第18話
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エルザ達と別れた後は大臣の元に向かい、その他の業務も済ませて少しエルザの元に寄り、最後にフレイムローズの治癒に向かった。
二日間の監視を終えたフレイムローズは久しぶりに死んだように昏々と眠りこけ、仕方なく眠ったままの状態から目の周辺と足を癒して。
終わった時にはとっぷりと日は落ちていた。
そして今、薄明かりに照らされた夜の王城内の一区画、侍女達が生活するフロアの扉から少し離れた場所で、ニコルは壁際に体を預けながら窓の外の景色を眺めていた。
侍女達ばかりが行き来するフロアである為に野郎の存在は珍しく、アリアを待つニコルの姿にはしゃぐ声がいくつか聞こえてくる。
扉の近くにいた場合に中から出てくる侍女がニコルに驚くことが何度かあった為に少し離れたのだが、あまり効果は無いかもしれない。
侍女達にも貴族としての意識が強いものは多く、それなりの位の家に生まれた娘達の多くはニコルを完全に無視して去っていく。だがニコルの仲間関係を知っている者などは、あからさまな可愛らしさをアピールする娘達もいた。
まあ当然といえば当然なのだろう。ガウェとフレイムローズは言わずもがな、レイトルとセクトルも中位の中でも高い位にいる。後は王族付きの独身騎士辺りか。
ニコルを狙うのは大半がニコルの騎士階級に目をつけた下位貴族の娘達で、そんな目に見えた欲の好意を向けられてもニコルの食指が動くはずもなかった。
そういえば以前コウェルズに性病検査を無理矢理受けさせられてから今まで全く遊んでいないことを思い出す。
アリアの件でそこに意識が向かわないだけかもしれないが、どのみち監視されているとわかった以上発散させる気にもならなかった。
--そろそろか
アリアを待つ時間も、数回繰り返せばいつごろ出てくるのかの予想をつけられるようになる。
入浴の時間は護衛はやめてほしいとは再三言われているが、この件に関しては護衛部隊全員一致でアリアの願いは却下だ。
まだ護衛が付く理由を完全に把握していないらしく、一人でも平気だという不満は度々聞いている。
「--出たか」
「また待ってたの!?恥ずかしいからやめてって言ったのに…」
そして案の定、フロアを区切る扉を開けて出てきたアリアはニコルの存在に顔を真っ赤に染め上げる。
「お前を一人にはさせられないからな」
「もう…ここまではいいよ…」
「何も無かったか?」
「…当然でしょ?」
逃げるように早足に前を行くアリアのわずかに後ろを歩きながら、声のトーンがわざとらしく高くなった事に耳聡く気付く。
「…何かあればすぐに言え」
アリアもニコルの声色の変化に気付いて、ゆっくりと振り返り微笑んだ。
部屋は兵舎内周に用意してもらったが、風呂場まで騎士達と同じ場所は使えない。
アリアは毎回夜に侍女達の使う風呂場に向かうのだが、そのときばかりは何もしてやれない。そして、何も無い訳がないのだ。
女達の嫌がらせ程度なら酷く問い詰めるつもりはないが。
『災いの芽を摘み取らず放置し続けて』
父の言葉を思い出し、ニコルは強く唇を噛んだ。
父は何か知っているのだ。だからこそあんな言葉を。だがその何かをニコルは知らない。
フレイムローズが魔眼蝶で聞いたというアリアへの嫌がらせは、やはり侍女達の妬みばかりで決め手になるようなものはなかった。
父は何を知っているというのだ。
そして、不安に思うことはもうひとつある。
「--アリア」
「なに?」
立ち止まり、アリアの手首を掴む。
まだ濡れている髪から滴をこぼしながら振り返ったアリアを、ニコルは真剣に見つめた。
「…俺は、やり過ぎか?」
四六時中、張り付ける間は張り付いて、表面的な危険ばかり振り払う。動き方は王族の護衛任務に付いていた時とあまり変わらないが。
「…お前を守りたいんだ…だけど…どこまでしていいのか…」
入浴にまでぎりぎりの範囲で近付き、それ以外でもだ。
しかし父が言うような災いの芽を探そうと思うと、十中八九アリアから離れなければならないだろう。どこまでが許される範囲なのかがわからない。
ニコルの思う通りに動こうと思ったら、アリアだけでなく周りからも止められるだろう。
だがニコルは王城で命を狙われているのだ。幸い今までは無事に済んでいるが、いつアリアに手が延びるとも限らない。どう動くことが最善なのか、何ひとつわからない。
「…あたしだってわからないよ」
アリアの返答は当然のものだった。
ニコルにわからないものが、王城に来たばかりのアリアにわかるはずもない。
「でも…あたしはもう少し、兄さんには兄さんの時間を取ってほしいかな」
掴んでいた手首を離せば、少し痛かったのかアリアはそっとさすって痛みを逃がす。
俺の時間?
時間を取って自由に動いて構わないなら、堂々とアリアの護衛に付くというのに。
「その為にレイトルさん達がいるんじゃないの?」
胸がざわついたのは、何もレイトルの名前を出されたからじゃない。
ただ忘れていたのだ。
自分一人だけでアリアを守っているような気持ちになっていた。
わざわざ先客のいたニコルの隣の部屋にアリアを入れてもらったのは、隣がニコルの部屋であるという理由だけではない。アリアの部屋の階下はレイトルとセクトルの部屋だ。ニコル一人だけでアリアを守っている訳ではないのだ。
「…行こ?」
今度はアリアがニコルの手を引いてくれる。と言っても腕を引っ張ってすぐに離されるが、頷いてアリアの隣を歩いた。
少し難しく考えすぎていたのだろう。
頭を冷やしてひと眠りでもすれば冴えることを願おうか。
キン、と甲高い鉄同士のぶつかり合う音が聞こえてきたのは、王城を出て兵舎内周棟へ向かう途中の中庭での事だった。
「何の音?」
何度も何度も音の衝撃が鼓膜を振動させる。
その音はニコルにはとても馴染んだものだった。
「剣術訓練か?訓練場でもないのに…」
夜中でも訓練を行うものはいるが、訓練場を使わないのは珍しい。しかも音に無駄がない。
いったい誰が訓練を?と気になり、ニコルとアリアは音のする方へと足を運んだ。
まだ王城に近い木々に囲まれた一角で、星の瞬きだけを頼りに二人の男が剣を交えている。
暗くてよく見えない。だが都合よく雲に隠されていた月が姿を表し、二人をやわらかく照らし出した。
「…あ」
思わず声に出したのはアリアだ。
男の一人はワスドラートだった。
昨日アリアを蛇のように絡み付く瞳で眺め回した男。アリアの治癒を受けて少し態度を変えはしたが、今もそうかはわからない。
「もう一人は…ミシェル殿か」
「誰?」
ワスドラートとミシェルの関係は、昨夜ガウェから聞かされている。
「ミシェル・ガードナーロッド・トラヴェリア。あいつの弟だ」
「弟さん?騎士に?」
「ああ。ミモザ様の王族付きなんだ。藍都ガードナーロッドの出自だとは聞いていたが、まさかあの男が兄貴だったなんてな」
ミシェルとはあまり話した事はないが、ワスドラートのような嫌らしさは一切無かった。
セクトルやルードヴィッヒのように魔力の質の高さから魔術師団入りを切望されていた一人だが、訓練風景を見る限り確実に騎士団向きの男だろう。
だがアリアは最初の印象が悪すぎたワスドラートの影響で、ミシェルに対しても少し引き気味の態度だった。
「ミシェル殿はあいつとは正反対の性格だから気にするな。王族付きは信頼出来るから」
「…うん」
フォローは入れるがアリアは納得してはいなさそうだ。
ワスドラートにまさぐるように身体中をじろじろと見つめられたのだ。警戒するのも仕方無いだろう。
二人の剣術訓練は次第に激しさを増していき、ミシェルが手加減をしているとはいえワスドラートの腕前もなかなかのものだった。藍都嫡子でなければ騎士になっていたかもしれない。そう思いながら、ガウェも黄都の嫡子であることを思い出す。
たった一人の黄都の後継ぎ。だがガウェは騎士の道を選んだ。
理由があって騎士になったとは聞いているが、詳しくは聞いていないし聞こうとも思わない。
いつかはガウェも。
ふと浮かんだ遠い先であろう未来を振り払うように、ニコルは訓練中の二人から目を離して部屋への帰路を急いだ。
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慰霊祭前日。
慌ただしく動く城内では準備が何度も何度も行われ、最初は懸念していたファントムの噂など誰も気に留めないほど口にすらしなくなっていた。
午前中、アリアは変わらず城内を歩き回り治癒を必要としている者達の元へ足を運び、護衛部隊はアリアに付くか無駄な申請書を叩き返す為に走り回る。
今現在で言うなら、王族付きでいた頃の方が楽だったろう。ニコル達騎士の三人は自分達の訓練すら疎かになってしまっているのだ。
しかしそれも永遠に続くわけではないはずだ。今は皆、治癒魔術師が珍しいだけ。慣れてくれれば、アリアも護衛部隊も時間を取れるようになる。
本来治癒魔術師は、有事以外では動かないものなのだから。
エル・フェアリア王城敷地内後部、地下に広がる幻泉宮。
慰霊祭が始まる。
第18話 終