第15話
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停滞するファントムの噂に、城内には次第にただの悪戯なのだろうという思いが立ち込め始めていた。
勿論そうであってほしいとは誰もが願うところだが、気を抜く者が出始めたことに苛立ちを隠せるほど老いた騎士団長は甘くはなかった。
「--っ…」
一日の中で最も気温が高くなる時間帯、訓練場に人体を叩き潰すかのような物凄い音が響き渡り、それを眺めていたルードヴィッヒは音が発されると同時に強く目を閉じた。
見ていてこちらの体がバラバラに砕けるような気分になる。
ルードヴィッヒはスカイに訓練を課されていたが、少し離れた場所で団長のクルーガーが十数名の騎士達を集めて問答無用の戦闘訓練を行い始めたのだ。
「次!」
「っ、は、はい!」
投げ飛ばされた騎士を放置して、クルーガーが次の騎士を呼ぶ。
殺気立った団長を前に、騎士達は全員戦意を喪失してしまっている。あれでは訓練になどならない。一方的な暴力だった。
それを見ながら悔しいと思うルードヴィッヒはおかしいだろうか?
あんなやる気の見えない騎士達に訓練を課すなら、自分達王族付き候補を呼んでくれたらいいのに。
ルードヴィッヒなら投げ飛ばされようが踏みつけられようが、クルーガーの扱きに食らい付いて離さない自信がある。
スカイやニコル、他の暴力的な教官にみっちり扱かれて、何度でも立ち上がる根性ばかりついてしまったのだから。
そしてレイトルが教えてくれた魔具訓練の方法も。
「荒れてるなぁー」
ルードヴィッヒと同じ様にクルーガーの訓練を眺めていたスカイが、妙に嬉しそうに呟いた。
「…どうして嬉しそうなんですか…」
「今投げ飛ばされてるのが、気を抜きまくってた奴らだからだ」
気を抜きまくってた奴らとはつまり、ファントムの噂を悪戯と決め付けて警護を疎かにしていた騎士達の事だ。
ルードヴィッヒも感じていた、城内の空気が緩まる気配。
王族付きが未だに神経を張り巡らせる中で、彼らの怠惰な姿は苛立ちばかりを沸き上がらせた。
「治癒魔術師も来たんだ。大手をふって全力で訓練できるってもんだろ。怪我させ放題だからな。騎士を辞める奴も出てくるな、これは」
「…もうお年なのに…大丈夫なのでしょうか?」
あまりに激しい訓練に心配になるが、大丈夫だとスカイは笑う。
「クルーガー団長は止まったら死ぬタイプの人間だ。あれくらい朝飯前だろ。さぁ、お前の訓練も始めるぞ」
「宜しくお願いします!」
ひとしきり投げ飛ばされていく騎士達を眺めてから、スカイが訓練の再開を告げてくれて俄然やる気が湧いた。
クルーガーがいるのだ。ルードヴィッヒの訓練を見て興味を持ってもらいたい。
強くなりたいのだ。今すぐに、誰にも負けないほどの強さを。
「…レイトルから良い訓練方法を教えてもらったみたいだな」
ふとスカイが頭を撫でるようにカチューシャに触ってきて、ルードヴィッヒは思わず目を閉じた。
ルードヴィッヒの魔具で作られたカチューシャは最初のシンプルな作りとは違い、まるで本物の髪飾りのように美しい細工になっている。
前髪を上げることで視界が開けることに気付いたルードヴィッヒは自身の訓練にカチューシャをベースにした髪留めを採用し、気が抜けて魔具が消えてしまう度に戒めのように細工を施していったのだ。
髪をパージャのように高い位置で結わえ、髪留めと耳朶を細い魔具の鎖で繋いだ。ピアス穴を開けたのは数日前で、完全に若気の至りだが後悔はしていない。
少女のような容姿も加わって、見た目だけなら派手な装いが好きな女の子になったルードヴィッヒだが、王城騎士の一部には笑われるようになったが、王族付き達からは苦笑交じりではあるが感心されるようになった。
ルードヴィッヒの頭部を飾るそれらは全てルードヴィッヒの魔具で出来ているからだ。ルードヴィッヒが気を抜けば情け容赦なく全て消え失せる。
そして魔具を発動するにも細工が美しくて、それだけでどれほどの神経と魔力を消費するか、見る者にはわかるのだ。
誉められるのはやはり嬉しい。女のようだと笑う者達は、見る目の無い馬鹿だから気にする必要もない。
「…寝てる時もか?それ」
「意識するようにしています。まだ慣れなくてすぐに消えてしまいますが」
睡眠中はさすがに魔具も消えてしまうが、レイトルは睡眠中ですら魔具を保ち続けたという。
レイトルのお陰で魔具発動にも自信がついてきたところだ。後は睡眠中の維持くらいか。
魔力の質は良いと言われ続けてきた。
ルードヴィッヒは要領を掴めていなかっただっただけで、基本はガウェ達と同じ天才型だったのだ。
「“候補”の奴らにも教えたらしいな。全員何かしら身に付けてたぞ。まだお前ほどじゃないがな」
「早く王族付きになりたいので!」
堂々と宣言するルードヴィッヒに、スカイがニヤリと何か企んでいるような表情を見せる。
「なら、お前達の上達が楽しみだ」
スカイはたった一瞬で魔具の槍を生み出し、槍の先をクルーガーに投げ飛ばされている騎士達に向けた。
そのあまりの早さに目を見開く。発動スピードはやはりまだまだルードヴィッヒは王族付き達には敵わないと見せつけられた気分だ。
「あいつらとお前の違いがわかるな?」
情けなく投げ飛ばされて地に伏す奴らと、ルードヴィッヒと。
「…はい!」
彼らを視界に入れながら、ルードヴィッヒは強く頷いた。
違いならとっくに気付いている。むしろ一緒にしてほしくない。
ルードヴィッヒと彼らでは、あまりに意識が違いすぎた。王族付きになりたい。だがそれ以上に強くなりたい。それこそが。
「…それでいい。お前は必ず王族付きに任命される。…だから」
ルードヴィッヒの目の前で、スカイの魔力の霧が深く広がる。
それは形を成し、全てルードヴィッヒに矛先を合わせて。
ごくりと息を飲むルードヴィッヒの前で、スカイは己の魔具を、手も触れずに操っていた。
「--魔具を全て出せ」
それを知っている。
以前ニコルとパージャが行っていた最悪の訓練だ。
初めて見たときは驚きと恐怖しかなかった。
あんな訓練、死んでしまうと。
だが、今は…
ひきつりながらも嬉しそうに笑う自分がいる。
そう、嬉しいのだ。
スカイが認めてくれた。
高揚感で心臓が爆発しそうだった。
冷や汗が浮かぶのに、体が歓喜に震えている。
ようやくパージャに近付いた。
ようやく強くなりつつあると実感出来た。
クルーガーのいる場でそれを行うのも嬉しい。
髪飾りの魔具を嘲笑った騎士達の前で披露するのが嬉しい。
自分はこんなに目立ちたがりの性格だっただろうか?
いや、違う。
何もかもがルードヴィッヒの闘争本能に火をつけるのだ。
エル・フェアリアの騎士としての本能に。
スカイに続くようにルードヴィッヒも己の魔具を発動させる。
まだスカイのように上手くは行かない。それでも、ひとつひとつ確認しながら。
レイトルの教えてくれた訓練のおかげでコツは掴めた。
時間は少しかかったが、ルードヴィッヒはスカイと同じ様に大量の魔具を発動させた。
手に触れず、浮かせて切っ先をスカイに合わせて。
訓練場の視線が自分達に向かってくるのがわかる。
--見てろ。
指をくわえて、ルードヴィッヒの凄まじい成長スピードを。
わずかの間、空気そのものが止まるように辺りが静寂に包まれて。
「---っ!!」
ルードヴィッヒにとって最高の訓練が始まった。
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