ姫付きとなってから五年間もガウェの面倒を見てくれた騎士だ。
 騎士として初めて挨拶をした時は、イストワールはまだ部隊の副隊長だった。
「お前が騎士団入りした時から、私はお前に悩まされっぱなしだったよ」
「…そんな昔にまで迷惑をかけていた覚えはありませんが」
「よく言う」
 クックッと喉の奥を鳴らすように笑うイストワールに、テーブルの下で軽く足を蹴られた。
「13歳の子供が王城騎士を経験せずに王族付きになると聞いて、どんな奴が来るかと思えば…イタズラ好きで生意気盛りの糞ガキと来たもんだ」
 懐かしむように呟きながら、イストワールは食事を続けていく。
「リーン様は連れまわすわ、コウェルズ様と組んで城を破壊するわ、どうしようもないと思っていたぞ」
 責めるような中に優しさを含ませて、懐かしい思い出を丁寧に抱きしめていくような。
「お前が糞ガキだったせいで、同じ様に子供の時に騎士団入りしたフレイムローズが天使に見えたものだ」
「あれは世間知らずだっただけでしょう」
「素直で健気で可愛かったんだよ。お前みたいにひねくれて屁理屈ばかり並べ立てるようなまねはしなかった」
「私だって素直で健気で可愛かったでしょうに」
「馬鹿言え。悪さして怒られた腹いせに後ろから飛び蹴り食らわせて逃げるようなガキをお世辞でも素直で可愛いと言えるはずがないだろう」
 父が息子にするように、頭をぐりぐりと大きな手のひらで掴まれてこねくり回される。せっかく整えた髪型がお陰でめちゃくちゃだ。
 イストワールの手を払いのけながら髪を手櫛で直せば、彼はグラスに注がれていた特別な果実酒を一気に飲み干した。
「…本当に、早いものだなぁ」
 戻らない過去を懐かしむ声が、イストワールを隊長ではなく一人の人間だと知らしめる。
 ガウェを心配し、気を回してくれた人。
 ガウェとニコルという問題児を上手くまとめてくれた人生の先輩だ。
 ガウェが今日の計画を語って聞かせた時も、その大きな懐で何もかも受け止めてくれた。
「ご心配をお掛けしました」
「…迷惑の間違いだろうが」
 心配なんてしてやるものかと、心配した口調で。
「お前が決めた道だ。踏み外しそうになったら首根っこ引っ付かんででも元の道に戻してやるから…行ってこい」
 せっかく整えた髪をまた無遠慮に乱される。
 大臣や他の領主達がいるので晩餐会では顔の傷を隠そうとしていたのに、これではもう隠しきれないではないか。
 だが不満にはならないのだ。
 いつだってイストワールは、彼らは、ガウェを大切な仲間として扱ってくれたから。
 イタズラばかりしていた本当の理由を伝えたら、どう思うだろうか。
 心配してくれるから、心配してほしいからイタズラばかりしていたなんて伝えたら。
 自分はなんて子供だったんだろうか。
 黄都嫡子ではなくガウェ個人を見てくれた人達。
 これからは、変わってしまうのだろうか。

「--食事は皆済んだことと思う。ここからは少し我々の話を聞いてほしい」
 ひと区切りがついた所で中央テーブルにいたコウェルズが立ち上がり、全員の注目を浴びる。
 始まってしまった。
 後戻りの許されない、前にだけ伸びる道を歩く時間が。
「黄都ヴェルドゥーラ嫡子であるガウェ・ヴェルドゥーラ・ロワイエットから皆に大切な話がある。ガウェ、ここに」
 真剣な眼差しのコウェルズに呼ばれるままにガウェは中央へと向かう。
 その途中でちらりと見た父は、とても満足そうな笑みを浮かべていた。
 コウェルズの隣に立てば、ポンと励ますように肩に手を置かれ、彼は静かに席へと戻った。ここからはガウェが舞台の中心に立つのだ。
 エルザは心配そうに両手を合わせ、ニコルは訳がわからないと言わんばかりにガウェを見つめる。
 ニコル以外の騎士と準備の侍女達は、皆とても静かなものだった。
「貴重なお時間を私の為に割いていただきありがとうございます。本日は黄都ヴェルドゥーラを継ぐ者としての決意をお知らせする為に、皆様の集まるこの場をお借りしました」
 改まる口調は機械的だと自分でも思う。
 だが決めた事なのだ。
「勿体ぶらず結論から言いましょう。父上、あなたには今より黄都領主の地位を降りていただきます」
 ガウェの宣言に凍りついたのは各都領主達と大臣達だった。
 特に領主達は予想していたものとは違う突然の宣言に固まり、ややしてからざわりと有り得ないものを見るようにガウェとバルナに視線を向ける。
「勿論職務全てを今すぐ剥奪する訳ではありません。ですが明日からは私への引き継ぎを行なっていただきます。一年もあれば全ての任を私に譲れる事でしょう。私も半年後に黄都に戻る予定ですので」
「何を言っている!!エルザ様との」
「婚約発表とでも本気で思っていたのですか?」
 椅子を弾き飛ばすように立ち上がる父に訊ねてやれば、父は強く息を飲んだ。そう見せかけるように演じたのはガウェ達だ。だが簡単な嘘を見破れなかったのは、父親であるはずのバルナだ。
「あなたが息子を理解していたなら、嘘であると容易に気付けたはずですが?」
 わずかに残っていたらしい父への期待が霧散した嘘。
 勝手な期待だったと他者は言うのだろうか。それでもガウェには父親だったのだ。
「そう思わせたのは、あなたを浮かれさせておく為です。愚かな罪をこれ以上増やさない為に」
「罪だと!?私が何をしたというのだ!!」
 事務的な口調はまるで父に向けるものではない。同時に強く避難するようなバルナの言葉も、息子に対するものではなかった。
「…あなたが声を荒らげないならば、ここで発表するつもりは無かったのですが。…皆様のいる前でヴェルドゥーラの恥を晒すのは忍びないのですが…お伝えいたしましょう」
 全てを白日の下に。
 これを聞いたらニコルはどう思うのだろうか。仲間を苦しめていた存在の大元が自分の父親だなどと。
「騎士ニコル殿、並びにパージャ殿への暗殺教唆行為について」
 静まり返る会場内で、領主や大臣達の視線がニコルに降り注いだ。
 ニコルの表情は、ガウェには見ることが出来なかった。
「…何を言っている…そんなことは…」
「パージャを入れてください」
 青ざめながらもしらを切ろうとするバルナを見ながら、ガウェは扉の近くにいた侍女長に願い出る。
 静かに頷いた彼女は普段通りの落ち着きながらも機敏な動作で扉を開いた。
「あいよ、おー待ちぃー」
 待ってましたとでも言わんばかりに現れるパージャが蔓に巻かれた騎士を二人、床に放り捨てた。
「ぐっ」
「うっ」
 捕らえられている騎士は受け身を取ることも叶わず無様に床に倒れ、パージャの後ろからは、わずかに騎士二人を気にするように見下ろすワスドラートが現れる。
「…ワスドラート、お前、何を…」
 彼が捕らえられもせずにパージャの後ろにいたことには驚いたが、ガウェよりもバルナよりも、ワスドラートの父親である藍都領主が驚いたようにカタリと小さな音を響かせて立ち上がった。
 その隣では藍都領主の娘であるジュエルが口元を押さえながら兄を見つめている。
 騎士達の席ではミシェルも同じ様に、わずかに目を見開きながら兄を眺めていた。
 藍都ガードナーロッドの兄妹からすれば、ミシェルは薄々勘付いていた可能性があるにせよこの場に長兄であるワスドラートが現れるなど思いもしなかった事だろう。
「…彼らに見覚えは?」
「…何のことだ?いい加減にしなさいガウェ。お前のしている行為は潔白の人間を陥れる浅ましい行為だぞ…」
 バルナの苛立ちを受け流しながら、ガウェはパージャが懐から小さな小瓶を出すのを目にする。
「これ、二人の荷物の中から大はっけーん。同じものをワスドラート君からもゲットしちゃったぜ」
 小指ほどの大きさの小瓶を三つ投げ寄越されて、上手く片手にとらえる。
 ガウェはそのうちの一つを開け、近くにいた侍女の持つ果実酒の入ったグラスに一滴だけ落とした。
 全員の視線を一身に受けながら、ガウェはそのグラスを持ってバルナの元に向かう。
「…どうぞお飲みください」
 静まり返るホールでは小さな声もよく響き渡る。
 誰もが息を飲む中で、バルナがわずかに半歩後退りした。
「…やめないか」
「潔白なのでしょう?この中身もわからないはずだ」
「ふざけるな!!そんな怪しいものを飲めるわけがないだろう!!」
 拒絶の色を濃く見せるバルナにガウェはさらに詰め寄り、グラスを渡そうとする。どうせ飲めないことはわかっていたが、逃れようとする父はひどく滑稽な姿をしていて虚しかった。
「じゃあこっちの二人に飲ませる?鼻から流し込むのも有りだし」
 バルナがもう一歩後退ったところでパージャがしゃがんで捕らえた騎士二人の髪を掴み、無理矢理頭を上げさせた。
 一人は息を飲み、もう一人は哀願するようにバルナを見つめて。
「バルナ様!!やめさせてください!!」
 まるでエル・フェアリア騎士団に相応しくない無様な様子に、王族付き達が揃って眉をひそめる。
「お前達など知らん!」
 バルナも汚いものでも見るかのように二人に吐き捨て、そのまま視線をワスドラートに強くぶつけた。
「ワスドラート!お前もいったいそこで何をしているのだ!!」
 バルナの怒りを浴びてもワスドラートは動じる様子を見せない。ただ静かにバルナを見つめ、そして弟妹、父に視線を送る。
「ワスドラート!」
「計画は失敗したのです。恐らくここにいるほぼ全員が、貴方の行いを知っている事でしょう」
 冷静な声はワスドラートを圧迫しようとする騎士達の視線をものともしていない。いずれ藍都を継ぐ者としての技量がそうさせているのか、それとも別の何かがあるのか。
「何を…」
 ワスドラートの言葉にバルナは辺りを見回す。見回して、気付いたことだろう。
 明らかに困惑した表情を浮かべる領主や大臣達と違い、騎士達はどこまでも冷静だ。あの血の気の多い王族付き達がだ。
 そして王家に直々に仕える特別な侍女達も。彼女達は、あまりの隙の無さにバルナですら傀儡化することが出来なかった存在だ。
「…バルナ様、まだわからないはずがありません。手中にした騎士や侍女達がことごとく王城を去っていた。そして小瓶の受け渡しの難しさ。ようやく渡せたと思えたら、彼が張っていた」
「…私は知らんぞ」
「諦めて下さい。この場にいる騎士達全員が我々を見張っていたのです。…他にもおかしな点はいくつもありました。ロワイエット様とエルザ様の演技も」
「煩い!!」
 淡々と感情も無く口を動かしていくワスドラートに、キレたようにバルナがガウェからグラスを奪い去り、彼の元に歩いていった。
「私はあれの中身など知らんぞ!思うところがあるとするなら、お前がこれを飲んでみろ!」
 グラスをワスドラートにつき出しながら、キレたように。
 バルナは正気を失っているようにも見えて、青ざめた表情が幽鬼のように恐ろしい。
「育ててやった恩を忘れよって…貴様のような者がいずれ藍都を継ぐなど--」
 バルナの言葉はそれ以上続かなかった。
 ワスドラートが静かな動作でグラスを受け取ったのだ。
 そして。
「兄上っ!!」
 彼の弟であるミシェルが止めるように叫んで、椅子を蹴倒してワスドラートの元に全速力で駆け寄る。
 だがワスドラートがグラスの中身の果実酒を飲み干す方が早かった。
 効果はすぐに訪れ、ワスドラートがグラスを落として首を押さえながら苦しげに片膝を床につく。
「いやああぁぁっ!!お兄様ぁっ!!」
 グラスの割れる音とジュエルの甲高い叫びが響き渡り、辺りが騒然となる。
 誰もが席を立ち、有り得ない光景に目を見開いて。
「兄上!!」
 ミシェルが顔色を白くしながらワスドラートの肩を掴んだ。
「揺すんないで。一滴くらいなら死なないから。ただ悪心と痙攣、ひどい目眩は長く続くから大変だわな」
 割れたグラスを靴で一ヶ所に集めながら、パージャが他人事のようにワスドラートとミシェルを見下ろして呟く。
「よくやるわ、あんた。そこまでしてバルナ・ヴェルドゥーラに正気を取り戻させたかったんだ?」
 パージャの言葉に、ワスドラートが脂汗の浮かぶ顔を上げる。弟のミシェルの肩を借りながら、呼吸すら辛そうに。
「…っ」
 バルナは完全に怯んでいた。ワスドラートが飲むとは思ってもいなかったのだろう。
「…バルナ様、どうか…」
 発せられた言葉はそれだけだった。
「…知らん!お前などに目をかけた私が愚かだった!こんな不愉快な余興に付き合わせるなど!」
 それは意地なのか、後戻りできないと感じての悪足掻きなのか。
「あっちゃーガウェさん、もうこのオッサン無理だって。高位の座にあぐらかきすぎて頭の使い方わからなくなってんじゃん」
「貴様っ!!」
「お兄様!!」
 バルナの怒りの矛先がパージャに向けられたところで、ジュエルが涙を浮かべながらバルナを押しのけて駆け寄り、ワスドラートにすがりついた。先ほど次兄のミシェルを罵っていた娘と同じ人物だとは思えないほど不安に顔をクシャクシャにしている。
「--あなた!!」
 そしてこぼれる涙を拭うこともせずにアリアを強く睨み付けた。
「あなた治癒魔術師なんでしょ!!ワスドラートお兄様を助けなさい!!あなたなら出来るのでしょう!!」
「ジュエル!揺らすな!」
 ワスドラートの腕にすがりながら、ジュエルは喉を潰しそうなほどの悲痛な大声でアリアに訴える。
 アリアはビクリと肩を震わせたが、ようやく状況を理解して席を離れた。
 ニコルが後に続こうとして、モーティシアがそれを止める。ここにいなさいと暗黙の中で伝えながら、アクセルとセクトルをアリアの側に向かわせた。
「…毒、ですよね」
 ワスドラートの容態を調べ、今までの状況と照らし合わせたアリアはパージャを見上げて訊ねる。
 小さく頷くパージャを見たアリアはわずかに唇を噛むと、ワスドラートの両頬に手を添えてわずかに上向かせた。
「早く治して!!」
「毒自体は無理よ!!…でも症状の緩和なら…」
 ワスドラートの頬に添えられたアリアの手のひらから淡い光の魔力が発せられて、ゆっくりと口内から浸入していく。
 ワスドラートは虚ろな瞳でアリアを見つめるが、すぐに瞼を下ろして治療されるままに任せた。
「…私は何も知らんぞ!毒など…」
 なおもしらばっくれようとするバルナに、パージャが苛立ちを隠す様子も見せずに強く胸ぐらを掴み上げ。
「なっ!?」
 黄都領主という最上位貴族に暴力を働くなど。全員が息を飲む中で、パージャは気にする様子も見せずにバルナを睨み続ける。
「あんた何でわかんないかなぁ?こいつはあんたの沸騰した頭冷やす為に毒だってわかってて飲んだんだぞ。年下の若造に気ぃ使わせてんじゃねーよ。何年人間やってんだ?無駄に年食ってんじゃねーぞ!!」
「パージャ、やめろ」
 今にも首をへし折りそうな勢いに、セクトルがその手を止める。
「煩い!私は嵌められたのだ!!」
 パージャの手から解放されて、それでも追い詰められたバルナは保身を止めようとはしない。
 あまりにも滑稽な姿に、視線を落としたのはガウェだった。
 だがすぐに顔を上げる。見るに耐えない姿だったとしても、バルナはガウェの父親なのだ。
 そして父をここまで放置したのは他ならぬガウェだ。
 父の愚かな計画に気付いていながら、ニコルの有能さに、騎士団の居心地の良さに、リーンへの忠誠心に、王城に留まる道を選び続けたガウェの責任。
「…ルードヴィッヒ」
 穏やかな声で、巻き込んでしまった従弟を呼ぶ。
 今まで静かに座って耐えていたルードヴィッヒは、ガウェの呼び声に顔を向けて反応を見せた。
「…言えるな?」
「勿論です」
 若さ故に父に絡め取られた大切な従弟。
 そのせいでルードヴィッヒは人の闇という地獄を味わった。
 立ち上がるルードヴィッヒは、ガウェが先ほど投げ寄越されたものと同じ小瓶を懐から取り出して。
「…ルードヴィッヒ?」
 隣にいた父親が、立ち上がるルードヴィッヒを見上げる。
 ラシェルスコット氏の驚きの瞳が、ガウェの胸を締め付けた。
 ガウェはルードヴィッヒを巻き込んだだけでなく、彼の父でありガウェにとっても尊敬する人を巻き込んだのだ。
 これほど恩を仇で返す行為も無いだろうほどに。
「…申し訳ございません父上。私は酷い過ちを犯すところでした。…小瓶の中身は無味無臭の劇薬です。私はヴェルドゥーラ氏からこれを託され、ニコル殿とパージャ殿を毒殺するよう命じられました」
 ルードヴィッヒが告げる毒を盛る対象者の名前に、ニコルが改めて驚愕の様子を見せる。
 同じくアリアの肩も強く跳ねて、治療の手が止まった。
「何をしていますの!早くお兄様を」
 悲痛な声でアリアに訴えるジュエルを止めたのは、わずかに顔色の良くなったワスドラートだ。しかし解毒された訳ではないので、すぐに苦しみに苛まれていく。
 アリアは治癒を再開しようとして、しかし手は震えて言うことを聞かない様子だった。兄が命を狙われていたのだ。ワスドラートに対する疑心が邪魔をしないはずがなかった。
「闇市の商人から、劇薬の大量注文があった裏付けも取れています。購入者についてはばらつきがありましたが、大本は…」
 ガウェや騎士達の視線に晒されて、怯んだように身じろぐバルナが割れたグラスの破片をパキリと踏み潰す。
「言いがかりだ!何の証拠があってそんなことを!それにルードヴィッヒ!いくら紫都の子息であったとしても許される発言ではないぞ!偽証など極刑に値する罪だ!!」
「…あなたを裏切ったことにより既に殺されかけました。もう何も怖くはありません」
「なんだと!?」
 ルードヴィッヒの声はまるで感情が見えない。瞳に何も映してはおらず、それが自身の精神を守るための防衛本能故であることをガウェは痛いほど理解している。
「皆様も耳に入れていると思います。少し前に王都遊郭街の倉庫で起きた大量惨殺事件を。狙われていたのはパージャ殿とパージャ殿の妹君、そしてルードヴィッヒ殿です」
 その事実は騎士達でも知らない者が大半だったので、ざわりと今までで一番空気が揺れ動いた。
 静かに見守っているのはコウェルズとヴァルツ、そしてガウェが所属するエルザの王族付き部隊だけだ。
「…どういうことだ…なぜ私の息子が…ルードヴィッヒが…」
「出鱈目だ!耳を貸さなくてよい!!」
 ラシェルスコット氏が動揺を隠さないままに立ち上がってガウェに詰め寄り、バルナが止めに入るように動いて肩を掴む。
「出鱈目かどうか、ご自分の耳で確認なさって下さい」
 隅に控えていた侍女に合図を送れば、彼女は隠されていた鉄の鳥籠を抱えながらガウェに近付いた。
 その鳥籠で羽を休めているのは、黄金色の伝達鳥だ。
 扉を開けてやれば、伝達鳥は周りを窺うように眺めてから飛び出し、ガウェの周りを旋回してからその肩にそっと留まる。
「…黄都で飼育している、言葉を覚えて伝える種類の伝達鳥です」
 伝達鳥の翼の付け根には、よく見れば黄都ヴェルドゥーラの紋様が刻まれている。
 ガウェは肩に留まりすり寄ってくる伝達鳥に指で合図を与えた。たったそれだけで、伝達鳥は以前覚えた言葉を一語一句間違えることなく聞かせてくれた。

『ルードヴィッヒ・ラシェルスコット・サードは黄都領主に背いた。女共々生け捕りにせよ。生きていればそれでいい』

 バルナの手下だとわかる口調で、ルードヴィッヒとパージャの妹を。
 生きていれば何をしても構わないと。
「…この鳥が私の元に来たのは偶然でしょう。ですがこの鳥が覚えた言葉は事実です」
「ガウェ!!」
 バルナの声を無視して、ガウェは褒めてほしそうにさらにすり寄ってくる伝達鳥を撫でてやる。
 伝達鳥は仕事の途中だというのにガウェの元に飛んできた。それは偶然なのだろう。しかしガウェが幼少期に伝達鳥達と戯れていなければ起きなかった偶然だ。
「私とパージャ殿の妹君は逃げましたが、途中で捕らえられ…生け捕りとは言ってはいますが…妹君はパージャ殿の目の前で暴行されること、私はその場で殺されることを伝えられました。生きていられたのは…偶然です」
 ルードヴィッヒの沈む言葉の意味に気付いた者達が、ルードヴィッヒに向ける視線に強い思いを込めてくれる。
 強さを求めたルードヴィッヒの、強さに固執する理由に気付いたからだ。特にルードヴィッヒの教官であるスカイは腕を組んでルードヴィッヒを見据え、トリックは静かに視線を落として。
「貴様--」
 全てを晒されて、バルナはルードヴィッヒに掴みかかろうとした。
「--よくも私の息子を!!」
 しかしそれは叶わず、逆にラシェルスコット氏の怒りに任せた拳がバルナの頬を捕らえて吹き飛ばした。
 豪快に床に伏すバルナを追ってさらに殴り続けようとするラシェルスコット氏を、近くにいた騎士達が慌てて止める。しかしガウェとルードヴィッヒに武術を叩き込めるほど己を鍛えていたラシェルスコット氏に騎士達は苦戦し、紫都領主であるとわかりつつも仕方無く本気でその動きを封じた。
「………ルードヴィッヒ…」
 一切身動き出来ない状況に持ち込まれて、ラシェルスコット氏はようやく落ち着きを取り戻して息子を見つめる。
 その心配してくれる瞳の温もりに触れて、感情を低下させていたルードヴィッヒにようやく表情が戻った。
「…申し訳ございません、父上…」
 涙が浮かび、声が上擦る。
「私はあなたの顔に泥を塗ってしまいました…申し訳ございません…」
 立ち尽くすルードヴィッヒは、怒られた子供のようにボロボロと涙を溢して謝罪を繰り返す。
「ルードヴィッヒには何の罪もありません。父にそそのかされはしましたが、ニコルとパージャを守る為に力を貸してくれました。…その為に危険な事件に巻き込まれたのは父を止められなかった私の責任です。申し訳ございませんでした」
 ラシェルスコット氏が完全に怒りを消化したことに気付いた騎士達が拘束を解けば、彼はふらりとルードヴィッヒの元に向かい、静かに息子を抱き締めて。
「…民を守る立場にある領主が、騎士とはいえ守るべき民を私利の為に殺そうとするなど言語道断。…あなたに黄都を治める資格はない」
 殴られた頬を押さえるバルナを見下ろせば、こちらも諦めたように静かに項垂れている。
「…私は黄都を良くしようと」
「いいえ。あなたの行為はあなただけの為でした」
 父の目前で膝をつき、胸元に光る領主の証の記章を取り外す。
 自分の為に、自分の欲を満たす為だけに父はガウェとエルザを結ぼうとして、それに邪魔だったというだけでニコルを暗殺しようとした。
 なんて勝手な人だったのだろう。
 バルナとラシェルスコット氏。
 同じ父親という立場にありながら、どうしてこうも違うのか。
 いったい何が父をこうまで傲慢に仕立て上げたのだ。
「…只今をもって、ガウェ・ヴェルドゥーラ・ロワイエットが黄都領主の任を引き継がせていただきます。異議のある方は前に--」
 記章を自身の礼装胸部に刺しながら宣言するガウェは、ふらりとニコルが立ち上がって近付いてくることに気付いた。
「…パージャは…知ってたのか?」
「…ああ」
 短い返答に、ニコルが拳を強く握り締める。
 ニコルも雰囲気で気付いたのだろう。この件を知らされていないのは自分とアリアだけだと。
「だって俺、あんたを庇う為に来たんだし」
 普段通りの軽い口調で、パージャはさらりと正体を告げる。
「…なんで俺には言わなかった」
「…知られたくなかった」
「何をだ!!」
 俯くガウェの胸ぐらをニコルが掴み上げる。
 どうしようもない怒りと戸惑いに苛まれたニコルの表情が、ただガウェを責めた。
「余計な不安を与えたくなかった。…命を狙う者が黄都領主だとわかれば…お前は妹と共に国を出ただろう」
 肯定の意か、ニコルの腕の力が緩んで手が離される。
「…これでもう、王城で命の危険まで心配する必要は無いはずだ…父の代わりに謝罪する。…すまなかった」
 掠れた声での謝罪をニコルはどう思ったろうか。
 だがこれで、ニコルの不安は解消されるはずなのだ。
 アリアの命を心配する必要も、もう無いはずで。
「…それでお前は…半年後に騎士を辞めるのか」
「元々ヴェルドゥーラに子供は俺だけだ。“ヴェルドゥーラの喜劇”さえなければ…騎士として皆に出会うこともなかった」
 運命の悪戯と精神を苛む悪夢が、ガウェに素晴らしい世界を与えてくれた。
 ニコルの視線から逃れるように、ガウェはバルナを見下ろす。
「…父上には感謝しています」
 見上げてくるバルナは、ガウェに何を思うだろうか。
「十数年前、身を守る術を知らなかった私を殺人鬼に譲り渡した事を」
「--…」
 表情を凍らせるバルナをそのまま放置して、ルードヴィッヒとラシェルスコット氏の元に数歩足を運んだ。
「…紫都領主ラシェルスコット氏にも感謝を。あなたのお陰で私は“人”に戻れ…素晴らしい仲間に出会えた…ルードヴィッヒの事は本当に申し訳無く思っています。償いは必ず」
 ガウェを人の世に戻してくれたのはこの人だ。ガウェは深く頭を下げて感謝と謝罪を告げれば、ルードヴィッヒを抱き締めたまま、ラシェルスコット氏はガウェの肩を強く叩いた。
「いい…いいんだ。お前が良き友に出会えたことを誇りに思う。償いと言うなら…黄都領主としてしっかりと良政を敷きなさい。お前なら出来るはずだ」
「…必ず」
 新たな道に進む為の決意を固めて、ガウェは強く頷く。
 黄都領主の緊急継承という異例の事態を見せた晩餐会が、ようやく幕を閉じようとしていた。

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