第19話
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晩餐会の会場となるのは王城中央部に設けられたホールの一つで、その扉の前でレイトル達護衛部隊の五人はニコルとアリアを待っていた。
会場内には既に参加する王族付きや侍女が集まっており、そろそろ領主達も来てしまう頃だというのに二人が来ないとは。
ガウェが一緒にいるなら心配はいらないだろうが、やはり姿が見えないのは不安だった。
それにしても。
「…凄い見物人だね」
周りを見回しながら、レイトルは引き気味に呟く。
「皆ニコルとアリア狙いでしょうね」
「どんだけ下に見たいんだよ」
同意するようにモーティシアとトリッシュも不愉快さを口にする。
溢れ返るまではいかないが、晩餐会には参加できない騎士や侍女達が何の気もないふうを装いながらちらりちらりと辺りを気にしている。
中には参加する者達の友人が礼装姿をひと目見て、緊張する様子を笑い励まして去っていく者もいるが、大半の狙いはニコルとアリアが何を着て晩餐会に参加するのか見てみたいというものだった。
「…遅いなぁ。二人は大丈夫でしょうか?何かあったんじゃ…」
「無体的な意味で言ってるなら気にするな。今の王城に貧富コンビに勝てる奴なんかいねえよ」
「だね」
万が一を危惧するアクセルに、ニコルとガウェが揃えば物理的な敵はいないと安心させてやる。
初めて貧富コンビという名前を聞いたのかアクセルはわずかに首をかしげたが、その由来を訊ねられるより先に、可愛らしいドレスを纏った少女が一人、レイトル達五人に駆け寄ってきた。
「レイトル様!御久しゅうございますわ!」
正確には五人にではなく、レイトルだけに。
リボンとレースをふんだんに使った淡い藍のドレスの少女は、年の頃なら11、2歳くらいか。
まだ成人前なのは確実だが、その頃から王城で侍女になるということは、よほど優秀な高位の娘なのだろう。
しかしレイトルは少女に見覚えなどなかった。
「あ、えっと…」
周りの視線も「誰?」というものでレイトルに少女の正体を明かしてくれるものはいない。
困惑しながら少女を見下ろせば、覚えられていなかったことが不愉快だったらしく、みるみるうちに表情を不満げに歪めてしまった。
「…藍都ガードナーロッド家の末のジュエルですわ」
豪華なドレスをつまんで小さくお辞儀をするジュエルに、レイトルとセクトルもようやく合点がいったと目を見開く。
「ああ、ミモザ様付きのミシェル殿の妹君でしたね。今年から侍女として王城に来られたとか」
「はい!」
ようやく思い出して貰えたことが嬉しいのか、ジュエルはパッと笑顔を見せた。
藍都領主の子女として晩餐会に出席するのだろうが、それにしても可愛らしく華やかなドレスだ。
まだ子供なのでこれくらい可愛い方が良いのかも知れないが、七姫より目立ちそうなドレスを王族付き達が許すかどうか。
特に虹の藍を司る第六姫コレーの王族付き達の反応を思うと少し恐ろしかった。
しかしそんな事には頓着していないのだろう、ジュエルはひたすらレイトルを慕うように見上げて頬を染めている。
「…あの、宜しければ会場内のエスコートをしていただけませんか?」
そして恥ずかしそうに照れながらねだられて。
「え…」
「本当はもっと早くにお伝えして、最初からエスコートしていただきたかったのですけど、お忙しそうでしたので…今からでも是非お願いしますわ!」
それはどこか命令じみた口調で、レイトルはさらに困惑してしまった。思わずモーティシアに視線を送ったのは救いの手が欲しかったからなのだが、肩をすくめられただけで自分で断れと投げられる。
「…申し訳ございません。我々は治癒魔術師の護衛として呼ばれていますので」
アリアには悪いが体の良い断り文句として使わせてもらえば、ジュエルの表情はみるみるうちに曇ってしまった。
「…そうですの」
「ええ。申し訳ございません」
「…失礼しますわ」
断られるとは思っていなかったのか、むっつりと不愉快そうに口を曲げてジュエルは一人で会場入りしてしまった。
「気の強そうな…」
思わず呟いたトリッシュの言葉に全員が頷く。
「ガードナーロッドはミシェル殿が次男で、ジュエル嬢は確か女三姉妹の末か」
セクトルの言葉にはレイトルだけが頷いた。騎士仲間としてミシェルを知っているので、家族構成はレイトルとセクトルの方が詳しいのだ。
「そうそう。ニコルが王城入りした頃にいたのが次女のガブリエル嬢だったね。ニコルに片想いするも相手にされなくて、すごく怒ってたっけ」
「“貧民ごときがこの私にぃぃ”ってな。普通に怖かったな」
ニコルと藍都の次女との恋愛バトルは当時の騎士達の間では有名なものだった。
上から目線の好意で押さえつけようとするガブリエルと、それをかわしていくニコル。
ニコルは完全にガブリエルを眼中に入れておらず、それが余計に腹立たしかったのだろう。当時の王城騎士であったニコルは回り全て敵とみなす要因があった為に仕方無い事なのだろうが。
いくら傲慢な出方をされたとしても、さすがに可哀想じゃないかという言葉も出るくらいに、ニコルはガブリエルを相手にしていなかった。
「…じゃあ今度は末のジュエル嬢がレイトルに片想い?」
ポツリと訊ねるアクセルに、とりあえず固まって。
「…やめてくれないか、恐ろしい…」
「--人の妹に言いたい放題だな」
本心で呟いてすぐに背後から聞こえてきた六人目の人物の低い声に、全員がびくりと全身を跳ねさせた。
ここには五人しかいないはず。誰だと全員が声のした方に顔を向ければ、容姿だけでなく雰囲気も端整な男が涼しげにレイトルの背後に立っていた。
「ミシェル殿!?気配無く背後に立つのはやめてください!」
「悪い悪い。君を見つけたジュエルに置いていかれてね」
クスクスと少し不愉快そうに笑うのは、ジュエルの兄である藍都ガードナーロッドの次男ミシェルだった。
洗練された落ち着きを醸し出す様子は、さすがは品行方正を地でいくミモザの姫付きだ。
どうやらジュエルのエスコートとして共に来た様子だが、先に行ってしまった妹を気にする素振りはあまり見せない。
むしろ我が儘には慣れているらしく、レイトル達に先ほどの様子を謝罪してくれた。
「だが気を付けていなさい。ガードナーロッド家はヴェルドゥーラ現当主に次ぐ横暴さで有名だから」
「ご自分で言われますか…」
「さあな。私はガードナーロッドの横暴な遺伝子を受け継がなかったらしいから。では先に失礼するよ。君が拗ねさせた可愛い妹をあやしておかないと」
さらりと告げて会場入りするミシェルの後ろ姿を見送りながら、ああいう兄妹もあるのかと全員で顔を見合わせた。
ニコルが過干渉なだけかもしれないが、妹思いの兄をいつも間近で見ている為にさっぱりとした兄妹付き合いには少し物足りなさを感じてしまう。
「みなさん!!」
そしてその後に訪れたのは、少し慌てた様子のルードヴィッヒだった。
「ルードヴィッヒ…そうか、ラシェルスコットの子息枠か」
王族付き候補のルードヴィッヒがなぜここに?とセクトルが首をかしげるが、すぐに合点がいったように呟いて。
「はい。あの、ガウェ殿は?」
「まだだよ。ニコルやアリアと来るからもうすぐだろうけど」
そわそわと落ち着きなく辺りを見回すのは、やはり尊敬する従兄を探していたらしい。
最近はまったらしい華美な装いではなくシンプルに纏めた礼装と髪型に、そういえばとレイトルはルードヴィッヒにあることを訊ねる。
「パージャに魔具を解いてもらったんだね?慰霊祭の時の可愛い髪型で晩餐会も出るんじゃないかって誰かが話してたのに」
「ありえません!!」
慰霊祭の直前にパージャに細やかで可愛らしい髪型にされていたのを思い出せば、ルードヴィッヒは忌々しそうに眉間にしわを寄せる。
「慰霊祭が終わってすぐに取っ捕まえて魔具を解かせましたよ!」
ぷりぷりと怒りながらパージャへの怨みつらみを口にするルードヴィッヒだが、信頼しているからこその悪口だと皆が気付いた。
「それよりニコル殿とアリア嬢の礼装って…その」
「心配しなくていいよ。ちゃんと用意はしてるらしいから」
まるで自分の事のように不安そうになるルードヴィッヒの肩を叩いてやれば、ちょうどよく場の空気がざわりと変化した。
「噂をすれば、来たかな--」
周りの見物人達が空気を変えるなどニコル達が来た以外に無いだろうと視線を注目されている場所に移し、全員で言葉を無くした。
あまりにも近寄りがたい美しい光景だったから。
アリアを中央に、エスコートの為に腕を貸すのは前髪で上手く傷を隠したガウェだ。ニコルは隣を歩くだけだが、アリアを気遣う様子が見てとれる。
アリアは堂々として怯えた様子も見せずに優雅に歩いており、礼装の妖しい美しさと相俟って平民には一切見えない。
髪型はガウェが整えたのだろう、ニコルと左右反転の揃いのスタイルも、可愛らしさより格好良さが勝って、体のラインを浮き彫りにする色気を上手くカバーしてくれていた。
「…あれがニコル殿と…アリア嬢?」
「うわぁ…異国の王子様とお姫様みたいだ…」
ルードヴィッヒとアクセルがまず我に返り、それぞれ驚きを口にする。
「やっぱ胸でか」
「やめなさい下品です」
トリッシュの言葉は途中でモーティシアが止めて、
「……」
レイトルとセクトルはただ見惚れていた。
「…何つっ立ってんだよ」
ようやく合流しながら、ニコルがレイトルとセクトルの様子に首をかしげる。
「いや…すごく綺麗だから…」
素直に感想を告げれば、歩いている時は堂々としていたアリアが恥ずかしそうに頬を染めてわずかに俯いた。
「まさかこんなにも見物人がいるなんてな…」
「見ものだったぞ。馬鹿共の唖然とした顔が」
呆れるように周りを見回すニコルとは正反対にガウェは面白そうに嘲笑を浮かべる。悪戯が大好物のガウェのことだ。ニコルとアリアを笑おうと集まった者達が口を開けて固まる様子はさぞ楽しかった事だろう。
未だに周りの見物人達はニコルとアリアを困惑した様子で眺めている。もし何かしらの悪口を言ってやろうと思っても、隣にいるのはガウェだ。
最上位貴族の嫡子を前に横暴な態度に出られる者などいない。
「…すごく緊張しました」
皆と合流できたからか少し落ち着いたからか、アリアがようやく安堵のため息をもらす。
「あはは、慰霊祭で素晴らしい治癒魔術を見せた人間の言葉とは思えないよ」
「さっきも堂々と歩いてただろ」
「が、頑張ったんです」
何を今さらと笑うレイトルとセクトルに抗議するように、アリアは強張った表情で訴えてくる。本当に緊張はしていたらしい。
間近にいると目のやり場に困るドレスだが、なぜかいやらしさは無かった。
「女共の顔が悔しそうに歪んでいたからな。充分堂々と歩けていた」
「…ガウェ兄さん、あまり励ましになってません」
ここまでの道中を思い返しているのかニヤニヤと嬉しそうなガウェをルードヴィッヒが止めようとするが、悪戯モードに突入しているガウェがそれで平常通りに戻るはずもない。
任せろとルードヴィッヒの肩を叩いたのはセクトルだった。
「ガウェは子息枠か?」
「気持ち悪くなることを言うな」
一瞬で真顔に戻ったガウェが、自分と父が隣同士仲良く座る姿を想像したらしく眉根を寄せた。
「もう入っておきましょう。そろそろ領主や大臣達も来られる頃です」
その辺りでひと区切り付いたろうと、モーティシアが場をようやく中へと移動させてくれた。
皆で揃って会場入を果たせば、先に中にいた王族付き達や参加する子女枠の侍女に用意の侍女達も、目を見開いてニコルとアリアに注目する。
王族付き達は楽しそうな面白そうな様子を見せ、準備の為に動き回る侍女達もすぐに元通り手を動かし始めた。
固まった雰囲気でいるのは、領主の子息子女として出席する騎士や侍女達の中の数名だ。
特にジュエルを中心とした子女グループは、礼装を纏うアリアに驚きと苛立ちを交ぜた視線を送りつけてきた。
ジュエルのドレスは子女達の中で最も華美だ。とても華やかで可愛らしく、一番に目に入る。だが根本的な色香が皆無だった。
まだ成人前とはいえ女のつもりだったのだろう。しかし騎士達の視線はアリアから離れない。
アリアはジュエルを見ることもしなかった。
先ほどのレイトルとの件は知らないが、風呂場での嫌がらせは顕在であり、わざわざ不愉快な出来事を思い返したくもなかったからだ。
「わぁ!アリアすっごく綺麗だ!ニコルもめちゃくちゃカッコいい!!」
そこに、ジュエル達の席の近くにいたフレイムローズが無邪気に駆け寄ってきた。
「おう」
「ありがとう」
ニコルもアリアもわずかに照れながら返事をする。
ストレートな賛辞はやはり恥ずかしいものだ。
「みんな騎士として座るの?」
「そうなるな」
「あ、私は子息枠です」
そして不安げに訊ねてくるフレイムローズに、ルードヴィッヒが「仲間ですよ」と笑ってみせた。
「よかったぁ!ラシェルスコット家なら席近い!俺も今年は子息枠なんだ。お父様にどうしても隣に来てくれってお願いされたんだ」
フレイムローズはコウェルズの王族付きである為に毎年仲間内で固まっていたのだが、今年は親孝行をするようだ。
フレイムローズの家族も少し特殊な関係だった。
互いに思いあってはいるのだが、同時に互いに気を使いすぎている様子も見てとれる。それはフレイムローズが魔眼を持って生まれてきたが故なのかも知れないが。
「ガウェはこっちに座らないの?」
「座るか」
イタズラっぽく笑いながらフレイムローズに問われて、ガウェは心底嫌そうに吐き捨てた。
間髪入れない返答に一同が笑う。
「あ、治癒魔術師と護衛部隊は中央テーブルだよ」
「え!?」
「は!?」
そしてアリア達の座席を聞いてレイトルとセクトルが固まった。
大人数での晩餐会である為にテーブルは数列に並べられているのだが、中央には何かあるのだろうかとニコルとアリアは互いに顔を見合わせる。
「…中央ということは」
「…あ!」
「うわ、後でジャスミンに自慢しよ」
座席に気づいたモーティシア達も驚いた表情を浮かべるので、何もわからない兄妹は困惑することしか出来ない。
「…中央テーブルは王族の方々が座られる上座だ」
「コウェルズ様の計らいだよー」
ようやく中央の意味をガウェが教えてくれて、フレイムローズが種明かしをする。
だがやはりニコルとアリアには上座やらの判断があまりつかない様子で、顔に困惑が浮かんでいた。
「“どこぞのヴェルドゥーラが治癒魔術師に嫌がらせをしようとするから、こっちも興に乗ってあげなきゃね”ってコウェルズ様が言ってたよ」
ヴェルドゥーラと告げている時点で隠すつもり無いだろうという突っ込みはもはや誰も口にしなかった。
嫌がらせじみたお遊戯ならコウェルズもガウェに負けてはいない。
コウェルズの判断には多くの者がニコルとアリアを思って中央に招いたと考えるだろうが、コウェルズをよく理解しているものからすればバルナ・ヴェルドゥーラに対する嫌がらせ以外の何物でもない。
「お、先に来てたか」
そしてそんな外見ばかり良い気ままな王子を守る騎士の隊長がようやく訪れ、フレイムローズを見つけて近付いてきた。
「アドルフ殿!!見て見て!アリアとニコルすっごく綺麗なんだよ!!」
「おお、二人とも珍しいデザインだな。よく似合ってる。アリアなんかお姫様みたいじゃないか!なあレイトル」
「えっ!?あ、はい…」
突然話しかけられて慌てるレイトルに、アドルフを含め数名がニヤニヤとレイトルを眺める。
「なんだよ歯切れ悪いな。どう思ってるのか言ってみろ」
「え…っと」
思わず口ごもる様子に、俯いたのはアリアだった。
「…やっぱり似合いませんか?」
「そんなことないよ!」
慌てて否定する様子も周りには面白いらしくさらにニヤつかせる餌を与えてしまうレイトルだが、アリアに見上げられて、どうにでもなれと本心を告げる。
「…ただ、綺麗になりすぎかな。あんまり他の奴らに見せたくない…」
今のアリアは薄くはあるが化粧までして、なおかつ抜群のスタイルだ。
独身の多い王族付き達が目をつけないはずがない。
アリアは綺麗だと言われた部分にだけ反応して照れるように俯く。だが言葉の後半についてはあまり理解していない様子だった。
面白がるのはセクトルとアクセル、そしてトリッシュだ。
「独占欲だな」
「独占欲だね!」
「独占したいのか」
「煩いな…」
三人に面白がって冷やかされた挙げ句にガウェとアドルフにはニヤついた笑みを向けられる。
「駄目ですよ」
最後に意味深にモーティシアに微笑まれ、レイトルは完全に口をへの字に曲げた。
フレイムローズとルードヴィッヒはレイトルの胸中をいまいち知らないので独占欲についてもよくわからないらしい。願わくばそのまま純粋なままでいてほしいものだとため息を漏らせば、ニコルから警戒の眼差しを向けられていることにようやく気付いた。
「…そんな目で見ないでほしいな」
アリアの兄として心配しているのだろうが、友として仲間として、さすがに酷い視線ではなかろうかとレイトルは空笑いを浮かべた。
「…あー、とにかくさ、似合ってる。綺麗だよ」
「えっと…ありがとうございます」
言い直すように再度告げれば、今度はアリアも照れながらではあるが笑い返した。
綺麗だと言われて嬉しくない娘はいないだろう。それはアリアも同じなのだ。
だが優しい空気だけを吸うには、この会場は多くの人物が入りすぎていた。
「--平民は御世辞という言葉を知らないのかしら?着飾ったところで薄汚なさが抜ける訳ではないのですよ」
声は幼い。だがはっきりと罵りの色を浮かべながら、子息子女の座るテーブルにいたジュエルが鼻で笑いながらアリアを睨み付けた。
その挑発に、今回はアリアもスッとジュエルに目を向ける。
「気にするなよ」
隣でトリッシュがフォローしてくれるが、ジュエルはさらに言葉を続けた。
「その胸もまるで雌牛ですわね。中身が下品な方は見た目も下品になるとは本当ですのね」
あまりの言い種に周りからの批難の視線がジュエルに集中するが、当の本人は気付いていないらしい。若さ故に怖いもの知らずなのか、甘やかされて育った証拠なのか。
アリアは静かにジュエルを眺めるだけだったが、口を開かないアリアに対し何を勘違いしているのかジュエルは勝ち誇るように笑みを浮かべる。
「それに黒のドレスなんて。慰霊祭は終わりましたのよ?」
「やめないかジュエル」
止めに入ったのはミシェルだった。
強い口調で咎められてジュエルは一瞬びくりと肩をすぼませ泣きそうな表情になるが、すぐに兄のミシェルを不満そうに睨み返した。
「アリア嬢、妹がとんだ失礼を。兄として私から謝らせてください」
「何よお兄様!!本当のことを言ってあげただけでしょう!!あんな下品なものをこれ見よがしに見せつけて、気持ち悪いったらないわ!!教養の無い人間はこれだからダメなのよ!!常識知らずなんて、親の顔が見てみたいわ!」
ジュエルの非を詫びて頭を下げるミシェルに、さらに噛みついて。
「静かに出来ないなら放り出すぞ」
「っっ…出来るならやってみなさいな!ガードナーロッドの膿の分際で!!」
兄妹であるはずなのにあまりに酷い言葉で兄を扱き下ろすジュエルに、ミシェルの表情がわずかに傷付いたように固まった。
「…ジュエル」
「やめてください、私なら平気ですから」
それでも兄として妹に注意しようとするミシェルを、アリアは強く制した。
一連のやり取りにホール内は冷たくはりつめている。その中で、アリアはどう止めるつもりなのだ。
「…ふん!」
ミシェルはアリアを見つめ、ジュエルは椅子に深く腰かけて目をそらす。
何だ、収まってしまったか。
静まる空気に誰もが落胆とも安堵とも取れないため息をもらしたところで。
「それに、無いよりマシでしょう?」
「--!?」
わざわざ見せつけるように、アリアは自身の豊かに実った胸の片側を重たげに持ち上げた。
その行為にホール中の、特に巨乳好みの騎士達が反応してアリアを凝視する。正確には魅力的な胸部に。
「私があなたくらいの時は今の半分くらいには育ってましたから…あなたは絶望的かしら…」
「っ!!」
憐れむような口調に、ジュエルが顔を真っ赤に染めてアリアを睨み付けた。
「あ、でも気にしちゃ駄目よ。女の価値は胸の大きさだけじゃないからね!」
そして今度は励ますように。
あまりに突然の切り返しにニコルは頭を抱え、ガウェは笑いを堪えるのに必死の様子だった。
ジュエルは震えながら魚のように口をパクパクと動かすが言葉が出てこない。
下品だ牛だと罵られた胸だけでここまで相手にダメージを食らわせるなど、誰も考えていなかった事だろう。
しかも相手は虹の七都の令嬢だ。
今現在の侍女達の中で家柄の地位だけならジュエルより高位の娘はおらず、その為にジュエルは侍女の間でも特別な存在として扱われてきたのに。もちろん扱いにくいという意味でだ。
「…ふ、確かに」
「何よお兄様まで!!」
アリアの名台詞にミシェルもクスリと笑い、激昂して椅子を撥ね飛ばす勢いで立ち上がったジュエルを、アリアは真っ直ぐに見つめた。
「冗談はここまでにしておきます」
真剣な眼差しと口調で、あまりに子供じみたジュエルを睨み付けるように。
「ジュエルさん、あたしの悪口なら堂々と言ってもらって構いませんが、血を分けたお兄様をそんな風に蔑むのは、あたし個人として許せません」
アリアの言葉に目を見開いたのはミシェルだった。
どう注意するのか、誰もが気にしていたところだ。だがアリアはジュエルと同じく兄を持つ者として、ジュエルの酷い言い種が許せなかったのだ。
黙っておくこともできた。だがそれが出来ないほどに。
「…貧民ごときが偉そうに!!」
「はい。あたしは根っからの貧民なんです。だから売られた喧嘩はタダなんで全買いしますよ」
ここまで来て語彙の少ない子供に負けてられるかとばかりにアリアは余裕の表情で切り返していく。
「本当に下品な方!!王城に相応しくないわ!!」
「残念ですがあなたに相応しいかどうかを決める権限は無いんですよ。未成年だろうがしっかり働いてるんだから現実を見ましょうね」
「~~~~っ!!」
誰が見て聞いても、アリアに分があった。
誰かの受け売りのように同じ文句を口にするジュエルと違い、アリアは完全にアリアの意思としての言葉だ。
そしてそこにはやはり、頭の回転の早い魔術師団の団員としての姿も見られて。
「なによっ!あなたなんか!!」
「そこまでにしておけ。もう王族や賓客の方々も来られる。全員着席しておくんだ」
一部始終を同じく楽しんでいたアドルフが時間の頃合いを見計らってようやく真っ当に止めに入ってくれる。
ジュエルは怒りが沸きすぎて涙を滲ませながら強く席に付き、アリア達もまるで何事も無かったかのように用意された席に向かう。
「…怒らせてどうする」
べそをかくジュエルを慰めているミシェルを少し眺めてから、穏便にしないかと眉を寄せるニコルにアリアはふんと鼻を鳴らした。
「出し惜しみしなかっただけよ。言われっぱなしは嫌いなの。言い返す為なら乳だって使ってやるわよ」
「乳…」
ストレートな言い種にセクトルが吹いた。
出し惜しみするなとは確かにガウェも言ったが、こういうことではないだろうに。
「お風呂場でもさんざん人の胸を馬鹿にした仕返しよ」
「…やっぱり言われてるのか」
「さっきみたいな小さな嫌味よ。あたしだけで対処できますよーだ」
完全にやさぐれモードのアリアに、ニコルはもうため息しか出なかった。
「…アリア、何かあったらニコルだけじゃなくて私のことも頼ってほしいな」
中央テーブルにて着席しながら、隣に来たレイトルが心配するようにアリアに伝える。
その言葉にはアリアを思う気持ちも含まれていたが。
「ありがとうございます!でもああいうのは気にしないでください。あたしも気にしないですし、接点もあまり無いから大丈夫ですよ」
「…そう」
空元気なのか本当に気にしていないのか、屈託なく笑うアリアにそれ以上その会話をレイトルが口にすることも無かった。
「うちのお姫様は気も強いらしい」
一連の様子を静かに見守っていたモーティシアが苦笑いを浮かべながら呟けば、トリッシュも楽しそうに笑ってみせて。
「面白かったな」
「俺は肝が冷えたよ…」
アクセルだけは胃の辺りを押さえて何やら苦しげだった。
「…来られたようだ」
セクトルから静かにしろよと暗に告げられて、皆で扉を眺める。
続々と大臣や領主達が会場入りをし、ニコルとアリアを眺めては言葉を無くしていく。
これで何度目だと訊ねたくもあるが、張本人であるバルナの驚いた顔だけはさすがに気分が良かった。
まだ素直にはなりきれないが、ニコルは父に感謝すべきなのだろう。
そして最後に団長の二人が王族を案内するように入り、会場の扉が閉められる。
コウェルズとヴァルツも素晴らしい礼装を纏うが、七姫達は揃いの美しいドレスを纏って何よりも華やかだ。
「--…」
そしてエルザがニコルを見つけてパッと笑顔をさらに華やかせたところで、ニコルはわざとらしく視線を外してしまい。
その後のエルザの表情はニコルにはわからない。だが長く側に仕えた経験が、エルザの悲しむ表情を脳裏に焼き付けてくる。
どうして器用に出来ないのかなど考えても仕方の無いことで。
王族達が中央テーブルに集まるのを気配で感じながら、ニコルは向かいに座るアリアにひたすら神経を集中させた。
晩餐会がどんなものかはまだわからない。
ただ今は、すぐに終わってほしいと切に願ってしまった。
第19話 終