第17話


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 明け方、いつものように目覚めたニコルはゆっくりと体を起こした途端に、有り得ない光景に目を見開いた。
 ガウェがすでに起きて用意を済ませていたのだ。
 いつもは何があろうが起こすまで寝続けるというのに。
「…珍しいな、早起きなんて。朝番か」
「お前が抜けたおかげでな」
 拍手を贈りたくなるような出来事だが、朝早くから目覚めたガウェは不満顔だ。
 エルザの護衛にニコルがまだ立っていた頃、朝番の任務にガウェは滅多に現れた事がなかったのだから。
「それが本来あるべき姿だろうが」
 ニコルが抜けて代わりにパージャと組まされたことでガウェにも責任感が生まれたのだろうか。
 ニコルが用意をしている間にガウェはとっとと部屋を後にし、ニコルも着替えを済ませてアリアの元に向かった。隣の部屋の扉をノックすれば、パタパタと軽い足音の後に扉が開かれる。
「おはよう、兄さん」
「おはよう」
 姿を見せてくれるアリアはよく眠れたらしくスッキリとした表情をしていた。
 アリアの部屋が兵舎内周にあるニコルとガウェの部屋の隣に決まったのは、数日前の事だ。
 侍女長ビアンカが用意してくれた部屋はかつての二人部屋から一新されてアリアの部屋に替えられた。
 ビアンカ達は男手をほほ必要とせずにこなしてしまい、スムーズに事が進んでいく様子は一種の魔法のようだった。元々無骨な男の部屋だったのが女性らしいやわらかな部屋に様変わりし、ニコルはただ驚いた。
 アリアは部屋の広さに気後れした様子だったが、眠れているなら大丈夫だろう。
 風呂場にはまだ慣れそうにないらしいが、慣れない理由は豪華だからという以外にもわけがあることは明白だった。
 アリアは教えてくれないが、治癒魔術師護衛部隊の中で唯一婚約者がいるトリッシュからの情報では、侍女達の暮らす区画内でアリアの居場所は無いという。
 トリッシュの婚約者は侍女として働いているのだが、侍女達の七割ほどはアリアの悪口で盛り上がっているらしい。
 残りは耐えるように口を閉じているか、我関せずを堂々と態度で示せる者か。
 アリアが区画内に入るのは決まって風呂場に向かう時だけだが、それも馴染めない一つになっている可能性が強い。
 安全面を考えればアリアがニコルの隣の部屋にいることは最も魅力的ではあるが、男として狙い目である優秀な騎士達が生活する内周棟に女が一人ということが癪に障るのだろう。
 エル・フェアリアの城に仕える侍女達は皆、貴族の娘だ。
 幼い頃は蝶よ花よと育てられ、年頃になれば王城に侍女として送られる。騎士と同じで家柄の誇りを汚さないため、そして何より将来有望な夫を探すために娘達はその扉の向こうを求めるのだ。
 侍女の半数以上は中位貴族の家柄で、その分プライドも高い。
 仮にアリアの部屋が兵舎内周に設けられていなかったとしても、治癒魔術師として特別な扱いを受ける平民のアリアは存在するだけで気に障るだろう。
 平民にそこまで偏見を持たないのはやはり下位貴族の娘達だが、人数の少なさと独特な女性社会の為に表立ってアリアと接することが出来ないらしい。
 トリッシュの婚約者も下位貴族の娘だそうだが、元々臆病な性格らしく、さらにトリッシュという下位とはいえ魔術師団内で出世枠にいる男を捕まえたということで、侍女達の間では僻まれて居たたまれない毎日を過ごしている様子で、アリアと仲良く出来るほどの心の余裕は無いらしい。
 だが悪いことばかりが続く訳でもない。
 兵舎内周を出て外周の食堂に向かう途中で、ニコルとアリアの前に一人の侍女が現れる。
 早朝からたった一人で渡り廊下の掃除をしている様子は彼女も訳ありなのだろうと想像させるが、その侍女はニコルとアリアに気付くと静かに頭を下げ、その後でキョロキョロと辺りを見回し、他に侍女がいないことを確認してから安堵の笑みを浮かべて小さくアリアに手を振り、アリアも振り返した。
「おはようございます」
 可愛らしい分類に入るだろうその侍女は、アリアより少し年下くらいだ。
「おはよう」
「おはようございます」
 ニコルとアリアも挨拶をして。
 二人の娘が再度にこりと笑い合っている。少しくらいの立ち話なら構わなかったのだが、侍女の方はニコルに遠慮してか頭を下げてそろそろと離れて行ってしまった。
「仲良くなったのか」
「うん。イニスって言うの」
 表立って仲良く出来ない様子は侍女の仕草から窺えたが、それでも友が出来るなら兄としてやはり嬉しかった。
「…俺も最初から上手くやれてたらな」
「なんで?」
 ポツリと呟いた言葉に早速反応するアリアに、しみじみと思い出すのは自分が騎士団入りを果たした当時の様子で。
「騎士団入りして半年くらいは誰とも仲良くなんて話さなかったよ」
 回り全てが敵に見えていた時期だ。気安く話しかけるレイトルやフレイムローズにも警戒心しか見せなかったのだから。
「…何だよ」
 無言でじっと見上げてくるアリアに気付いて、目を合わせないようにしながら訊ねる。
 照れ隠しのようにぶっきらぼうな口調にアリアはクスクスと笑った。
「兄さんらしいと思って」
 まるで今までのニコルも知っているかのような口調に、口元をへの字に曲げる。
「あたしは兄さん達が守ってくれてるってわかるから安心していられるの。…兄さんはそうじゃなかったんだもん…仕方ないよ」
「…そうか?」
「それに今はお友達いるでしょ」
 お友達などとあえて言われると照れ臭いが、信頼する大切な仲間は沢山出来た。
「……ああ」
 真面目な訓練も馬鹿騒ぎも、仲間がいるからこそ楽しめたのだ。
「どうやってレイトルさんやセクトルさんと仲良くなったの?」
 再度見上げてきたアリアが、キラキラと好奇心に満ち溢れた瞳を見せてくる。
 聞いて楽しいものでもないというのに、無言を貫こうとしたニコルの袖を引っ張ってくる始末だ。
「何か動きがないと、無理よね?」
「…あいつらの大喧嘩に巻き込まれた」
「喧嘩!?」
 仕方が無いので教えてやれば、有り得ないとでも言いそうなほど目を見開いて。
「よく喧嘩してるぞ」
「そうなの?意外」
「意外なもんか…」
 今や騎士団の名物と化している二人の喧嘩だ。
 しかし二人の喧嘩は仲が良い所以なので、まだ日の浅いアリアには信じられないのだろう。
 レイトルとセクトルの今までの迷惑極まりない喧嘩理由を語りながら食堂に辿り着けば、二人を待っていたらしくモーティシアがテーブルの一角で何やら書類を広げて睨み付けていた。
 ファントムの件からは外された治癒魔術師護衛部隊の仕事は単にアリアと行動を共にするだけではない。
 モーティシアの元に向かい、トントンと肩を叩いて挨拶をする。
「おや、おはようございます、二人とも」
 ニコルとアリアの目覚めも早い方だが、モーティシアはいつから起きていたというのだろうか?
 すでに食事を済ませた後らしく、テーブルの一面に整理はしつつ広げまくった書類をご覧あれとばかりに示す。
「食事前で悪いですが…記録を更新しましたよ」
「…こんなにか」
 それは、ニコル達に与えられた仕事だった。
 護衛部隊の仕事の一つに、治癒を求める申請者の整理がある。
 治癒魔術師の治療を受けたい者は医師団に申請書を提出する事になるのだが、珍しい治癒魔術師の力を見ようとまるで嫌がらせのように大したことのない傷で申請書を出す者が続出したのだ。
 ほとんど有って無きが如しの仕事かと思えば、蓋を開ければ今現在一番のニコル達の悩みの種となっている。
 医師団も頭を抱える始末で、そのせいでアリアの語学の勉強もはかどらない。
「簡単な怪我だけで申請する者が大半です。騎士の訓練中の擦り傷程度はレイトルとセクトルが現在叩き返してくれてますよ。寝起きドッキリを決行したかったんだとか」
「…魔術師団は本当に優秀で助かる…」
「怪我するような職務ではありませんからね。それに治癒魔術師を心待ちにしていましたから、皆アリアを大切にしたいのですよ」
 魔術師団員達のアリアの可愛がりっぷりは極まっている。それを思い出したのか、アリアが苦笑いの浮かぶ顔をわずかに伏せた。
 そしてそのまま何かを見つけて、書類の一枚にそっと手を伸ばす。
「…大臣の名前発見…」
 その書類に書かれた人物の名前は政務の要人のものだった。国政に携わる人物であると同時に、アリア達を悩ませるエロオヤジ。
「どうせ軽い腰痛でしょう。絶対に一人にならないように。またセクハラされるからね」
「…はい」
 腰痛を緩和するなら医師団で足りるというのに、アリアが王城に訪れてからというもの大臣は事あるごとにアリアを呼び出した。
 本当なら申請を却下したいところだが、エル・フェアリアの要人である以上そうもいかないのだ。
 侍女長がアリアの部屋を兵舎内周に設けた理由の一つにこの件も入っていたことを知らされたのは、侍女長から改めて謝罪と、部屋を用意しなかった班長と侍女達の処罰を聞いた時だった。
「私は食事をすませましたので、申請書の整理はしておきますね」
「…頼む」
 もとより書類業務などは頭の回転の早い魔術師達が率先して行ってくれている。
 ニコルの返事にニコリと笑いながらモーティシアは立ち上がり、大量に広げられた書類を丁寧にまとめ始めた。
「今朝もまずフレイムローズの治癒でしたね。そちらで整理しておきます。さくさく朝食を済ませてきてくださいね。本日も激務ですよ」
 差し出された手に大臣の申請書を返しながら、アリアは気分を変えるように笑ってみせる。治癒魔術師の抱える仕事は有事でもないかぎり本来は少ないはずだが、今のエル・フェアリアでは他国も驚くほどの量なのだ。

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 エル・フェアリア王家すら一目置くほどの力を持つ黄都領主バルナ・ヴェルドゥーラが王城に辿り着いたのは、予定より半日早い朝方の事だった。
 年に一度行われる慰霊祭に出席する為に久しぶりに訪れたのだ。
 ファントムの噂が流れているというのに慰霊祭を行うということは、王城でもファントムの件は悪質な悪戯と決めたのだろう。ただでさえ停滞した噂だ。そう考える方が理にかなっている。
 静かに今後について思考を巡らせていたバルナも、わずかな揺れと共に停止した馬車に気付いて閉じていた目をゆっくりと開いた。
「--大変お待たせいたしました。足元にお気をつけください」
 豪華な馬車の扉が開かれて、有能な青年が頭を下げる。
 導かれるように馬車から出れば、他の使用人達も頭を下げてバルナの指示を待っているところだった。
 遠巻きには警戒した騎士達が普段よりも多く警護に立っているので、一応まだファントムを警戒しているのだと知れる。
「…ロワイエット様は来られていないようですね。予定より早いので仕方ありませんが」
 呼ばれた一人息子の名前に、バルナはふん、と鼻を鳴らした。
「親不孝者め」
 ヴェルドゥーラ嫡子である息子の名を「ガウェ」と呼ぶことが許されているのはごくわずかだというのに、王城ではほとんどの者が呼んでいると聞く。
 薄汚い貧民風情もだ。
 近くその罪がいかに重いものであるか、身をもって知らしめねばなるまい。
「治癒魔術師への謁見はいかがなさいますか?」
「聞かずともわかることだろう。この私が貧民の女ごときに時間を取ると思っていたのか」
 馬鹿な質問をする青年を睨み付ければ、本来とても優秀である彼は臆した様子もなく頭を下げる。
「…失礼いたしました」
 簡単な謝罪を受け入れて、用意されているであろう賓客室に向かおうとして。
「…いや、やはり会っておこうか」
 気紛れに呟いた言葉に、青年は反応を見せるように頭を上げる。
「薄汚い貧民を始末する餌になるかもしれんからな」
「…かしこまりました」
 最後まで命じる必要も無く、彼は静かにバルナから離れた。代わりに隣に訪れるのは、同じく目にかけている優秀な者達だ。
 いったいどんな女なのか。
 所詮は汚ならしい娘であるとわかってはいるが、忌々しい貧民騎士を始末するに相応しい娘であることを、バルナはせめて願った。

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