第17話
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王城に戻るとすぐ混乱を避けるように部屋に戻ったニコルとアリアは、二つの革のケースを開けて言葉を失った。
見事な礼装が二着。
それは今まで見たこともないような美しい布で作られた異国風の礼装で、あつらえたかのようにニコルとアリアに一致するサイズだった。
黒と深緑をベースにした模様の美しい礼装だが、ニコルとアリアとではわずかに柄が異なる。
「…服だね」
「…だな」
衣服を与えてもらえることがニコルや、特にアリアにとってどれほどの意味があるのか、彼は理解しているのだろうか。
首飾りに続く、二つ目の贈り物。
「…ほんと、どこまでお見通しなのかな…」
「…ああ」
すでにケースに礼装を戻したニコルとは違い、アリアは何度も何度も美しいドレスを高くかざしたり自分の身体に当ててみたりと忙しい。
嬉しそうに、少し照れ臭そうに笑いながら。
彼がくれたという事実が、アリアには特別なのだ。
「礼装のこと、心配してくれてる皆に言わなきゃね。あ、でも内緒にしてもらわないとね。大事な礼装を駄目にされちゃったらととさんに悪いから」
「…ああ」
嬉しそうに礼装を抱きしめるアリアを眺めているが、ニコルは上の空のような返事しかできない。
「…何考えてるか、聞いてもいい?」
その様子に、アリアは静かに訊ねてきた。
ニコルの胸の内を。
何も考えてなどいないと言ったところで信じてもらえないだろう。
ようやく父親と会えたのだ。それだけ見ても、何も無いなど有り得ない。
「…聞かせて?」
抱いていた礼装を膝に置いて、アリアはニコルを覗き込んでくる。
以前ニコルがアリアにそうしたように、話してと瞳で訴えかけて。
「…お前を親父に預けた方が安全なんじゃないかって…本気で思った」
アリアを連れていくと言われた時、ニコルの中で二人の自分が葛藤した。
アリアを離すなと言う自分と、アリアの平穏を考えろと言う自分が。
「お前の側にいることが安全に繋がると…そう信じてた」
側にさえいれば大丈夫だと。
だが実際はそう上手く行かない。
入浴然り、今日のバルナとの対峙でも。
ニコルが共にいたというのに、アリアにぶつけられる暴言から守ることが出来なかったではないか。それに…
「…俺は」
「兄さん、あたしもう子供じゃないよ。…守られるだけの子供じゃない」
俯いていた頬が柔らかな温もりに包まれる。
アリアの指先が頬を撫でたのだと気づく頃には、もう指は離れ去った後だった。
「嫌がらせはあったとしても、そんな酷いことなんて起きないよ。今はエル・フェアリアも周りの国も平和なんでしょ?」
安心させたいのはニコルの方なのに、安心させられる側に回るなど。
もどかしくて、胸が痛い。
「…兄さん…」
何度も命を狙われた事を伝えたら、アリアはどんな顔をするのだろうか。
アリアにもその危険がある可能性を知らせたら、どう思うのだろうか。
彼の言う通りじゃないか。
羽虫のようにアリアの側にいるだけで、周りに茂る危険を放置して。
知られるわけにはいかない。
知らせるわけにはいかない。
--いや、知らせる必要は無い。
そんな危険など有り得ない。
「兄さ--」
アリアを安心させたかったのか、自分が安心したかったのかわからない。
ただアリアを抱き寄せて、抱き締めて。
--危険の芽など全て摘み取ってやる。
たった一人の妹を守る為なら、何でも出来るだろう?
ニコルの決意を知らしめるように、互いの首にかけられた共鳴石が反応したような気がした。
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夕暮れ近く。
王城を抜け出したパージャが訪れた場所は、王城がよく見える郊外の広野だった。
茜に染まる芝生の上を進みながら、パージャを呼び出した少女を探す。
「…パージャ!」
「ミュズ」
細い木の下でうずくまるように膝を抱えていたミュズは、パージャを見つけたとたんに花を咲かせるような愛らしい笑顔を浮かべて駆け寄り、腕を伸ばして強くパージャに抱きついた。
「…え、待って普通に驚きなんだけど」
ミュズがこんな風にパージャにすり寄ってくれるなんて。
あるといえば、とても悲しい時か、この上なく嬉しい時か。
そして今のミュズの笑顔を見る限り、確実に後者だった。
伝達鳥を使って呼び出すくらいだ。何かとても嬉しいことがあったのだろう。
「どったの?幸せそうに笑っちゃって」
「わかる?あのね、私ね」
パージャの腹部に顔を埋めたまま、ミュズは興奮冷めやらぬ様子で屈託無く笑う。
こんなミュズは久しぶりだった。
「私ね、パージャの役に立てたよ!」
ミュズが嬉しいならパージャも嬉しい。だが、何故だか胸に生まれたのは喜びではなく嫌なざわつきだった。
「…どんな?」
パージャの役に立てたとは、いったい。
ミュズにはパージャのような力は無いのだ。だというのに、ファントムはミュズに何をさせた?
「あのね、明日、次の段階に入るからってファントムが言ってたわ」
次の段階が何を示すのか。パージャには段階とすら呼べないほど簡単なものだが、嫌というほど計画は頭に叩き込んである。
「…どうしてその計画にミュズが?」
「少しだけ予定が変わったの。だからね、私がね」
殺してやったわ。
頬を高潮させて微笑むミュズの言葉に、聴力が失せたかのように遮断される。
風の音が、人々の喧騒が、ミュズ以外の全ての音が消える。
「ファントムに言われたの。施設の子供の親の所に行って、居場所を教えてやれって!」
私が手にかけたわけじゃないけど、私が殺したも同然よね?
「だって大人三人と子供が一人だよ!」
私が教えなきゃ今日の事件起きなかったもんね?
「どうしよう、すっごく嬉しいの!だってね」
エル・フェアリアの人間なんて、死んで当然よね?
無邪気に喜ぶ彼女を、パージャはそっと抱き締める。
他人なら、狂っていると、それだけで済ませられた。
だがミュズは違う。
大切な女の子なんだ。
こんな、罪もない人間の不条理な死を喜ぶような女の子でいいはずがないんだ。
「…パージャ?」
喜んでくれないの?
不思議そうに首をかしげるミュズが、それでも愛しい。
でも喜べるわけがない。
誉めてあげられるはずがない。
だがミュズの憎しみはもう、エル・フェアリア全土に染み渡っているのだ。
「…頑張ったね」
「うん!」
たったひと言だけで、ミュズは満足したようにパージャの腹の辺りに頬を何度もこすり合わせた。
なんでこんな事になる。
ミュズを巻き込む必要がどこにあった。
ファントムへの怒りで気分が悪くなる。
愛しい少女を抱き締めているはずなのに、怒りが勝りどうにかなりそうだった。
--違うだろ?
だというのに、未だ冷静に物事を判断する思考がパージャを責める。
--ミュズを巻き込んだのは、俺だろ?
パージャに自分自身を分け与えてくれた、心優しい少女を巻き込んだのは。
怒りの矛先が自分に向かう。
ミュズを抱きしめる腕が汚れているから、ミュズも。
ミュズを元の綺麗な世界に帰さないと。
わかっているのに、あと少しだけとミュズを拘束する腕が離れてくれない。
「…すぐに、終わらせるからな」
決意をミュズに聞かせて、自分自身にも言い聞かせて。
この酷い国から解放されよう。
そしてミュズを解放しよう。
この憎しみから、この国から、パージャの腕から。
決意したというのに。
パージャは自分自身という檻からミュズを解放する為の鍵の置き場所を、ずっと昔に忘れてしまったままだ。
第17話 終