第14話


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 城下町正門に辿り着いたニコル達が目撃したものは、正門の隅に固まって談笑しているらしい十数名の領兵達の姿だった。
 エル・フェアリアの兵装は基本的に同じデザインを使用しているが、十四都ある領土の領兵達にはそれぞれ見た目でわかるように異なるデザインの兵装が用意されている。
 ニコルの故郷を治める領地はエル・フェアリア王都から最も遠い場所にあるため、王都に住む民は見たこともないデザインの兵装に困惑した様子を見せていた。
 だが領兵達はあまり気にする様子は見せておらず、むしろ固まって談笑している様子は領兵としてどうなのだと少し思わせる。
 こんな馴れ合うような者達がアリアを守っていたのか?
 怪我まで負わせて。
 思い出して腹が立ったニコルだったが、隊長と思われる年長の男がニコル達に気付いたらしく、すぐに体勢が整えられた。
「----」
 わずかの合図で一瞬にして領兵達は隙の無い部隊に様変わりし、ニコル達どころか近くで様子を窺っていた民をも驚かせる。
 先ほどまでの砕けた様子はもはや影も形も見当たらない。それ以前に、騎士の装束を纏っていないニコル達によく気付いた。
 領兵達の間に挟まれるように談笑の中心にいた娘が、ニコル達の前に姿を見せる。娘は突然の領兵達の整列に少し驚いた様子を見せるが、騎乗するニコル達を見つけて、ニコルと目を合わせて。
 同じ銀の髪を持った、母の面影を持つ美しい娘。
 息を飲んだのはニコルだけではなかった。
 娘は馬車に腰かけていたが、ニコルを見つけて立ち上がり、表情を強張らせている。
 ニコルが馬から降りれば、後の五人も同じように続いた。
「…すごい美人だな」
 呟いたのはトリッシュだが、レイトルとセクトルは返事をしない。ニコルがちらりと見てみれば、二人とも惚けたように娘を眺めていた。
 こちらの隊長はモーティシアなので道を開けて先頭を譲り、馬を引きながら近付いて隊長だろう領兵に目礼をすれば、相手方全体が頭を下げた。
 モーティシアが隊長に話しかけようとして。
「っ…兄さん!!」
 堰を切るように娘が駆けて、勢いを殺すことなくニコルにすがりついた。
「--アリア…」
 衝撃が体全体にかかる。だがニコルに受け止めきれないわけがなくて、ニコルもそのまま力強く抱き締め返した。
 一般的な女性に比べれば身長の高いアリアだったが、ニコルに比べれば程よく低くて。
 ずっと会いたかった妹。
 ようやく会えた妹。
 何年ぶりになるのだろう。
 会わないまま月日は経って、会わない時間の方が多くなってしまった。
 抱き締める力は強すぎないだろうか。暴動で負った傷は自分で治したと聞いたが、痛みはどこにも残っていないだろうか。
 不安があるのに、抱き締める力を緩められない。
 会いたかったのだ。何年も。ずっと。
 心の支えにしてきた妹。何度も何度も、その幸せを願っていた。胸が締め付けられる。これほどまでに妹を思っていたなんて。
「にいさん…」
 涙声になるアリアの声を聞いて、なぜか領兵の一部も堪えられなくなったように泣き出した。
「…お前達」
「す、すみませ…アリアさんのお話を色々聞かせていただいたもので、どうしても…」
 隊長が簡単に注意をするが、強く叱責を飛ばすほどではない。隊長自身も泣くのを堪えられない部下の気持ちがわかるからだろう。
 問題もあったが良い部隊にアリアは任されたのだとわかった。先ほどのアリアを囲った談笑も、アリアを不安がらせないようにする為だったのだろう。
 胸の奥に強く残っていたしこりが剥がれ落ちて消えていく。
「…ニコル、ここは任せて少し話してくるといいですよ」
 モーティシアの優しい口調に、アリアが泣き顔をモーティシアに見せて声にならない様子で頭を下げ、それを見た領兵がさらに男泣きを始めた。
 モーティシアの言葉に甘えて馬をセクトルに任せ、アリアを連れてわずかに部隊から離れる。たしかにこのままでは、どちらも話にならないだろうから。アリアの手を引いて、少しだけ離れてから、再度お互いを確認するように抱き締め合う。
「今まで悪かった…突然で驚いただろ」
「ううん…兄さんに会えたんだもん…ずっと…会いたかった」
 ニコルの中に残るアリアは6歳のまま時が止まっていて、すっかり美しく成長した妹にわずかに動揺はした。
 それはアリアも同じなのだろう。
 互いに会えないまま大人になった。
 会いに行かなかったのはニコルだ。自分勝手な理由を見つけては里帰りを拒絶し続けた。
 帰るのが怖かった。
 ただ怖いという理由だけで、アリアを放置して、アリアが酷い目に合っても助けられなかった。他人の口から事実を知るなど、最低にもほどがあるだろう。
「怪我はもう大丈夫か?」
「…うん。平気だよ。自分で治したから」
 少し体を離して、傷を探すように顔や体を見つめる。
 だぼつき薄汚れた衣服のせいで元々高い身長と相俟ってさらにごつく見えてしまうが、外気にさらされている首や手はほっそりとしている。
 エルザや侍女達に比べれば傷つき日に焼けてはいるが、それでも女性特有の柔らかさを充分に持った魅力的な女になっていた。
 大切な愛しい妹。
 傷付けられ続けた可哀想な妹。
 これからはニコルが守っていくのだ。
「兄さんこそ、大変だったよね。…今まで助けてくれてありがと」
 贈られる感謝の言葉に、胸が酷く締め付けられた。ありがとうなど。アリアの危機を知らずにのうのうといたのに。怖い思いをしたのに。健気に笑う必要は無いのに。
「…沢山話したいことがあるが、悪いが後回しにさせてくれ。今はアリアを王城に連れて帰ることが最優先なんだ」
「うん」
 ひとしきりアリアの様子を確認してから、ニコルはちらりとモーティシア達を見て、この辺りが区切りだと名残惜しむようにアリアの頭を撫でた。
 子供の頃は自分のお腹辺りまでしか身長はなかったのに、今はすぐそばにある。元々背の高い家系だったが、側に立てばエルザよりも近くなる顔の位置にわずかに胸が熱くなった。
 妹といえど離れた時間が長すぎたのだ。慣れるまでは仕方ないだろうと自分に言い聞かせ、ニコルはアリアの手を引いて部隊に戻った。
「彼女をここまで連れてきてくれてありがとうございます。貴殿方にはこれから王都兵舎に向かって頂きます。そちらで今件の御礼と当分の宿泊場所の案内を致しますので、是非ゆっくりなさってください」
 モーティシアが戻るニコル達に気付いて終わりの句を述べれば、アリアは慌てたように領兵達にかけ寄った。
「お陰さまで楽しい旅になりました。ありがとうございました」
「アリアさんもどうかお元気で。体を大事にしてください」
「はい!」
 朗らかに笑うアリアに領兵達も表情を綻ばせるが、どれも寂しそうな色を灯している。
 今現在を持って彼らの任務は終わったのだ。
 今後のアリアの護衛はニコル達六人に引き継がれた。
 出発する領兵達を見送りながら、アリアは一人一人にお礼をしてまわり、最後に深く頭を下げて彼らを見送った。
 寂しそうに名残惜しむ肩に手を置いて、自分達も出発だと促す。
「さあ、俺達も行こう」
「…うん」
 領兵達が残した荷物はわずかで、それは暴動に巻き込まれた時に一度手を離れたという全財産だった。
「荷物、これだけか」
「え?」
 その量にぽかんとしながらセクトルが訊ね、アリアが返答代わりに首をかしげる。
「自宅の荷物も全て運び出したと聞いたけど」
 わかるように訊ね直したのはレイトルだが、ニコル以外の男達は五人とも荷物の少なさに驚いている様子だ。
「そうですけど…?」
「何か問題か?」
 ニコルとアリアからすれば普通の量なのだが、そこはやはり貧しい平民と貴族の違いなのだろう。
 まじか、と驚いている彼らを眺めながら、あ、とニコルはあることを思い出した。
「…アリア、自己紹介を」
 色んなことに気をとられて忘れてしまっていた。護衛部隊はアリアについて幾つかは聞かされてはいるが、アリアはニコル以外を知らないのだ。
「あ…初めまして、カリューシャ地方から来ました、アリアです」
 アリアも言われてようやく気付いたようにぺこんと頭を下げ、全員の迎え入れるような笑顔に気付いて頬を染める。
 恥ずかしがっている様子が面白かったが、あまりもたついてはいられない。
「右にいる三人が魔術師団の人間で右からアクセル、トリッシュ、モーティシアだ。アリアが正式に魔術師団に入団する事が決まったら先輩になる」
 さっと簡単に説明すれば、モーティシア達は会釈するように頭を下げた。モーティシアとトリッシュは自然体だが、アクセルはやや緊張した面持ちだ。アリアは魔術師団の後輩というよりも治癒魔術師であるという意識の方がまだ強いのだろう。
「こっちの二人は俺と同じ騎士でレイトルとセクトルだ。手紙に何度か書いていただろ?」
 騎士仲間の二人の説明は何より簡単だった。名前を聞いてアリアも思い出したように表情を少し緩めたのは、ニコルが手紙で親しい仲間だと何度も書いていたからだ。
 ざっと簡単な紹介を済ませて、すぐに出発の準備が再開される。ニコルはアリアの緊張をほぐす為に準備には加わらなかったが、それはモーティシアの采配だった。
 五人で済ませるからアリアに気を使ってやれと。
「治癒魔術師は特殊な存在らしくてな、俺達六人はアリアの護衛として編成された部隊になる。隊長はモーティシアだ」
「護衛?…どうして?」
 気を使えと言われても説明くらいしか出来ないので自分達について少し聞かせてやれば、護衛は王都につくまでだけだと思っていたらしく疑問を口にされた。
 魔術師団長達はアリアと伝達鳥を使ってやり取りしていたと聞いていたが、勘違いをしたのか、行き違いがあったのか。
「治癒魔術師はどこの国でも重要性が高い。同時に敵国からも狙われやすいらしい」
 さらりと告げてから、しまったと口を閉じる。
 案の条表情を強張らせたアリアの緊張をほぐしたのは、レイトルだった。
「あまり気にする事はないよ。エル・フェアリアを取り巻く情勢は現在とても友好的だから。形だけの部隊と思ってくれて構わないくらいだよ」
 それは事実ではあるが、一度不安になると解消は容易にはいかない。小規模といえど暴動に巻き込まれたなら当然だろうが。
「あの…でもまだちゃんと決まった訳じゃないんですよね?」
 アリアの疑問に、トリッシュとアクセルが顔を見合せた。やはり行き違いが生じている様子だ。アリアの入団はもう決まっているのだから。
「貴女にはこれから王城にて魔術師団長に会っていただきます」
 上手く誤魔化すようにモーティシアが人好きのよい笑みを浮かべて曖昧に濁し、アリアは途方に暮れるようにニコルを見上げた。
「何も心配はいらない。俺がついてるからな」
「…うん」
 上手く安心させてやれないのが歯がゆいが、ニコルにはその言葉が精一杯だった。
 これ以上は城についてからの方が早いとアリアを促し、乗ってきた馬に案内する。アリアはニコルと共に騎乗する予定になっているので、七頭目の馬はいない。
「じゃあ今から馬に乗るが、後ろで平気だな?前がいいか?」
「後ろで大丈夫だよ」
 荷物はレイトルとセクトルの馬に繋ぎ、ニコルは乗ってきた一番大きな馬にアリアを呼び寄せる。
 落馬したと聞いて不安だったが、アリアに馬に対する恐怖心は無いようで安心した。
 落馬を経験して騎乗が苦手になる者は騎士団内でも多い。何度落馬しようがへこたれない者も多いが。
 アリアの騎乗にはレイトルが手を貸してくれることになり、ニコルが先に馬に乗ろうとしたところで、セクトルが手綱を少しだけ引いてニコルの騎乗を止めた。
「何だよ?」
「話したいことがあるから、アリアはレイトルに任せといてくれないか」
 止めらたのを不審に思いながら訊ねれば、こっちに来てくれと手招きされて。
「…え?」
 レイトルも驚きながらセクトルを見やり、何事だと困惑する。
「…何だよ話しって」
「俺達の今後について聞いておきたい事と言っておきたい事がある」
「…今必要か?」
「ああ」
 普段レイトルに任せてあまり話さないセクトルが早急な対話を望むのは珍しい。だがいくらなんでも急すぎるだろうとレイトルと目を合わせれば、真ん中に挟まれたアリアが邪魔になりたくないと思ったのか要求を素直に飲んでしまった。
「私なら平気だよ」
「え?ちょ…」
 ニコルをわずかに見上げながら承諾するアリアに、後ろのレイトルが慌てる。
 二人乗りはレイトルの不得手ではないはずなのだが、今日初めて合った相手とは乗りにくいのだろうか。
「…任せていいか?」
「あ、ああ…」
 突然のことではあったがアリアも乗馬には慣れているので任せることにし、ニコルはアリアのサポートに回る。
 レイトルが馬の鐙に足をかけて乗り上げてからその後ろにアリアを乗せ、無事を確認してからニコルはセクトルの元に向かった。
 出発準備の整った二頭の馬。レイトルが乗るはずだった馬の手綱を受け取り、軽々と騎乗する。
「急に何だよ」
「大したことじゃないし思い返したら今必要じゃなかった」
「はあ?」
 隣で同じく騎乗したセクトルから思いがけない言葉で返されて、本気で呆れてしまう。いったい何がしたかったというのだ。
 用が無いならとアリアの方を見ても、向こうもすでに準備は済んでおり何やら談笑中だ。
「ぼさっとしてんな。行くぞ」
「…お前が変更させたんだろ」
 モーティシア達も用意を済ませており、後はもう王城に戻るだけだ。
 陣形を組むように先頭にセクトル、モーティシアが立ち、中央にアリアを乗せたレイトルとトリッシュが。ニコルはアクセルと共に後方についた。
 出発の合図はモーティシアが出し、七人は急ぐことなく馬を歩かせた。

「気を付けて…平気?」
「はい。村でもよく乗ってました」
 馬の手綱を慎重に操りながら、レイトルは後ろのアリアに声をかける。
 返事の通り確かに慣れている様子で、アリアは体を強張らせる様子もなくレイトルの兵装をわずかに掴む程度で器用にバランスを取っていた。
 くっついてくれてもいいのにとは、下心があるように思われるのが嫌で口にはしなかった。無いとは言い切れないが。
「前じゃなくて大丈夫なの?」
「後ろで大丈夫ですよ。あたしが前じゃ、たぶん身長的にきついでしょうし」
「そんなことないよ」
 フォローはしつつも、たしかに背の高さには驚いた。レイトルより数センチ低いくらいだ。
 声も首筋のすぐ後ろから聞こえてくるので、アリアが前に乗っていたら手綱を持つレイトルは前があまり見えずに上手く馬を操れなかっただろう。
 ニコルも高身長で髪の色も兄妹同じなので、遺伝的なものなのだろう。
 はきはきとしていて、おまけに美人で。元婚約者の男はいったい何故彼女を裏切ったのだろうか。身長を差し引いても、これほどの美人は侍女の中でもお目にかかれるものではない。
 そしてもう一つ腑に落ちないのは、セクトルの行動だった。
--私が気付かないと思っているのか
 今までこんな気の使い方をしたこともないくせに。身を引くなら遠慮などしないが。
「長旅で疲れただろうけど、もう少し我慢してね」
「これくらい平気ですよ。ありがとうございます」
 仲良く出来ればいいのに。そんなことを思っていた矢先に、隣のトリッシュの馬がわずかにレイトル達に近付き、こちらの馬が嫌がり体を震わせた。
 気にならない程度の揺れだったが、わずかにアリアがバランスを崩してレイトルにもたれかかってくる。
「--え、待っ!!」
 わずかのはずだった。
 はずなのに。
「どうしたんですか?」
「君、胸どうなってるの!?」
 物々しく見せないよう兵装だけを着たレイトルの背中にダイレクトに伝わる主張の激しいアリアの胸の感触に思わず叫んでしまい。
「ごめ--…」
 アリアは静かに身を引き、謝罪しようと振り返ったレイトルはもろにニコルの殺意を帯びた眼光を浴びた。
 全員馬の動きを止めて、レイトルの失言にフォローのしようも無いと呆れている。
 唯一セクトルの口が音もなく「馬鹿」の形に動き、ニコルが静かに馬から降りた。
「…替われ」
「…ごめん」
 怒りを隠すことなく全面に出したニコルの低い声を、レイトルは項垂れながら受け止めた。

--いったい何考えてんだ
 馬を交換して、アリアが乗っている状態から上手く騎乗したニコルは、とりあえずもう一度レイトルを睨み付けておいた。
 アリアがだぼついた服を着ていた理由が胸を隠したいからだと気付いていたので尚更だ。
 レイトルらしくないと言えばそうだが、いやだが大切な妹になんてことを。
「…久しぶりだね」
 出発を再開させれば、後ろから小さな声でアリアが話しかけてきた。
 まだ少し恥ずかしそうではあったが、それが今さっきレイトルに変なことを言われたからなのか、それともニコルとの再会にまだ落ち着かないのかまではわからなかった。
「ああ…こんな再会で悪かったな」
「生きて再会できたの。…それだけで充分嬉しい」
 生きて。
 その言葉が深く胸に突き刺さる。
「…父さんが死んだ時も俺は帰らなかった…後悔してる」
 三年前、かけがえのない人を亡くしたのに、ニコルはそれでも帰らなかった。
 出場の決まった剣武大会と重なったのをいいことに、ニコルは国の行事を優先させるふりをして逃げたのだ。
「お父さんは望んでなかったよ。離れたからって切れるような家族じゃないでしょ?あたし達は」
 その後どうなるか知りつつ、たった一人で父を見送らせた。なのに、薄情者と怒りもしない。
「…当然だ」
 簡単に切れるような関係などではない。そんなことはわかっている。何よりも深い絆で繋がった家族なのだから。でも。
「…ここに来る途中でととさんに会ったよ」
「親父に!?…生きてたのか」
 聞かされた名前にただ驚いた。
 ニコル達兄妹のもう一人の父親で、ニコルの実父。ニコルが村を出てから一度も会わなかった男だ。それがなぜ今更。
「…うん。治癒魔術師の事も全部筒抜け。…あたしを心配して迎えに来てくれたみたい」
「…今更何だよ…」
 迎えに?さんざん好き勝手に振り回しておいて、こんな時だけ父親面しようとするなど。
 ニコルがどれほど恨んだ男か。どれほど会いたかった男か。
「兄さんが村を出て、ようやくだよ。会えたの」
「俺だって村を出てから一度も会ってない」
「…でもあたし達の今を知ってた。ほんと、何してるヒトなんだろうね」
「…さあな」
 あの男が自分達のあらゆる事を知っていたとしても、ニコルは何も驚かない自信がある。
 いつだって全てを知っていて、こちらからの接触は許さなかった父親だ。母を捨てたくせに、のうのうと会いに来るような。
「でね、兄さんのことも…あたしのことも気にかけてくれてたよ」
 まるで慕っているかのようなアリアの声色に、眉根を寄せる。ずっと振り回されて放置され続けたのに、どうしてそこまで慕えるのかわからなかった。アリアがまだ幼い時に会ったきりの男だ。忘れていてもおかしくはないはずだ。
 村人達から白い目で見られる理由の一つだったのに。ニコルの父親だと名乗り出てさえいなければ、ニコルもアリアも両親も村に馴染めたはずなのに。
「昔、ととさんがくれた首飾り、覚えてる?」
 もうあの男の話はしてほしくないのに、わざわざ掘り起こすようにアリアは唯一の贈り物の話を出してくる。
 ニコルが村を出る際には父に持っていけと手渡されて、カッとなって幼いアリアに投げつけてしまったものだ。
「…忘れた」
「そんなはずないでしょ」
 怒らせたらしく背中に頭突きを食らう。そして自分の服のポケットを探り、アリアは手のひらにそれを持ってニコルに見せた。
 確か父親が木箱を作ってくれたはずだがと首をかしげるが、ポケットに入れる邪魔にならないように出したのかと勝手に納得して。
「共鳴石っていうんだって。お互いにつけてたら、片方が危険な目に合った時に、もう片方に知らせてくれるんだって。あと意識を集中させたら、相手のいる所に案内してくれるって。すごい石だね!」
 ぺらぺらと説明をして、興味を持たせようとしてきても無駄だ。
 それを付けたくない理由が、ニコルにはもう一つある。
「ずっと心配してくれてたんだよ」
「…そうか」
「もう!」
 投げ遣りな様子を見せるニコルに、アリアはわずかに腰を浮かせてニコルに体を寄せてきた。
「わ!?何してる!?」
「付けてて」
「やめろ!俺にはいらない」
 慌てて逃れようとしても、馬の上にいる以上どこにも逃げられない。まさか手綱を手放すわけにもいかないのに。
 そうこうしている間にもアリアは情け容赦なくニコルに首飾りをつけようと迫ってくる始末だ。
「頑なにならないの!…あたしも付けてるから…兄さんも付けて」
「…やめろって」
 はたして妹はこんなに強引な性格をしていただろうか。もっと泣き虫だったイメージが強いのだが。
「あたしだって…心配してるんだよ」
 その言い方は卑怯だろうと心から思う。
 ニコルがネックレスを付けたくない理由は、何もあの男の贈り物だからという訳だけではなくて。
「それとも、まだ怖いの?」
 悲しむような声に、わずかに息を飲んだ。
「…何がだよ」
 わざと素っ気無い訊ね方をしても、アリアは聞かされているのだろう。幼い頃のニコルを苛んだおかしな夢を。
「首。お父さんが言ってた。兄さんは小さい頃ずっと、誰かに首を絞められる夢をよく見てたんだって…」
「…覚えてないな」
「…そっか。小さい時だもんね」
 本当は覚えている。何度も何度も繰り返し見た夢なのだから。首飾りを付けたくないのは、どうしても夢を思い出してしまいそうになるからだ。
 子供の時に貰った首飾りだ。同じく子供の時に首を絞められる夢を見続けて、関連付けないでいることなど出来ない。
 だが、子供の時の話だ。
「…付けてくれ」
 そんな夢ごときを怖がるのが腹立たしくなり、ニコルは諦めるようにすぼめていた首をアリアに晒した。
「え?」
「その為にわざわざ持ってたんだろ」
「…うん」
 ニコルに付ける為に。
 大人しくなったニコルの肩越しにアリアの手がゆっくりとした動作で回されて、首飾りがかかった。わずかな違和感は、慣れるまでは感じ続けるのだろう。
「へへ、兄妹でお揃いだね」
「ああ」
 照れたように笑い、アリアがようやく落ち着けるとでも言うように額をニコルの背中にくっつけてくる。
 甘えられているのかと思うと、今まで放置し続けた罪悪感が胸をえぐるようだった。
「…王城だ」
 ようやく辿り着く王城に、背中の温もりが離れていく。
 そしてアリアが言葉を無くすのがわかった。
 遠くからでも王城は見えていただろう。だが間近で見るのとはわけが違う。エル・フェアリアで最も巨大な建築物である王城は、細部にまで細やかな細工が施された、エル・フェアリアで一番美しい場所だ。
 馬がいるために正門がわずかに開けられて、巨大なアーチの門を通り抜けて。
 城内で治癒魔術師が今日訪れることを知らない者はいない。普段は見回りや警備の騎士しかいないというのに、今日ばかりはアリアをひと目見ようと騎士達や魔術師達が集まっていた。
 視線はニコルの後ろにいるアリアに集中する。それが少し怖いのか、ニコルの服を握っていたアリアの手がわずかに強張った。
 ちらりと前方のモーティシアを見やれば、仕方無いとばかりに馬の足を早めてくれる。向かう場所は剣術訓練場だ。剣術訓練は騎士達の訓練の中で最も傷を作る場所である為に医師団の医務室が近くにある。
 アリアの力を見極める為に、医務室に最も近い場所が選ばれたのだ。刻一刻と近付くその瞬間を知っているのはニコルとモーティシアだけだ。
 訓練場に辿り着き、馬から降りて。
 ここでアリアの実力を試すのだ。傷に特化したアリアの力がどれほどのものなのかを。
 予め話のついていた騎士達が近付いて馬を引き取ってくれる。アリアは見知らぬ場所で戸惑うようにニコルの隣にいて、キョロキョロと広い訓練場を眺めていた。
 訓練場で普段通り剣術訓練に勤しむ者達も、まさかここに治癒魔術師が来るとは思わなかった様子で手を止めて、遠巻きにアリアに視線をぶつけてくる。
「--戻ったか」
 老兵の低い声が、背後から響いた。
 全員で振り向けば、クルーガーとリナトがゆっくりと近付いてくる所で。
 頭を下げようとする一同を止めたのはリナトだ。
 困惑状態のアリアに笑いかける姿にはまるで威厳などは存在せず、馴染みやすい優しい雰囲気ばかりがある。その隣のクルーガーは物々しい限りだが、ある意味これはいつも通りだ。アリアがどう感じるかはわからないが。
「初めまして、お嬢さん。私はリナト・ブラックドラッグ。エル・フェアリア魔術師団の団長を勤めております」
「私はクルーガー・ファタリテート・デスティーノ。エル・フェアリア騎士団の団長だ」
 二人に名乗られて、アリアも慌てて頭を下げる。
「初めまして、アリアです…」
 わずかに上擦る声に、ひどく緊張しているのだと気付いた。
 アリアはまだ自分が完全に魔術師団に入団するわけではないと思っていたはずだ。何らかの試験を受けて決まるのだと。
 そしてその試験が今から始まるのだろうと。
「では、早速で申し訳ありませんが…」
 ニコルとモーティシアは今から何が始まるのか知らされている。
 腕をまくるリナトとクルーガーの様子を、ニコルとモーティシア以外の全員が「何だろう」と眺めて。
「貴女の力を見せてもらいましょう」
 リナトとクルーガーが、自分の腕を魔力で破壊した。
 内側から破裂するように腕の筋肉が裂け、辺りに血飛沫が舞う。
 アリア達だけでなく、訓練場にいた全員が息を飲んだ。
「何をっ!!」
 叫んだのはトリッシュだ。
「治癒魔術師としての力量がどれほどのものか、さあ…試させて頂きます」
 苦痛に顔を歪めながら呟いた魔術師団長を、誰もが唖然と見つめる。
「こんなっ…」
「団長!」
 レイトルとセクトルはクルーガーに近付き止血しようと試みるが、勝手なことをするなとクルーガーは無言で二人を払いのけた。リナトと違い涼しげだが、脂汗が浮かび始める。
「医師団を呼んできます!」
「待ちなさい」
 駆け出そうとするアクセルをモーティシアが止めて、アリアの存在を忘れたのかと睨み据えて。
 アリアは怯えていた。
 当然だろう。
 目の前で凄惨な場面を見せられたのだから。
 蒼白になる顔色にニコルは救いの手を出したくなるが、何とか堪えた。これはアリアの実力を見極めるテストなのだ。
 自分の首にかかった共鳴石を握り締めて怯えていたアリアが、表情を強張らせたまま二人に近付いた。
 ニコルからはアリアの後ろ姿しか見えない。だがアリアの肩が深呼吸するようにわずかに揺れて。
「っ…」
 二人の腕の傷に手をかざし、力むように息を止めたとたんに、アリアの体から見たこともない白い霧のような魔力が溢れた。
「!?」
 誰もがその様子に目を見開いた。
 アリアから溢れた白い魔力はアリアの手を伝い、二人の団長の傷付いた腕を覆い始めて、そのわずか数秒後に出血が止まる。
 リナトとクルーガーの表情が目に見えて和らぎ、痛みも引いたのだと気付いた。
 クルーガーの側にいたレイトルとセクトルからはアリアがどう見えているのか、アリアの力を呆然と眺めている。
「…先にあなたから…絶対に動かないでください」
 完全に止血を終えたらしく、アリアがクルーガーの腕に触れた。
 ここから始まるのは傷口の再生のはずだと、幼い頃に見たアリアの力を思い出しながらニコルは足音を立てないようにモーティシアに近付いた。
 アリアの集中の邪魔にならないようアクセルを見ていてくれと伝え、今度はトリッシュの元に。レイトルとセクトルは見入るのに必死で邪魔にはならないだろうが、トリッシュはそわそわと落ち着きがないのだ。
「--静かに見てろ」
 今にもアリアに話しかけそうなトリッシュに小声で呟いて、アリアの様子に納得したトリッシュは頷き静かになる。
 その間にもまずクルーガーの治癒が終わり、アリアはすぐにリナトの腕に触れた。
 クルーガーは言葉にならない様子だった。手のひらを何度も上下に振り動かし、痛みを探すように血濡れた腕に触れて確認して。
 そして思い出したようにリナトに視線を向けていた。
 たった今自分の身に起こった癒しの力が、今度はリナトの傷を癒すのだ。
「腕が治ってる…」
 ニコルの隣でトリッシュが呟き、レイトルとセクトルも目を見合わせて驚いて。
「治癒魔術師様…」
 アクセルの呟きも、無意識だったらしく本人が呟いたのだと気付いていない様子だ。
 そうこうする間に、アリアはリナトの腕から離れて。
「--これで元通り動くはずです。でも失った血は戻りません。しばらく安静にしてください」
 辺り一面に広がる血の海の中心で、アリアは幼子に言い聞かせるように二人の団長に注意をする。
「…確かに。痛みは消えたが少しフラつくな」
 マントで血を拭おうとしたクルーガーをレイトルとセクトルが慌てて止めて、自分達の兵装を脱いで犠牲にした。
「…試したことをお許しください。あなたを是非我が魔術師団に迎えたい」
 その隣でリナトは穏やかに笑いかけて。
 この為にアリアには真実を伝えなかったのか。魔術師団に入団が決まったはずのアリアがその事実を知らなかった時は驚いたが、この試験の為にわざと伝えなかったのだろうとようやく理解する。
 どちらにせよアリアが真剣に傷を癒すことは明白なので少し心外だが。
 リナトからの申し出に、アリアがわずかに不安そうにニコルを仰ぎ見た。
 これからどうなるのかわからない。
 王城に来てすぐに目の前で自傷されたのも酷い話だろう。
 嫌なら断れと、そう言いたかった。
 城下に住めばいい。毎日会いに行くから。
 しかし迎えたいなどと言いながら、王城はアリアを手放す気など無いのだ。
「はい。…決心しています。宜しくお願いします」
 アリアの決意がニコルの耳に届いた時、見たくないとでも言うようにニコルは静かに目を伏せてしまった。

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