第18話


第18話

 王城内の書物庫の二階にも、気晴らしの為に外の風を浴びられる露台スペースが存在する。
 朝からそこに呼び出されたガウェは露台への扉を開けて外に出ると、優雅に本を読む“ふり”をするヴァルツを見つけて近くへ向かった。
 ヴァルツにも一応護衛の騎士が王族付きから付けられているはずなのだが、いつも上手く撒いて逃げるので今日も元気にひとりぼっちだ。
 ラムタルの絡繰りがヴァルツを守るので誰も不安など感じてはいないが。
「来たか。あの者について面白いことがわかったぞ」
 ガウェの気配にヴァルツは本を閉じて自分の隣に置き、ニヤリと悪戯を思い付いたかのように笑いかけてきた。
 それは以前、ガウェがヴァルツにダメもとで頼んだ件だ。
 あの者、パージャについて。
 ヴァルツが個人的趣味で他人の過去を調べあげている事は知っている。
 ラムタル王弟という権力を使って他人の過去を覗く質の悪い趣味を持つが、知り得た情報を弱味として使用するような性格ではない。はずだ。
「知りたいか?」
「お願いします」
 パージャ。
 最初からおかしな存在だと思っていた。
 ガウェが調べた時には何も出てこず、その過去は存在すら疑うほど白紙のような男だった。
 そして以前、ガウェの目の前でパージャは首が落ちるほどの傷を負ったというのに死ななかった。
 それどころかいとも簡単に再生して。
 治癒魔術ではない。
 そんな優しいものではなかった。
 調べてくれたなら有り難いと頭を下げたガウェを、ヴァルツは真面目腐った様子で見上げてくる。
「…知りたいか?」
「…お願いします」
 そして同じ言葉を繰り返す。
 何を勿体ぶっているのかと眉根を寄せるガウェに、ヴァルツはさらに真剣な様子で見上げてきて。
「……知りたいか?」
 ヴァルツの言いたい事をようやく理解した。
「…何か御望みが?」
 情報をただでは渡さないということだろう。まどろっこしい事などせず最初から取り引きだと告げればよいものを。
「内容は言わぬ。叶えるか叶えぬか、どっちだ?」
 ヴァルツの頼みなどたかが知れている。
 というか一つしか無いだろう。
「…叶えましょう」
「よし!言質はとったぞ!!」
 無邪気にガッツポーズを取るヴァルツに冷めた視線を送れば、わざとらしい咳払いを聞かせてくれた。
「そうだった。パージャについてだがな、面白いほどに何も出てこん」
 堂々と宣言されて、額に青筋が浮き上がりかけた。しかしヴァルツは不本意とでも言いたげなほど納得できない様子で口元をへの字に曲げる。
「ニコルでさえ生まれ故郷やどこで働いていたかなど知り得たというのに、まるで最近生まれ落ちたばかりのように何も無い…王都兵士に加入した頃からようやくわかる程度だ。人としてありえんぞ」
 ラムタル王弟という自分の力を使っても正体を明かせなかったことが悔しい様子だった。
「わかったことは訓練中はどうだったなどの程度でな。まるきり不必要な情報ばかりだ。役に立てんで悪かった。だがこれからも奴の事は調べていくつもりだ。何か分かり次第知らせよう」
「お願いします」
 これで振り出しに戻るか。それとも最初から出発などしていなかったと言うべきか。
 ヴァルツという存在を使ってでもパージャの過去を明かせなかったとなると、もはやこれ以上調べたとしても望みは薄いだろう。
 ヴァルツはプライドを傷つけられたせいかまだ調べ上げるつもりらしいが、絡繰りを駆使するヴァルツで無理ならもう後など存在しない。
「…それでだな、こちらの言質の件だが…」
 そして思い出したかのようにソワソワと落ち着きなく瞳を泳がせ始めたヴァルツは、可愛いこぶるように首を傾げて見上げてきた。
「いずれ兄上に怒られる時が来たら、一緒に怒られてくれんか?ガウェがいてくれたら説教時間が短くなると思うのだ」
 それ以外に無いだろうと思っていれば、やはりか。
 今ではなく未来を予測する辺り、何かやらかすつもりがあるのだろう。保身を含めつつ語るヴァルツに、ガウェは盛大に溜め息をついた。

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「昨日は大変だったみたいだね~」
 王城上階の露台で王城中に張り巡らせた数千の魔眼蝶を操りながら、フレイムローズは柔らかな秋の風を楽しんでいた。
 話しかけた相手は隣にいる魔術師だ。
 アリアは先ほど来てくれて、気持ち良い足腰の治癒を行ってくれたので今はすこぶる調子が良い。
 彼女の治癒を受けるようになってからというもの、二日目に突入しても意識を保っていられるようになった。
 以前までは全神経を魔眼に集中させる為に二日目からは意識を無くしたも同然の状態になっていたというのに。
「亡くなられた方々の中に加害者の娘もいたとか」
 仲の良い魔術師は資料をペラペラとめくりながら、フレイムローズの雑談に加わってくれる。
 仕事をこなしながら雑談が出来るなど、やはり魔術師は騎士とは頭の作りが違うらしい。
「…アリアは大丈夫かな?」
「顔には出しませんが憔悴している様子でしたね。多くの怪我人を一度に見たのですから仕方ありませんが…少し心配ですね」
 魔術師の説明に、フレイムローズは「そっか」と声を落とした。
 昨日帰ってきた後は、他の業務はフレイムローズの治癒以外全て返上したと聞いた。それだけアリアの疲労が大きいという事だろう。
「アリアのお陰で二日目も余裕でいられるようになったし、当分は来なくても平気って伝えた方がいいよね」
「いけませんよ。それではまた貴方が疲れてしまうでしょう。魔眼を持つのは貴方だけなのです。なるべく力は温存しておいて頂きたいですからね」
「うーん…そっかぁ…」
 フレイムローズとアリア。魔眼と治癒魔術師は同等の希少価値だと思っていたが、人によってわずかな上下があるらしい。
 タッチの差で魔眼を重視する声が多いのは、近隣諸国合わせても魔眼を持つ存在がフレイムローズとあと一人しかいないということも大きいのだろうが。
 蝶よ花よと、あるいは腫れ物に触るように扱われてきたフレイムローズには何ともこそばゆいかぎりだ。
「…パージャ殿?」
 柔らかな風にそよぐ髪が顔にかかったので頭を振って散らしたフレイムローズは、ふとパージャが露台に現れた事に驚いた。
 視界で繋がった魔眼蝶がパージャとその周辺を映し出し、城内から露台へ訪れたことに気付く。ガウェはおらず、一人きりだ。
 --まいったな…
 フレイムローズにとってパージャは、いまだに二人ではいたくない相手だった。
 魔眼蝶を通して見るパージャの髪と瞳はやはり闇色の緋の色をしており、皆が言うありきたりな薄茶色には見えない。
「…どうしたの?パージャ--」
 パージャが近付くのを魔眼蝶から感じ取りながら、視界の隅で魔術師達が次々に倒れ伏していくことに気付いた。
「!!」
 ドサリと人の落ちる音がいくつも聞こえて、代わるように視界に闇色の染みが広がる。
「なっ!?」
 緊急事態に王城中の魔眼蝶が警笛を鳴らす、その一瞬早く、誰かがフレイムローズの変わりに魔眼蝶を操った。
 誰が?わからない。だがその魔力量は計り知れず、そろりとフレイムローズの全身に悪寒を走らせる。自分と同等の魔力を持つなど。
 魔眼蝶から解放されたフレイムローズは振り返り、閉じられたままの瞼を開いて正面から彼らと対峙した。
 普段通りのパージャと、背の高い若者と、二つくくりの女の子。
 いずれも闇色の髪を持ち、フレイムローズの魔眼に直接当てられているはずなのに顔色ひとつ変えない。
「…嘘だ…」
 フレイムローズの唖然とした呟きと共に、涙が一滴こぼれるように、瞳から溢れた芋虫型の魔力が流れ落ちた。
「魔眼の回避なんて、とっくにねー」
 よしよしとパージャが頭を撫でてくる。それを強く振り払って、手摺りまで飛び退いた。
「こいつが魔眼持ち?ガキじゃねえか」
「…お前より年上だよ」
「まじかよ!?」
 闇に青を混ぜた髪の若者が、フレイムローズの見た目と年齢の差に驚いてみせる。その隣では闇に黄を混ぜた髪の内気そうな女の子が警戒するように周りを窺っていた。
「こっちのデカブツはウインド。そっちの娘っ子はエレッテだよ。よろしくねー」
 まるで仲良しの友達を紹介するように、パージャはいつも通り明るい。
 フレイムローズは自身唯一の魔具である、人を捉える為の矛を発動すると、パージャの首めがけて二股となった矛を放った。
 だがパージャを捕らえる瞬間に自ら手を止めてしまう。
 無意識ではない。パージャだからというわけでもない。
 カタカタと腕が震えて、自身を構築する全てが全力でそれを否定する。
 傷付けてはいけない。
 刃を向けてはいけないと。
「っ…」
「出来ないわなぁ…俺達に攻撃なんて」
「…なんでっ……」
 パージャだけではない。紹介されたウインドとエレッテにも、パージャは矛先を向けられなかった。
 魔具を消し、ふらりと手摺りにまで逃れて身体を預ける。
 間合いを取るように三人を窺いながら、それでも彼らを攻撃することだけは本能が激しく嫌がった。
「…なに、これ…」
 意識と本能が統一されず吐き気をもよおす。
「魔眼が敵にいると厄介だからね。あんたは俺達の味方でいてくれたらいいの」
「…--」
 なだめすかすようにパージャが囁き、フレイムローズは口元を押さえてしゃがみこんだ。
 駄目だ。吐く。
 酸っぱいえぐみのような気持ちの悪さが胃からこみ上げ、昨日から何も食べておらず空っぽのはずのそこから何かが吐き出されそうになった瞬間に。
「--時は近い。心待ちにしていなさい」
 優しくて大きな手のひらが、全てを癒すようにフレイムローズの背中を撫でた。
 ひと撫でされる度に、全身を苛んだ気持ちの悪さが消え去っていく。
 その手はとても温かくて、よく知る彼らに似ていた。
…あなたは誰?
 言葉もなく見上げるフレイムローズの魔眼の瞳に、優雅に微笑む美貌の男が映り込む。
 闇色の赤い髪は血のように禍々しく、それでいて神々しさも備わって。
 見上げたフレイムローズの両の目が、隠されるように男の手のひらに被われて。
「っっ!!!」
 瞳から全身へと。凄まじい稲妻に打たれたように体が痺れ跳ねた。
「…いい子だ」
「…ぅ……」
 痛みなどはない。だが衝撃が凄まじい。
 今まで味わったことのないほどの、情報量という名の衝撃。それはフレイムローズが魔眼蝶を王城中に撒き散らしたよりも多く、脳内を圧迫した。
 彼らに起きた胸を締め付けるような悲劇が、そして彼らの目的が、フレイムローズに流れ込んでくる。
 何が狙いで、何のためであるのか。
 そして、彼の正体と、彼女の居場所が--

「嬉しいか?」
 パージャに話しかけられた時には、もう露台にはフレイムローズとパージャと、倒れた数名の魔術師以外には居なかった。
 嬉しい?
 そんなの、決まっている。
 嬉しいなんてものじゃない。
 そんな簡単な言葉じゃ言い表せない。
「ははは…」
「…嬉しいよなぁ」
 閉じた瞳からぽろぽろと涙を溢れさせながら、フレイムローズは全身を包み込むような幸福感に破顔した。
 失われて二度と戻らないはずの自分の一部が戻ってくるような感覚。至上の喜びがフレイムローズを満たし、世界が薔薇色に染まって見えた。
「あははははははは」
 狂ったように笑いが止まらない。
 こんな幸福があるだなんて。
 こんな喜びがあるだなんて。
「…みんな嬉しがるよ」
 涙も笑いも止められずにいるフレイムローズを眺めながら、パージャはどこか遠くを眺めて呟いた。

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