第19話
---
「…綺麗だった…」
慰霊祭が終わった後、幻泉宮を出て他の魔術師達と中庭にいたアリアは頬を染めながら夢見心地に呟いた。
ロマンチックで儚げで、恋人と二人で見ていたら絶対にその後の展開は恋人に委ねてしまうだろうほどに。そんな甘い恋人など存在しないのだが。
「慰霊祭だから、もっと暗い感じで思ってたのに!!最後の虹が…」
皆で見ていたというのに、アリアはひとつひとつ思い出しながらうっとりと解説していく。周りの魔術師達は可愛い妹を見守るように眺めており、ふわふわと夢の世界に浸るアリアの姿に癒されている様子だった。
普段しっかりさっぱりとしたアリアがここまで乙女になるなんてと珍しくもあるのだろう。
「アリアもよく出来ていたよ」
魔術師の一人が褒めるように告げれば、アリアの表情がパッと華やいで喜びに染まる。
「ほんとですか?」
「勿論だよ。最初はどうかと思ってたけど、本番に強いタイプか?」
「落ち着いていましたね。皆さん息を飲んでいましたよ」
「うふふ…」
賛辞が満更でもないらしく頬を緩めて笑うアリアの高ぶった心を落としてくれたのは隣に来たトリッシュだった。
「問題はあのセクハラ大臣だよな。さっきのでまたアリアを自分のものにしたがるぞ」
「トリッシュ!」
一気に表情を固めたアリアの代わりと言わんばかりにアクセルが怒ってみせるが、トリッシュは肩をすくめただけだ。
「大丈夫だよアリア、私達がそんなことは許しませんから」
「…お願いします」
モーティシアのフォローが一番逞しく胸に響いて、アリアは半べそじみた瞳で信頼出来る隊長に頭を下げた。
「私達に願わずとも狂暴な番犬達が付いているでしょうに」
不安な様子がおかしかったのか笑みを浮かべながら肩を叩かれて、番犬扱いの三人を思い浮かべる。
兄を含めた騎士三人は、確かに時おり狂暴な顔で相手を威嚇する時があったが、番犬と言われると曖昧な笑いしか出てこなかった。端からはそう見えるのだろうか。
「お、番犬筆頭が迎えに来たぜ」
トリッシュに促された方向に目を向ければ、ニコルが魔術師達の間を縫いながらアリアに近付いてくる所だった。
「アリア、いいか?」
「あ、うん」
今から自室に戻って礼装に着替えなければならないのだ。
番犬と呼ばれた兄に思わず曖昧な笑みを引きずったまま返せば、ニコルは訳もわからず首をかしげていた。
「…本当に大丈夫かよ?」
「皆さんがいるから大丈夫です!」
大臣の件を思い出してかトリッシュが心配してくれるが、心強い味方がいるのだからと笑い飛ばす。本当は不安は残るのだが、兄達がいてくれるなら何も心配無いはずだ。
「“治癒魔術師護衛部隊も晩餐会に出席すること”って、もっと早く言うべきだよなぁ…」
困ったようにアクセルが眉を寄せたのは、昨日突然告げられた出席命令に対する不満だ。
アリアとニコルが晩餐会に出ることも突然だったのに、さらに護衛部隊も巻き込まれた形になる。
「まあ私達も下位とはいえ貴族の端くれですし、万が一でも平気なようにしていますからね。何の心配もいりませんが」
「…嫌味か」
「はい」
さらりと肯定するモーティシアを前にニコルはぐうの音も出ない。
レイトルとセクトルも元々クレア姫付きだったので晩餐会用に礼装は用意していたらしく、せっかく作った礼装が無駄にならずに済んだと喜んでいた所だ。
「まあ、私だって二人の礼装が無いままだったら、こんな嫌味言いませんよ」
「だよな。いい親父さんでよかったな」
安堵のため息をつくモーティシアにもたれ掛かるようにその肩に肘を置きながら、トリッシュも心配を吹き飛ばすように笑う。
父のお陰で手に入った礼装は、まだ数えるほどにしか知らせていない代物だ。
「じゃあ後でな」
「はい」
三人に頭を下げて、アリアはニコルに付いていく。その途中でも魔術師達はアリアを心配してくれて、心遣いがとても嬉しかった。
「魔術師団は良い奴らばかりみたいだな」
ニコルも同じ思いを抱いたのだろう、優しい空気を纏ってアリアに笑いかけてくれる。
「うん。でも最初大変だったよ。治癒魔術師様、アリア様って。途中で怒ったもん。様付けやめて!って」
さらに笑う兄に、アリアは不適な笑みを返した。ニヤニヤと見上げれば、ニコルは「何だよ」と警戒心を剥き出しにしてくる。
「んふふ。そしたら、妹扱いされるようになっちゃった」
崇拝するかのような行為を止めさせれば、次は猫可愛がりだ。
最初はそれも駄目だとモーティシアと揃って注意をしていたが、最近はもう諦めて甘やかしてくれるに任せている。
治癒魔術師と同じくらいに貴重らしい魔眼のフレイムローズにも甘いので、そういうものなのだと枠で括って。
ただでさえアリアは護衛部隊とばかりいるのだ。たまに魔術師団の集まりに出た時くらいは甘やかされていいだろう。
それでもやはり兄の心境は気になった。
「周りの皆さんがお兄ちゃんぶる中、実兄としての胸中は?」
「いいんじゃないか」
「えー、兄さん以外の人が兄さんみたいに接するんだよ?ちょっとは嫉妬心とか無いの?」
「あるか馬鹿」
変なことを言うなと呆れられて、こつんと強めに拳が頭に落ちた。
「痛い!もー」
やり返そうと腕を掴んだ瞬間に、少し慌てた様子でレイトルとセクトルが訪れる。
「二人共遅いよ!早く!」
「王族付きは団長以外の騎士は先に会場入りしとかないと駄目なんだ。急げ」
迎えに来てくれたらしい二人は晩餐会を経験している為かアリアとニコルを強く急かした。
「は、はい!」
「悪い!」
確かに王族付きの騎士達は既に用意に向かって、わずかにしか中庭には残っていない。
駆け足になりながら自室のある兵舎内周に向かう途中で、ふとある視線に気付いて。
「--…」
その視線の主がワスドラートであるとわかりアリアはわずかに怯むが、そっぽを向くように視線を外して気付かないふりをし、兄達と中庭を後にした。
-----
兵舎に入り、レイトルとセクトルとは二階で別れて三階に向かい、アリアを自室に押し込む。
ガウェの髪いじりが待ってるから着替えが済んだら部屋に来いと告げてニコルも自室に戻れば、先に帰って既に身仕度を済ませていたガウェに何やら冷めた視線を送られた。
「なんだよ」
「急げよ。少しでも賓客より遅れようものなら、それで一年は嫌みを言われるぞ」
「…わかった」
レイトル達と同じことを言われて、騎士礼装をぞんざいに脱ぎ捨てながら、ベッド下に隠すように置いていた革のケースを取り出す。
ベルトを開ければ深い緑と黒をベースにした見事な礼装と革靴が現れ、いざそれを着るとなるとやはり気後れしてしまった。
「…晩餐会で少し暴れる」
礼装と靴をケースから引きずり出して自分に似合うのかと不安に感じながら袖を通せば、自分のベッドにくつろぐように腰を下ろしていたガウェが神妙な様子で話しかけてきて。
「…は?」
意味がわからず振り返れば、普段の様子からは一変した真面目ぶるようなガウェがいた。
「だから、何も言わずに最後まで落ち着いていてくれ」
「…何するかによるだろ」
突然何なんだと勘繰るが、下も履き替えたニコルの礼装にガウェは驚いた様子だった。
「見事な礼装だな」
「…謎の多い親父だよ」
黒銀の縁取りや細かな模様の施された礼装は見事だと思うが、いざそれを仲間に口にされると気恥ずかしい。
まだ馴染めない父親が降って湧いたように礼装をくれたことも加わって尚更だ。
「アリアも着替えているんだろ?揃いの礼装なのか?」
「そうだ、覗くなよ」
冗談半分に言っただけだったが、ガウェはキラリと瞳を輝かせた。
「…おい冗談だろやめろよ」
「ふっ…お前の礼装が見事だからアリアの礼装も気になっただけだ。安心しろ」
どこに安心出来る要素があるというのだ。以前眠るアリアの胸の大きさを確認したいというだけで布団を剥ぎ取ろうとしたくせに。
「それにしても暗色の礼装か。珍しいな」
「そうなのか?」
「ああ。だいたい淡い色をベースに少し深い色合いの糸で模様を刺すからな。お前の礼装だと模様を読み取るのが難しそうだ」
「…個人情報ってやつか」
貴族のしきたりで、礼装には着る個人の出自から現在に至るまでの情報を模様化して刺繍として縫う慣例がある。
礼装を借りればすぐにバレるとは模様の件があるからだ。
纏った礼装を掴んで模様部分を見ても、ニコルには何と書かれているのかわからない。ただの奇妙な柄のデザインにしか見えないが。
アリアの礼装にも似た模様があった。
「…服は、生まれた村では特別なもんだったんだ」
ふと村を思い出したのは、きっと贅沢な礼装を心のどこかで拒絶しながらも喜ぶ自分がいたからだ。
「すげえ貧しい村だから着る服も全部大事なもんで…その中でも親から貰える服は特に別格なんだ。親から貰える服だけは、俺だけの服だったから」
ニコルの懐かしむような昔話を、ガウェは静かに聞いてくれる。
「…前にお前らに貸した服も、元々は父さんの服だったんだ。村を出る時にくれた。…俺が村にいたままだったら、たぶんそこで嫁さんもらって、生まれた子供が年頃になったら、父さんからもらった俺の服をまた譲るんだ」
そうやって、大事に大事に。
もちろんボロボロだ。継ぎはぎだらけで格好悪くて、誇れるものではないのだろう。しかし大切なものなのだ。
「理解出来ないだろ?服は村で着まわしだったんだぜ?俺がガキの頃着てた服も、今は当時の俺と同じくらいの背格好のガキが着てるだろうよ。着れたもんじゃなくなってたら、大事に取っといて補強用とかに使うんだ」
「…想像出来ないな」
「だろうな」
住む世界が違うのだから仕方ないと笑えば、ガウェも肩をすくめてそれ以上想像に頭を使うことをやめる。
「俺は男だからいいけどよ。村の女の子は可哀想だったかもな。城下町に住む奴らみたいなお洒落なんて夢のまた夢だ。考えたことも無いかも知れねえ」
「アリアは親から貰えなかったのか?」
ふとした疑問を訊ねられて、ニコルは静かに口を閉じる。
アリアは。
「…村じゃ男から優先されるからな。女の子が貰える服となりゃ、一生の中で一度だけだ」
しかしそれすらも…
もう一度、唇を噛むように押し黙ってしまったニコルを、ガウェは眉を寄せながら眺める。
何かあったのか?
ガウェはそう問いかけようとしたが、コンコンと軽いノック音が室内に響き渡る方が早かった。
「アリアか?」
すぐにニコルが立ち上がり、扉に向かって足を進める。
小さな声で「あたし」とだけ聞こえてきたので扉を開けてやれば、ニコルの礼装とよく似た美しいドレスを纏ったアリアが恥ずかしげに俯きながら入ってきた。
ニコルとガウェが同時に言葉を失ったのは、そのドレスを纏うアリアがあまりにも美しく、そして魅力的だったからだろう。
肢体のラインをなぞるようなドレスは女としての魅力の詰まったアリアの身体を否応なく引き立てている。
「…マーメイドラインか」
ふと呟かれたガウェの言葉には、ニコルもアリアもただ首をかしげるしかなかった。
「…胸…目立ってない?」
身体についてはコンプレックスに思っているアリアは、わざと露出するような胸元を両手で隠しながら猫背の状態で訊ねてくる。
「…少しは目立つが」
「元々そういうデザインなんだ。おかしくないから安心しろ。むしろお前なら可愛いドレスよりもこっちの方がよく似合う。隠す方がいやらしくなるから胸を張ってろ」
アリアが訊ねていたのはニコルだったが、アリアと同じように困惑しているニコルを押し退けるようにガウェが間に入り、珍しいほどに誉め言葉を与えた。
アリアはまだ不安げにガウェを見るが、ガウェはもう見慣れた様子だった。
「仕上げをしてやるからじっとしていろ」
「は、はい!」
どうすればよいのかわからないニコルを放っておいて、ガウェはアリアを椅子に座らせてテーブルに何やら見慣れない器具をいくつも置く。
「…何だこれ」
「ヘアスタイルを整える。お前もやってやるから待ってろ」
「…は?何で俺まで?」
「兄妹揃いにしてやるって言ってるんだ。礼装が揃いなのに髪型が別とかおかしいだろ」
それも貴族の思考回路なのか、有無を言わさぬ物言いに否定の言葉は浮かばなかった。
アリアは任せるとしても自分はいつも通り束ねるつもりだったのだ。
しかも髪型を男と女で揃いにするなど、いったいどうするつもりなのか。
ガウェはよく姫達の髪をセットしていたが、男の髪を触っているところなど見たことも無いというのに。
ニコルにはただ不安しかなかったが、まるで魔法のように簡単にアリアの髪が編み込まれていく様子に思わず見入ってしまった。
「痛くないか?」
「は、はいぃっ!!」
アリアはアリアで完全に困惑している様子だ。
「大人っぽく巻いて流してやろうと思ったんだがな。せっかくだから遊ばせてもらうぞ」
もはやガウェが何をいっているのか皆目見当もつかない。
ただひとつ言えることは、これほど楽しそうなガウェを見たのは久しぶりだということだ。
アリアのヘアセットはものの数分で終わったが、その出来はなかなかのものだった。何と言うべきなのか、形容し難いがとりあえず格好良い。
襟首辺りから上へと細かく編み込まれた髪は緩やかに円を描きながら後頭部の高い位置へ。そこから細い三つ編みを交ぜつつ束ねるだけで流したスタイルを短時間で作り上げたガウェに対するニコルの感想は。
「お前凄いな」
だった。
「わあ、ほんとだ凄い…」
鏡で現状の自分を見たアリアも、いつもの自分から雰囲気が変わりすぎて目を丸くしている。
「次はお前だ。座れ」
「…まじかよ」
アリアと席を変わって恐る恐る腰を下ろせば…
「--ぃ痛ってえぇーーーっ!!!」
容赦の無い髪の引っ張られ具合にニコルは騎士となってから今までで一番の悲鳴を上げた。
「アリアに手酷く出来るはずが無いがお前には容赦しない」
数分間の苦行に耐え抜いたニコルに対し、ガウェがさらりと告げたのはアリアには手加減をしたという事実だ。その手加減をなぜニコルにはしてくれないのかと思ったが、アリアが「お揃いだ!」と喜ぶものだから苦情を告げる前に毒気を抜かれてしまい、ただため息をひとつついただけだった。
鏡で見せられた髪型はアリアとは左右反転したスタイルで、まあ悪くはない。
「アリア、こっちに来い」
「はい?」
そして最後の仕上げとばかりにガウェはアリアに薄く化粧を施してやり、ようやく完全に準備が整った。
「…何で女の化粧まで出来るんだよ」
「趣味だ。悪いか」
堂々と宣言されて固まるニコルに、ガウェはわずかに誤解されていると気付いたのか言葉を続ける。
「…元々リーン様の身支度は俺がしていたからな。その時の癖が抜けきらないだけだ」
「……そうか」
亡くなった第四姫の名前を聞いて、ニコルは静かに目を伏せる。
今年も例年通りこの時期に病むだろうと思っていたのに、なぜかガウェはわずかに病んだだけですぐに平常心を取り戻していた。
リーン様という名前すらガウェの前では禁句だったというのに。
心境の変化はいったい何故なのか。どのみち訊けはしないのだが。
「よし、行くか。ここからは姿勢にも気を付けろ。せっかく美しく着こなした礼装だ。堂々と歩け」
「は、はい!」
「向こうに着いてからでいいだろ…」
しゃんと背筋を伸ばすアリアとは逆にニコルは何もそこまでと呆れるが、その姿にさらにガウェが呆れてため息をついた。
「…会場に付いてからじゃない。二人とも今から気を引き締めろ。礼装など持っていないと思い込んでいる馬鹿達が見物に来ているだろうからな」
そしてため息の理由を告げられて、二人して口をつぐむ。
ニコルとアリアが今年の晩餐会に出席することはもはや王城中に広まっている。
そしてニコルはわからないとしても、アリアに礼装の用意など出来ないだろうという考えは多くの者達がしているはずだ。
借りても普段着でも嘲笑出来る機会を、平民嫌いが見過ごすはずがない。
思わずアリアを見れば、同じくこちらに目を向けるアリアと視線が絡んだ。しかしアリアの瞳には困惑や不安の色は一切見えない。むしろ負けず嫌いな意地が見えた気がして、ニコルはふっと笑ってしまった。
どのみちようやく再会できた父である彼のお陰で礼装は用意出来たのだ。場馴れしたガウェからの御墨付きもあるのだから、堂々と前を進んで構わない。
「知ってるか?貴族の女が最も羨むのは、良い男にエスコートされる女を見た時だそうだ」
「…どう返事をさせたいんだ…」
良い男とはつまり最上位貴族である自身の事を指しているのか、それともニコルも含んでいるのか。
「晩餐会でのエスコートなんてたかが知れているからな。行くぞ。アリア、悔しそうに見てくる女がいれば不敵に微笑み返してやれ。どうせ色気のあるドレスだ。出し惜しみするな」
ずいぶん強気な言葉にアリアも思わず笑ってしまっている。
ともあれ、今は晩餐会に集中しなければならないのだろう。
アリアを中心にニコルとガウェは隣に立ち、さながら姫を守る騎士の雰囲気を醸し出しながら、晩餐会に向かうべく部屋を後にした。
-----