第16話


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「…兄さんは?」
 エルザ姫の訓練が終わり、夕食に向かうために書物庫を出る一同を見送った後で、アリアはきょろきょろと辺りを見回して訊ねてきた。
 エルザと護衛達がいなくなったことで、広い書物庫にはレイトルとトリッシュとアリアの三人だけになってしまった。
「副隊長としての勤めに行ったんだよ。私は代わり」
「それでレイトルさんが」
 合点がいったと表情を綻ばせる様子に、まだニコル以外には打ち解けられないかと少し悲しくなった。まだ二日目なので仕方無いのだろうが。
 トリッシュは何やら本を物色している様子なので、レイトルはアリアを近くの長椅子に案内して座らせた。
「お疲れ様」
「そんな、大したことしてません。あたしの方が教えてもらうことが多いくらいでした」
「そうなの?」
 少し距離を開けて隣に座り、トリッシュを待ちながらアリアの横顔を眺める。
 可愛いというよりも綺麗の分類だ。
 人当たりも良く、受け答えも利発でさっぱりとしている。おまけに気が利く。もし侍女として働いていたなら、すぐに王城仕えに迎えられたことだろう。
 なあなあの仕事しかしない侍女なら兵舎仕えから上がれないのだから。
「エルザ様の治癒魔術に関する知識は凄いですよ。あたしも知らなかった事が多くて、すごく勉強になりました!」
 興奮しながら話す様子はまだ無邪気さが残るが、良い意味でのギャップとして目に映るので出来れば他では見せないでほしいと思うのは我が儘だろうか。
「治癒魔術で傷を癒すにも深く考えずにやってた部分が強いんですけど、細かい所にもちゃんと意味とかあって、奥が深いんだって改めて思いましたよ」
「ああ、それならわかるかも。魔具も似たような部分があるからね」
「…マグ?」
 聞き慣れない単語に首をかしげたアリアの為に、レイトルは自分の利き腕に魔具の籠手を発動させて見せてやった。
「!」
 黒い霧状の魔力が形を成して籠手となる様子にアリアが大きく口を開ける。
「これが魔具だよ。騎士達はみんな、自分の魔力を凝縮させて形にする訓練を行ってるんだ。私は魔力が少ないからあまり大物は作れないけど」
「すごい…触ってもいいですか?」
「どうぞ」
 生まれて初めて魔具を見たのか、アリアは恐る恐るレイトルの籠手に触れてきた。
「…すごい、本物の鉄みたいです」
 指を滑らせて、感触を確かめて。
「才能のある奴らなんかは、何にも考えずにほいほい魔具を発動させるんだ。ニコルもそうだね」
「兄さんも?」
「そう。立場をアリアとエルザ様に置き換えるなら、ニコルがアリアで、私はエルザ様だ。アリアは生まれ持っての才能があるから無意識でも魔力を上手く扱えるけど、才能があまり無い者は知識から蓄えていかないと駄目なんだよ」
「え、でもエルザ様の魔力の質はすごく良いって」
「…ああ、ごめんごめん。魔術と治癒魔術を一緒にしてしまってたね。治癒魔術は本当に特殊なんだよ。魔力の質が良かろうが魔力の量が多かろうが、根本的な部分が普通とは違うから治癒魔術を操ろうと思うと相当の訓練が必要になる」
 ひとしきり触り終えたアリアの指が離れていくのを少し寂しく思いながら、魔具を消滅させる。
 エルザのように知識ばかりが頭にこびりついたのは、レイトルも同じだ。
「だからアリアが魔具を作ろうと思ったら、エルザ様みたいに相当な訓練が必要になってくるね」
「…そうなんですか」
 アリアの声があからさまにしょげてしまったことに気付いて、魔具を出してみたいと思っていたのだろうと予想をつける。
「訓練してみる?今すぐは無理でも、いつか出来るようになるんじゃないかな」
「…ホントですか?」
 とたんに目を輝かせたアリアとレイトルの間の長椅子に、トリッシュがドスンと数冊の書物を置いた。
「はーいはいはい、アリアは魔具訓練の前に読解訓練から始めるからなー」
 何だ?とトリッシュを見やる。持ってきた数冊の書物は全て同じ内容のものだ。
 ただし、書かれている文字は他国のものばかりだが。
 唯一エル・フェアリアの文字で書かれた一冊を取って、トリッシュはアリアに中を開いて見せる。
「初代国王ロード様と虹の女神エル・フェアリアの恋物語は知ってるよな?」
「…は、はい」
 あまりに突然のことでアリアは固まっているが、その恋物語を知らない者などエル・フェアリアにはいないだろう。
 この国で最も語り継がれているおとぎ話なのだから。
「内容はぜんぶ同じ。上からラムタル、イリュエノッド、スアタニラ、ユナディクス、セヴィラニータ、アークエズメル。とりあえず最初はざっくりでいいから他国の文字と言葉を覚えてもらうからな」
 呪文のように告げられた近隣諸国の名前に、アリアの表情が困惑したまま硬直した。
「モーティシア隊長命令。まず王子と七姫様の婚約者がいる国の言語は全部覚えてもらう。それ以外もあるけど」
 淡々と告げる言葉は冷酷なほど容赦がない。
「なるほど、それでおとぎ話ばかりか」
「そ」
 多国語を覚えるにも、何もわからない状態では辛いものがある。だがエル・フェアリアの恋物語という誰もが聞かされた話を集めたことによって、まずは異国語に慣らそうという魂胆が見えた。
「…え、これ全部ですか?」
「まさか」
 我に返るアリアに、トリッシュはもう一度説明をする。とどめという名の説明を。
「まだまだ覚えないといけない国はあるからな。優先順位の高いのがこれってだけ。後はまぁゆっくりだな。とりあえずの最終目標は同盟国全部だ」
「うわぁ…鬼だね」
 同盟国全部となると小国を合わせても二十近くだ。
 さすがにレイトルも引いた。
 王子や七姫様の婚約者がいる国の言語ならレイトルも覚えたが、同盟国全てなど気が遠くなる。
 アリアにとって唯一の救いは、どれほど過酷な勉強になるかまだ気付いていないという事だけだろう。恐る恐るラムタル語で書かれた書物を開いたアリアが、見慣れぬ文字に眉根を寄せている。
「が、頑張ります」
 無理だと言わなかった辺り好感が持てた。
「今回持ってきた本の国なら、俺達全員わかるから教えてやれるよ」
「そうだね。ニコルも覚えてるはずだし、わからなければすぐに聞けばいい」
「…兄さんも勉強したんですね」
 ニコルの名前が出たことで、アリアもようやく表情をわずかに緩めることが出来た。
「よっし、それじゃあ、今からフレイムローズの足治療だな。俺は別の用事頼まれてるから、ちょい抜けていいか?」
「構わないけど、何の用事だい?」
「アリアのローブ。魔術師団は女物の服あるからさ、用意してもらってたんだよ。探すのに苦労したぜ。長く寝かされてたから一回洗ってもらってたんだけど、もういけるだろうから取ってくるわ」
 だから先にフレイムローズの元に行っててくれと告げて、トリッシュはとっとと書物庫を後にしてしまった。
 あっという間の出来事に、アリアもぽかんとしている。
「…私達も行こうか」
「あ、はい」
 慌てるように書物を持とうとしたアリアを制して、レイトルが全て持ち上げて。
「あたしも持ちますよ」
「こういうのは男の仕事」
「そんな」
 困ったようにわずかに抗議するアリアにエル・フェアリアの文字で書かれた書物だけ渡して、レイトルは少し笑った。
「とりあえず、一番最初は母国語に慣れないとね」
 指摘するように告げた言葉にアリアが顔を赤くして俯く。
 アリアとエルザの会話と、アリアが書物を難しそうに眺めるのを見て気付いたのだ。アリアはエル・フェアリアの文字にまだ不慣れだと。
「大丈夫だよ。恥ずかしいなら私が見てあげるから」
「…ありがとうございます」
 わずかにふて腐れながらの感謝の言葉が面白い。
 アリアは赤くなってしまった顔を隠すように俯いたまま本をめくった。おとぎ話といっても文章は多い。
 指先でなぞるように文面を伝いながら、アリアは小さなため息をついた。
「兄さんとの手紙じゃ不便なんてなかったんですよ?村でも、あたし、けっこう文字は知ってる方だったんです」
 でも、読めない、と。
「…どれくらい理解できてる?」
「半分くらい。…ちょっとショックです」
 レイトルも少し驚いた。しかし顔には出さずに、仕方無いよと少しだけ笑ってみせて。
「充分だよ。ひとつずつ覚えていけばいいから」
「…はい」
 文面を必死に追いながら、アリアはレイトルの方を見ることなく頷いた。
 書物庫の窓から見える外はすでに夜空だ。
「…フレイムローズの所に行こうか。ニコルともそこで合流する手筈だから」
 ニコルの名前を出せばアリアが安心することがわかっていたのでわざと口にすれば、案の定アリアはパッと顔を上げてみせてくれる。
 このわかりやすさはエルザと似ているかもしれないと思いながら、レイトルはアリアを書物庫の外へと促した。

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 侍女長の行動は迅速かつ大胆だった。

 モーティシアとニコルが忙しい侍女長との面会を設けてもらえたのは奇跡に近かった。
 時間の都合が上手く取れたのか、強引に会う時間を作ってくれたのか。王城一階の応接室で待っていたモーティシアとニコルの前に「大変お待たせいたしました」と足早に訪れた侍女長は、新しく治癒魔術師護衛部隊に配属された二人が面会を求めた時点で面会理由について察していた様子ではあったが、まずは静かにモーティシアの話を聞いてくれた。
 ニコルもよく知る敏腕侍女長、ビアンカ。
 三年前にそのポジションに就いた彼女は現在37歳だが独身であり、行き遅れと後ろ指を差す者は多いが、年の近い王族付き騎士の独身達には人気が高い。
 何よりも三年前、堕落の限りを尽くしていた前侍女長と交代してすぐに発揮された手腕がものを言う部分も多い。
 だが今回の件で、まだ全てを掌握しきれていないという事が明るみになり、ビアンカは二人に深く頭を下げた。
 侍女の職はただでさえ入れ代わりの激しい世界だ。結婚した後も働く者はほんのひと握りで、その道を選べばまず変わり者のレッテルを貼られてしまう。そんな中で彼女はよくやっている方ではあるが、それとこれとは話が別だ。
 そして手腕が名を上げる。
 まずはアリアの部屋についてどうするか、事の顛末を話した後で相談しようとしたモーティシアの口を初めて塞いだビアンカが提案した部屋の候補地に、二人はただ驚くしかなかった。
 そんなことが出来るのかと訊ねれば、現状ではそれが一番確実で安全な場所だと告げられ、一日待ってくれれば必ず用意するとまで。
 今日の寝床については、寝床が決まるまではニコルの部屋に寝かせると予め告げていたのでビアンカはあえて触れてはこなかった。
 ビアンカも王族付きであったニコルをよく見ていたらしく、アリアに仮の部屋を用意するとどんな案を出そうがニコルが頷かない事には気付いていたのだろう。
「治癒魔術師様に負い目を感じさせる訳には参りませんので、この件については内密に願います。明日の…昼過ぎに部屋の方に向かい用意を始めますので、お時間が合うなら是非いらしてください」
 さらさらと告げる言葉が唯一詰まったのは、ビアンカが時間を確認したわずかの間だけだ。
 頭の中でどう動けば無駄なく進むか計算したのだろう。頭の回転の早さは魔術師に、決断力の潔さは騎士団に欲しいくらいだ。
 これが侍女長ビアンカなのか。
 ニコルはあまり話す機会は無かったが、階級の高い先輩騎士達はこぞって彼女を誉め称えていたことを思い出す。
 特に30代の独身王族付き達の一番人気を未だに維持する女性だ。
 美人というわけでなく地味な見目だが、芯の強さは確かに惹かれるものがあった。
 仕事が出来る分話しかけにくい雰囲気もあるが、それを理由に声をかけることすら諦める者は王族付き以上の騎士の中にはいない。
 男の方が放っておかないというのに、いったい何故浮き名すら上がらないのか不思議で仕方無い。
「--それでは宜しくお願いします。万が一変更がありましたら、すぐにお知らせください」
「勿論です。本当に申し訳御座いませんでした」
 時間にすればわずかの間だったが、アリアの部屋についての話が終わったので腰を上げる。
 ニコルは本当に座っているだけだった。
 脳筋のつもりはないのだが、ここまで会話に加われないものなのかと少し情けなくなる。
 モーティシアとビアンカの頭の回転が早すぎるのも理由のひとつだが、無駄を省きまくった会話だった。ニコルからすればそれでわかるのかと訊ねたくなるような言い回しだというのに、互いに理解して会話を続ける辺り恐ろしい。
 ニコルが唯一参加できたのは、ビアンカがアリアの為に用意する部屋の現状についてだけだった。
「こちらこそお時間を取らせてしまい申し訳ございません。では失礼します」
 応接室を三人で出て、ビアンカの見送りを断り王城の階段を上がる。
 向かう先はアリア達と合流を予定しているフレイムローズの元だ。
「話の終わった後で言うのもなんですが、不満はありませんか?」
 隣を歩くモーティシアに訊ねられて、わずかに言葉に詰まった。
 不満は無いが、不安はある。
「…本当に用意出来るんだろうか」
 アリアの部屋として出された案は魅力的な場所ではあったが、そこにはすでに先客がいるのだから不安になるのも当然だろう。まさかあんな場所を案に上げるなど思いもしなかったが。
「あそこまで自信たっぷりに告げられたのですから、大丈夫でしょう。無理なら次に安全な場所を用意してくれますよ」
「…そうだな」
「それにしても、噂以上に優秀な女性でしたね。部下に責任転嫁しない辺りも潔い」
「…そういえば、班長達は何かしら罰せられるのか?」
 ビアンカとの会話では一貫して自分の非であると告げ、事の発端である侍女達や班長については何も語らなかった。
「その件についても明日わかるでしょう。その為に明日来れるなら来てくれと言ったのでしょうし」
「…そうなのか?」
「それ以外に何か?」
「…いや、部屋の準備過程の事か、男手かと」
 不安になって少しもごついた口調に、モーティシアが盛大にため息をついてくれた。
「そんなもの、わざわざ口にする必要もなく当然の事でしょう。一から十まで説明させるつもりですか貴方は」
 完全に見下されてグッと口を閉じる。騎士団が舌戦で魔術師団には敵わない所以をこんな所で味わわされるとは。
「…もしかして、人に合わせて話してるか?」
「まあそうですね。侍女長はとても話しやすい人でしたよ。一を語るだけで十を理解してくださいますから」
「…悪かったな馬鹿で」
「別に馬鹿だとは思っていませんよ。少し愚図だとは思っていますが」
「……愚図」
「安心しなさい。私からすれば騎士達は皆さんそろって少し愚図ですから」
 駄目だ勝てない。
 モーティシアが相手に合わせて話し方を変えているとわかったのもビアンカとの会話を聞いていた時だ。
 普段は穏やかさを感じるほどゆっくりと分かりやすく話してくれる彼が、ビアンカ相手にはまるで早口言葉だった。しかも話を端折るので何を言っているのかわからない。
 今日ほど弁が立つパージャを用意しておきたいと思った日は二度と訪れないだろう。
 ただパージャを用意しておいて普通に会話をされてしまったら、それこそニコルのなけなしのプライドが弾け飛びそうだが。
「--モーティシア!ニコル!」
 後ろから声をかけられたのは、ニコルがわずかにモーティシアの後ろを歩き始めた時だった。振り返れば、トリッシュが何やら大荷物を抱えて走ってくる所だ。
「…何だこの袋?」
 へろへろになりながら追いかけてきたトリッシュから大荷物を預かってやれば、トリッシュは両膝に手をついて肩で息をしながらニコルを軽く睨み付けてきた。
「…なんで、そんな軽々と、持つ、かな…」
 同じ年頃の男として、大荷物を軽々持ち上げたニコルが憎らしい様子だ。鍛えているのだから違いがあって当然なのだが。
「よかったですねニコル。力仕事がとても似合いますよ」
「…そろそろ胸が痛いんだが」
「おや、これは失礼しました」
 くすくすと笑うモーティシアの遊び半分の嫌味がようやく幕を閉じた。
 袋いっぱいに詰め込まれた大荷物の中身はどうやら衣類のようだが、魔術師団のローブに似ているが色が少し違う。
「アリアの服だ。魔術師団は女物もあるからな。用意してもらってたんだ」
「女物?それで色が違うのか」
「大戦時代はけっこういたらしいぜ、女の魔術師も。さすがに騎士団にはいなかったみたいだけど」
 だから女物のローブがあるんだと告げて、トリッシュが姿勢を元に戻した。
「今から合流?荷物任せていいか?」
「ああ」
 アリアの衣服なら断る理由もないが、解放されたトリッシュは清々しい顔をしている。それほど重いとは思わないが。
「にしても、多くないか?」
「女の子だぞ?まだ少ないくらいだろ。寝間着も当分ローブでいいよな?慣れたら城下に降りて買ってやれよ」
 何着あるんだと困惑するが、当たり前のように返されてさらに困惑した。この辺りの感覚の違いは完全に貴族と貧民の違いだろう。ちらりとモーティシアを見遣れば、とっとと馴染めとばかりに見据え返された。
「本当は服も早めに用意してればよかったんだろうけど、まさか着回し分が無いなんて思わなかったからさぁ。ごめんな?」
 着回し分とはつまり、アリアの普段着の事なのだろう。
「そこは私の盲点でした。申し訳ありません」
「いや、俺も考えてなかったから」
 男ばかりの職場だったのだ。仕方無いと言えるだろう。
 ニコルも昔からの癖で自分に用意された兵服は長く着用している。
 三人で階段を上っていき、上階の露台に向かう。レイトルがアリアと居てくれているはずだが、露台に出れば他の任務についていたセクトルとアクセルも一緒にいて驚いた。
 二人は医師団の元で今後の展開について話し合い、遅くなるだろうから明日話の内容を聞かせてもらうことになっていたのだ。
 アリアは名目上は魔術師団の団員だが、事実上は医師団との行動ばかりになるはずなのだ。
 セクトルとアクセルは今朝のアリアの治癒を見てはいなかったので、今はアリアの後ろからフレイムローズの筋肉疲労を癒す様子を静かに眺めていた。
 立っているフレイムローズの足元にアリアがしゃがみ、後ろにさらに中腰の二人がいる様子は少し笑えてしまう。
「--お疲れ様」
 同じく微笑ましそうに眺めていたレイトルがニコル達に気付いて歩み寄り、労いの言葉をかけてくれた。
 どうだった?と訊ねるレイトルに侍女長との会話を教えるのはモーティシアだ。アリアの部屋の候補地については大笑いを返してくれた。明日が楽しみだと肩を震わせ、是非自分も様子を見に行きたいとお腹を押さえる。
「あ、でも誰かアリアといないと駄目だもんね。確かにアリアにはまだ部屋を見せられないだろうし…モーティシアとニコルは行くんでしょ?」
「ああ」
「そのつもりです」
「なら私は諦めるよ」
 護衛については王族付き達と同じように輪番制にしようと話はついていたが、当分はそう上手く回らないだろう。
「ではお言葉に甘えて任せましょう…いいですね?」
 頷いたモーティシアの最後の言葉はニコルに向けられたものだった。
「頼む」
 小さく頷いて、アリアを見つめる。
 フレイムローズの足元で彼の筋肉疲労を癒す姿は真剣そのものだ。
 時折心地良さそうにフレイムローズがふるりと揺れている。
 今や気にならない存在になった肩の魔眼蝶だが、フレイムローズを前にするとやはり意識してしまう面があった。
「…俺も近くで見てこよ」
 大荷物を持っていたせいか体力が無くなっていたトリッシュは階段を登りきり露台に出てもわずかに離れた場所で休憩していたが、ようやく調子が戻ったらしくアリアの元に寄っていってしまった。
 魔術師としてアリアの治癒魔術を間近で見たいという思いが強いのだろう。
「それがアリアのローブ?」
「そうだ」
 トリッシュを見送った後で、レイトルが興味深そうに大荷物に視線を向けてくる。
「へえ、生地が違うんだ」
「なにぶん昔の生地ですからね、探すのにも時間がかかりましたよ。まだ着られそうで助かりました。また改めて新しく製作してもらうつもりです」
 大切に保管されていたらしく、生地に傷みなどは見られない。
 かつては魔術師に女性がいたなど想像もつかないが、よく考えれば他国では女性の兵士もいる。
「あ、終わったみたいだね」
 大荷物の袋を覗き込んでいたレイトルが立ち上がるアリアに気付いて手を離す。
 アリアもニコルがいることに気付いて嬉しそうに大きく手を振って、その手が思いきりセクトルの顔面にヒットした。
 とたんに露台中が爆笑に包まれて、アリアだけは顔を押さえているセクトルに平謝りしている。
 セクトルの顔面を押さえながらの瞑想じみた無言具合と、アリアもぶつけた手を押さえている辺りから、互いに相当痛かったとわかった。
「何してるんだか」
「あんなに近くに寄っていた方も悪いですよ」
 仕方無いなぁと苦笑しながら、アリア達に近づいて。
 今日の予定はこれで全て終えた。後は食事を済ませて、明日に備えるだけだ。
 一度立ち止まって大荷物を抱え直しながら、ニコルは最後にアリアの元へ歩み寄っていった。

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