第14話
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その日、長くエル・フェアリアから姿を消していた治癒魔術師は王城に舞い戻った。
伝達鳥は治癒魔術師の再来を各都市に伝えに向かい、主要な王国からは祝いの言葉が贈られた。
アリアは長旅の疲れを見せることなく訪れる謁見を済ませ、多くの祝福の言葉に緊張して強張りながらも笑顔を見せていた。
しかし中にはおかしな輩もおり、好奇の視線に時々困ったような表情を浮かべはしたが、護衛隊が目を光らせれば後ろめたいと感じた者はすぐに立ち去っていった。
夕食が始まりそうな頃、ニコル達は現れた青年に今までとは違う完全な礼儀を見せて迎えた。
「--ようやく私達の番が回ってきたよ」
その青年を見たとたんにアリアが驚いたように目を見開く。
王子とは初めて会ったはずなのに、まるで知人が現れて驚く様だった。
「コウェルズ様、わざわざ来ていただかなくても我々から向かいましたのに」
「そんなことをしてたら日が暮れてしまうよ。城内はアリア嬢の話で持ちきりだからね」
モーティシアが申し訳なさそうに頭を下げているのを見やりながら、ニコルは首をかしげているアリアに小さく耳打ちをした。
「エル・フェアリア王家の第一王子コウェルズ様だ」
「お、王子様!?」
せっかく小声で教えたのに、驚いたアリアの大声が台無しにする。
あ、と慌てて口を押さえても時すでに遅しで、扉の近くに立っていた護衛の二人が俯いて笑いを堪えていた。
コウェルズは気にする素振りは見せずにアリアに近付くと、流れるようにしなやかにアリアの手を取り、甲に軽く口付けた。
「初めまして。お会いできる日を心待ちにしていました」
「お、お目にかかれて光栄ですっ!!あ、アリアと申しますっ」
「緊張しなくていいよ。楽にしていて」
「は、はいっ!!」
突然の行為にいっぱいいっぱいになった様子で、アリアの顔が真っ赤に染まり、視線が泳ぎまくっている。
--絶対に面白がってるな…
いくら優雅に見せてもコウェルズの性格を熟知している騎士達は、心の中でそう確信していた。
「お前も何であれくらいスマートに出来ないかな」
「煩い…」
後ろではセクトルが小声でレイトルを責めており、馬上での出来事を掘り起こされてレイトルは俯き、モーティシア達は仕方無いとばかりに少し笑う。
二人はクルーガーの血を兵装で拭って汚した為に、騎士兵装に着替え直していた。
「おや、何か面白いことでもあった?」
さっそく目を輝かせたコウェルズに「気になさらないでください!」と返したのもレイトルだ。
そんな言い方をしたらもっと興味を持たれて後で必ず知られることになるのに。案の定嬉しそうに笑いながらコウェルズはレイトルを見て、今はとりあえずその話は置いておくとでも言うように話題を逸らした。
「みんな今日は色々ありすぎて疲れているはずだよ。私が来たからには、もう他の面会人も今日のところは諦めるだろうし、後はゆっくり休めばいい」
「お心遣い感謝します」
「あ、ありがとうございます…」
護衛部隊を代表するように礼を述べるモーティシアにつられたのかアリアも頭を下げる。その様子を見ながら、コウェルズはクスクスと笑った。
「可愛らしい人だね。兄として守りたくなる理由がよくわかるよ」
「コウェルズ様…」
冷やかすような口調にニコルもわずかに俯く。アリア絡みで暴走しまくったこのひと月は、アリアを除く全員の知るところだ。
「アリア。君に今日最後に会っていてほしい人がいるのだけれど、いいかな?」
「は、はい」
そしてようやく本題に入るかのように訊ねたコウェルズが、扉の前にいる騎士に合図を送って扉を開かせた。
「エルザ、入っておいで」
まるで入ることを躊躇う子猫を呼び寄せるような口調で、コウェルズは二番目の妹の名を呼ぶ。
アリアと同い年のエルザは中の様子を窺うように少し顔を覗かせると、ニコルの姿を見つけてはにかんだ笑顔を浮かべた。
「…お姫様」
そのあまりの愛らしさと美しさに、アリアが見入りながら感嘆のため息を漏らす。
落ち着いた様子で近付くエルザだが、今すぐにでもアリアに質問攻めしたそうな様子が手に取るようにわかるのは、やはり約七年もの間エルザに仕えていたからだろう。
「初めまして。よくお越しくださいました」
「…あ、は、はい!」
エルザに手をとられて笑顔で話しかけられ、アリアがコウェルズの時以上に顔を真っ赤に染める。
これ以上は限界点を越えてしまいそうな様子にニコルとモーティシアがわずかに焦るが。
「今日のところは簡単にだけ伝えておくよ。アリア、君には治癒魔術師として、エルザの師となってほしい」
王族を前に止めに入ることなど出来るはずもなく、コウェルズの説明をポカンと聞いているアリアに注視しておくことしか出来なかった。
「…………し?」
「はい。私もいずれ治癒魔術師として国の為にありたいと思っておりますの。なのでぜひ教えを請いたいのです。宜しくお願いいたします」
「…………」
だが注視のかいも虚しく、本来なら死ぬまで目通りなど叶わなかったはずの王族に詰め寄られ、とうとうアリアは意識を手放した。
「アリア!!」
ふらりと傾いだアリアが床に落ちる前に、ニコルが庇って抱き寄せる。
「アリアさん!?」
「…限界を越えてしまったかな」
「呑気に言わないでください!!」
慌てるエルザとは真逆にいつも通りの気楽さで呟いたコウェルズに、レイトルが叱責を飛ばす。
「ど、どうしましょう?どうすれば?」
エルザは慌てすぎてどう動けばよいかわからず、右往左往動き回る始末だ。
「横になれる場所は…」
腕の中でくたりと力無く伏しているアリアを支えながら辺りを見回しても、一人掛けのソファーはいくつかあっても横になれるような場所は無い。まさかテーブルの上に寝かせるわけにもいかないのに。
「…もうこのまま休ませてあげよう。疲れてないはずがないし」
ほとんどが困惑する中で、唯一まともな判断を下せたのはコウェルズだけだった。
提案を聞いてすぐにニコルはモーティシアを仰ぎ見て。
「アリアの部屋は?」
「え?侍女達から騎士団が兵舎に用意したと聞いていますが」
用意されているはずのアリアの部屋を訊ねたはずが、聞いていない話で切り返されて言葉に詰まった。
「…こちらは侍女から魔術師団が中間棟に用意していると聞いたのですが」
ニコルに代わるように問うたレイトルに、情けないとばかりにため息を漏らしたのはコウェルズで。
「女性一人を男ばかりの棟に入れるという話事態を不審に思わないといけなかったね。他のゴタゴタに巻き込まれて寝室の用意を潰されたようだ」
冗談では済まされない出来事に、場の空気が一気に悪くなる。
「会う前から嫌がらせかよ…」
王族の前だというのに吐き捨てるように呟いたトリッシュの言葉遣いにモーティシアが睨み付けるが、思うところは同じらしく強く咎めはしなかった。
「とにかくどこか用意させましょう」
「でしたら私の部屋を是非」
「いや、客室を使おう。いくつも空いているからね」
どうすればと困惑する中でエルザとコウェルズが案を出してくれるが、ニコルは静かに首を横に振った。
「いえ、いけません。…私の部屋に寝かせます」
アリアを横に抱き上げれば、わずかにエルザの表情が曇った。だがそんなことを気にしていられる状況ではないので気付かぬふりを決め込み、ニコルはモーティシアに視線を移した。
「今日はこのまま失礼します」
「明日の予定は頭に入っていますか?」
「はい」
今はとにかくアリアを休ませたいという気持ちを汲んでくれたのか、モーティシアもニコルの性急な行動を許してくれる。
「荷物貸して、運ぶよ」
アリアを抱いたまま荷物を持とうとすれば、レイトルとセクトルが先に動いて持ってくれた。
助かると二人に告げて、コウェルズとエルザに体を向け、わずかに頭を下げる。
「コウェルズ様、エルザ様、お見苦しい所を見せてしまい申し訳ございませんでした」
「いいから、早く休ませてあげて。明日また会いに行くよ」
「気を付けて…おやすみなさい」
もう一度頭を下げて、部屋を後にする。コウェルズの王族付き達が扉を開けてくれて、先を急ぐようにニコルは自室に向かった。
「…とりあえず、侍女を吊し上げますか」
「それはしない方がいい」
残された室内ではトリッシュが恨み節を隠すことなく口にして、すぐにコウェルズに却下を食らっていた。
「…可哀想じゃないですか。そもそも部屋の用意を最初に言い出したのだって侍女達なんですよ?それを」
「やめなさいトリッシュ」
まるでコウェルズを責めるような口調にモーティシアは慌てて止めに入るが、コウェルズはなんら気にする様子は見せなかった。
「ここで侍女を責めても勘違いで済まされるか、下手をすればさらにアリアに危害が及ぶかもしれないからね。まだ手探りの状況で悪化の道を選ぶのは好ましくない。ニコルの為にもね」
アリアに何かあれば、ニコルは爆発する。それはここにいる全員が聞かされている話だ。コウェルズにまで掴みかかったのだから。
ぐっと押し黙ったトリッシュに替わるように、今まで静かにしていたアクセルが口を開いた。
「アリアの部屋、侍女達の中には用意しない方がいいかもしれませんね」
ぽつりと呟くような提案だったが、的を射たものだった。
小さな嫌がらせの類いでも、塵の積もる速度は非常に早いだろう。
「…こんな風に前途多難が始まるなんてね」
予想もしなかった出来事に頭を悩ませて、新たな今後の対策にため息をつく。
…ニコル
窓の外にはニコルの部屋のある兵舎が見えて、エルザは妹であれ自分以外の女性を抱いたニコルの姿に胸をわずかに軋ませた。
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