第15話


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 兵舎内周の一階にあるホールの一角で、長椅子に足を投げ出して座るフレイムローズを中心にニコル、アリア、トリッシュの三名と、フレイムローズと行動を共にしている数名の魔術師達が固まるように集まっていた。
 円の中心にいるフレイムローズは監視を終えて先ほどまで深い眠りの中にいて、ようやく目覚めて大量の食事を取り終えたところだ。
 今日からアリアの治癒を受けられることになっており、フレイムローズの立ちっぱなしで凝り固まった足の筋肉にアリアが癒しの力を流していく。
 傷に特化したアリアの魔力だが、筋肉疲労の緩和も得意とするところなのだ。
「うひゃあぁぁあ…」
「変な声出すな!」
 フレイムローズのふくらはぎに両手を翳しながら、アリアの魔力が淡い光となって凝り固まる筋肉をほぐしていく。
 その際の優しい温もりと何ともいえない絶妙な心地好さにフレイムローズの口からは奇妙な効果音が流れ続けており、いい加減にしろとニコルは注意をした。
「きもちいいぃぃよぅぅ」
 フレイムローズの耳には届いていないが。
 その様子にアリアがクスクスと笑い、気持ち良さそうにだれているフレイムローズを見上げた。
「一番疲労がたまっているのは目の周辺より足と腰ですね。丸二日同じ体制で立ったままなら仕方ないですけど」
「うぃいいぃぃぃ」
「聞いていたほどは酷くはないみたいです。足腰だけならフレイムローズさんのお仕事中でも治癒できますよ。集中力も、負担を軽くするだけでもだいぶマシのはずです。多少気が散る可能性はありますけど…どうします?」
「はあぁぁぁぁぁぁぅ」
「聞いてるのか!」
 アリアの説明や質問すらも完全に無視して治癒を堪能しているフレイムローズの頭にニコルは容赦なくげんこつを落とした。
 その様子に魔術師達が慌てるが、この程度で魔眼が発動するわけがないのはわかっている。
「痛ったあぁ!アリアちゃん!ニコルが殴った!!」
「ちゃんと聞いててくださいね」
 すぐに跳ね起きて文句を聞いてもらおうとするフレイムローズだが、あっさりと躱される。
「うぅ…似た者兄妹」
 非難のような不満のような文句に、周りの者達が笑った。
 最初にアリアが癒した箇所は目の周辺だった。
 フレイムローズの目がじかにアリアを視界に入れたら魔眼が発動しかねないのでその時ばかりは全員肝を冷やしたが杞憂に終わり、魔眼とそれを被う周辺はあまり疲労が溜まっていないという事実は魔術師達を驚かせていた。
 フレイムローズの限界であると推測されていた二日は単に同じ姿勢で立ち続けた為の体の疲労であり、魔眼自体は何ら疲れてすらいなかったのだから。
 コウェルズの指示によりフレイムローズが魔眼を会得する訓練を積み、本来の魔眼の力以上に操れるようになったことは知られている。
 それはコウェルズの優れた采配を知らしめると同時に、フレイムローズの能力の高さも示していたのだ。
「…やってほしい」
 まさしく化け物じみた力を持つのに、当のフレイムローズは幼さを残したままアリアに治癒のお願いをしている。
「わかりました。じゃあ監視に立つ時は朝と夜に足の疲労を、半日休憩の時は寝てる時に目の周りもしておきますね」
「ありがと!あと同い年なんだから、気楽に話してくれていいよ?」
「うーん…いずれ」
 どちらも無邪気に笑い合う姿はどこにでもいる普通の光景の様だが、二人とも国に保護されるべき対象だ。
 魔眼のフレイムローズと、治癒魔術師のアリア。
 特にフレイムローズの魔眼は、フレイムローズを除けば島国イリュエノッドに一人存在するだけだ。
 ただしこちらは邪神教の本尊に祭り上げられているらしいが。
 フレイムローズが敵側にいたら。
 それはあまりにも考えたくない最悪のひとつだった。
「それでさ、気になってたんだけど他の護衛の人達は?レイトルやセクトルも護衛なんでしょ?魔術師もあと二人いたはずだけど」
 フレイムローズの質問に口を開いたのはトリッシュだった。
「全員で毎日護衛につく訳じゃないさ。王族付きもそうだろ?」
「そっか」
 気安い間柄なのは、以前からフレイムローズとトリッシュには親交があるかららしい。
「それに用意しないといけないものがまだあるからな」
「部屋でしょ?天空塔は?」
 名指しされたその塔に、ニコルとアリアが首をかしげる。
 ニコルは何故?と、アリアは天空塔という名そのものに。
「メディウムの一族は天空塔で生活していたんだ。でもアリア一人であの塔を使うのは無理だろうな」
 二人の思案顔に、トリッシュが説明をくれる。ニコルは納得するが、やはりアリアには天空塔そのものがわからないので通じていない様子だ。
「兄さん…天空塔ってどこかの塔?」
「王城の上に浮いてる塔だ」
「…浮いてるの?」
 驚いて目を丸くするアリアに「そうだよ!」とフレイムローズが体を起こしてきた。
「空に溶け込んで見えにくいけど、目を凝らせば見えるんだよ!」
 明け方に自室の窓辺にいたニコルに遊んでもらおうと蔓を伸ばしてきたのも天空塔だ。
 天空高くに存在する、美しい塔。
「…創造つかない…落ちてきたら…」
「あはは、まさか!」
「落ちるなんてエル・フェアリアが滅亡してもありえないって。天空塔は塔自体が魔力を持った生物なんだからな」
 アリアの不安を笑い飛ばして再び簡単な説明をくれるが、簡単すぎてアリアがさらに困惑する。
「巨大な建物の形をした生き物なんだ。それが王城の上に浮いてる」
 見上げてくるアリアにもう少し天空塔についての知識を与えるが、想像もつかない様子だ。百聞は一見に如かずだ。実際に見せた方が早いだろう。
「時間が空いたら行ってみるか」
「そうしなよ!ニコルすっごく懐かれてるから、天空塔も喜ぶよ!」
「懐くんですか?…建物が?」
 目を丸くするアリアがまた仰ぎ見てくる。確かに懐かれてはいるが、別にニコルに限ったことではないのだが。
 天空塔には意思がある。
 幼子のような意思が一番身をすり寄せるのは王家の人間達だが、なぜかニコルにも無邪気に懐いていた。
 王城敷地内において平民という珍しい存在が気にいったのだろうとは、騎士達の見解だ。現にパージャも気に入られていた。
 メディウムが戻ったのだから、アリアも天空塔に懐かれるだろうねとフレイムローズに言われて、アリアが困惑したまま微笑んだ。
 恐らくどう返せばよいのかわからなかったのだろう。
「今からどうするの?また誰かに会うの?」
 足の治癒が再開されて数分経った頃に、ふとフレイムローズがニコルに訊ねてきた。
 アリアの謁見中はフレイムローズは深く眠っていたはずなので、今後の展開がわからないのだろう。
「主要な方々にはもう会ったからな。七
姫様達も朝に会いに来てくださったから、そろそろ落ち着くだろう」
「…すごく緊張しました」
 やや疲れた様子でアリアがため息をつく。長旅の後からすぐに見知らぬ高位の者達との謁見が延々と続いたのだ。体力も気力もかなりやられているだろう。
「あは、最初はねー。…後は慰霊祭の時だね」
「…そうだな」
 同情するように少し笑って、フレイムローズの表情が言葉の後半から曇った。
 慰霊祭。
 そのイベントは、ある意味苦行でしかないだろう。
「慰霊祭って半月後ですよね?」
 ニコルとフレイムローズの浮かない様子に、アリアはトリッシュに目を向ける。
「慰霊祭自体は気にしなくても大丈夫」
「え?」
 トリッシュも大体の事情は察しているので、視線を逸らしながら返していた。
 慰霊祭自体には問題など無いが、その前後が面倒なのだ。
「お父様にお願いしてみるよ」
「悪い。助かる」
 自分に出来ることはそれくらいしか無いよ、と申し訳なさそうに笑うフレイムローズに感謝しか浮かばない。
「…何かあるんですか?」
 アリアも不安げだ。
 妙に物々しい空気に陥る場に、トリッシュはわざとらしく声を張り上げた。
「貴族上位十四家の当主が勢揃い。その中で最上位のヴェルドゥーラ家は平民嫌いで有名なんだ」
「…平民嫌い?」
 最上位貴族、黄都領主バルナ・ヴェルドゥーラ。
 ニコルを毛嫌いする彼が、治癒魔術師とはいえアリアを素直に受け入れるとは思えない。
 彼にとって平民など、道端の雑草程度でしかないのだから。美しい庭園において駆除の対象となる、ただの雑草。
「大丈夫だよ。俺の家は第二位なんだけど、お父様は平民に酷く当たる人じゃないから」
「え…第二位?」
「うん!俺の本名フレイムローズ・アイリス・アイズ!俺は赤都領主アイリスの三男だよ」
 フレイムローズの出自の詳細を聞いて、アリアの顔色が蒼白く染まった。
「あ、あたしさっきから気安く話しかけてっ…」
「俺そっちの方がいいよ。かしこまられるの、距離を感じて嫌だもん」
 血の気を引かせたアリアに、さすがにフレイムローズが慌てる。そんなつもりで言ったのではないと、少し寂しげな様子を見せながら。
「…でも」
「せっかく同い年だし、アリアちゃんはニコルの妹だし、俺ニコル好きだもん!」
 慌てながらもニコルに対する好印象をストレートにぶつけてくれたフレイムローズに、アリアもわずかに表情を緩めた。
 出自を気にするような人間なら、最初から友好的には接してこない。フレイムローズの出自に最初こそ驚いたアリアもそこに気付いたのだろう。
「暇な時間にニコルの王城での暮らしっぷりを教えてあげるね!!」
「やめろ」
「是非!」
 ニコルとアリアの返答は同時だった。その息の合った様子に「さすが兄妹」と周りが笑うほどに。
「兄さん、あたしのことは根掘り葉掘り聞いたのに、自分のことは話してくれなかったね」
「…性分だ」
 根掘り葉掘りとは心外だが、返す言葉が見つからなくて目を逸らした。
 アリアが気にする様子を見せないことが唯一の救いだ。
「あ、俺そろそろ監視に戻らないと」
 しばらく笑ったり茶化したりと過ごしながら、魔術師達が時間を気にし始めたことに気付いてフレイムローズがアリアの手を止める。
「じゃあ夜に行きますね」
「ありがとー。でも無理な時はいいからね」
「任せてください」
 脱いでいた鉄布製のブーツを慣れた様子で履きながら、フレイムローズが子供のようにぴょんと立ち上がる。
 もう監視の時間が来たのだ。
 魔術師達も一人一人アリア達に頭を下げて、最後にフレイムローズがばいばいと手を降って。
 退室する一同を見送った後、最初に体を伸ばしたのはトリッシュだった。
「エルザ様との約束はまだ先だし…城内の案内とか?」
「だな。アリアの部屋の件も気になる」
 次の約束はエルザへの治癒魔術についての話し合いだが、まだ時間はある。
 無意識に心配していたアリアの部屋についての不安を口にしたニコルに、アリアが近い距離から首をかしげてきた。
「女子寮みたいな所?」
「…いや」
 思わず口ごもるニコルの背後から、助け船を出してくれたのはトリッシュ以外にはいない。
「それは後でのお楽しみ!城内を見に行こう!」
「はい!」
 トリッシュの明るい口調に、アリアも無条件に笑顔になる。
 それじゃあ自分達も部屋を出ようかと扉に向かう途中で、トリッシュはわずかにニコルの袖を引いた。
「嫌がらせ隠したいなら簡単に誤魔化せるようにならないと」
「…わかった」
 それはアリアを思うが故の、小さな嘘のつき方だった。

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 城内を簡単に案内しながら歩き回る内に、最初は色々と眺めたり質問したりと楽しそうにしていたアリアも次第に表情を強張らせていき、それはまさにニコルが初めて王城を案内された時の様子と瓜二つだった。
「…どこもかしこも広い…」
 独り言のようにポツリと呟いたセリフまで同じだ。
 王城は広い。見た目からして広いのに、案内されれば想像をはるかに越える広さと迷宮のような造りにに目が回る。場所によっては馬の足を借りるほどだ。
「最初は誰でも迷う。安心していい」
「それ安心って言わないよね…」
 不安を解消してやろうと励ましたつもりだったのに、アリアが返してくれたのは冷めたツッコミだけだった。ややうんざりした様子だが、ざっくりでも早めに覚えておいて損はないのだが。
 どうやってアリアのモチベーションを上げてやろうかと思考を巡らせていると、アリアを挟んだ反対側に立つトリッシュが何の気もなく迷う不安を解消してくれた。
「アリアは一人で出歩くことはまず無いから気にしなくていいさ」
「…ずっと護衛の誰かと一緒なんですか?」
「守るのが俺達の仕事だからな。どこの国でも治癒魔術師は終始護衛が付いてるって聞くし、王家の方々もそうだよ」
 トリッシュの説明にアリアは驚いているが、ニコルもそれを失念していたことに少し頭を抱えた。
 アリアを一人にさせるなんてまず有り得ないのに。
「お前は基本俺と行動だ」
「レイトルと二人には出来ないしなぁ」
 失念していたことを隠すように当たり前のように宣言するニコルの言葉に、面白がりながらトリッシュが昨日のレイトルの失言をぶり返した。
 とたんにアリアが顔を真っ赤にして俯く。何てことを思い出させるのだ。
「…昨日はどうかしてたんだろう。いつもはあんな奴じゃないからな。安心しろ」
「君、胸どうなってるの!?ってな」
「やめろ!」
 この話は終わりだと切ろうとしても、面白がるトリッシュはやめようとしない。どうやらアリアよりも妹を庇うニコルをからかっている様子だが。
「…やっぱり気持ち悪いですよね…」
「…いやいや、そんなこと無いよ!!」
 本気で落ち込むアリアに気付いてようやく慌て始めた。
 今更遅いと強く睨めば、トリッシュはわずかに怯んでからフォローに走り出す。
「…あ、ほら、アリアは女性にしては背も高いしちょうどいい!」
「一応そこも気にしてます」
 だが最早何を言っても泥沼だろう。
「…ごめんなさい」
 素直に謝ったトリッシュを見て、ニコルはようやく彼を睨み付けるのをやめる。
「父さんも母さんも俺もでかいから遺伝だ。仕方ない」
 母も背は高かった。背が高ければ良くも悪くも目立つが、遺伝ならば仕方無いだろう。
「…エルザ様可愛かったなぁ…同い年なんて信じられない」
 諦めがついたのか、ため息をひとつついたアリアが空を眺めながらエルザを思い浮かべる。
 エルザの美しさは規格外なので誰であれ比べるなどまず不可能なのだが、同い年だと思うところもあるのだろう。
「…エルザ様はご結婚されないのかな?」
 そして、単純かつ重い話題を浮かばせてくる。
「他国からの人気が高すぎて御相手が決まらないままだったんだ。治癒魔術師の道を選んだのも、他国に遠慮してって話だな」
「そうなんですか」
 トリッシュがいてくれて良かった。
 もしアリアと二人きりの時にこの話題が出ていたら、ニコルには上手く切り返せる自信はない。
 もちろんトリッシュはエルザのもう一つの理由を知りはしないが。
「好きな人と一緒になれるのが一番幸せなんだろうけど、王族に生まれたらまず無理だよな。貴族でさえ上位とかは政略結婚がまだ多いのに」
 エル・フェアリアでは王族や上位貴族達はまず恋愛結婚など不可能だと言われている。
 婚約者が決まって、ようやくその相手と愛を育む以外には許されてはいない。愛人を持つ者もいるが、エル・フェアリアは男も女も気の強い者が多い。結局は破滅に通じるだけだ。
 それに王族のスキャンダルほど国を揺るがすものは無い。
 跡継ぎ問題に始まり、果ては同盟国同士の戦争にまで繋がった歴史を持つ国もあるのだから。
「アリアは相手は?19ならもう恋人くらいいるだろ?」
「っ…」
 本当に何も考えていなかったのか、トリッシュは口を滑らせた。
 途端に強張るアリアを怪訝に思っているらしいので、完全に忘れているみたいだ。
「…話したろ」
 わずかに小突けば、ようやく思い出した様子で。
「…………ぁ…ごめん…」
 アリアを裏切った元婚約者の件についてはアリアがまだ王城に向かっている旅の間に関係者には話されており、アリアがいる場では口にしない約束になっていたのだが。
「…いえ。もう気にしないことにしたんで」
 表情を強張らせはしたが、アリアはすぐに笑ってみせてくれる。しかし無理をしているのが目に見えていた。
「王城で探せばいい!俺は婚約してるから無理だけど」
「何ですかそれ。でも、正直もういいかなって」
「え?いや駄目だって」
 結婚など考えたくない。暗にそう告げたアリアに、トリッシュは今までの適当具合をかなぐり捨てて真剣な様子でアリアに詰め寄った。
「治癒魔術師の力を後世に残さないといけないんだから。もし相手が見つからなかったら、国が動いて相手探しだってあるぞ」
「…ほんとですか?」
 驚いて目を見開くアリアの隣で、ニコルは唇を噛む。
 モーティシアから聞かされていた事ではあるが、何も今伝える必要など無いはずだ。
「そんなの…聞いてません…」
「治癒魔術師の価値を考えればそうなるんだ。だからアリアが来る前に魔術師団長が婚約者の有無を聞いてたんだよ。…俺は忘れてたけど」
 完全に俯いてしまったアリアから目を離して、トリッシュはニコルにも照準を合わせた。
「下手すればニコルの相手も国が決めるかもよ?男だから治癒魔力を受け継がなかったけど、その子供はわからないからな。二人とも覚悟しておかないと。好きなやつがいるなら早めに動いたら?」
「そんな…兄さんも?」
「…俺も?」
 まさか自分まで。
 考えてもいなかった事実に言葉が詰まる。
 馬鹿な話はやめておけと鼻で笑える内容でないことはわかっている。
 以前受けた検査の際にコウェルズから聞かされた身辺調査の件から見ても、国が動くことなど簡単なのだろう。
「まぁニコルはまだ数年は大丈夫だろうけど、アリアはどうかな?」
「おい、不安がらせるな」
「想定外の事を突然言われるよりマシだろ?お前今からこいつと夫婦な、とか嫌だろ」
 よく考えろよ、と続けるトリッシュに、アリアも小さく頷いて。
 ここまで縛られるのか。他人と違う能力を持つというだけで。
「ニコルなら相手いそうなもんだけど。こそっと逢い引きしてる恋人とかいないのか?」
「…いるわけないだろ…アリアの前で変なこと聞くな」
「固いなぁ…まあ二人共これは真剣に考えておいた方がいいからな」
 魔術師としての本能からか、トリッシュの様子がまるで初めてモーティシアに会った時のような妙な雰囲気になる。
 まだトリッシュの方が柔軟性があるが、まるで人を物のように。
 若干気まずくなってしまった空気を破壊したのは、どこからともなく現れたパージャだった。
「--ぅおっと!懐かしくも恐ろしい顔発見!お隣は今話題の妹ちゃんかな?」
 何やら辺りをキョロキョロと見回しつつ現れた彼は、ニコルを見つけるや否や嬉しそうにすり寄ってくる。
「…パージャ?ここで何をしてるんだ」
「ガウェさんより先にエルザ様のトコに行こうとしたら迷ったとさ。このまま知り合いに会えなくて餓死ったらどうしようかと考えてたトコだとさ。ニコルどんに会えて超感激。運命じゃん。送ってって」
「…お前な…」
 いつもと変わりない調子に思わず脱力してしまう。今はその雰囲気に助かったのだが、調子づかせるだけなので口にはしないでいると、目敏くアリアに近付いてパージャがまじまじとアリアの全身を眺め始めた。
 いらやしさなどは無いが、その堂々とした態度にアリアが一歩引いている。
「おい、あんま近付くな」
「ひど!取って食うんじゃないんだから。あんたがアリアだろ?俺はパージャ。あんたと同じく平民の新米騎士。よろしくねー」
 アリアの肩を抱くようにパージャとの間に割って入っても、お構いなしにニコルの肩から顔を出してアリアを眺める始末だ。
「引っ付くな気持ち悪い!」
「…宜しくお願いします」
 ニコルとアリアの言葉が被る。
 その様子を「兄妹兄妹」などとからかいながら、パージャは次にトリッシュに目を向けた。
「あなた様はー?」
「…治癒魔術師の護衛に選ばれた魔術師団のトリッシュ・サンドマンと申します。宜しくお願いします」
「宜しくお願いしまーす」
 パージャの毒気に当てられてこちらも引いてしまっている。
 二人目の平民騎士の奇行は魔術師団でも知られているのは知っているが、実際にパージャの行為動作を目の当たりにしてしまっては仕方無い。ニコルも初めはペースを崩されっぱなしだったのだから。
「んでさ、送ってってくれるよね?ニコルお兄ちゃん?」
「てめえ…」
「やぁーだぁー、怒っちゃうのだめぇー」
 クソ腹が立つ。
 だがここでパージャのペースに乗せられたら終わりだ。ニコルは落ち着くためにため息をひとつつき、未だに肩を組んでくるパージャを無理矢理ひっぺかした。
「…一緒に来い」
「ラッキー。もしかしてエルザ様のお勉強でもある?」
「…そうだ」
 エルザが治癒魔術の修行を始めた事は既に知れ渡っていることだ。だかパージャは以前ニコルが酷くエルザを泣かせた時に居合わせていたので、わずかだが返答までに時間がかかってしまった。
 どうして自分はこうも不器用なのかと嫌気が差す。
「…ふーん。どうでもいいけど兄妹なのに似てないね」
 その様子を汲み取ったのか、パージャは話題を逸らした。この柔軟さが羨ましいと思うが、なぜかアリアがわずかに固まった。
「…ア」
「そうですか?似てるって言われてますけど」
 どうしたのか訊ねようとするが、遮るようにアリアが早口に告げる。
 再会できたのは昨日の事だし、容姿に対しては似てるも似てないもわざわざ言われてはいないのだが。
「図体のデカさと髪の色は似てる」
 さくっとアリアの気にしている部分を上げ、わざとらしくアリアの身長が自分の顔のどの位置まであるのか手で計って。
「ケンカ売ってんなら俺が買うぞ」
「残念ながら非売品です」
 ニコルの静かな怒りの口調にサッと反応して、離れる様子もいつも通りだ。
「…口の減らない」
「いーじゃんかなりの美人だし。文句無いって。ね」
「え、あ、はい」
 突然話題をふられてトリッシュが慌てる。
「こいつに敬語使う必要無いぞ」
 パージャを調子に乗らせるだけだからと注意するように告げれば、トリッシュは曖昧な笑顔を浮かべるだけに留めた。
「俺はアリアには使わないでいいんだよねー。ちょー楽。俺も治癒魔術師の護衛部隊に入れてもらおっかな?」
「いらん。足りてる」
「ちぇー」
 行くぞ、とエルザとの約束の場所に向かいながら、パージャはわざとらしく最後尾についた。
 またフラフラとどこかに行くのではないかと最初は心配したが、よく考えればここでパージャが離脱しようが知るものかと考えを改める。
「--…ねえ、何でファントムって噂を流すんすかね?」
 王城をアリアに案内しながら歩く途中で、ふとパージャはそんなことを訊ねてきた。
「…何だ急に」
 ファントムの噂が停滞しているとは昨夜ガウェから聞いた。
 ファントムの件からは外されている治癒魔術師護衛部隊には、わざわざ誰かに訊ねなければファントム対策がどう進行しているのかわからない事を、パージャが知らないはずがないだろうに。
 そもそもファントムが噂から始まるという事も、根本から考えようなどしたことも無い。
「だってそうでしょ?わざわざ噂を流して強奪対象を伝えてから盗っちゃうなんて。誰からも忘れ去られてたような宝具なら、言わずに盗れば誰も気づかないまま済んだじゃんか」
「…確かにそうだが」
 目立ちたいのか、自分の力を見せつけたいのか。
 いずれにせよ、対策が練れるならそれでいい。今狙われているのは姫なのだから。
「何か伝えたい事があるのかな?」
 パージャが浮かべる妖艶な笑みに、背筋が粟立った。まるで何かを知っているとでも言い出しそうな様子に、わざと背を向ける。
 パージャといるといつも調子が狂う。
 違和感でないものが違和感になり、本来違和感であるものが--
 そこまで考えて、ニコルは思考を遮断した。
 頭が痛くなる。
 パージャといると、あの謎めいた名前を思い出す。
 以前、城内の見回りでパージャがニコルに向かって放った謎の名前が。

--インフィニートリベルタ--

 それが名前であることをニコルは知っている。
 だが誰の、何の名前なのか。
 わからないまま、時間だけが過ぎていくのだ。


第15話 終
 
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