第20話


第20話

 晩餐会の会場の近くにはいくつかの控え室が備え付けられている。
 そこは参加した賓客の休憩室となる場合が多いが、一室は必ず使用人達の控え室として用意され、軽食も準備されていた。
 しかしその場所にワスドラートが訪れることは無かった。
 バルナを見送った後に、あるものを渡しに予め指定していた別の控え室に入る。
 周りに誰もいないことを確認してから忍び込むように入り込んだその場所で、
「--やっほー」
「な!?」
 いるはずのないその男を目の当たりにして、ワスドラートは反射的に魔具で長剣を生み出した。
「へえ?騎士じゃなくても使えるんだ?って、魔力持ちなら出来るか」
「…貴様」
 目下バルナの怒りを一番に買う男、平民のパージャ。
 そしてパージャの足元には、蔓でがんじがらめに拘束された二人の騎士がウジのようにのたうち回り、呻きながらワスドラートに助けを求めていた。
 首と口許も蔓で縛られて大声すら上げられない状態のようだ。
 二人の騎士には見覚えがある。そのうちの一人は今から会うはずだった。こんな形でなく、バルナに命じられた状況で。
「……」
 そういうことか。
 現状を理解して、ワスドラートは静かに魔具を消滅させた。
 その様子を見て、のたうち回る二人が慌てたようにさらに呻く。
「…あらあらあら?諦めるんだ?」
「全てにおいて、お前達に優勢なのだろう?バルナ様は周りに対して傲りすぎたのだ」
 一戦交えるつもりだったのか、パージャは拍子抜けしたように肩をすくませた。
 もとよりワスドラートはかじる程度にしか己を鍛えてはいない。入団したてとはいえ騎士であるパージャに勝てるはずもないと自覚している。
 弟のミシェルと練習試合を行った時でさえ赤子の手を捻るように簡単に負けたというのに。
「用件は何だ?私に何かをさせたいか?」
「うーん、俺としてはあんたも悪者認定して、取っ捕まえたかった所なんだけど…」
 いとも簡単に負けを認めたワスドラートに拍子抜けした様子で、パージャは近付きながら手のひらを上にして何かを寄越すよう手まねいた。
 何を希望しているのか、もはや隠しても意味がないのだろう。ワスドラートは懐から小指サイズの小瓶を取り出し、素直にパージャに投げ渡す。
「おっけ。同じ小瓶だわ。ついでに証言台にも立ってみる?」
「…好きにしろ」
 何やらひどく疲れて、もはやどうにでもなれという思いだった。
 二日前、ガウェがエルザを伴って訪れた時に、ワスドラートはガウェに対して違和感しか覚えなかった。
 あれほど父親であるバルナを毛嫌いしていたガウェがあんな殊勝な姿を見せるなど有り得ないと確信していたのだ。
 しかしワスドラートはバルナにそれを伝えなかった。
 なぜ伝えなかったのかはわからない。だかそれが決め手になったのだろう。
 ガウェの怪しい動きに気付かないバルナにワスドラートが伝えなかった事で、こちら側の負けが完全に決まったのだ。
「…なーんかあんた、やりにくいんだよねー?最初見た時はくっそ腹立つ御貴族様だったのにさ?人ってそんな急に変われるわけ?」
 パージャの疑問など、ワスドラートが聞きたいくらいだった。
 あれほど蔑んだ下位を、平民を。
 なぜ醜いものと思えない?
「…そういやあんた、アリアに熱視線送りまくってたみたいだけど、それと関係あるとか?」
 核心を突かれて、視線を逸らす。
 ただの薄汚い行き遅れの娘だったはずだ。
 少し見目の整った程度の、蹂躙しがいのある体を持った薄汚い娘だったはず。
 なのに、なのに--

『--刃毀れした刀で切られてるじゃないですか…』

 誰にも聞こえないほどにかすれた声で呟いた言葉は、痛いほどにワスドラートを心配してくれていた。
 その直前まで酷い言い種で馬鹿にし続けたというのに、治療中のアリアはワスドラートの傷を癒すことに全てを注いでくれたのだ。
 バルナには浅傷だと告げていた。だがバルナを狙った暴漢はわざと刃を欠けさせ、殺せないまでも酷い傷を残して苦しむように仕向けていたのだ。バルナはそれほどまでに恨まれていた。
 そしてバルナを庇ったワスドラートに、じくじくと苛む傷だけが残った。
 アリアはそんなワスドラートを暖かく癒してくれたのだ。治すにも適当に治してしまえばいいものを、ワスドラートが受けた痛みを共に味わうように表情を悲しませて。
 その姿を、とても美しいと思ってしまった。
「愛は人を変えるとか言うけど…まさかその典型とか?」
「答える義理はない」
「…わー、アリアすげーや。こんな頭固そうなのも落として変えさせるなんて」
 たいして面白くもなさそうに棒読み口調で驚くパージャが、まあいいけどとワスドラートに背を向ける。
「アリアに嫌われてんでしょ?せめて汚名返上出来る機会をあげようか?」
 背を向けても何もしようとしないワスドラートに口の端だけで笑いかけて、パージャは床に転がる騎士二人の口許の蔓をほどいた。
 魔具で出来た蔓らしく、それらがパージャの動作で離れていくのをワスドラートは驚きながら眺めて。
「ゲホッ…」
「貴様!平民の分際で我々にこんな扱いをして許されると思っているのか!?」
 言葉の自由を手に入れて、騎士の一人が強気にパージャを責めた。
 平民の分際で。それはたった三日前の朝までワスドラートが口に出来ていた言葉だ。
「んー?別にあんた達に許される必要無いしぃ?むしろあんた達がどうなるかだよねぇ?」
「…何を言っている」
 この期に及んでしらを切る二人を見ながら、ワスドラートはバルナのずさんさにも目を閉じたくなった。
 こんな三下をも手下に使うなど、足跡を残すようなものではないかと。
「俺が来てからさぁ、何人か王城騎士が自主退団したの知ってるよね?」
 パージャがしゃがみこんで、冷めた視線と言葉を叩き落とす。
「あんた達同士は何の接点もないと思ってるみたいだけど、こっちにはモロバレなわけよ。俺は何度も警告してたぜ?危険を察して自主退団するなりしなかった自分達を恨むんだね」
 パージャの言葉にワスドラートは考えを改めた。
 ガウェ・ヴェルドゥーラは強力な駒を手に入れていたのだ。
 バルナは出自に任せて有能な者を選ばなかった。
--何だ。もっと以前からバルナ様は負けていたのではないか。
 パージャの有能さは、数歩離れた状況でも気付けた。
 最初からこちらに勝ち目など無かったのだ。

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