第17話
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部屋を出たニコルとアリアがまず行った行動は、身体を伸ばしつつ溜め息を付くことだった。今日も好き勝手言いやがってと内心で舌打ちしながら、ちらりとアリアに視線を送る。
「…大丈夫か?」
「うーん、もっと凄い悪口想像してたから拍子抜け」
バルナの暴言もそうだがニコル的にはワスドラートの事を訊ねたつもりだが、アリアはバルナの暴言しか頭に無いらしい。
「物心ついた時から見た目のことは言われてたし…今更言われてもね?」
「…あの男のことは?」
「ワスドラートさん?あたしが治したら大人しくなっちゃったね。いつも思うけど、治癒魔術見せたらみんな静かになるよね?」
その言い方に思わず笑ってしまう。
ワスドラートがどういうつもりで最後はしおらしくなったのか。治癒魔術に驚いただけだとは思いたいが、わだかまりの残る変わり方だったので少し気になった。
「まあ、お前が気にしてないならいいが…だが不味いことになったな」
「晩餐会ってやつ?何なの?」
頭を抱えるニコルをきょとんと見上げてくるアリアが羨ましい。何も知らないとはこうも楽なものなのだ。
それにアリアは王城に来たばかりなのでモーティシアという鬼に怒られることも無いだろう。
「毎年慰霊祭の後には王族、各都領主、王族付き騎士や王城で働く領主の子息子女を交えた晩餐会が開かれていたんだがな、貴族主義達の強い要望で俺は毎年出席せずに済んでいたんだ」
今までの七年間、ニコルは不参加を悲しむどころか喜んできた。
堅苦しい場所が面倒だという思いもあるが、何より一番は金をかけなければならないという点なのだから。
「…それが、今年から出席?それが不味いの?」
「晩餐会用の礼装なんて用意してない」
「…それだけ?」
呆れていそうなアリアに小さく頷き返す。
周りの仲間達は毎年春先から数着の礼装を作っている事を知っているが、今までそういう場を拒み、あるいは拒まれてきたお陰で礼装にお金をかけた試しがない。
「借りれないの?」
「馬鹿。笑いの種にされるだろ」
「なんで?」
また首をかしげるアリアに、ニコルはモーティシアから渡された貴族の心得とも取れる教本の内容を思い出す。
読んでいてよかった。ありがとう鬼…でなくモーティシア。
「礼装にはそれぞれの家の紋様が施されるらしい。借りればすぐにバレる。それにお前の礼装はどうするんだ」
「このまま出ちゃえば?笑われるくらい平気でしょ」
「俺達はな。…だが悲しむ人がいる。俺達がよくても、な」
いっそ笑いを取ってやると開き直る事ができればいい。だがニコルの気がかりはエルザだった。
彼女はニコルが嘲笑されることを酷く悲しむ。そして自分に罪があるかのように自分を責めるのだ。
その姿はただ見ていてつらい。そうならないよう、何とか用意したいが。
「…フレイムローズの元に戻ったら聞いてみよう。仕立屋を教えてくれるだろう」
「仕立屋!?出来てるのを買うとかじゃ駄目なの!?」
「売ってない」
「えー…」
仕立て屋がどういうものかはアリアも知っている様子で、この辺りは兄妹というべきか、お金のかかりそうな様子に気付いて表情を強張らせた。
「とんだ嫌がらせだよ」
今まで村に給金をほぼ全て送ってきたニコルにとって、それは未知の領域だった。
言われた通りフレイムローズのいる露台に戻れば、モーティシアを除く護衛部隊とガウェが勢揃いしていた。
ニコルは仕立て屋の件もあったので事の顛末を話すと。
「…三日で?」
まずフレイムローズが驚き、
「……」
ガウェは難しい顔のまま目を閉じて頭を押さえて俯き、
「うわぁ…」
レイトルはえげつないものでも見たかのように引いて、
「さすがヴェルドゥーラだな」
嫌がらせのようにセクトルがガウェの肩を叩いた。
「…無理か?」
「どれだけ急いでも半月は見ないと…」
訊ねるニコルに申し訳なさそうにアクセルが答えてくれる。
部隊の中で一番若い彼はまだ少しニコルが怖い様子で、ちらりと視線を送ったニコルにびくりと肩をすくませて「…いけませんよ」と言葉の後を続けた。
気楽にはまだほど遠いか。
「…アリア、私の父がすまなかった」
「いえ、そんな…」
フレイムローズの治癒の続きを開始したアリアの側に寄ったガウェが、申し訳なさそうにアリアを見下ろす。ニコルならまだしもアリアを巻き込むことが許せなかったのだろう。
どうしたものかと頭を抱えるニコルの隣にはトリッシュが訪れた。
「ニコルは自分の分くらいは用意してなかったの?」
「…ああ」
「それはそれで問題だったと思うけどな。アリアは仕方ないけどさ」
「…ああ。反省してる」
モーティシアの代わりとでも言うように窘めてくれる言葉には素直に頭を下げた。
隊長や仲間達からも言われていたのに、自分には関係無いと切り捨てていたのはニコルだ。
以前コウェルズからも、性欲処理に関して高い給金を支払っているのだからケチるなと告げられた。
高い給金を手に入れているということには、それなりの意味があったのだ。恥にならないよう、金をかけるべき所にはかけろと。
自分の視野の狭さに落胆してしまう。
「騎士全員に言って、みんな制服で出席するのはどうだろう」
「…そこまで皆を巻き込めない」
思い付いたように語るレイトルの案を、ニコル自ら棄却する。
それに若手は面白がって頷いたとしても、熟練の騎士達は許さないはずだ。
数年間王城で暮らしていながら何をしていたんだと。
「普段着で出ても笑い者、借りても笑い者。王族の方々との晩餐会をこんなくだらない事に使うなんてね」
「毎年礼装は作るけど…今年もニコルを誘えばよかったね」
溜め息をつくレイトルの言葉に続けるように、フレイムローズが謝罪しそうな勢いで告げる。
「…誘ってくれたところで作ろうと思わなかったさ」
関係無いから必要無いと用意しなかったのはニコルだ。万が一すら考えもしなかった。
一着でも用意していたなら、こんなことにはならなかっただろうに。今更後悔しても後の祭だが。
どうしたものか。
ニコルにとって嬉しいのは、一緒に考えてくれる仲間が多くいるという事実だ。後は叱責を受けてでもモーティシアの知恵を借りるべきか。
新しくニコルの上官となったモーティシアを思い浮かべたところで、現実のモーティシアが慌てながら露台のニコル達の元に駆け寄ってきた。
急ぐ様子は彼らしくない。周りがモーティシアの登場を困惑しながら眺める中で、
「--アリア!皆!今すぐに来てください!!」
息切れすら時間の無駄だと言うように彼は早口で強く言い放った。
「モーティシアさん?」
「何だ?」
異変にアリアも手を止めて立ち上がり、皆も顔を見合わせながらモーティシアの言葉を待つ。
「クレア様が管理する国立児童施設で傷害事件が発生しました!子供の負傷者が何人も!!」
「--フレイムローズ、後で!」
走り出したのは護衛部隊全員とアリアだ。モーティシアの後に続き全員が王城内に戻り階段を降りて行ってしまった。
「…こんな時に…」
残されたガウェと数名の魔術師達は既にニコル達の降り去った城内を見つめ、フレイムローズは次から次へと巻き起こる異変に悲しげに眉を寄せた。
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