第19話
第19話
慰霊祭の行われる日は特別だ。
全ての準備は前日までに終わっているが、準備と本番は違う。
魔術師団は全体の半数が、騎士団は王族付き以上の階級の者はほぼ全員が出席。
唯一の欠席は、王城騎士をまとめる各隊の副隊長だけ。
戦力の大半が王族と共に王城敷地内の地下にある幻泉宮に降りる為に、この日に休暇を取ることは不幸事以外は認められず、ピリついた緊張感が王城騎士達を包むのだ。
ただし、幻泉宮内では正反対だ。
「おい、フレイムローズ!真面目にしろよ」
幻泉宮の宮内で既に待機しているのは隊長副隊長の抜けた王族付き達と魔術師達。
その一角で、まだ若手に分類される騎士の一人が笑いを堪えることなくフレイムローズの髪型を指摘した。
「ま、真面目だよぉ」
騎士達は特別な式にのみ着る騎士礼装を纏っており、身なりも全員きちんと整えて出席する。だが髪のくせの強いフレイムローズは髪を整髪剤で必死に整えてもくせが勝り、髪型がおかしな事になっていた。
周りの者達も笑うが、ざっと見渡しても大半の髪型が変わっている為に誰が誰なのかよく見なければわからないだろう。
騎士団の悪習で、暗黙の了解で皆が髪型を別物に変えてくるのだ。簡単な所ならいつも前髪を後ろに流している者は下ろし、下ろしている者は後ろに流す。
それだけならまだ可愛いもので、中には注意されない程度に凝った髪型に変えてくる者もいる。
そして若手騎士は体のいい犠牲者となるのだ。
「強いくせ毛だと大変だね」
「ううぅ…」
フレイムローズが逃げたのはレイトルの背後だ。
笑いを取ろうとして出来た髪型でない為に、笑われるのが嫌なのだろう。
「ふ、俺が一番雰囲気変わるな」
勝ち誇るように鼻を鳴らすのはセクトルだが、向かいにいた騎士から「一気にガキ臭くなるな」と返されて言葉を無くしていた。
背の低さにコンプレックスを持つセクトルはいつもは髪を後ろに流して立たせているのだが、それをやめればストンと前髪が現れて子供に早変わりする。
撃沈したセクトルの隣ではガウェが堂々と顔の傷を晒していた。
「うっわガウェ恐ぇ…傷丸出しだと凶悪だな」
「こういう時でないと晒せないからな」
普段は右目を潰した大きな傷を隠すように長い前髪を下ろしているが、後ろに流せば嫌でも目立つ。
髪型は変わっても傷のお陰でガウェだけはすぐに見つけられるだろう。
「魔術師団はいいなぁ…フードだから」
「ひがまないで下さい」
特殊な模様の編み込まれた特別なローブを纏う魔術師達にフレイムローズは羨ましげに声をかける。
返してくれたのはモーティシアだが、魔術師達にそろってクスクスと笑われ、フレイムローズはまた顔をレイトルの背に隠した。
「…思ってたよりも和気藹々とした感じなんだね」
至るところで髪型の変化に対する話題を聞きながら、アリアは単純に驚いていた。
亡くなった姫と王妃の慰霊祭である為にもっと張り詰めた空気を想像していたのだろうが、実際はあまりに緩くて拍子抜けしたというところだろう。
「礼装時は髪も整えるからな。皆いつもと雰囲気が変わるから面白いんだ」
式が始まれば真面目になるぞと付け足しながら、ニコルは束ねずに垂らした髪を邪魔そうに振り払う。
アリアは魔術師団側の人間なので特別な礼装を纏っており、フードを被る為に髪型はいじらずいつも通りだ。
「兄さんはくくらないの?」
訊ねれば、ニコルは不本意そうに口元を引き結んだ。
仕事に関しては生真面目なニコルが、周りの悪ノリに合わせて髪型を変えるのは珍しいなどとアリアは思ってはいたが、何やら事情がありそうだ。
しかしその事情をむっつりと黙り込む兄は話してくれそうにない。どうやって聞き出そうかと考えていた所で、レイトルが間に入って答えを教えてくれた。
「コウェルズ様命令なんだよ。ニコルだけ髪型変わらないのはずるいって」
「コウェルズ様が?」
思わず目を丸くして兄を見上げれば、本当らしく顔を逸らされた。
「でもレイトルさんも変わらないですけど」
「私の髪は何をしてもこの形のままなんだ」
「そうなんですか」
短髪などの理由から髪型の変わらない騎士達はもちろんいるが、確かにレイトルの髪質は柔らかすぎてフレイムローズとは別の意味でセットしにくそうだった。
「あ、いっそ兄さんみたいに伸ばしてみたら束ねられるんじゃないですか?」
妙案が浮かんだとばかりにパンと手を合わせるアリアに、笑ったのは周りの者達だ。
「え?あたし笑われてます?」
「昔はすごい髪長かったんだぜ、こいつ」
通りすがりの騎士に話しかけられて、またも目を丸くして。
「レイトルさん長かったんですか?」
「王城騎士時代はね。王族付きに任命された時にバッサリ切ったんだ」
「えー、見たかったなぁ」
何気なく呟いた言葉に、ふいとレイトルが照れながら視線を外した。
「物凄い長かったからな」
「そうそう。願掛けしてたんだもんね!」
ニコルとフレイムローズがまるでオモチャを発見した子供のようにニヤニヤと笑いながらレイトルをからかう。
どうやら面白いエピソードがありそうな気がしたが、教えてくれようとしたニコルとフレイムローズはレイトルに口を塞がれて聞けずじまいだった。残念なかぎりだ。
「兄さんは何で伸ばそうと思ったの?」
「俺か?コウェルズ様命令だ」
「伸ばしたのも?」
ああ、と頷きながらまた邪魔そうに髪を払い、出来れば切りたいと不満を口にする。
王子命令なら勝手には切れないだろう。
「ガウェと背格好が似てるからな。見分け付くようにどっちか伸ばしとけって言われて俺が伸ばすはめになった。…髪の色が違うんだから見分けくらい付くだろうが完全に遊ばれてな」
「仕方無いよ。あれだけ後ろ姿似てたんだから。君だってからかわれて嫌がってたじゃないか」
「そうだが…」
ニコルとガウェは揃って背が高い。身長は若干ニコルの方が勝っているが、確かに筋肉のつき方などは似ているかもしれない。だがアリアはふとあることを思い出し、小さく首をかしげた。
「でもあたし、兄さんとコウェルズ様の方が似てると思ったけどな?」
賛同は得られるものだと思っていたが、周りは一瞬呆けただけだった。
「…身長くらいで似てはいないよ?」
「言われたこと無いぞ」
「えー?似てるよ。初めてコウェルズ様に会った時に似てるって思ったもん」
強く言ってみるが、ないないとニコルもレイトルも首を振って否定する。
「フレイムローズはどう思う?」
そしてレイトルが背後のフレイムローズに訊ねた時に、突然大きな叫び声が宮殿内に響き渡った。
何だと誰もが声の上がった方へと目を向ければ、アリア以外に女はいないはずの宮殿内で何やら可愛らしい髪型の者がいるではないか。
「な、何するんだ!これじゃあ女の子じゃないか!!」
「大丈夫だってそれでいけ。すげー似合ってっから」
ニコルと同じように髪を下ろしたパージャに小柄な騎士がつかみかかっている。
騎士礼装から男だとはわかったが、髪型は可愛らしく細やかにセットされて男には見えない。だが。
「…ルードヴィッヒ?」
「だな…」
誰がどう見ても、それはルードヴィッヒ以外にはあり得なかった。
「何だよ最近魔具でめっちゃ装飾品作って遊んでんだからいーじゃんよ」
「あれは訓練だ!」
いったいどうしてそうなったのかはわからないが、パージャがルードヴィッヒの髪で遊んだのだろう。
「こんなもの外してやる!」
「あ、やーめーろーよー。俺の最高傑作だぞ。それに周りからの命令だし?」
「ふざけ…取れない!?」
細やかに編み込まれた髪を留めるのは全て花の形の魔具で、生花にしか見えないそれらを産み出すのはパージャ以外に有り得ない。
「ガウェさんが、姫さんがたの髪の毛編み込むの見てて俺もやってみたかったんだよねー。あ、無理矢理とろうとしたら髪の毛ちぎれるからなー」
「くそっ!少しでもお前なんかを信用した私が馬鹿だった!!」
半泣きになりながらルードヴィッヒは何とかパージャの魔具を外そうとしているが、うんともすんとも手応えがない。
その間にも周りの者達が笑いながらルードヴィッヒの肩を叩き、似合ってるから大丈夫だと嬉しくないフォローを入れていた。
「皆さん酷いです!兄さん助けて!!」
誰も助けてくれない状況の中でルードヴィッヒは少し離れた場所にいたガウェに救いの光を求めるが。
「似合っている」
「そんなぁ!!」
ガウェからの放置宣告とルードヴィッヒ自身の情けない声に、辺りが爆笑に包まれた。
慰霊祭では毎年一人、若騎士が必ず犠牲になるのだ。
ガウェはそのままアリアの元に訪れて、その普段通りの髪にごく自然に触れて難しい顔をした。
「…あの、何でしょう…」
「晩餐会にもこの髪型で出るつもりか?」
「へ?えっと…はい」
突然の行動に驚きつつも答えるが、ガウェの難しい顔はほどけそうにない。
「何だよ?」
隣でニコルも首をかしげ、レイトルとフレイムローズも顔を見合わせていた。
それらを見ながらガウェはため息をひとつ漏らす。
「晩餐会の前に俺達の部屋に来い。そんな髪型で出せるか」
「え!?」
「はぁ!?」
アリアとニコルの驚きの声が被るがガウェは動じず、何やら思案顔でアリアの髪を好き勝手にいじった後にまたふらりと離れて行ってしまった。
「…何だったんだよ」
「ガウェなりに心配してるってことじゃないかな?よかったじゃないか。ガウェなら綺麗に整えてくれるよ」
レイトルはガウェの言いたい所がわかったらしく仕方無いとばかりに笑みを浮かべている。
礼装は用意できたが髪まで気を回していなかったアリアは困惑するが、兄は仕方無いとしても晩餐会に慣れているレイトルが不信に思わないなら大丈夫なのだろうと気持ちを切り替えた。
「そういや慰霊祭までにもう少し嫌みが聞けると思ったんだが、ヴェルドゥーラ氏は静かだったな」
ニコルがふと思い出したように呟けば、気にならない程度に辺りがしんと静かになった気がした。
「--始まるぞ!だらだら喋ってないで定位置につけ!」
しかしすぐにコウェルズ付きの隊長アドルフの号令が響き渡り、全員が一瞬で真剣になり指定された場所に移動する。
アドルフは一隊長であると同時に王族付き全体の総隊長だ。慰霊祭では各隊長と副隊長が王族達の護衛に付くが、アドルフだけは全体をまとめる為に宮内にいたのだ。
宮内後部、騎士団と魔術師団は左右に別れて待機し、アリアはモーティシア、トリッシュ、アクセルに守られるように団内の先頭に立つ。ニコル達は騎士団側なので側にはいてもらえないが、魔術師団とは打ち解けていたので不安は無かった。
アリアにとって少し不安なのは、式の途中で治癒魔術を披露する場面があることだけだ。
とはいっても初歩的な力の為アリアには苦ではなく、予め言われていた事なので緊張の度合いも低い。
魔術師達は一斉にフードを被り、アリアも女性魔術師用の少し色の鮮やかなローブのフードを手探りで探して頭に被せる。
「流れは頭に入っていますね?」
前髪を整えていると、隣に立つモーティシアに出来て当然だとでも言いそうな声色で訊ねられた。
「任せてください」
しっかりと頷き返せば満足げに微笑まれる。心配性のニコルと違い、モーティシアはアリアを必要以上に甘やかしはしない。
努力すればやり遂げられる課題を出されるのもアリアは気に入っていた。
「始まるぜ」
トリッシュの小さな合図に改めて背筋を正し、幻泉宮の扉が開かれる音を聞く。
まず大臣達が宮内に入ってきて、騎士団と魔術師団のように左右に別れた。アリアに下心を持つ大臣が騎士団側に向かったことに安堵しながら、恐らく誰かが気を使ってくれたのだろうなと感謝する。
その後に領主達が入り、バルナ・ヴェルドゥーラに付き従うワスドラートにアリアは驚いた。
付き人は式には出席出来ないと聞いていたのにと困惑していると、コソコソとアクセルが顔を寄せてきて。
「藍都嫡子だから特別に式の参加が認められたんだって」
「それでなんだ…」
ワスドラートは藍都ガードナーロッドの長男だとは聞いていたので納得すれば、二人揃ってモーティシアに睨まれてしまった。静かにしなさいという合図にアリアもアクセルもしゅんと項垂れる。
各領主達が揃ったところで、次に宮内に足を踏み込んだのは王族達とその護衛についた隊長副隊長、そしてヴァルツだった。
騎士団長クルーガーと魔術師団長リナトが最後に入り、静かに扉が閉じられる。
六人の姫達は緑を抜いた虹の一色のドレスをそれぞれ纏い、中央に立つコウェルズが亡くなったリーンを示す緑を纏う。
コウェルズを表す金に縁取られた緑は美しく、彼を中心に添えた虹の美しさにアリアは思わず感嘆の吐息を漏らした。
静まり返る宮内で慰霊祭が始まり、厳かな空気を壊すことなく儀式が始まった。
王族、領主、大臣達が手に持つのは王妃クリスタルの愛した純白の花の束で、位の低い大臣から祭壇に花束を添えて頭を下げていく。
わずかに萎んだその花束は最後のコウェルズの番になる頃には高く積み上げられ、形容し難い独特の雰囲気を醸し出していた。
美しい。だが痛ましい。
その痛ましい花達を癒すのが、慰霊祭でのアリアの役目だ。
コウェルズの合図を受けて、アリアはたった一人で祭壇の前に向かう。
その途中にはありとあらゆる視線に晒されるはめになる。目深にフードを被っていたとしても、視線の波を感じずにはいられなかった。
魔術師達や騎士達からは心配するかのように少し不安そうな視線を。大臣達からは好奇心とも猜疑心とも取れる妙な視線を。
領主達の大半からは、失敗しろとでも言いたげな蔑みの視線を頂く。
最後に受けたコウェルズや姫達の視線は、暖かく祝福するような視線だった。それらの中に、国王の姿は無い。
「やはり国王は出ず、か」
それは待機時に誰かが呟いた言葉だった。
姿を見せないエル・フェアリアの王。村にいた時から既に、王の悪評すら聞かなくなっていた。
祭壇前に辿り着いたアリアは、静かに深呼吸を行う。緊張はしている。それでも体はアリアの思う通りに動いてくれた。
目の前に高く積まれた純白の花束。
間近にすると、痛んだ様子がよく見えた。
花の細部まで確認するように眺めてから、アリアはゆっくりと目を閉じる。網膜に焼き付いた花達を癒す為に、腕を広げたアリアの体から、霞のように白い魔力が流れ出る。
美しいレースのカーテンのようにふわりと広がる魔力は慈しむように花達に降り注ぎ、一輪一輪に丁寧に吸収されていった。
どよめく声がわずかに溢れ始めたのはその頃からだ。
痛ましかった花達がみるみるうちに元気を取り戻し、瑞々しい姿に戻っていくのだ。
驚かない方がおかしかった。
アリアにとっては自分の魔力を与えるだけの簡単なものだ。しかし多くの者達には神がかった神秘的な光景だったのだ。
花の全てにアリアの魔力が行き渡った事を花達の気配から感じたアリアも、魔力の放出を止めて目を開く。
祭壇に積まれた大小とりどりの純白の花の、その美しい光景に息を飲んだ。
萎み痛ましい可哀想な様子を見せる花は一輪も見当たらない。まるでアリアに感謝するように、純白の美しい世界がアリアを祝福する。それはいつまでも眺めていたくなるような光景だった。
名残惜しくはあるが祭壇に向かってお辞儀をして、戻るためにくるりと体を回して。
数段高くなったその場所からは、見上げてくる皆の表情がよく見えた。
魔術師達は誇らしげに、騎士達、特にニコルは嬉しそうに笑ってくれる。領主達は、平民にも偏見を持たない二人だけがアリアを祝福してくれていた。
コウェルズと姫達は感謝するようにアリアを見上げ、ヴァルツは楽しげに花達を何度も何度も眺め回して。
十人十色の表情を受けながら、アリアは静かに自分の席へと戻っていった。
よくやったねと、魔術師達が小さな声で褒めてくれる。くすぐったくなるような言葉に包まれながら戻った所でまたいくつかの儀式が進み、最後に祭壇に立ったのはコウェルズと六人の七姫だった。
コウェルズを中心に虹のように佇む七人の後ろ姿を見守る。
赤を纏うミモザから、紫を纏うオデットまで。隣り合う者と手を取り、深く祈りを籠めて。
誰もが固唾を飲んで見守る中で、七人が淡い虹色の輝きに満たされ、その輝きが美しい虹色の光を纏ういくつもの蝶の姿となり宮内を舞う。
言葉に出来ない神秘的な光景の中で、蝶達はつかの間の自由を謳歌した後に一匹また一匹と純白の花に向かっていき、最初の緑の蝶が一輪に止まった瞬間、蝶はふわりと霧に変わり、白い花を淡い緑に染め上げた。
それに続くように、蝶達が花に留まり吸い込まれていく。
アリアはあまりに美しい光景に目を奪われた。
純白の花が虹色に染まっていく様子は夢のようで、お伽噺の世界に入り込んでしまったかのような錯覚に陥る。
最後に藍と紫の蝶が一匹ずつ、互いに遊ぶようにふわりふわりと舞いながら、隣り合う二輪の白い花に留まって溶け合うように吸い込まれて花と交じり合った。