第18話
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毎年の恒例だが、慰霊祭を前に集まった上位十四家の各領主と代理達は久しぶりの再会と談笑に花を咲かせる。
客室に向かう前に設置された静かな談話室では昨日から懐かしむような声がよく聴かれ、そして会話の内容はやはりファントムの噂と治癒魔術師の件が大半を占めていた。
特に平民騎士の妹が治癒魔術師であった事実は良くも悪くも格好の餌食であり、さらに今回慰霊祭後の晩餐会に出席する件も領主達、特に貴族主義の者達を大いに沸かせていた。
何の用意も無い平民が貧弱な思考を巡らせてどう二日後の晩餐会に挑むのか。借りればすぐに知れる。それは礼装には貴族各家の紋様が必ず入れられるから。
兵装や普段着で来ようものなら、尚更笑えてしまう。
どちらの姿で二人の平民兄妹が現れるのか、楽しみでならない。そしてその会話は賭けにまで発展し、誰かから借りるか兵装かで見事にふた手に分かれた。
賭けは話の流れで自然に浮かんだものだが、二人の平民を晩餐会に招いたのは最上位貴族であるバルナだ。バルナが何かを口にすれば、大半の者が口を揃える。バルナが右を左といえば、それはもう左なのだ。
その調子で今回も多くの者がバルナの与えた興を喜んだが、不愉快な出来事のせいで今現在気分はあまり乗っていない。
ひとつはエルザ姫の件だ。
不穏な動きはあったが、最近は本格的に治癒魔術師となるべく修行を堂々と始めたとか。
ガウェはいったい何をしているのだ。
あれほどエルザをものにしろと口煩く命じてきたというのに、わずかな動きすら見せないなど。
そして。
「…あの娘が気になるか?」
バルナの問いかけに、後ろに控えていたワスドラートが一瞬呆けたように表情を無くした。
上の空だったことには気付いている。突然呼び戻されて何を言われたのかわかっていないのだろう。
「治癒魔術師だ。昨日からだぞ」
「…いえ、そういうわけでは」
若造が。
俯き否定するワスドラートを睨み付け、周りには聞こえないよう呼び寄せる。
「お前には息子がいることを忘れるな。父親が薄汚い貧民風情にうつつを抜かすなど、息子の教育に影響が出るぞ」
「っ…」
ワスドラートには既に妻と子供がいる。
中位貴族の中では良質な娘を貰ったが、愚図な女にはワスドラートを繋ぎ止めておくことは難しいか。
「それとも、珍味を味わいたいのか?何なら夜伽を命じさせてやるが」
「……いえ」
「ならとっとと気持ちを切り替えろ。お前はいずれ藍都を背負う身なのだ。醜い物を珍しがるな」
辛辣かもしれないが、これもワスドラートの為だ。上位貴族、その中でも遥か昔からエル・フェアリアに存在する虹の七都の一色を司るというのに、汚ならしい存在に目を奪われるなどあってはならない。貴族の頂点に立つ黄都領主ヴェルドゥーラとして、未来のある者は導かねば。
困惑したまま固まるワスドラートを下がらせ、バルナは周りの談笑に目を走らせた。
バルナの意志に従わない者は、この中では貴族第二位の赤都アイリスと、第三位の紫都ラシェルスコットの二名くらいだ。
赤都アイリスは魔眼の化け物が生まれたお陰で周りからの畏怖を集めており、紫都ラシェルスコットはバルナの妻がラシェルスコットの生まれという血縁関係がある。
妻。
とんでもない女を娶ってしまったものだとバルナは溜め息をついた。当時はまだバルナも若かったということか。
文武に長けた堅実なラシェルスコットと親しくなり、その妹なら確実だろうと妻に迎えてみれば、まさかたった一人の息子を殺そうとする女だったとは。
ガウェが言うことを聞かないのも、あの女の血が交ざっているというなら頷ける。
見目ばかり美しいだけの、殻のような女。はたして最後に抱いてやったのはいつの頃だったか。
まあいい。どのみちラシェルスコットの三男はバルナの手の内にある。
ルードヴィッヒ・ラシェルスコット・サード。
まだ若いが、いずれガウェに後を継がせる時に共に迎えることも考えてやってよいほどではある。優秀な犬は何匹でも欲しいところだ。
談話室の扉が静かに開いたのは、皆の会話がわずかに途切れた時だった。
会話が途切れたから訪れたのか、それとも扉が開いたから会話が途切れたのか。
談話室に入室してきた青年に、誰もが話の手を休めた。
立ち上がったのはバルナだ。
「--父上。少しお話があるのですが」
談話室に訪れたのは、顔面右に走る痛ましい傷を前髪でわずかに隠した、バルナの唯一の息子だった。
ガウェが訪れたことに、周りの物達も静かに見守る体勢に入る。
バルナが王城に訪れたのは昨日の朝早くだったというのに、今まで顔を見せにこなかった息子だ。
「ガウェ、ようやく会いに来たか--」
近くに来るよう手招こうとして、バルナは声を無くした。
周りの物達もだ。
ガウェから目をそらさずに、大きく目を、または口を開いて固まる。
正確には、ガウェに促されるようにして談話室に入室したエルザ姫を見て。
恥ずかしそうに俯きながら、エルザはガウェの腕にすがるように寄り添って立っている。数歩ガウェとエルザが中央へ歩いた所で、各都の領主達はエルザに対し一斉に頭を下げた。その様子を見てから、エルザもドレスをつまんで静かに礼を返す。片手はガウェの腕に絡めたままだ。
「…これはこれはエルザ様まで…お二人揃って私に何の用でしょうか」
「出来れば場所を移動したいのですが」
バルナの問いかけに、ガウェが周りを気にするように小声で話しかけてくる。
笑いが止まらなくなりそうだった。
ようやくか。その思いでいっぱいになる。
「エルザ様、おっしゃってくだされば私から向かいましたものを。ガウェ、時間ならいつでも作ったのだぞ?」
ようやく思い通りに動いた息子の肩を叩いて喜んでやる。
少し長くはあったが、ガウェにも黄都領主嫡子としての責任に気付いたのだろう。
「いえ、我々の今後の件ですので足を運ぶのは当然です…なので少し宜しいですか?」
「勿論だ。構わんよ。さあ、移動しようか」
周りに退出することを伝えるように目配せして、ワスドラートにはついてこなくていいと指示を出す。
ワスドラートも父とゆっくり話したいだろう。そういう意味合いも持たせて。
だがバルナの思う通りに事態は運ばない。
「--エルザ様!」
突如蹴破るように扉が強く押し開けられ、慌てた様子で二人の騎士が駆け込んでくる。バルナも何度か目にしたことがある、エルザの騎士達だった。
「微量ではございますがコレー様が魔力を暴発させてしまいました!コウェルズ様とミモザ様は現在政務棟ですので、是非エルザ様がコレー様の元に!!」
「どうかお急ぎ下さい!」
それは急を要する事態だった。
魔力の強い第六姫はたまに魔力の暴発を引き起こす。それを止められるのは同じ質の魔力を持つ王族のみだ。
「わ、分かりました!申し訳ございませんが、失礼いたします!」
緊急事態にエルザが顔を赤くしたまま慌てて談話室を去っていく。
残されたのはガウェだけだ。
突如騒がしくなり、そしてすぐに元の静寂の戻った談話室で、ガウェが静かにバルナに目を向けてきた。
「…お前だけでも話を聞くが…」
緊急ならば仕方無いとバルナはガウェに言うが、わずかに首を左右に振られた。
「…いえ、せっかくの場ですので。…晩餐会の時に発表させてください」
「皆の前でか?」
「私のけじめと取っていただければ」
こんな殊勝な息子を今まで見たことがあったろうか。
ようやくバルナの思う通りに動くようになったガウェの肩を、もう一度強く叩いた。よくやったと、そう伝えるように。
「…王都に建てた屋敷に集めた収集品も…捨てる決意をしました」
そしてもう一つの決断にも、バルナは大いに頷いた。
ガウェが王都城下に建てた小さな個人邸宅の一室には、およそ男には必要の無い愚かな収集品が大量に集められている。
かつてそれを見たバルナは捨てろと使用人達に命じたが、寸前でガウェに止められた物だ。
誰の為に、何の目的で集めたものか。
あまりの愚かさに嘆いてはいたが、エルザを手に入れてようやく捨て去る決意をしたということだ。
「…楽しみにしていよう」
満足げに笑えば、ガウェは顔色ひとつ変えずに頭を下げる。
「私も失礼します」
エルザの後を追うように談話室を去ったガウェの様子を眺めながら、数名の領主達が満面の笑みを浮かべてバルナに近付いてきた。
「まさか、とうとう」
その言い方にバルナも笑いを堪えることに躍起になる。
「…いや、何の事だかわからんぞ。あれは今までろくに親の言うことを聞かなかったからな」
「何を言っておられるか。エルザ様と御子息の距離を見られたでしょうに」
誰が見ても恋仲の二人の距離だったろうと。他者からの言葉に、バルナはさらに内心で大いに喜んだ。
「晩餐会の楽しみが増えましたな」
周りは余興だと笑うが、貧民兄妹の件などもはやどうでもいい。
高笑いしたくなる思いを何とか噛み殺しながら、バルナは上機嫌で座っていた椅子に戻り、どしりと尊大に腰を下ろした。
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部屋を出たガウェがエルザ達と合流した時、エルザは壁に背中を預けて未だに火照っている顔をぱたぱたと手のひらで扇いで冷ましているところだった。
俯いて隠してはいたが、恥ずかしかったのだろう、談話室に入る前からずっとだ。
「素晴らしかったですよエルザ様。大女優顔負けでございました」
「さすがエルザ様でございます!」
「そんな…私は何も」
明らかに大根以外の何者でもなかったエルザをセシルとクラークが褒めちぎる。
エルザは否定しているが、そもそも褒められた演技ではなかったというのに甘やかすのが王族付きなのだ。
ガウェの腕にすがって俯いて少しお辞儀した程度ではないか。
しかも最初はもう少し長いプランだったのを、エルザの為だけに無理矢理短くしたのだ。本当ならセシルとクラークがエルザを呼びに来るのはもう少し後だった。
だが文句を言える立場ではないので、ガウェは静かに頭を下げた。
「…巻き込んでしまい申し訳ございません」
ガウェとバルナの親子喧嘩のようなものに姫を巻き込むなど、あってはならない事だろうが。
「必要な事ですもの。私に出来ることなら何でもおっしゃって下さいね」
それでもエルザは健気に微笑むのだ。
ニコルを守るためであることもエルザの中では強く働いたのだろう。ニコルがアリアを守りたくなる気持ちがわかる気がしたのは、ガウェも子供の頃からエルザをよく知っているからだ。
妹のようにエルザが可愛い。
エルザだけではなく、七姫全員に言えることだが。
だからそのエルザを巻き込んでしまった事が腹立たしかった。
「あの程度で本当にヴェルドゥーラ氏の注意をそらすことが?」
皆がそれぞれひと息ついた所でセシルが不安そうに訪ねてきた。
「父が私の性格を理解していれば…偽りだとばれるでしょうね」
その辺りについては賭けの要素が強かったが、父の反応は悲しいほどにガウェとエルザの仲を都合よく解釈していた。
やはり父はガウェを見てはいなかったのだ。
今更だとは思うが、虚しさが顔を出してくる。
『家族に恵まれなかったお前と一緒にするな』
以前、エルザよりアリアの安全を選んだニコルに言われた言葉だ。
もう一人いるという父親から礼装を貰ったという件も昨夜聞かされた。ニコルは家族に恵まれていたのだ。それが羨ましくて、少し妬ましい。
もしバルナがガウェを見ていてくれたら、ガウェの性格を理解していたなら、少しは疑ったはずだ。
それがなかった。
今更だ。今更なのに、胸に風穴が空いたような感覚に苛まれた。
いったいいつから自分は父に期待していたというのか。ただ血が繋がっているからというだけの期待など、とうの昔に消え去ったと思っていたのに。それとも昨夜ニコルの話を聞いて、自分もと父親への感情が芽生えてしまったのか。
「…私と父は交流が無いもので。気付かずに浮かれている事でしょう」
わずかばかりの交流といえば、エルザを手に入れろという命令だけだった。
母親など、ガウェが騎士になってから連絡ひとつしたことがない。顔も声も、思い出せなくなってそのままだ。
父はガウェに操り人形であることを望み、母は--
「…これでいよいよ二日後か」
「王族付きには全員に伝えてあります。後は紫都領主の子息として出席するルードヴィッヒにも。…彼には大切な役目がありますので」
物思いにふけるようなクラークに、事務的な言葉をぶつける。わかりきったことをいちいち言うなど。
だが、それが人というものか。
「王族付き候補の方々は晩餐会には出席なさらないのでしたわね。パージャも」
「彼は出席が決まっても逃げ出しそうですけど」
ニコルとアリアの出席については、エルザは無邪気に喜んでいた。
その裏に礼装の用意など無いだろうという貴族達の嫌がらせがあったことには気付いていない。
「…父も二日程度なら私の行動を不審に思うまで辿り着かないでしょうから…今のうちに話しでもされてはいかがですか?」
「え?」
そして近付く一団に気付いたガウェは、静かにエルザを促した。
不思議がるガウェに促されるままに顔を上げたエルザが彼を見つけて驚き、セシルとクラークも優しく笑う。
ニコルとアリアとレイトルとモーティシアがちょうどこちらに向かってくる所だった。向かってくると言っても、用がある訳では無いだろうが。
「あ、エルザ様!」
「アリア!皆さん!お戻りになったのですね!」
ぱたぱたと早足でアリアが近付いて、エルザに素早く頭を下げる。
「昨日はすみませんでした。お約束があったのに」
昨日はたしか、児童保護施設から戻った後はフレイムローズの治癒以外は行わなかったと聞いた。
それだけアリアの消耗が激しかったという事だろう。顔を上げたアリアの顔色はあまりよくない。
「子供達を癒すことの方が先決ですもの。これからどちらに?」
エルザの問いかけに、アリアどころか全員がウッと言葉につまるような仕草を見せた。
「…大臣の治癒に」
「そうですの。もしお時間が余りましたら、会っていただけますか?」
「もちろんです!」
治癒魔術の修行について、いくつか聞きたいこともあるのだろう。エルザはアリアが快く頷いてくれたことにほっと胸を撫で下ろしていた。そして窺うように隣に立つニコルを見上げて、恥ずかしそうに照れてみせる。
「ニコルも…お疲れ様です」
「ありがとうございます」
エルザの特別な思いがこもる労いの言葉だったが、ニコルは目を合わせずに淡々と呟くだけだった。まるでわざと見ないようにするかの様子に、エルザも気付いて首をかしげる。
しかし妙な空気にはならなかった。
「大臣の治癒でしたら、護衛は二人いれば充分じゃないですか?」
セシルが妙案とばかりに微笑んで、真っ先に意図に気付いたレイトルがパンと手を叩いて賛同したからだ。
「確かに!私とモーティシア殿だけで足りるでしょう」
「え?…まあそうですね?」
エルザの思いを知らないアリアとモーティシアだけがきょとんとして、セシルとクラークはにやりと笑う。
「ニコル殿、エルザ様の姫付きから離れてしばらく経ちますし、たまにはゆっくりと二人きりで話されたらどうですか」
「く、クラーク…」
慌てたのはエルザだ。
ニコルは驚いたように固まっているが、あわあわとうろたえるエルザをようやく見つめ、意味をわかっていないアリアにも視線を向ける。
「行ってきなよニコル。アリアは私達に任せて」
レイトルも人好きのする笑みを浮かべながらニコルとエルザを二人にしようと促すが。
「--いえ。今は治癒魔術師をお守りする事が最優先ですので」
それはまるで他人行儀な断り文句だった。
その様子に照れていたエルザも固まり、アリアも首をかしげて兄を見上げる。
「兄さん?あたしなら別に」
「失礼します」
構わないと言おうとしたのだろうアリアの背中を抱くように押して、ニコルが強引に離れていく。呆然とするエルザとすれ違う時も、まるで見向きもしなかった。
「エルザ様、失礼いたします。…ちょっと、ニコル!」
「…失礼いたします」
レイトルとモーティシアも慌てながらニコルとアリアの後を追って行ってしまう。
レイトルは何やらニコルに言っている様子だが、ニコルは足を止めるつもりはないらしく、すぐに角を曲がって視界からいなくなってしまった。
あんなニコルを見たのは、以前エルザの告白を切り捨てた時くらいだろうか。
クラークとセシルは初めて見たせいか唖然と口を開けている。
「…あ、エルザ様…」
そして最初にけしかけようと発言したセシルが申し訳なさそうにエルザを見て、言葉を詰まらせていた。
「…お仕事の邪魔は出来ませんものね!私達も行きましょう!!」
エルザは悲しげに俯いていたが、すぐに気持ちを切り替えるようにわざとらしい笑顔を見せて駆け出す。すぐに後を追ったのはセシルだけだった。
「…ったく、ニコルの頭の固さは異常だな。…その不安が、二日後に取れりゃいいけど」
クラークはぶつぶつといなくなったニコルに文句を言うが、それでもやはり二日後を思えば気持ちは落ち着くらしく、すぐにエルザ達の後を追う。
ニコルらしくない、といえばそうなるのか。エルザよりアリアを選ぶ行為は今まで何度も見てきたが、長くエルザに仕えていたニコルを知るので、違和感ばかりが先に立つ。
--二日後、か。
クラークが言うようにニコルの不安が消えてなくなれば、アリアに過保護なまでに張り付く事も無くなるだろうか。
まだわからない未来に思いを馳せながら、ガウェもゆっくりとエルザ達の後を追った。
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