第15話
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兵舎内周の二つの棟を繋ぐ渡り廊下から、その様子はばっちりと確認できた。
じきにエルザの護衛に立つ時間なので、ガウェはパージャと共に王城に向かおうとしていた所で凄まじい金属音が響き渡ったのだ。
音のする訓練場を眺めれば、ルードヴィッヒがスカイ相手に激しく攻防を繰り広げているところだった。
団長式強化訓練と銘打たれたそれは、王族付き必須の訓練科目にして誰もが嫌うトラウマ訓練のひとつだ。
だというのにルードヴィッヒは嬉しそうに表情を輝かせている。
しかし技量がルードヴィッヒの高い意識についてこれずに十数秒で魔具達は消えてしまい、また一から訓練が始まる。
ルードヴィッヒの体は遠目から見ても満身創痍だ。
「あーあ、はりきっちゃって。可愛いったらないね」
パージャはからかうようにルードヴィッヒを眺めている。ガウェの方は興味の無いふりを装いつつ、元気を取り戻したらしいルードヴィッヒの姿を見られて安堵していた。
ルードヴィッヒの助けになりたいと思いながらもガウェが出来たことは心配することだけだった。結局何の力にもなれていない。
「そういやニコルさんの妹さん、昨日おふたりの部屋に泊まったんでしょ?どんな子なんすか?」
歩みを再開しながら、たった今思い付いたとても言いたげにわざとらしくパージャが後ろ歩きをしながらガウェに訊ねてくる。
アリアがどんな娘かなど話もしていないのでわかるわけがないのに、パージャで数人目だ。ニコルが自室でアリアを休めたことが原因なのだが。
「さあな」
「えー?話してないんすかぁ?」
「ああ」
隠す必要もないので正直に教えてやれば、不満顔を遠慮もなくぶつけてくれる。
知りもしないのにどうしろというのだ。
「なーんか、いろんな所でおっぱいおっぱいって聞くんだけど?」
下品な質問には無視を決め込んで。
自分が昨日ニコルの目の前で眠るアリアの胸の大きさを確認しようとしたことは棚上げだ。
純粋な興味であって下心など一切無いのだから。
アリアについてひと言も語ろうとしないガウェをどう見たのか、パージャはなおも器用に後ろ歩きを続けながら身振り手振りで胸の大きさを形作ってくる。
「でかかったらいいってもんじゃないっすもんね?俺的にはささやか程度が好きっすかね。育てがいがありそうなのが。ガウェさんは?」
「無駄口に付き合う義理はない。行くぞ」
ガウェが親しくする仲間達はガウェが無言でいれば向こうから理解して話を切ってくれるが、パージャは延々と会話を求めてくる。
面倒臭いことこの上無いが暗に黙れと告げれば、パージャはむっくりと頬を膨らませた。そして。
「…つまらない。あぁでもガウェさんも無い胸派かな?リーン様って育つ前でしたっけ?」
ガウェの唯一を汚す言葉に、体が勝手に魔具を生み出してパージャの首に切っ先を当てていた。
本来ならバラ鞭の役割を果たす拷問用の魔具だが、九尾に別れた棘の鞭を魔力で一本の太い束に纏めているので、太さと見た目の猟奇さは凄惨なレベルだ。
ガウェが特に気に入るその魔具を首筋に当てがわれているというのに、パージャはニタリと嬉しそうに笑う。
「--こうでなくちゃ--」
まるでこうなることを望んでいたかのような様子に、背筋を震わせたのは武器を持ったはずのガウェだった。
「ねえ?あんたも前に進もうとしてるみたいだけどさあ?」
まるで傷付いた野良猫をあやすように、パージャは優しく語りかけてくる。
「ほんとにいいわけ?リーン様を置き去りにして進んじゃうわけ?」
「黙れ。お前の戯れ言に興味は無い」
違う。
置き去りになどしない。
ただ少しの間だけ、待っていてもらうだけだ。ガウェが果たすべき責務を終わらせるまで。なのに。
「恨みは消えたわけ?」
まるで全てを理解しているかのように、パージャは問うた。
消えただと?
消えるはずがないだろうが。
ガウェにとっての唯一が死んだというのに。
苛立ちが喉に詰まって言葉にならない。
黙らせようと切っ先を首にわずかにめり込ませたというのに、パージャは黙ろうとしなかった。
「…あぁ、そっか、違うか。飲み込んで、クソと一緒に出てったんだ。あんたの恨みはその程度にまで消えたから。さすがに出てった恨みをクソごともっかい喰えねぇわな。御貴族様なら」
理性が飛ぶ。
その一瞬早く、パージャが一歩前に進み出た。
それはすなわち、棘に満たされた魔具がパージャの皮膚を突き破るということで。
パージャの首の肉を、筋を、血管を。
ぶちぶちと棘に引っかかり千切れていく嫌な感触が魔具を通してガウェの手のひらから全身に広がる。
それはかつて幼いガウェが初めて人を殺した感覚に似ているというのに、あまりにも違いすぎる。
「!?」
やがて魔具がパージャの首を貫通し、ガウェの顔に手の届く範囲まで近付いたパージャは、ガウェの右頬の傷を隠すように長く延びた前髪を遠慮もなくはたき、醜く存在する傷を晒した。
「あんたはこっち側の人間なんだよ…どう足掻いても、な」
パージャが言葉を発する度に、コポコポと嫌な音と共に口から血が滴る。
貫通した首の傷からは血が止めようもないほど溢れてパージャの服を汚すのに、当の本人は痛がる素振りも見せない。
いや、痛がるなどぬるい。
絶叫を上げるはずだ。違う、死んでいてもおかしくないはずだ。
なのに、なぜ生きている?
あまりに信じがたい光景に身動き一つ取れずに固まるガウェの前で、パージャは束ねられたバラ鞭の魔具にそっと右手の甲を当てる。
そして自分の首が千切れることもいとわずに横にはじき、強く肉を引き千切る感触をガウェに与えながら魔具を飛ばした。
魔具は床に落ちるより先に霧となり消えていく。
そして未だに動けないでいるガウェの目の前で、パージャの傷が再生した。
辺りに撒き散らされた真っ赤な血が魔力のように霧状化して浮かび上がり、パージャの体内に戻っていく。
ミンチになった首の肉すらも、いとも簡単に元通りに再生して。
「っ…」
「言ったでしょー?俺は死なないよ。死ねないの」
まるで何事もなかったかのように、無傷のパージャが立っていた。
動揺するガウェの肩をポンポンと軽く叩いて、パージャが先へと歩き去ってしまう。
いったい何が起きたというのだ?
辺りには何の痕跡も見当たらず、まるで白昼夢を見せつけられたかの様だが、あれは確かに現実だった。
冷や汗を浮かべるガウェがパージャに視線を合わせようとした時には既に、奇妙な彼の姿はもうどこにも見当たらなかった。
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