第17話
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ガウェが露台を訪れたのは、ニコル達が立ち去ってしばらくしてからだった。
キョロキョロと辺りを見回しながら近付き、フレイムローズが話せる状況にあると気付くや遠慮もなく声をかける。
「--…ニコルとアリアは?」
二人を探す理由は、父親が王城に訪れたことを知らせる為だ。昼過ぎに訪れると思っていたのに、早く到着したらしい。
「…ガウェのトコの人が来て、連れてっちゃった」
「…ワスドラートか」
「うん」
その男は、父がいたく気に入る人物だった。
今は父に仕えているが、いずれは虹の七都のひとつを任される男だ。
ワスドラート・ガードナーロッド・ジーベルス
気味の悪い蛇のようなあの男は、藍都ガードナーロッドの嫡子なのだ。
ガウェも幼少期から何度か話した事があるが、最初はそうでもなかったが次第にバルナに感化されたらしく、今や完全にバルナと同じ思想を持つ典型的な貴族主義の男になってしまっていた。
いずれ藍都を継ぐ為に、現在は黄都領主の下で領主のいろはを学んでいるところだが。
「…ガードナーロッド家は手に終えないよねー…」
領土を統べる上位貴族十四家の中で、さらに地位のあるのが虹の色を司る七都の家だ。
大戦前からエル・フェアリアの国土を守ってきた中でガードナーロッド家は第七位に位置しているが、その傲慢さは黄都領主バルナ・ヴェルドゥーラをも凌ぐと言われている。
現在ガードナーロッド家にはワスドラートを含め二人の息子と三人の娘がいるが、唯一まともな感性の持ち主は次男だけだと言われている。
その次男は現在王族付きとしてミモザに使えているが、性格や考え方は驚くほどガードナーロッドの血を受け継いではいなかった。
「あんな人が次期藍都領主だなんて…考えたくないや。ミシェル殿が継げばいいのに」
フレイムローズの言葉に、魔術師達が一斉に頷いた。
ガウェには何があったのかはわからないが、怒らせるような事を堂々と言ってのけたのだろうと想像はつく。
しかし失敗した。
ニコルとアリアを呼び寄せたということは、用があるのはアリアだろう。
治癒魔術師とはいえ、まさか平民嫌いのあの男がアリアに会おうとするなど思ってもみなかった。
「…邪魔をした」
すぐに踵を返すガウェを止めるのはフレイムローズだ。
「ガウェが行ったらよけいぐちゃぐちゃになるかもよ?とりあえず言いたいことだけ言わせといたら?どうせもう…でしょ?」
普段は幼いくせに、こういう時に限って大人の面を見せる。
「…あいつらに聴力合わせられるか?」
「ごめん、まだミモザ様が天空塔にいるから、そっちから耳は離せないんだ」
フレイムローズは魔眼蝶を使って視野を王城全てに広げているが、残念ながら聴覚まで王城中全てに広げることは出来ない。
いくらニコルとアリアを心配したとしても、一番離れた場所にいるミモザを優先させるのは当然の事だった。
「ふふ。ガウェってけっこう責任感強くて情に厚いタイプだよね」
嬉しそうに語るフレイムローズの表情は、ガウェの立つ位置からは見えない。だがいつものようなへにゃへにゃ笑いなどではなくすっきり微笑んでいるのだろうと思った。
「ニコルとアリアなら大丈夫だよ。ちゃんと理解してる」
バルナ・ヴェルドゥーラの嫌味は今に始まった事ではない。
そして命を狙っているという行為も。
難点なのはニコルがそこまで気付いていないという部分だろう。今はまだ知られるわけにはいかない部分だが。
父の注意をせめてそらせることが出来れば。ガウェは静かに頭を回転させて、すぐにひとつの回答を見つけ出した。
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ニコルとアリアが連れてこられた場所は、黄都領主バルナが数日間過ごす為に用意された賓客室だった。
だだっ広い室内の高級な椅子にバルナは足を組んで座り、ニコルとアリアは扉の前で静かに待機している。
つまらなさそうなバルナに何かを耳打ちするのは、ワスドラートだ。
「ふん、婚約者に逃げられた行き遅れの貧民娘がどれほどのものかと思っていたが…優先順位というものも理解できないほど頭の足りていない愚か者だとはな。これが現在エル・フェアリア唯一の治癒魔術師だとは嘆かわしい」
ワスドラートがバルナに何を伝えたのかはすぐにわかった。こちらの都合も聞かずに優先されて当然だとは、なんて勝手なのだろうか。
ニコルはちらりと隣のアリアを見るが、バルナに己のつらい過去を嘲られたというのに涼しげに俯いていた。
気にしていないはずがないのに、大丈夫かと不安になる。
「女ならまだ救いようもあるかと恩情を持ってやろうと思っていたが…男のような図体だな。逃げた婚約者が正しかったようだ」
次々にアリアを愚弄するバルナの口を切り落としたくなるのをぐっと堪えて、ニコルも静かに耐えた。
勝手ばかり言いやがって。
自分のことならまだしも、アリアまでこんな馬鹿馬鹿しい興に付き合わせるなど。
「騎士よ、妹のお陰で副隊長に任命された様だが…私の息子がその妹のせいで部屋を追い出されたと聞いているが?」
今度はニコルに揺さぶりをかけてくるが、頭を下げながらニコルはしらを切った。
「何かの間違いでございましょう」
アリアに気を使ってくれたガウェがフレイムローズの部屋を借りたことはあったが、部屋を追い出したことなど無い。
その後は少し無言の時間が続く。
「…まあいい」
バルナはわずかに腕を上げて合図を送り、ワスドラートを側に呼んだ。ワスドラートも意図がわからず少し困惑した様子を見せている。
「腕の傷はどうだ?」
だがバルナにそう訊ねられて、ようやく合点がいったと笑みを浮かべた。
「まだ少し」
言いながら左側の袖を捲り上げて包帯の巻かれた腕を露出させる。
「治癒魔術師よ。ワスドラートは数日前に愚かな暴漢から私を守って傷を負ったのだ。酷い傷ではないが、痛みから解放してやりたい。是非癒してやってはくれないだろうか?」
わざとらしく頼み込むように告げられて、アリアが困惑に身体を強張らせた。
傷を治す為ならアリアは力を惜しまないだろうが、バルナの後ろに控えるワスドラートのあの視線がアリアに嫌悪感を覚えさせるのだ。
「私からも是非お願いいたします。この腕では、もしまた暴漢が現れた時にお守りすることが出来ませんので」
まるで健気に語るが、未だにワスドラートはアリアの全身を舐めるように眺めている。
「構わないだろう?治癒魔術師よ」
バルナがもう一度促し、アリアは諦めたように前に進んだ。
ニコルも後に続こうとして。
「お前はそこから動くな。薄汚い貧民など視界に入れるのも苦痛なのだ。せめて離れていろ」
聞き慣れた暴言に足を止める。アリアも立ち止まり振り返ってきたので、視線だけで向かうように指示した。
何かあればすぐに向かってやるからと瞳に込めれば、アリアはわずかに頷いて歩みを再会する。
ワスドラートの方もバルナに促されて前に進み、バルナの目前で二人は一礼した。
ニコルからはアリアの背中しか見えないが、ワスドラートの挑発的な笑みは嫌でも目についた。
酷い傷でないならすぐに済むだろうが。
アリアが包帯を外し、持っていてほしいと俯いたままワスドラートに包帯を渡す。その時にもわざとらしくアリアの手のひらに触れ、アリアがびくりと肩を震わせる。
--あいつ…
ニコルの中で苛立ちが募るが、今はどうしてやることも出来なかった。
そして治癒が始まり、アリアとワスドラートの間に申し訳程度の白い霧状の魔力が発生する。
それは初日にクルーガー団長やリナト団長を癒した輝きとは光の量が違った為に、遠くにいてもワスドラートの傷が本当に軽いものであることがわかった。
しかしさすがにワスドラートも驚いた様子だ。嫌みな笑みは霧が収まると共に薄れていき、完全に消え去る寸前に目を見開く。そして治癒の終了と共に自分の腕の傷を眺め出した。
恐る恐る触れたり擦ったりと、まるで子供のようだ。
「…どうだ?ワスドラート」
「…完治しています。…最初から傷など無かったかのようです」
「ふむ…」
ワスドラートは驚きを隠さないままアリアを眺め、その瞳には先ほどの嫌らしさは消え去っている。
治癒魔術師の力を前にアリアが蔑みの対象あることを忘れているのだろうか。
「違和感が無いなら何よりです。包帯はこちらで処分しておきますね」
終わったならとっとと離れたいとばかりにアリアはワスドラートの手から用済みになった包帯を受け取ろうとしたが、ワスドラートはそれを離さなかった。
「--あ、いや…すまない、こちらで捨てておく…ありがとう」
まるで毒気を抜かれたように、再度触れ合ったアリアの手のひらに自ら腕を退ける。
ワスドラートの突然の変化にアリアは気付いていない様子だったが、ニコルとバルナは気付いた。
「…ワスドラート、下がりなさい」
バルナの指示に我に返ったワスドラートがすぐにバルナに頭を下げてアリアから離れる。
バルナの背後に戻り、捲り上げた袖を直しながらわずかに熱を帯びた視線をアリアに向ける。それをニコルに見られていると気付き視線を逸らした。
「…ワスドラートはいずれ藍都領主となる男でな、私を庇って傷を負ったことは名誉な事だろうが、今後の為にも傷跡を残させたくなかったのだ。感謝しよう、治癒魔術師よ」
心にも思っていなさそうな口調で感謝を告げて、何か考えるように一度目を閉じる。
そして、たった今思い付いたかのように、バルナは口火を切った。
「…ようやく見つかった大切な治癒魔術師だ。どうだろうか?正式な披露も兼ねて、慰霊祭後の晩餐会に出席しては。思えば今まで平民騎士にもご遠慮してもらっていたが、治癒魔術師の家族なのだからこれからは堂々と出席すればいい」
その有り得ない発言に、固まるのはニコルだ。アリアは意味がわからないとばかりに首をかしげるが、バルナは全てを説明するつもりは無いらしい。
「三日後の事で急とは思うが、是非そうしてくれたまえ。出席の件は私から皆に伝えておこう」
なんて奴だ。そう睨みつければ、
「…何をしている?話はもう済んだ。暇ではないところをわざわざ会ってやったのだぞ」
バルナは冷めきった言葉をぶつける。
そこには既に治癒魔術師に対する上辺だけの感謝の気持ちすら存在しなかった。
「アリア、こっちに。…失礼いたしました」
アリアを呼び寄せ、早足でニコルの元に戻ったアリアを背中に隠すようにして頭を下げて、こんな部屋に居たくないというように部屋を後にした。
「…見ものだな」
開かれた扉が閉まるのを見てからバルナは楽しそうに呟き、背後に立つワスドラートに溜め息を聞かせる。
「愚かな考えは捨てろ。物珍しさに目を奪われるな」
「…申し訳ございません」
謝罪は口にするが。
アリアの去った扉から目を逸らしながら、ワスドラートは包帯を包み込むように優しく握り締めていた。
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