第16話
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城下町からわずかに離れた広野に、身を委ねるように腰を下ろしている。
冷たくなり始めた風が頬を撫でて、心地好いけれども不愉快だった。
夕暮れに染まる王城を眺めながら、ミュズはそのどこかにいるはずの青年に思いを馳せる。
大切な家族。大事なパージャ。たった一人でエル・フェアリアの王城に向かった彼は、酷い目にあってはいないだろうか。
以前巻き込まれた事件については教えてもらった。
王城にいるニコルを守る為にパージャが囮になったと。
ニコル。
ミュズが王城に乗り込んだ時に出てきた、馬鹿な男。
馬鹿で、可哀想な男。
エル・フェアリアは嫌いだ。だが彼には同情せずにはいられない。彼もミュズと同じように巻き込まれる側の人間だから。この見た目だけを美しく飾った汚いエル・フェアリアの被害者。
ミュズと同じ、奪われるばかりの被害者なのだ。
だというのに何も知らずに王城に仕えている馬鹿な男。
「--ミュズ」
小さな声で呼ばれて、ミュズは右側に目をやる。近付いてくるのは、自分より少し歳上のエレッテだった。ただしいつもの闇色の髪ではなく、今日は魔力で薄茶色に見せているが。
今日は煩いウインドが側にいないからか、表情が穏やかで落ち着いて見えた。
ミュズとパージャのように、エレッテはいつもウインドの側にいる。
違うか。
ウインドがエレッテを離さないのだ。
エレッテはいつだってウインドを怖がっているのに、嫌だと伝えない。諦めてずっと側にいる。
嫌なら嫌だと、どうして言えないのだろう?
エレッテはミュズと違っていつもおしとやかで女の子らしいけれど、自分の意思を伝えられないなら羨ましいとは思えない。
「…なに?」
「お腹空いたでしょ?ケーキを作ったの。…材料全部ラムタル産だから、一緒に食べよ?」
ミュズの隣に腰を下ろしたエレッテが、手にしていた箱を開けて中を見せてくれる。
「…ありがとう」
「うん…食べてみて?」
ひとくちサイズの可愛らしいケーキが数個。いずれも桜色をして、中心には桜の花びらが添えられている。
ミュズとパージャの好きな花だ。
エル・フェアリアの食糧だと体が受け付けないミュズの為に、エレッテはいつも世話を焼いてくれていた。
ミュズはわざわざ他国のものを用意してまで食べようとは思わないのだが、食べなければいずれ死んでしまうことを懸念しているのだろう。
ミュズはごく普通の、どこにでもいるありふれた存在だから。
エレッテやパージャのような死ねない体ではないのだからと。
ひとくち食べれば、程好い甘さがじんわりと広がる。鼻を抜ける香りは優しい花の蜜のような。
「…おいしい」
「本当?よかったぁ」
ミュズとの間にケーキの入った箱を置いて、飲み物を用意しながらエレッテは安堵のため息をつく。エレッテの作るお菓子はいつだって美味しいのだから、不安がることなどないのに。そうは思うが、作り手からすれば毎回怖いものなのだろうか。
はい、と手渡されるのはミルクの入った木製のコップで、どこに置こうか迷ってから両膝で挟んでキープする。
きっとパージャがいれば、はしたないとか何とか言いながらミュズの代わりに持っていてくれるのだ。
甘やかされてばかりだなぁ。
ふとそう思ったのは、こんなに長くパージャと離れたことが無かったから。
側にいれば気付かなかった。
離れてみて、ようやく些細な部分まで大切にしてくれていたのだと気付く。
パージャはいつだってミュズを大事に大事にしてくれていたのだ。何もかもをエル・フェアリアに奪われたミュズの為に、奪われたものの代わりになろうと。
「…いつパージャ戻ってくるの?」
ミュズの質問に、エレッテは口をつぐんで返事をしてくれなかった。
王城はパージャにとって最も危険な場所なのだ。パージャだけでない。エレッテや、仲間達全員に言えることだ。だというのにパージャが選ばれた。
「ファントムはいつ動くの?」
ファントムさえ早く動いてくれたら、それだけパージャの危険は回避されるはずなのに。
「…時を待ってるの」
「いつ?」
仲間のはずなのに、ミュズだけはいつも仲間外れだった。
ファントムは酷い。
ミュズを使うだけ使って、知りたいことは教えてくれないのだから。
パージャにばかり無理を押し付けて。暴れん坊のウインドを使えばいいのに。
「お二人さん!」
話しかけられたのは、突然だった。
聞き慣れない声にエレッテがびくりと肩を震わせている。
ミュズとエレッテが後ろを見たのは同時だった。
「二人だけ?」
「暇ならどこか行かない?」
軽そうな男が二人、ミュズとエレッテを見下ろしながらニヤついていた。またこのパターンか。
以前にもあった出来事に盛大にため息をつく。以前は女装したルードヴィッヒとかいう男の子と一緒だったが、今日は女二人だ。
「ため息ついてたら幸せ逃げるよ?」
「煩い。どっか行け。消えろ」
無視するように姿勢を戻して、手に持っていたケーキの残りを一気に口に放り込む。
甘さが苛立ちを緩和してくれるかと期待したが、無駄だった。
「口悪いなぁ…」
呆れたように男の一人が告げて仲間に諦めて行こうぜと促すが、軽薄そうな男はエレッテに狙いを定めた様子だった。
「こんな口悪い子とあんまりつるまない方がいいんじゃない?」
面と向かって迫られて、エレッテが怯えるように身を竦ませる。恐怖に支配されて声が出ない様子に、ミュズが代わりに男を睨み付けた。
「どっか行ってよ!もう!!」
「お前に話しかけてねぇから。黙ってろよ」
男の方も喧嘩っ早い様子で、手こそ出して来ないが押さえつけるようにミュズを睨み返してきた。
その姿にエレッテがさらに怖がるが、ミュズには効かない。
黙り込んだのはどうやって男を退散させるか考えていただけだというのに、何を勘違いしたのか口を閉じたミュズに勝ち誇ったような笑みを浮かべて、さらにエレッテに詰め寄って。
「これケーキ?うわぁ旨そう。君が持ってきてたよね?一個もらっていい?」
訊ねながら勝手に手を伸ばしてきた男に、容赦無くコップごとミルクを投げつけた。
「うわっ!何すんだ!」
「どっか行けって言ってんの!!邪魔すんなクズ!!」
「てめぇっ!!」
ミルクで汚れた自身の服を見た男が完全にキレたらしくミュズに掴みかかろうとするが、それより先に仲間の男が止めに入った。
「やめろ!もう行くぞ!!」
服を掴んで無理矢理ミュズ達から引き剥がして。
ミルクまみれの男が悪態を口にしながら去っていくのを、冷めた視線で見送った。端から相手にされていないと気付いて去っていれば服が汚れることもなかっただろうに。
ふん、と鼻を鳴らして、ミュズはエレッテに目を移す。
「大丈夫?」
「…うん…ごめんね」
青白くなった顔色はどこも大丈夫そうには見えない。まるで冬の寒さが身に染みるように肩を震わせながら、エレッテは今にも泣き出しそうに俯いていた。
エレッテが男性不信であることは知っている。そうなった経緯は知らないが、側に男が来るだけで震えるのだ。よっぽどの出来事があったのだろう。
エレッテの恐怖対象でない男は子供とパージャ、ファントムくらいだろう。ウインドについては、半ば諦めじみた対応だからよくわからない。
「…あ」
気分を変えようとケーキを食べようとして、まだ多く残っているケーキにミルクがかかってしまっていたことにようやく気付いた。食べられない様子ではないが、ミルクを吸ってべちゃりと崩れそうになっている。
「…ごめん」
「あ、謝らないで!ミュズは私の分もあの男の人に怒ってくれたんだから…」
「…まだ食べられるよね?」
「…また作るよ?」
箱ごと持ち上げて、膝の上に置いて。
どう食べようか迷っているところに、また呼びもしていないのに男が現れた。
「おーい、エレッテ、ミュズ」
しかし今度は知人だ。図体ばかり大きな、暴れん坊のウインド。
こちらもエレッテと同じく闇色の青い髪を薄茶に変えているが、頭の半分を被うバンダナが濃い色なので目に煩い。
「ミュズお前な、ファントムの頼まれもん終わったんなら帰ってこいよ。報告ぐらいしろっての!」
「言わなくったってどうせわかるでしょ」
がなるような大きな声にそっぽを向くが、ミュズが手にしているケーキの入った箱を目敏く見つけたウインドは絶叫を上げた。エレッテがびびりまくっていることにどうして気付けないのだろうか。
「俺も食いたかったのに!」
「あげないもん。私のだもん」
「ふざけんな!うわマジかよ…何してんだよ…」
べちゃべちゃになったケーキに酷く落胆しながらも手を伸ばしてくるので、立ち上がって逃げてやった。
「てめ、ふざけんな、寄越せ」
「絶対いや。肝心な時に使えない男なんて男じゃないもん」
「はぁ!?」
来るならもう少し早く来て馬鹿なナンパ男共を阻止する防波堤にでもなればよかったのに、必要な時に限っていないのだ。
「帰ったら材料残ってるし、また作るから…」
エレッテはエレッテで場を治めようとウインドの袖を引っ張る。それだけで素直に頷くウインドも、いつもその程度でいたならエレッテともっと親しくなれるだろうに。
きっとナンパ男に絡まれた事を知ったら、激昂して男達を追いかけるのだ。そうなることがわかっていたので、ミュズはそこまで教えはしなかった。
「…ファントムに何を頼まれてたの?」
そして、ウインドが訪れた理由の一つであるミュズの“仕事”にエレッテが興味を示した。
エレッテは知らないんだ。何の気もなくそう思って、確かにエレッテには知らせられないかもと口をつぐむ。
「こいつにでも出来ることなんてたかが知れてるだろ」
エレッテの隣で馬鹿にしてきたウインドには拾ったコップを投げつけておいた。
「痛ってーな!」
「数日後、楽しみにしてなさいよ」
「…何だよ」
確かに単純な仕事だった。単純で、残酷な。
だがエル・フェアリアだからどうでもいい。どうせ毒にも薬にもならないが。
卑屈な笑みを浮かべながら、ミュズは自分の為に作られたケーキを、こぼさないように箱に顔を近付けてひと掴み分を口に入れた。
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