第14話
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雲ひとつ無い星空が広がる中に、わずかに蠢く物を見つける。
夜空を見上げながら、ニコルは静かなアリアの寝息を聞いていた。
部屋に運んで暫くしてから聞こえてきた寝息に安堵して、それからずっと窓の外を眺めていたのだ。
長旅でひどく疲れていたはずなのに、休むことなく王城で働く政務官や大臣などに会わされた挙げ句に王族の姫の師となれと告げられて、目を回さないほうがおかしいだろう。
今はゆっくり休めばいい。ようやく再会出来たのだから。
ニコルも、アリアが王都に到着するまで気を張り続けた。こんな形での再会を後悔しながら、しかし今回の件が無ければアリアとは会えず仕舞いだった可能性に眉をひそめる。
自分はあまりにも無知だった。そしてそれを恥ずかしげもなく他人のせいにして。
モーティシアから読めと渡された本は五冊。いずれもテーブルの上に置いているが、今は読む気にはなれない。
このまま、アリアが目覚めるまでぼーっと窓から外を眺めているのだろうか。そんなことを考えながらいると、ふと部屋の扉が静かに開いて同室のガウェが戻ってきた。
入浴後らしく濡れた髪から雫を滴らせながら、ガウェは窓際のニコルを目に映してから、ニコルのベッドで眠るアリアに気付く。
「…早速嫌がらせがあったらしいな」
どこまで知っているのかはわからないが、アリアの寝顔を覗き込みながら夕方の出来事を口にされた。
数日前に侍女達から部屋を用意をすると告げられ、その数時間後には魔術師団が用意したと聞かされて、確認もせず馬鹿正直に信じたのはニコル達だ。
侍女達は信じない。それが今日ニコルが学んだ事だった。
「客室を借りればよかっただろう」
「アリアはもう魔術師団に加わったんだ。特別扱いなんか出来ない」
アリアの寝顔どころか何やら掛け布団を捲ろうとしているガウェの手を急いで止めながら、コウェルズにも提案された客室を却下した理由を教える。
「固いな」
「…平民が客室を使ってみろ。それだけで侍女達の餌食だ。俺がいない所で何を言われるか」
出会う前からこんな仕打ちを味わわされるなど。
アリアが何をしたというのだ。平民だから嫌うのか。男達の中に女が一人交じるから僻むのか。誰ひとり、アリアと仲良くしようと思うものはいないのか。
「…侍女全員がそうだとは言わない…だがこればかりは、アリアが自分で信頼できる奴を探すしかない」
女社会がどんなものか、詳しいことはニコルも知らない。
陰湿な苛めがあるというなら、それは男社会にもあったものだ。
その中でニコルは自分なりに回避方法を模索しながら、心強い仲間を得た。アリアもそうなってくれればと願わずにはいられない。
布団を捲る行為を阻止されたガウェはつまらないとでも言いたげに自分のベッドに腰掛けながら、おい、とあることを問うてきた。
「…メディウムという一族を知っているか?」
「いや…貴族か?」
聞いたこともない名前だったが、以前ヴァルツがその名を口にしていたことを思い出す。
貴族の家名のようだが、少なくとも騎士団の中でそんな家名を聞いたことはない。と言ってもニコルが知る貴族の家名などわずかだけだが。
「かつてエル・フェアリアにいた治癒魔術師達の呼び名だ」
知らないことを咎めもせずに教えてくれるガウェは、モーティシアとは違い、知らないニコルが悪いとは言わないのだろう。
「昔は巫女とも呼ばれていたらしい。エル・フェアリアでは女しか治癒魔術を生まれつき持つものはいなかったそうだからな」
「…それがどうかしたのか?」
「お前達の母親はメディウムだったのではないか?」
疑問を投げ掛けられているはずなのに、ガウェの瞳は確信を帯びている。
「…まさか」
「魔術師団長はそう確信しているようだ」
「そんな話…親からは一度も」
母が昔はエル・フェアリアの中心部にいたことは知っている。だが王城にいたなどという話は聞いたこともない。
ましてやメディウムなど知らないし、そんな素振りも見せなかったはずだ。
「何らかの理由で城を出たんだ、隠したかったんだろう」
モーティシアから渡された五冊のうちの一冊に、そのようなことが書かれていなかったか。
今から36年前に治癒魔術を操る者達が忽然と行方を眩ませたと。
36年前なら、母はまだ10歳前後のはずだ。
「もしお前達の母親がメディウムだったなら…平民であることに負い目を感じる必要は無くなる」
「…何でだよ」
「本来ならお前達は王城で生まれ育つはずだったからだ」
まるでそれが当然であるかのような口調に、ニコルはすぐに反論出来なかった。
自分とアリアが王城で生まれ育つはずだったなど、想像出来ないにも程がある。なんの冗談だと鼻で笑えそうだ。
「調べればわかることだ。やるか?」
「…いや、いい。…母がメディウムだったとして…母が城に居続ける事を選んでいたら父とは会わなかった。父と会わなければ、俺達も生まれてこなかっただろ」
そうだ。自分達には母だけでなく父もいるのだ。父が平民であることは確かなのだから。
「…あとな」
アリアの布団をかけ直してやりながら、ニコルは先程のガウェの発言を否定した。
「俺は平民として生まれたことに負い目なんか感じたことはないからな」
「…そうか」
「当たり前だろう」
平民として生まれ育った自分を蔑んでいるのはあくまでも周りだ。ニコル自身は母や父をとても尊敬しているのだから。
血の繋がりのある父親に対してはあまり良い印象は無いが、育ての父はニコルにあらゆることを教えてくれた。
特に父が教えてくれた剣術はニコルの中で生き続け、今や騎士団の中でニコルの右に出る者はいない。
「じゃあ最後に、忠告しておいてやる」
ニコルの発言が面白かったのかニヤリと笑いながら、ガウェは楽しむようにアリアを見据えた。
「…なんだよ」
「城内の野郎共は治癒魔術師と言うよりも巨乳の美女が来たと浮かれ気味だ」
先程アリアの布団を捲ろうとしていたのは胸の大きさを確認したかったということか。
ガウェを睨み付けながらも思い出すのは謁見中の出来事だ。
大半の政務官はアリアを純粋に祝福してくれた。見目は良い方だし笑顔も上手く出せていたので第一印象は良い方だったろう。
だが中に数名、アリアの体を舐めるように品定めする輩もいた。だぼついた衣服だが、体のラインは完全には消せない。
無駄にアリアにベタベタと触り、何度も胸を確かめようとする者からアリアを庇うニコル達騎士の後ろでは、モーティシア達はブラックリストを作っていたのだから。
政務棟にもよく出入りする魔術師団は、女好きの政務官や大臣はすでに調べていたらしい。
「平民相手なら尊大な態度で接する者もいるだろう。目立たない服を選んでやれ」
「わかってる!!」
思わず怒鳴って、慌ててアリアを見る。ニコルの声にわずかにぐずったが、そのまま眠り続けてくれて安堵した。
後ろではガウェが小さく笑っており、その様子が腹立たしくてもう一度睨み付けた。
「…ファントムの噂はどうなってるんだよ?」
そしてニコル達は外されたファントムの件について訊ねれば、ようやく真面目くさった顔になって。
「…何も」
ファントムの噂は、姫が狙われていると流れて以来何も変わりがない。
「まるで何かを待っているみたいに静かだ」
いっそ悪戯として終わってくれたなら。
そんな願いを込めるようにガウェが窓の外を眺めるのを見ながら、ニコルもこれ以上の問題が発生しないことを願った。
第14話 終